36 - 噂はどこでも情報の基
『ハイン海の船、ということは目抜けない貴様のことだ、サトサンガ冒険者ギルドが運用するものに乗っているのだろう。休憩中の船員が集まるような場所があるならば、そこで噂話を聞いて欲しい。その船の船員は実質的にサトサンガ冒険者ギルドの構成員だからな、アカシャには伝わっていないそちらの情報、あるいはアカシャから伝わってしまっている情報が見極められる可能性がそれなりにある。船乗りは情報に敏感だ、あるいは我々が気付けていないようなことさえ拾っているかもしれないな。ともあれ、まずはこれをやってくれ。それでも暇を持て余すならば、過去、ハイン海において発見されたという湖底神殿について聞いて回ってくれ。こちらの情報は余り期待できないが……。だからこそ、時間を掛けるには丁度いいだろう』
サムこと、僕の共犯者から返信が来たのは、僕が問いかけてから案の定、一時間ほど経った頃である。
既に日は完全に沈み、夜。
夜の船は静かかと思えばそういうわけでもなく、サムの言うとおり休憩中の船員あたりだろうか、下の方の階、恐らくは大型船室のあるデッキでわいわいと騒がしくお酒を飲んでいるようだ。
で、サムからのリクエストはギルドメンバーとしての船員の噂話調査。
それで暇が潰せなければ、ハイン海で過去に発見されたという海底神殿について聞いて回るように、とのことだけれど……。
どちらにしても、まずは船員さんの休憩現場を訪れるのが最初だな。
部屋の扉のつっかえ棒を外し、鍵を開けて船室から外に出る。
声のする方向はやはり下。
船尾方面の階段にまずはすすんで、踊り場に書かれたデッキプランをしっかりと確認。
現在居るこの場所がキャビンデッキ。
一つ下の階が主に小型船室のあるデッキで、もう一つ下が大型船室のあるデッキ。
普通に階段で行けるのはここまでだけど、更に下もあるようだ。荷物用かな?
階段を降り、キャビンデッキから一気に二つ下のフロアまで移動。
デッキプランによると、この階層には三つの大型船室が並んでいて、真ん中にあたるところが一番騒がしいのかな?
忍び足などはせずに、普通に近付く。気付かれても何ら問題は無い。
会話はだいぶ鮮明に聞こえるし、特に防音のような措置はとっていない。
……変に忍び足もしてないし、船内の探検中って事で言い訳は出来る。
ちょっと聞き耳を立ててみよう。
「ハイネの仮設城砦、破却が決定しただろ。つい先日、取り壊しが始まったそうだぞ」
「ああ、ついにか」
「で、お役御免から百年は維持されてた事を理由に史跡化が進んでてな。なんで今更取り壊すんだって周囲の住民が大暴動」
「そりゃ、ハイネの仮設城砦と言えばサトサンガで珍しい、自由に見学できた近代城砦だからな……旅行客も多かったんだっけ?」
「そう。それにお役御免から百年間、手入れをし続けたのもその周辺住民だからな。暴動はご尤もって感じだろ」
「違いない。で、暴動の結果は?」
「どうもこうも、精々町単位で民間人だからな。軍相手にはどうしようもないさ。まずは見せしめに数人殺されたらしい」
「殺されたのはたったの数人で済むんだから現政権が優しいと考えて……いいのか?」
「良くないだろ。『まずは』だし。結局、女子供は売られたって聞いてるぜ。実際、近頃ニュー・スリーフの奴隷市に妙な大量供給があっただろ」
「あー……。しかしそれはそれで妙だな。大人の男だけをあの地域に残すと死兵になりかねん。却って暴動が悪化しないか?」
「ああ。その辺の情報の齟齬がどうにも気になってな。陸で多少探ってみたんだが、これといって成果無し」
「単純に殺して埋めたとか、その辺かね」
「軍単位でやればそれほどの重労働でもない。そう考えるのが自然だろうな」
「国の方針に逆らうだけならまだ良いが、暴動となるとな。軍も動かざるを得ないか。誰も得をしないな、この一連の状態は」
「そうでもない。一つ明確に得をした連中がいる」
「……居るか?」
「ああ。奴隷商が儲けてる」
「…………。煽動……あり得るか?」
「ここ最近の奴隷市場の活性化からして、否定はできんだろう。現政権はなんとか外国への波及を抑えるのに精一杯だったからな……それでもクタスタの一件では『仕入れ』があったと聞いている」
「やれやれ。しまいにゃサトサンガは世界の敵になりかねんな、このままだと」
「それを懸念したんだろうな。現政権からギルド側に秘匿依頼がいくつか出されている。内容は不明だが、十中八九……」
「奴隷商への潜入捜査……」
