40 - ハインの町並み
船旅は、良く言えば何事もなく、正直に言えばものすごく退屈なままに――サッティラを出港してから四日後、ハイン港に無事到着した。
改めて成功報酬を金貨できちんと支払い、同行者の四人も下船をしたところで、全員の同意のもと今回の出会いは面識として今後も活用していくことになった。
とはいえ僕とオーザさんはちょっと直接の取り次ぎが難しいんだけど。
オーザさんは軍人さんだし、僕は一般人の子供という扱いだからね。
それでもまあ、なんとかなるだろう。それが縁というものである。
「ちなみに坊主、帰りは大丈夫か?」
「そうですね……、正直大丈夫とは言いがたいです。けれど、会いに行く人が在宅中ならばすぐに用事はおわりますが、居なければ探すところから始めなければならないので、予約もなにもできないんですよ」
「なるほど……ま、あの暇な船でも良ければ、船舶案内所で俺の名前を出してくれ。可能な限り運んでやるよ」
「頼もしいです。その時は、よろしくお願いします」
「ああ」
提案は嬉しいけど裏があるな。
特に変なことは……あの料理と釣り以外にはしなかったつもりだけど、それが却って何か思わせちゃったのかも知れない。
とはいえ提案自体は本当に嬉しいのでキープ。
ま、今のところは要件を先に済ませよう。
まずはハイン港に置かれた地図を眺めて、現在位置を確認。
ハインという街は、ハイン海の北西部から横に横に……つまり、湖沿いに広げるように作られた街で、その住所はちょっと特徴がある。
湖に最も近い沿岸帯を『港区』、それより一つ先にある『中央区』、そして最も湖から遠い『外縁区』とするのが基本にあって、更に首都としての機能が集約された『政庁特区』が例外的に一つある。
この『政庁特区』を中心に東か西かで住所には東西がついて、政庁特区に近い順で番号が1から順に振られる――って感じだ。
で、現在地はというと、西ハイン港区の2。
僕が目指す場所は東ハイン外縁区の8なので、大分歩く事になる。
とはいえ道それ自体はとても単純で、それぞれの区を分けるようにあるし、ちょっと時間が掛かるだけで簡単に到着するだろう。
念のため地図は眼鏡の機能で保存しておいて、多少遠回りでも間違いの無いルートで移動を開始。
のんびりとハインの道を歩けば、この街を通してサトサンガという国の現状、もしくは実情とでも言うべきものが見えてくる。
たとえばそれは道に置かれた小さなものだったり、裏道や路地裏のような場所の清潔さだとか、あるいは建築物の状態だったり。
物ではなく人の部分でも、どんな服を着ている人が多い――とか、どの程度の活気がどの道にあるだとかで見える部分はある。
他にも動物とか。
野良猫の気配はするんだよな。
たぶん呼べば来るだろうけど、そういうお楽しみはあとに取っておいて、今はやるべきことを優先しなければ……。
と言っている間に政庁特区へと到着。
この区画はその名の通り、サトサンガという国の政治が行われる特区で、大きな議場を伴う時計塔が中心にある。
国会議事堂みたいな?
