32 - 国と治安
「アカシャもなかなか強かだな」
「そりゃ、国力で言えばメーダーと同等くらいはあるわけだからな」
「そういう意味ではなく」
「解っている。軽口だ」
「……ま、いいが。で、どう思う?」
「どっちの話だ。アカシャが提案した世界協定の発効に関する部分か? それともアカシャの王子様に仕掛けられた暗殺者の話か?」
「両方だよ」
「俺はその手の分析が専門外だからな……。ただ、個人的な見解、感想ならばある。アカシャは蔵を空にするつもりか?」
「金か」
「ああ。金だ。世界協定の発効にはとにかく金が掛かる。アカシャの税収は今年もそれなりに安定していたが、魔狼騒ぎでかなり吐き出した上、魔狼の被害に遭った地域は税で優遇するとさえ声明している。向こう数年間の税収はガタガタになるだろうな」
「とはいえアカシャは古くから続く国だ。政変らしい政変もなく妙に安定している。まあ、継承権争いのお家争いはあっても、貯蓄が随分とあるんだろうよ」
「羨ましいな」
「全くだ」
「だからとはいえ、世界協定の発効となればやはりかなりの額だ。それをよく国王が承認したな。発案は王子だろう?」
「それが妙な話もある」
「うん?」
「世界協定の発効を最初に言ったのは国王らしい」
「…………? あのアカシャ国王が? ああ、いや、他国の元首に対して極めて失礼な事を言ったとは思うが……いやでも、あのアカシャ国王が王子を差し置いて?」
「な。妙だろ」
「今年は天候が悪いんだか良いんだか。複雑よね」
「局地的には悪いんだよな。全体で見ると良い具合なんだが」
「まさにその通りって感じね……クタスタの一件がなければなあ」
「いやあ。メーダーの日照りも結構な問題になってるぞ」
「あの国はまだマシでしょう」
「そうでもない。この国と違ってアルケミック以外の魔法がかなり弱いからな、あそこ。雨が降らないってだけでてんやわんやらしい」
「……それを聞くと、アルケミックのでたらめに見えるような効果の数々でも解決できない事があるんだなって安心するわ」
「ごもっとも。……まあ、メーダーがその程度でめげないのも事実なんだが」
「そうよね。今は無理でも、そう遠くない将来に解決しそうだわ……」
「あの国のアルケミックが強いのは、やっぱりコストを度外視できる環境がでかいんだろうな。どんな無駄遣いをしても、一度作れば二度目からはコストは削減できるし、他国に売れば黒字になる」
「それが便利だから買っちゃうのよねえ。私達はロジックだとかを使えるからもとよりその苦労は無かったけど……この前里帰りしたら、アルケミックがいくつか導入されてたわ。ポンプが特にでかいわね」
「ああ。井戸水のくみ上げか」
「ええ。私の故郷はそれほど規模が大きくないし、予算的にも導入できたのは単純なものだけれど、それでも楽すぎるわね。レバーを上下するだけで簡単に水が出てくるのよ。最新式はどんなものになってるのかしら?」
「俺が見た最新式は井戸……というか、水源からの完全機構で、水を街全体に広げる水道というものを地下に金属の管でまずは通し、各家庭は蛇口というものから水を好きに取れるようになるって仕組みだな。で、使い終わった水はちゃんと下水として纏めて別の所で処理をすると」
「…………。え、それ、いくらかかるのかしら?」
「前に見積もり価格を見たが、人口五百人程度の街ならサトサンガ金貨で数十万枚だな」
「…………、それ、国家予算じゃない?」
サトサンガ、というその国は、その領内に極めて大きな湖を抱えている。
その湖は特に東西、横方面に細長く、タツノオトシゴを横にした形というか。ヘ音記号を右に九十度回転させたような形というか……まあ、これはサトサンガではないのだけど、もう一個の湖と合わせて『?』のマークを右に九十度回転させたような形をしている。
湖の名称は『ハイン海』。海って思いっきり呼んでるけど、湖――カスピ海みたいなものなのだった。