「場合によっては殲滅も――視野、だろうな」
「そうなった日には、それはそれで大事だろう。奴隷商は戦力を持ってるし、支持基盤もあるんだからさ」
「それでもいつかは潰さなきゃいけない病巣だろ?」
「まあ……な」
「どうやらフィンディル卿婦人がご懐妊だそうだ、目出度い話じゃないか」
「ああ、そりゃ目出度い……が、本当か? 正式な発表はいつになるかな」
「遅くとも来月だろうと。フィンディル卿が縁の商家は言っている」
「なるほど。フィンディル卿ほどとなると、ギルドとしても何か祝い物を送るようだな」
「何を送るか、今頃本部は頭を抱えているだろうよ。あの家系は即物的な物は大概持ってるからな」
「違いない。……だがフィンディル卿って確か、十七歳だよな?」
「ああ。夫人は四つ下だから……」
「ちょっと遅かったな。結婚自体は四年前だったわけだし、当時からまぐわってはいたんだろう?」
「だとは思うが……、年齢的に考えりゃ単に、『まだ』だったのかもな」
「あり得る話だな……ま、ともあれ目出度い話なんだ、どうだ、一杯」
「良いね。フィンディル卿様々だ」
「ところでそのフィンディル卿といえば、この前大量発注があったよな。あれは今回の件と関係するのか?」
「どうだろう。確かこの前の大量発注、綿花がメインだったよな?」
「ああ。羅紗作りの職人もセットで。そう考えると布作りが目的に見えるんだが」
「常識で考えれば羅紗の完成品を買った方が安いし高品質だな」
「つまり非常識で考えなきゃいけないわけだ。フィンディル卿の部下にメーダー出身の、アルケミックに詳しい奴が居ただろ。あれかな?」
「いやあ。アルケミックで出来るのは精々効率化で、大量生産の部類だろ。品質を上げる方面もあるとは聞くが、メーダー国内から持ち出せるとも思えないし」
「だよな」
「それに先の大量発注は半年前には出てたんだ、納品が先々月だったというだけで。今になって懐妊が発覚したって事は、『仕込み』の前になるだろ、発注が」
「そうか……じゃあ、無関係かな?」
「絶対に無関係とも言えないけどな。そろそろ本格的に子供が欲しいからと先に発注だけしておいて本格的に『仕込み』を始めた可能性もある」
「フィンディル卿の性格的にそれは考えにくいだろ」
「だな。言ってて無理があるとは思ったんだが……」
「ホウザの大火、続報がぱたりと止まったなあ」
「心配か。……って、そりゃそうだな。お前たしかあそこに……」
「ああ。出身地じゃあないが、幼い頃に三年は暮らしていた場所だ、思い入れは多少ある。知り合いが無事ならいいんだが」
「全くだな。……そんなお前に聞くのも酷かもしれんが、ホウザに埋もれてるだけで、近頃火事が多くないか?」
「ああ、それは俺も思った……この所内陸部は雨が少ないらしい、そのせいかもしれないが。厄介なことだよ。大規模火災になると鎮火できるような連中も少ない」
「大水もそれはそれで困るしな。それこそクタスタを見ると」
「何事もバランスだよ、バランス。多過ぎは良くない。砂糖を入れすぎた茶とかな」
「茶を砂糖に入れるのはお前くらいだよ……」
「意外と美味いんだけどなあ……」
「そもそも船乗りで茶を楽しめる奴が少ないんだけどな?」
「ホウザの習慣なんだよ、コレ。……はあ。詳報来ねえかなあ」
「確認しなけりゃ生きてると考えられるだろう」
「死んでりゃそりゃ悲しいさ。生きてたら嬉しいし。だが俺が一番心配してるのは、生きているけど地盤がないって状態だな。そうなったら仕送りしてやりたいんだよ」
「お前良い奴だな。長生きできねえぞ」
「自覚はしてるんだが、俺が生き残るよりもホウザの知り合いに生きてて欲しいというか」
「はあん。さてはお前の惚れた奴がいるのか」
「惚れた……、まあ、惚れたに間違いは無いのかね。人として惚れたと言うより、才能に惚れたんだが」
「才能に?」
「ああ。こいつは将来、絶対に大成する――と、そう確信できるような奴だった。子供心ながらにだ」
「……だとしたら、生き残ってると思うけどな」
「俺もそう思いたい。だからこそ、続報が欲しいのさ」
ちょっと気になった話題はこのあたりか。
ホウザの大火はあの瓦版よりも後の情報が出ていないと言うことなんだろう、情報封鎖がされている可能性がある。
フィンディル卿というのはこの国の現政権でも上位に食い込む実力者だったはず、年齢は知らなかったので十七歳というのは驚きだけれど……え? 四つ下のお嫁さんが……で、遅いの?