実際、国会のような事をしているらしいから、あながち間違いでも無いのかも知れない。
一院制みたいだけど……。
他にも政治集団……要するに政党に近しい存在だけれど、その拠点だとか、あるいは軍に関する施設もこの政庁特区にある程度纏められているようだ。
尚、『現政権』の人々に提供される家屋もこの区域にある。
フィンディル卿の家らしきものも見つけたけれど、中々どうして豪邸とはほど遠い。普通の住居だ。
……そりゃまあ、ここにある家はあくまでも議会を開いている際の拠点にすぎず、ちゃんとした自分の家は別に持ってるからなんだよね。
つまりこの区域にある家は議員庁舎みたいなものなのだろう。
……にしても、この国の政体が謎だよな。
国王のような者はいないらしい、一定の民主制はあるんだろう。
議会には選挙を利用するとも言っていたし、となると議会型……間接民主制なのかなと思えば、フィンディル卿のように貴族的な人物もいるんだよね……。
地方がやや荒れ気味で、盗賊団なんてものが跋扈してるし、奴隷商人も活発に動いているとはいえ、国としては安定期なのかもしれない。
嫌な安定期だな……。
当然と言えば当然だけど、政庁特区は他と比べればかなり綺麗だった。
そんな政庁特区を突っ切り、東ハインへ。
東ハイン中央区の1は、当然西ハイン中央区の1と殆ど変わらない。
やっぱり左右……もとい、東西はほとんど対称なのだろう。
都市としては不自然だけど、一度徹底して『再整備』した結果だと知っているのでこんなものだとも思うし。
で、東ハイン中央区の3には多くの商業施設が集合している。
日用品から食糧まで、だいたいここでそろえる事が出来るようになっているようだ。
値段は……まあまあって感じかな? 品質値相応だとは思う。
特に目新しいものとか、珍しいものは無し。
そもそも専門的なお店がないように見える。
実際、東ハイン中央区の4に差し掛かると、お店の質が突然専門的に切り替わる。
この区域では大分珍しいような品物も置かれているようだ。
珍しいところではオーダーメイドの鎧を売っているところもあるし、使い捨てタイプの剣などを売っているところもあれば、あまり一般的ではない食用品も置かれている。
ただしお米はない、と……。サトサンガで生産はしていないと見た方が良いかもしれない。
更に東ハイン中央区の5はというと、もはや専門も専門で、輸入系統のお店が置かれている。
とはいえこれは商人とか、冒険者が使う程度だろうな。一般人には無縁だろう。高いし。
ただ、品質値も相応に高い上、入手が難しいものも置かれている。
そのせいだろうか、ちらほらと護衛の軍人が立っていた。
さて、更に進んで東ハイン中央区の6。
このエリアはユージンさんやテイカさんといった交易関係のお店が並んでいて、輸入するほどではないけれどそれなりに珍しいものだったり、単に物量的な意味で専門的になっているお店がある。
ただしユージンさんとテイカさんは西ハイン中央区の6で取引をすると言っていたので、正反対側である。ちょっと残念。
もう一つ進んで東ハイン中央区の7、ここは日用品と医療品がごちゃっとしている。
……ま、その理由はというと、東ハイン外縁区7に『闇市』にあるかららしい。
つまり色々と入り用なものはここで買ってねという意味もあるわけだろう。
僕と同い年くらいの子供がちらほらと買い物をしているけれど、半分は普通のお使い、もう半分は……、まあ、そういうことだろうなあ……。
急ぎ足で進む。
というわけで、東ハイン中央区の8。
先ほどまでの市場ラッシュも落ち着いて、酒場や駐屯所がちらほらとあるけれど、住居がメインになり始めている。
そんなところで進路を切り替え、湖から離れる方向へ――大きな道路を渡れば、東ハイン外縁区の8。
この場所はとても静かな住宅街だ。
まあ、すぐ隣に闇市がある時点で解るとおり、決して品の良い町並みとは言えない。
それでも首都の一区画だ、整理はきちんとされているし、裏道もぶっちゃけ、アカシャの適当な街よりかは綺麗だった。
……治安面は微妙だけど。時々ナイフやらなにやらが落ちてるし。
あと、壊れたビニール傘感覚で壊れた戦斧を捨てるのはどうかと思う。
というかなんで壊れたんだろう……。
深く考えないことにして、ご隠居の家のある方へ。
外縁区でも特に外縁に近い、街と街の外の境目のような場所まで一度出て、目印になっている鳥のレリーフの付いた井戸を探す。
幸いすぐに見つかった。あとは井戸から街の方向を眺めたとき、左側にある路地を通って、三件目――何も書いていない扉、何も書かれていない白い表札、水色のカーテンが締められている二階建ての家屋。
ここで合っている。
と、思う。
気配は一つ……あるかな。外出は済んでいるらしい。
ドアをノックして、と。
「すいません。ベイルさん、いらっしゃいますか」