で、『ハイン海』のハインはどこから来たかというと、サトサンガの首都の名前である。
サトサンガ首都、ハインはハイン海を『?』で記したとき、左上のくるっと丸まっている所を中心とした北沿岸沿いにあるのが特徴なのだ。
あと、さっきちらっと言ったけど、『?』の離れている点の部分になるもう一個の湖はアカシャ北部ノウ・ラース地方に属しているほか、ハイン海もアカシャ領に食い込むような形になっている。
ノウ・ラース地方に関する戦争にサトサンガが参戦していたのは、やはりこの湖の周辺を領土として確定したかったんだろうなあ。
話を戻そう。
サトサンガという国は、その巨大な湖以外の特徴として、その領土が逆三角形に近い。
この逆三角形の底辺、つまり『上=北』は完全に海に面していて、『右下=東』も海に面している部分が多いんだけど、途中からプラマナという隣国に滑り込まれている形である。
また、地理的な特徴として先に述べた巨大な湖がやはり強く影響していて、国土の左、つまり西部はその湖によって完全に南北が分断されてしまっている、という特徴がある。
細長いとはいえこの湖、単純に規模が大きく……それこそ地球は滋賀県における琵琶湖程度に存在感があり、一番近い対岸でも四十キロを余裕で越える幅があるので、渡ろうとするならば船を使わなければさすがに厳しい。
そのため、サトサンガの西部は北西部、南西部とあえて表記され、北ならば湖の北、南ならば湖の南という明示がされている。
この説明を踏まえた上で僕の現在地はサトサンガ南西部、ニュー・スリーフ。
今のところの目的地はサトサンガの首都、つまりはハインである。
で、改めて言うと、ハインはハイン湖の北東一帯だ。
まあ、ようするに。
ちょっと道を間違えた。
なのでなんとかリカバリーを試みるついでに酒場に来ているわけだ。
決してお酒を飲みに来ているわけではない。
「マスター。何かジュースと、軽食をお願いします」
「……坊や。悪いことは言わないから、こういう場所じゃなく、普通の食事店にしな」
「ご飯だけならそうします。ただ、ちょっと酒場のマスターに聞きたいことがありまして」
「はあ。……あまり暇じゃないんだけどなあ。何かな?」
「ちょっとしたお使いで、実はハインに向っているんです」
「そうか。…………。どこから来たんだ、お前、微妙に訛があるようだが……」
「申し遅れました。ノウ・ラース出身の、アルテア・ロゼアと言います」
「ああ、ノウ・ラース。なるほどな」
現状、ノウ・ラース地方はアカシャに帰属している。
ただし領土問題というものはなかなか時間が経っても解決しないケースがちらほらとあり、ノウ・ラースは比較的アカシャを受け容れているのだけれど、それでも一部の人々……例えば、それこそハイン海に接しているような街に住んでいる人にとっては、アカシャよりもサトサンガから得られる恩恵のほうが大きかったりするわけだ。
だから『ノウ・ラース出身』という微妙な言い回しが許される。
「……って、ノウ・ラース地方からきたなら、湖の外周を時計回りに、北側に回り込んで来たら良かっただろう」
「それにさっき気付いたんですよね……。もう大分歩いちゃったので、今更戻るのも癪ですから、北側に渡る方法がないかを聞きたいんです」
「あるにはあるぞ。と、とりあえず飲み物な。軽食は今作らせてる」
「ありがとうございます」
マスターからグラスに注がれた炭酸ジュースを受け取って、ふむ、と考える。
アカシャでは食器というと陶器の類いが多かったけど、サトサンガはガラス製の食器も多いんだよね。
それもなかなか透明度が高い上、無色透明に近いものだ。
もちろん、アカシャでもガラスは窓などに使われていたけど、やや高級品として扱われていたところがある。
そう考えるとサトサンガは、少なくともガラスに関して技術水準が高いんだろう。
