34 - 文化の違い・闇市編
地図は消耗品だ。
そしてこの世界において、地図は軍事的な情報として扱われている節がある。
だからこそ、大きな地図を使ってものごとを説明するとき、地図の上にガラスを敷いて、そのガラスにペンを走らせる事で地図を使い回す……というのは、なるほど。
もちろん、ここで使うペンは通常のインクではなく、ガラスにもしっかり書き込めるもののようで、お酒で洗い流すことが出来るような性質を帯びている。
……そっちの方が高くない?
いやまあ、軍事的な情報をそう簡単に複製したくないから……って理由だろうけど。
一周回ってハイコストだった。
「では改めて説明を。今回、アルテア・ロゼアが契約を行ったのはサッティラ・トラエ交易船。船長はバリス・ザ・キャプテン、サトサンガ冒険者ギルドに属する者です。本契約の立会人はこの私、リーザであり、ここにその契約概要を記します」
儀式的な説明……かな、いや、緑と赤の渦がうっすら見える。
魔法だ。種類は不明。テクニックか、あるいはアルケミックの説もあるか?
やっぱり魔力の渦の色、何か意味があるっぽいんだよな。色別とは違った法則で、赤青緑……しっかりと研究してみたいんだけど、僕にはまだ使えない魔法が多すぎる。
かといって他人の魔法を見るだけじゃあどの種類か断定が難しいし。
それに他人に説明することが出来ないのも辛い。
僕にしか見えないのだ、魔力の渦は。
まあ、それも後付けの才能で、魔王化した結果に過ぎないっぽいんだけど。
……あるいは他人を魔王化させちゃえば見えるようになるかな?
最終手段としては考えておこう。
「アルテア・ロゼアの要請は、サッティラ港からハイン港への安全な移動と、船室を一部屋。水や食糧は持ち込み、寝床を追加で要求。それ以外には特に指定が無し。バリス・ザ・キャプテンの提案は、中型船室一部屋の占有権の付与と、サッティラ港からハイン港までの直行。追加要件として、追加募集――アルテア・ロゼア以外にも契約者を一定期間募り、その後出港するという方式です。両者、如何に?」
「俺は追加募集を必ずしもやりたいわけじゃあない。ただ、折角船を出すんだ。一人だけを運ぶより、他にも行きたい奴がいるなら運んでやりたい――金にもなるしな。そういうわけだ、坊主」
「それは同感ですね。一定期間はどの程度になりますか?」
「出港の一時間前とする。出港は明日の昼だな」
「となると一日弱ですね……。僕は全く構いませんが、それで人が来ますかね?」
「微妙だな。だが一応、呼びかける意味はあるだろう」
ごもっとも。
「こちらからも確認をさせてください。船室の種別が中型となってましたが、それは?」
「俺の船には通常の船室が三種類在る。小型、中型、大型だ。小型船室はベッドが一個ギリギリ入るだけ、まあ、かなり窮屈だからな、あまりおすすめはできん。中型船室はベッドと小さなテーブル、椅子が付いて、荷物もある程度は持ち込める。冒険者とかがちらほら使う。大型船室にはベッドがない、十二人程度までの雑魚寝が出来る程度の広さだが、交易品を持ち込みたい奴とかはここを使う事もある。小型で良いと言うなら小型にしてもいいし、金を出すなら大型に寝具を入れてやるぞ」
なるほど。
……うーん。中型でいいな。
となると、気になるのはトイレとお風呂だけれど……。
「いえ、それならば中型で結構です。交易も予定はありませんしね。次の質問です、水場はどうなってますか? 僕は船旅が初めてなんですが……」
「フロア事に共用のものがある。客用に貸し出す船室のフロアにあるものはこまめに船員が清掃するしな、綺麗だよ。同じく水浴び場兼湯浴び場もあるが、水浴びにせよ湯浴びにせよ、その水は自分で用意して貰う。ハイン海は外洋ほどじゃあないが塩が混じるからな、適さない。魔法でなんとかするか、持ち込むかと言う意味だ。ただ、魔法に関しては船員に使える奴がいるから、金を出してくれるならこっちで手配するぞ」
トイレは大丈夫、お風呂は水とお湯がセルフサービス、一応追加料金で対応はあり、と。
…………。
いや、待てよ。
「それ、裸で水浴びしてるところを見られるんじゃ……?」
「まあ、そうじゃないと魔法の加減もできないしな。…………。いや、船員は手を出さないぜ。当然だが」
「……当然ですね。ですが無用です。水やお湯くらいならば僕でも作れますので」
「へえ。初心だねえ……」
「そういうわけでもないんですが……。聞いていないかもしれませんが、僕はノウ・ラースの出身でして。ちょっと、サトサンガのそっち方面の情報には恥じらいを覚えてしまうんです」
「ああ。そりゃ納得だ。アカシャはその当たり、随分と慎ましやかだからな……サトサンガは割と緩いんだが。な、リーザ」
「そうですね。十歳頃には結婚して、十二歳には子供を産むのもよくありますし。結婚自体は何歳でもできますから」
…………、…………?