まあ、外出から帰ってきていたとしても、反応があるかどうかはまた別の話。
甘く見積もって半々、恐らくは六の四で無視されるだろう――というのが、サムの読み。
そして実際、無反応。
完全な無反応ではない。居留守だ。
気配は若干、こちらに意識を向けている。
「……居ないのかな」
結界を張ることができればなあ。
随分と話は単純だったんだけど。
残念ながら、僕にはまだ結界のミスティックやテクニック、ロジックといったものを使う事が出来ない――が。
周囲に視線を向ける……幸い、外縁区でも特に郊外。
ましてや、路地裏にあるような入り口だ。
人目に付きにくい場所、である。
それも極端に。
であるならば――結界の魔法などに頼らずとも、僕にもやりようはいくらかある。
周辺の地形をまずは再認識。
人の気配の位置。周囲に散らばる様々な要素、たとえばそれは割れた花瓶やしおれた花、血痕の付いたナイフであったりぼろきれであったり、そういう様々なものを徹底して認識していき――その位置を、『整える』。
人の目は小さな違和感を感じ取るような、そんな力に長けている。
けれどそれ以前に、人間とは『見たいものを見る』生き物だ。
だから『見たいものを見せてやる』。
そして『見たくないものを配置する』。
その小さな積み重ね。
魔法という強引な方法ではなく、あくまでも塵も積もれば山となるという、心理的な状況の組み合わせをして――その技術は実現する。
即ち、『空間整理』だ。
厳密にはそれを発展させた『判定免除』というものなんだけど。
空間整理に真偽判定による内心への干渉を絡めているおかげで、本来の『空間整理』よりも、人間に対してはその強度は高い。
それ以外の動物にはちょっと弱いけど、まあ、それはそれ。
『空間整理』や『判定免除』を駆使して、この家の周辺から人払い。
いまここにある手材料だけでは精々三時間程度の持続が限界だけど、三時間もあれば十分だ。
仕掛けが終わったところで、僕は改めて扉のドアノブに手を掛ける。
しっかりとした鍵が掛けられていたので、『解錠』。
ここはちょっとずるいけど、最初の世界で覚えた魔法を使わせて貰った。
「お邪魔します」
「…………」
扉を開ければ、そのすぐ先にその男性は立っていた。
全体的にはとても威圧的な印象の、けれどにこやかな表情を浮かべた男性――だ。
「入って良いと言った覚えはない」
「入るなと言われた覚えもありません」
「…………」
「…………」
お互いに詭弁だけど。
正当性は当然向こう側だろう。
ま、今回は譲らないけどね。おつかいが終わらないし。
「僕はアカシャのサムにお願いをされて、この場を尋ねました。ご隠居、ベイルさん。いえ――アルベイル卿と敢えてお呼びしたほうがよろしいでしょうか。サムからの親書です。これを受け取っていただきたい」
「それが嫌だから隠居しているんだがな」
「黒床の神子」
やる気が無い、そんなベイルさんことアルベイルさんの言葉には……端的に、重要な一言を僕は答えとして口にする。
ただの一言で、アルベイルさんは表情を硬くした。
なぜその単語を、そんな感じだ。
「僕達はそれを改めて調べているんです。サムは簡単には動けませんから、主に動くのは僕になります。そうしたら、サムはベイルさんを訪ねるべきだ……と。サムが知りうる限りで、黒床の神子について一番詳しいのはベイルさんだとお聞きしました」
「…………」
ベイルさんは深く考え込むような素振りを見せて。
「いいだろう。もてなす事は出来ないが、それでもよければ入ってくれ。まあもう入ってるようなものか――」
「はい。ありがとうございます」
ともあれ同意の元、ようやく入ったアルベイルさんの家の中はとても綺麗に整えられている。
調度品も全体的に品質値は高く、こんな場所の家にはオーバースペックだ。
まあ。
隠居したとはいえ、やはり元は実力者、か。
サムからの親書がなければまともに取り合ってもらえなかっただろうしな。
椅子を勧められて座ると、正面にアルベイルさんが座る。
「まずは名乗ってくれ、坊主。それと要件を」
「アルテア・ロゼアです。サム――いえ、アカシャ国のユアン王子と相談していたら、黒床の神子が少々動いているのではないかという結論に達しまして。だから、アルベイルさん――あなたに話を聞くのが一番だろうと、サムは結論したようです」
「……なるほどね。だが俺は隠居した身だ。今更何かをするつもりはないよ。とはいえ……なるほど。黒床の神子に関連するならば、俺にも利がある」
…………、ふうん?
「良いだろう。ユアンが俺を頼るというのは滑稽だが――まずはユアンの見立てを詳しく話してみろ。その滑稽さを理解しない奴でもないだろうし、にもかかわらず頼ってきたんだ。相応の何かが起きていると判断して良いだろうからな」
……滑稽?
どういう意味だろう。いや、今はそれよりも……要件か。




