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三月賛歌夢現  作者: 朝霞ちさめ
第二章 サトサンガのアルテア
50/151

50 - レナルド・シャムの日記帳

 リーヴァさんが軍の施設から持ち出した古びた本は、やはり日記だった。

 著者名はレナルド・シャム、恐らくは男性。


 日記として記されていたのは、ヴァルキア歴620年1月上弦1日から。

 ちなみにこのヴァルキア歴620年というのが、具体的に何年前の事かは不明。

 そもそもこの世界、世界的に通用する統一された年号がないし、国単位の年号もどちらかというと存在しない方が主流で、例えばアカシャ、サトサンガ両国も導入していない始末。

 その点ヴァルキアは年号を使っていたのかと感心だ。


 で、記されていた具体的な内容はというと、レナルド・シャムという人物はこの年、結婚することになった。結婚相手は幼馴染で、エレナという人物だ。

 結婚するにあたって、先人からの助言として日記をつけると良いと言われ、それを試してみる……と言うような旨が最初に書かれている。

 結婚が決まったことは既に街中に伝わっていて、買い物に向う先々ではお祝いをされたりやっかみを言われたり、そんな事で初日はおしまい。


 1月上弦2日、レナルドはエレナと一緒に暮らす家を見に行き、そこで家具を揃え始めた。レナルドは本棚を欲しがり、エレナはタンスを欲しがったんだけれど、両方を買うほどのお金は二人にはなく、本は床に積めるけど、服はそうも行かないからとタンスをまずは買うことにした。

 なかなか夫婦仲は良さそうだよね。


 正式に結婚したのは1月上弦12日。

 盛大ではないにせよささやかとも言えない儀式を経て、レナルドとエレナは実家を出て、新たな家にいざ住み始める。

 新居についた二人はまずお互いに挨拶を交わし、その日初めて、レナルドとエレナは結ばれたんだけれど、レナルドにとってもエレナにとってもこの日が初めてだったため苦労した旨が書かれている。ただ、とても癖になったとも。

 どちらも産まれてから十一年と記述……、十一年? ってことは十一歳?

 …………。


「顔が赤いな、アルテア」

「…………。あいにくと、僕はこの手の話題が苦手でして……」

「そりゃ済まない」


 ともあれ日記の続きを読むと、時々些細なことで喧嘩をする事は会っても、レナルドとエレナは良い夫婦になったようだ。

 2月末になるとお給料も徐々に貯まったので、念願の本棚を購入。

 一通りの家具も揃えて、あとは子供を作るだけだと意気込んだ。


 生き急いでるなあ……。


 3月に入っても概ね、そういう日常は変わらないんだけど、気になる記述が始まったのが3月下弦17日。

 この日、ヴァルキアという国としての軍事行動があったらしい。

 軍を率いたのは当時のヴァルキア将軍で、ホウザ一帯に兵を置き、この兵のせいで生活がやや窮屈だ、とある。

 この軍事行動はすぐに収まったようで、3月下弦29日、兵が去ったことで街もまた明るくなったとか。

 4月上弦6日、少し大きな夫婦喧嘩をしてしまい、レナルドはそのことを深く反省。翌日には無事に謝り、許して貰う事が出来たようだ。


 次に状況が変わったのが5月上弦9日、またもヴァルキアで軍事行動があった。

 この軍事行動は前回の比ではない大きさで、レナルドたちが住む街、ホウザからもその軍列が見えるほどだという。


「……ホウザ?」

「って、あのホウザか……?」


 5月上弦14日、ヴァルキア軍が戦闘を開始。

 戦っていた相手は煌びやかな装飾のような光を身に纏った、とても綺麗な鳳で、レナルドとエレナはそれを見てただ感動したという。

 ただ、この戦闘は3日以上続き、その間延々と聞こえてくる戦闘音や、空が不気味なほどに美しい光や、おどろおどろしい光に覆われたりと、とにかく生活が辛かったそうだ。

 結局、戦闘音が完全になくなったのは5月下弦19日で、軍の姿が見えなくなったと記述されているのが5月下弦24日。

 5月下弦25日はレナルド、エレナにとって特別な日で、エレナが懐妊していることが判明、ささやかに、けれど確かなお祝いをしたという。


「光を纏った鳳……は、不死鳥ですか」

「普通はそう考えるわね。戦闘時の異変からして、帯びていた属性は光。今となっては対処法が一般化しているけれど、この頃はそうじゃなかったんでしょう。だからかなり大がかりな作戦を打たざるを得なかった……」

「けど、だからといってそんな記述がされた程度で日記を保管するか……?」


 まだまだ続きはある。

 6月下弦17日、この頃続いていた大雨が原因で、ホウザ北西の窪地に水が溜まった。

 この水害のせいでホウザ北西、ロウムは農業に壊滅的な被害が発生し、飢饉になることが予測され、ヴァルキアからはその救済としてロウムに一部資源を無料で供給すると国王から布告があり、その資源抽出がホウザからも行われることになって、ホウザ内部では少々不満が溜まり始めた。