えっと…………。
ごめん、ちょっと理解が追いつかない。
「坊主は闇市、ちらっとでも見たことは?」
「あります。本当に遠目から見えちゃった、程度ですが」
「それでもまあ十分だ。サトサンガでは法の抜け道があってな、人間の売り買いは禁止されてるが、『人生』の売り買いは可能なのさ。実質的な奴隷の黙認だな。労働力に回されるのも居れば、戦力として買って行かれる奴も居るし……まあ、『そういうこと』に使うために買われるやつも居る。ここまでは解るだろう?」
「あんまり解りたくないですが……。でも、ここまではということは先があるんですね」
「ああ。ちょっと金持ちの実家に男子が産まれたりすると、『そういうこと』の練習で使う相手としてよく買うんだよ。ついでにそれで欲求不満を発散したり、実戦前に加減を覚えるためにな」
うわあ。
この国は早いところ滅んだ方が良いような気がする。
いやもしくは、知識を持つ人間としての尊厳ではなく生物としての人間として生きてるのかな……、その辺の機能は『大人』になった証ではあるわけだし……。
「話が逸れたな、すまん」
「いえ。ただもう一つ要求が増えました、お金は積みます」
「ん。なんだ?」
「僕の部屋の周りでその手の事をするようなことは控えていただきたいんですが。この国、その変がオープンってことは、船室でなにが起きるのか、なんか想像がつくというか。さすがに船内は静かですか?」
「賢いな……。まあ、他のやることがないしってことで場合によってはあり得る。……良いだろう、可能な限り部屋を離して用意してやる。だがなあ、それでも完全には音を消せないぞ」
「…………。耳栓でも買ってくるか……」
「そうしてくれ。むしろお前もヤりたいならこれも金次第で用意を」
「無用です」
「初めてでも気に」
「次に言ったら船を沈めます」
「奥手にも程があるな、お前……」
閑話休題。
「では報酬周りについて。アルテア・ロゼア、まずは前金としてサトサンガ金貨四枚をお願いします。また、到着時にサトサンガ金貨四枚。合計、サトサンガ金貨八枚です。今変更が起きた点について、金額の変更はありますか」
「特になしだな。部屋を離すくらいだし」
「嬉しいですね。僕に異存はありませんが……。失敗時、つまり到着できなかった場合はどうなりますか?」
「前金の返金はなし。ただし成功報酬としての後の四枚は支払いが必要ありません。また、今回の契約は依頼主をアルテア・ロゼアとした形で、サトサンガ冒険者ギルドがバリス・ザ・キャプテンに依頼を斡旋した形になります。双方とも、何らかの異議が出たならば、冒険者ギルドに沙汰を要求するようにお願いします」
「はい」
「ああ」
「では、これにより契約を成立とします」
リーザさんはそう言ってペンを置くと、より鮮明に緑と赤の渦が見える。
とはいえ特になにも変化は見えないんだよね……、遠くに何かをしたのかな。
「さてと。それじゃあまた明日、でいいのかい、坊主」
「欲を言ってもいいなら、今晩から船室を使いたいかな。宿を取らずに済みますし、早めに揺れにも慣れておきたいんです」
「ああ、そりゃ構わないよ。じゃあついでだし、このまま船を案内しよう」
「お願いします。リーザさん、ありがとうございました」
「ええ。良い船旅を」
去り際にリーザさんには金貨を一枚弾いて渡しておく。
チップというには少々豪華だけれど、まあ、良い契約をしてくれたお礼だ。
「へえ」
「何か?」
「いや。気遣いが出来て良い奴だなあと思っただけだ」
「それはどうも。でも、良い奴はすぐに死にますからね」
「それを自覚しているならば大丈夫さ。良い奴で在り続けようだなんて考えなければな」
なるほど、そりゃそうだ。
港を歩いて移動しながら、そんな真理を軽く交わして……招かれたのは、妙に豪華な船。
の、隣に停泊された、通常サイズの交易船である。こっちで良かった。
港と船は大きな板で繋がれていて、人がすれ違えるくらいの幅もあるし、板の厚みも十分。考えてみれば色々と荷物を持ち込んだり持ち出したりするんだからな、当然か。
そしてそんな乗り込み口には監視も兼ねてか、船員さんが一人立っていて、バリスさんを見るなりかしこまっていた。
「ザ・キャプテン。お疲れ様です」
「おう。商談成立だ」
「それはなにより。…………。そっちの子は……、えっと、買ってきたんですか?」
「坊主。遠慮なしにこいつを海にたたき落としても良いぞ。なんなら俺がやろうか」
「この程度で毎回たたき落としていたら船員さんが居なくなりません?」
「否定できん。助かったな、マイ」
「……え? おれ今、死にかけてた?」
「おう。この坊主は今回の顧客だ、失礼の無いように。特に、ノウ・ラース地方の出身だ、変なことを言うと恥ずかしがるぞ。ただの子供相手ならばともかく、顧客相手にそんなことをして見ろ。坊主が許しても俺がゆるさん」