いやまあ、この国基準で考えるとそうなんだろうけど、なんとも……。
そして大量の綿花を発注しているって、何に使うんだろう。本当に布を作りたいだけ? それとも綿花を綿の状態で使って何かを作ろうとしているのか……、そういえばこの世界の防寒具にはあまり綿が使われていないんだよね、商家の出らしいし、そのあたりの開発に使おうとでもしてるのかもしれない。
で、最後にハイネの仮設城砦破却とそれによって発生した暴動、鎮圧などの一件。
これが一番話題としては大きいかな?
ハイネというのはサトサンガ・アカシャの国境沿いの地域で、サトサンガ南部、アカシャ中部に近い。
そこに用意された仮設城砦の目的はノウ・ラースに関する戦争において、いざという時の防衛用だろう。
本来の役目が終わっても尚残していた物をあえて壊すというのだ、周辺は確かに困惑するだろうな。ましてや観光産業に使っていたのならば尚更だ。
かといってそれに暴動を起こすというのは、いささか決断が極端すぎる。
鎮圧されないとでも思ったのか?
思ったんだろうな、国境が近い、イコール、軍が動きにくい。アカシャに対する敵対行為として見られかねない様な行動を今のサトサンガは取れないと判断したか。
その結果鎮圧され、女子供は奴隷として売買される商品に、残った大人に関しては不明。
この件で一番儲けたのは奴隷商……、うん、ちょっときな臭い。
というのも、このハイネという砦がある場所はホウザにも近いのだ。
ホウザの大火とこれは常識で考えれば無関係だろうけど、何か関連があるのかも知れない。
「あれ。子供?」
「ん? あー?」
と、そんなところでついに船員さんと遭遇。
片方はしっかりとしているけれど、もう片方は酔い潰れている。どうやら寝床まで運ぶ最中のようだ。
プレートを見せて、と。
「すいません。客として乗り込んでいるアルテア・ロゼアと言います」
「ああ。君が……部屋は中型船室だよな。迷ったのか?」
「いえ。暫くお世話になるので、暇な間にちょっと回ってみようかなと。ご迷惑でしたか?」
「このデッキまでならば大丈夫だろうね。ここより下は遠慮してくれ。それと、このデッキは夜とか、休憩中の船員が酒を飲んだりしてるから……、あまり安全とは言えないよ。もちろん客に手を出すほどの馬鹿は海にたたき落とすんだが」
「…………」
この船、船長を初めとして割とスナック感覚で船員を海にたたき落としてない?
人員補充が間に合うのだろうか……、僕が心配することじゃあないとは思うけど……。
「……えっと、ご忠告ありがとうございます。一通りは見て回ったので、そろそろ船室に戻ろうかな」
「そうすると良い。何かご入り用なら言ってくれよ、金は取るけど、用立てできるものは用意するからさ」
「はい。その際は是非に」
一瞬猜疑の感情が向けられたので、そこはちょっと感情の向きを補整。
ほんの少しの変更だから、自覚は……まず出来ないはずだけど、顔は覚えておこう。
万が一と言うこともある。
二人組が去って行ったのに合わせて、僕も自分の船室へと戻る。
サムには気になったこととして先の三件を伝えることにしよう、ハイン海の湖底神殿は早くても明日からの調査だ。
……ま、そっちはサムもそれほど期待はしてなかったと思うけどね。
部屋について時計を確認、サトサンガ標準時で二十一時……だから、アカシャだと二十三時くらいかな?
夜中にはなるけれど、明日の朝に連絡するよりかは今日の内のほうがいいよな。
どうせ音声伝達のロジックは任意の時間に聞ける留守電みたいなもんだし。
例によって鍵を掛けた上でつっかえ棒で封鎖、ベッドに横たわって言葉を整理。
サムにちょっとでも解りやすいように。
そして、向こうからの疑問を拾いやすいように、言葉を選んで――