 そして6月下弦22日、政務官に対してホウザの代表がその不満を伝えると、政務官は国王に伝えるとは明言したけれど、それで何が変わるわけもないと記述されている。


 8月上弦15日、ロウム救済を目的とした資源抽出が本格化。

 ホウザはそれを嫌がったとは言え国王の決定である事や、ヴァルキア首都であるタールはホウザよりもより遙かに多くの資源を抽出している事は知られており、結局大規模な反発とまでは行かずにすみ、レナルド、エレナはそれを喜んだ。


 が、9月に入って事態が急変する。

 ロウム近郊で所属不明の軍隊と思われる集団が相次いで見つかったのだ。

 国境を接するリコルドの騎士やプラマナの騎兵ではなく、全く新しい軍隊――ヴァルキアではこれを受けて軍を派遣、しかし5月の『鳳』との戦いで疲弊した軍では兵が不足しており、急遽、義勇兵の結成が決定。

 レナルドはまだ参加出来る年齢では無かったものの、兄のように親しかった人物がそれに参列し、せめて無事に帰ってくるようにとレナルドは考えた。


 そしてその予感は悪い方向に的中し、10月上弦には所属不明の軍隊とヴァルキア軍によって小競り合いから紛争が発生。これの戦場となったのはロウムから更に西に進んだ湿地で、この紛争がトリガーとなって、戦争状態を国王が宣言。

 ロウムは戦場からあまりにも近いことから放棄されることが決定し、ロウムで暮らしていた者達はまず近隣の別の街へと疎開させ、ゆくゆくは北部丘陵地帯ハインに都市の作成が議会と王権の両面から決定された。


 結局戦争が一段落したのは翌ヴァルキア歴621年の2月上弦4日、軍主導で行われたロウム・ラース休戦協定で、この月の下弦には義勇兵は一定の役割を終え、一部はそのまま軍属となり、それ以外は僅かな報酬と共に帰郷。

 レナルドにとって兄のように親しかった人物は生還こそしたものの、左目を失明しており、これ以降は眼帯をつけるようになったという。

 また、その人物はレナルドに戦争の恐怖を語り、エレナの為にも、そして間もなく生まれるであろう子供のためにもできる限り平和に暮らすよう説いた。


 3月上弦6日、エレナが第一子となる男子を出産。

 レナルドとエレナはその子に、セイムと名付けた。

 セイムが自分たちと同じような歳になるころくらいまでは平和であってほしいと願いを込めている。


 5月に入ると北部丘陵地帯ハインで街造りが始まり、タールで導入が予定されていたいくつかの最新技術はハイン側でまず試験されることが決まった。

 これに先だってホウザでは材料補充などで随分と潤い、生活はかなり改善した。


 が、平和や繁栄は早々に打ち砕かれ、同年10月下弦19日にロウム・ラース休戦協定が破綻、紛争が再開。

 再びロウムを主戦場として両軍が相対したけれど、今回は義勇兵の招集もなく、また既にロウム自体は都市機能が放棄・軍事拠点化していたことは周知の事実であって、どこか遠い出来事としてレナルドたちは受け取った。


「ラースはノウ・ラースのラース、ですよね、たぶん」

「ええ。ロウムという場所は知らないけれど……、ハインの名前が出てきた以上、やっぱり今のサトサンガのどこか、だと思うわ」

「ハイン海の南あたりをロウムと呼んでたとか? いや、そんな話は聞かないが……」

「そうですね……。それに、まだ出てきてないんですよね、ハイン海」

「…………」


 その後もレナルドとエレナは時々躓いたり、あるいは喧嘩をすることはあっても、概ね良好な家族として生活を続ける。

 セイムが三歳になった頃、レナルドとエレナの間に第二子の女子が誕生、その子はハイムと名付けられた。

 また、その頃からセイムは特にレナルドに懐くような素振りを見せ、少しエレナが寂しそうだ、と日記にぼやきが書かれている。


 結局、この日記にはそういった事件も書かれてはいたけれど、概ねは日々の生活で感じたことが徒然と書かれたものだ。

 そしてこの日記に書いていたからこそ、レナルドとエレナはすぐに仲直りができ、助言を与えた先人には感謝しても仕切れないと仲直りをした後によく書かれている。


 で、ついに最後のページ。

 そこにはここまでの毎日をエレナと一緒に読み返し、最初の最初で子供を授かるため、とは違った方向に『はまっていた』事を指摘されて恥ずかしかった、けれどそんな事も笑い合えるのはきっと幸せなことだと穏やかに書かれている。

 と同時に、この日記帳を埋め尽くしても尚、レナルド自身はまだまだ幼いとさえ考えていて、少しでも大人になれるよう、そして家族を幸せに出来るように全力を尽くしたいと結んだ。