「アイサー」
実際には湖だとは言え、実質的な海の交易船を走らせる、海の漢達。
そう考えるとこのあたりの上下関係は、むしろ緩いくらいなのかもしれない。
……でもま、こんなものか。
「それで坊主、とりあえずお前の部屋に案内する。こっちだ」
「はい」
というわけで船内へと突入。
甲板には前後に二カ所ずつ、合計四カ所船内への入り口があり、今回は船尾側、低い方の入り口から。
入ってすぐに、デッキプランという階層の見取り図があった。
「デッキ……」
「陸のホテルとかで言う『階層』、『フロア』だ。船ではデッキと呼ぶ」
「なるほど」
「今俺たちがいる屋内はプロムナードデッキ。屋外はメインデッキ。お前が使う部屋は階段を一つ降りた、キャビンデッキにある。更に下に行けば小型船室や大型船室があるが、用事はあるまい」
「そうですね」
というわけで、すぐ近くにあった階段を降りて第四デッキと書かれたそのフロアへ。
ここがキャビンデッキか。
イメージしていた船内より通路が広いな。
「で、部屋の位置なんだが。大概、そういう音は『隅』でやるから、自然とお前の部屋は中央付近になるんだよな。ちょっと不便かもしれん」
「そのくらいは甘受しますよ」
「そうか」
通路を歩くこと暫く、ほとんどド真ん中の部屋の前でバリスさんが立ち止まる。
部屋番号は、7。
バリスさんは扉を開けて、言う。
「この部屋はどうだ」
目に入ってきた船室はとても綺麗に清掃が行き届いている。ピカピカだ。
ベッドはやや大きめ、そのせいで部屋は狭く感じるけれど、四畳くらいはあるな。
机も食事を置きながらメモを取るくらいのスペースはある。
荷物置場もそこそこ広く取れている。これで中型か……。
問題は椅子かな? 背もたれのない丸椅子タイプ。
裏を返せばそれ以外には特に問題が思いつかない。
まあ、天井がやや低めだけれど、それも船ならばこんなものかもしれないし、僕はあいにくと身長が低いのだ。それほど気にはならない。
「この部屋、鍵は掛けられるんですか?」
「ああ。ただ、『一応』程度だな」
扉を見ればかんぬきタイプ。
なるほど、一応程度か。
「十分ですね。僕はこの部屋を使わせて貰います」
「気に入ったようで何よりだよ。それじゃ、これを」
と、今度はネックレスにプレートを付けたようなものが渡された。
これは……何だろう、プレートそれ自体は銀色で、模様が描かれているけれど。
通行証……?
「この船の客って証明するものだ。それを見える所で付けておけば、他の船員も変な事は言わないさ。ただ、それでも酒に酔ってたりすると妙な事をいうかもな。その時は俺が許す、海にたたき落としてやれ」
「客はいなくても船は動きますけど、船員がいないと船は立ち往生しますよ」
「違いない。が、この船は実質的に冒険者のギルドハウスルームと同等だからな。俺がその室長にあたって、船員は全員ギルドによって身分を保障している。だから気にせず落として良いからな」
いや、文脈が繋がっていないと思う。
なかなかアグレッシヴに部下に厳しい人だな……。
「前金の支払いはここでいいんですか?」
「俺は構わないが、出航前でも構わんぞ」
「一応部屋はもう借りるわけですから」
お財布から金貨を五枚取り出し、そのまま渡す。
一枚多いのは……まあ。
「質問をさせてください」
「ああ。聞こうか」
「船上で釣りってしても大丈夫ですか?」
「…………? いやまあ、大丈夫だが。港で釣りはキツイと思うぞ。……そもそも釣り竿は持ってるのか?」
「代用品ならばあるんですが。交易船なら、いざという時のために装備してません?」
「しているとも。良いだろう、好きに使ってくれ」
釣りを公認してもらう条件として考えれば、高くはないだろう。
「坊主、この後の予定は?」
「少し休憩してから、食糧の買い出しですか。先に荷解きをしてしまうつもりです」
「そうか。なら俺は通常業務に戻ろう。何か用事があったら、船員にプレートを見せて俺を呼ぶよう伝えてくれ。できるだけ急ぐ」
はい、と頷くと、バリスさんはそそくさと去っていった。
ふむ。
一応鍵を掛けて、荷物を展開。
といっても、あんまり大荷物というわけでもない。
長方形の大きな鞄が一個在るだけだ。
そしてその鞄の中に、僕にとって大事なものは全部詰め込んである――『薬草』用の鉢植えとかも。
「……着替えだけは出しとくか」
というか着替えで思い出した。洗濯どうしよう。
鞄から着替えのシャツとズボンを取り出して、しっかり畳んで机に置いたら、ベッドに横たわって休憩を兼ねて感覚チェック。
ふかふかしているタイプのベッドだな。枕の高さは個人的にぴったり。
思ったよりかは揺れも気にならない。
むしろ適度に眠くなる……。
ちょっと寝るか。