「…………?」

「…………?」

「…………?」


 ぱたん、と。

 日記を閉じて、三人で揃って小首を傾げる。

 結局個人の日記であって、特別名の知られている人物の日記というわけでもない……、


「僕には全く心当たりがありませんが、レナルド、エレナ、セイム、ハイム。この名前ってサトサンガ的に特別だったりします?」

「いや全く……、敢えて言うならレナルドは少し珍しい名前ってくらいか」

「そうね。セイム、ハイム。特徴的と言えば特徴的な名前の兄弟だけれど、だからといって特別有名な人物にそんな兄弟は居ないわ」

「じゃあ……この日記は、ただの日記?」

「……まあ、そう見るべきよねえ」


 なんでそんな、ごくごく普通の……いやまあそれはこの世界のその時代、その国においての規準であって、冷静に考えると十一歳で結婚して子供まで作っているあたり僕の規準では論外レベルなんだけど、ともあれそういった、一個人の日記に過ぎない。

 特に暗号のようなものもなかったし……、それをあえて、インクが掠れて読めなくなっても尚、軍施設が保管する……?


「何も意味が無いってことは?」


 とリーヴァさんがまずは提起する。

 当然、僕とヘレンさんは首を横に振った。


「全く何も情報が無いわけじゃ無いのよ、コレ。今でも名前が残っているホウザとハイン、逆に名前は残っていないロウムとタールの位置関係がある程度見えるわ」

「それにノウ・ラース地方に何かの国家か、そうでなくとも軍隊を所有する何かが存在したことも解りましたね。あと、光の属性を纏った不死鳥が出たことも」

「この日記単体ではそれほど大きな情報ではないかもしれない。けれど他の情報と会わせると、少しずつ見えてくるものもあるわね。ホウザの位置が今と変わらないならば、ヴァルキアの位置は今のサトサンガの東部から南西部……、」


 サトサンガの地図をヘレンさんは手に取り、まずはホウザを指さす。

 その上で、タールまでの距離は解らなくとも方角は分かる。

 かつ、ハイン海に当たらないまでの距離……で考えると、なあ。


「ハイン海がヴァルキアの地図にない以上、ハイン海より南に全部が詰まっていると考えるんですけど、そうするともの凄く狭いですね、ヴァルキア」

「そうね。人口的にもちょっと、収まりが悪いわ。もう二回りは大きかったはず……でも、そうするとハイン海が邪魔ね」

「じゃあ、昔はハイン海がなかったって考えるとどうだ?」

「そう考えるなら……、」


 ヘレンさんが地図に指で線を描いていく。

 今のハイン海、その中央の水底にタールがあり、その北が『北部丘陵地帯』としてのハインで、今のハインと位置的には似通う。

 そりゃ、ハインに丘陵地帯ってイメージはないけど、湖底までの深さを考えると……。


 更に、その場合ロウムの位置はサトサンガ南西部……か。


 嫌だな。

 位置が嫌に符合する。


「……湖底神殿に限らず、湖底全域を調べてみますか」

「それが良さそうね……」

「…………? どういうことだ?」

「リーヴァもアレから多少は聞いてるでしょ、この子の仮説。ハイン海は湖底神殿……お城だったかしら、それを隠す偽装結界を維持するために必要だったから作られた後付けの湖なのではないか――だとしたら、元々はただの陸地だったとしてもおかしくないでしょう?」

「……つまり、湖底にタールなりロウムなり、街が沈んでる可能性がある……ってことか?」


 僕とヘレンさんが同時に頷き――リーヴァさんは絶句する。


「場合によってはホウザの再調査も必要ですが……」

「今は無理ね。もう暫く待った方が良いわ、大火の影響が強すぎる。将来的には調べるにしても、今は足下、というより板子一枚下を確かめるべきよ」


 板子一枚下って。

 それじゃあ地獄になっちゃうよ。


 ……それも案外、正しい形容なのかもしれないけれど。


「そういえばアレ、アルテアに頼めば水中でも動けるようにはなるだろうって言ってたけど」

「出来ますよ。道具ですけど。ヘレンさんも必要ですか?」

「私も一応、水中である程度活動できる方だって自負はあるんだけど、一時間くらいなのよね。あなたの道具だとどのくらいいけるのかしら?」

「この前適当に作った物が一弦程度ですね。本気で作れば……、二年、三年ってところかな?」

「え? …………? ずっと水中で? 息継ぎは?」

「僕が用意する道具は持っているだけで、水中で呼吸をしたり、水圧をかなり緩和したり、水中でも視界がクリアになったりします。ただ、水圧を緩和するの一環で『泳げなくなる』ので、水流操作系の魔法が使えないと、浮かべなくて大変かもしれません」


 …………。

 なんかドン引きされている。

 でもまあ、一度体験すれば便利だと解ってくれるだろう。多分。


「私はともかくリーヴァ、あなた、大丈夫?」

「水流系はちょっと……、でも俺、テクニックアーツで無理矢理百メートルくらいならば飛べるから。それで出れられると思う」

「百……」


 それは……どうなんだ……?

 僕がドン引きしていると、


「いえ、あなたにはそのリアクションを取る資格がないわ……」


 と、深刻そのものな表情でツッコミを受けた。

 ああ、なんかちゃんとツッコミをしてくれるのはうれしいなあ……久々の感覚だ……。

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