「まずはハイン海に面した街に行く。そこから最寄りの交易港に向かい、そこから船だ。それほど急がないならば定期船で北に渡るだけ、そこそこ急ぐとか金に余裕があるなら、いっそハイン港までの船を捕まえた方が良いだろう」
「海路ですか……。船、あんまり得意じゃないんですよね」
「陸路で済ませるならば、もう一度ノウ・ラースに戻るんだな。で、今度はちゃんと湖を時計回りにたどっていけ。その方がまだ早い」
ごもっとも。
「有難うございます。船を使うか……。いくらくらいかかるんでしょうか?」
「渡るだけならば銀貨三十枚ってところだな。ハインまで行くなら金貨で十枚は見ないと足りんだろうよ。個室型の客船で食事付がそのくらいの相場って事だな」
「払えない額じゃあないのがまたいやらしい……」
「あはは。そりゃそうだ。船を出してる連中だって商売なんだから」
それもまた、ごもっとも。
と言っている間に軽食が配膳された。
これは……、チーズと卵のサンドイッチか、無難とはいえ美味しいな。
「ハイン行きの客船って、どこで手続きが出来るか解りますか?」
「この変の交易港ならばどこでも大丈夫だな。一番近いのはサッティラかな……この町から北東に向う街道があるだろう、それに沿って二つ目の街から今度は西だ。それなりに距離があるから、馬車を勧めるぞ」
「サッティラ行きの馬車、あるんですか?」
「無い」
じゃあ何故勧めてきたんだろう、この人は。
「無いなら雇えば良い。お前さん、金は持ってるんだろう」
「ありますが……、無駄遣いして良いお金じゃありません。僕一人のものじゃありませんから」
「だからといって一人で歩いて行くのは危険だ。最近は大分減ったが、街道に盗賊が現れることは往々にしてある。それで金を奪われる、身ぐるみを剥がされる程度で済めば良いが、お前みたいな子供は売り物にされるぞ。当然闇市でな。見た所顔に傷も無いし、そこそこの値が付くだろう」
…………。
サトサンガの治安は決して悪いわけじゃないのだ。
ただ、アカシャの治安が『良すぎた』。
この町に限らず、道中の街では普通の街だけではなく、裏路地の奥に隠れたスラム街があるのはよくある話で、闇市の類いが開かれているところがあったのもまた事実。
詳しい売り物は見ていない。
好奇心猫を殺すとも言うし、なにより普通に止められたのだ。『帰れなくなる、やめておけ』と。
「……馬車を雇うだけじゃあ、あまり効果が無いように思えますけれど。護衛まで雇うとなると、さすがに予算が厳しいんですよね。それなら護衛だけでもいいかな」
「いや、馬車だけで良い。ここだけの話、とある印章のついた馬車に乗っているものは絶対に盗賊に襲われないのさ」
…………?
「そういう裏の取り決めがあるってことだ。大人の事情でな」
「…………」
ふうん……。
まあ、これも一種の治安か……。
「飲み物。おかわりは?」
「遠慮しておきます」
「なんだ。残念。で、馬車はどうする? 雇うならば手配するぞ」
「……そうですね。じゃあ、お願いしますか。今晩は宿を取っているので、そこに連絡を寄越して下さい」
とりあえず飲食代はしっかりと支払い。
まいど、とマスターは受け取って、さらさらと紙に馬車の依頼を書き始めたのを見て、僕はそのまま酒場を出る――
◇
――そしてそのまま街も出て、さっさと街道を進み始める。
まあ、先ほどの酒場のマスター、色別で判定した結果が赤という時点で既にダメなんだけど、それを抜きにしても色々と提案が雑だ。
このままだと盗賊に襲われる。
馬車を雇う必要がある。
特別な印章のついた馬車に乗っていると絶対に盗賊に襲われない。
盗賊に襲われたら身ぐるみを剥がされる程度では済まず、そのまま闇市で売られる。
これを解りやすく翻訳してみよう。
このまま向うならば盗賊は必ず僕を襲う。
大金を持つ子供だ、盗賊からすれば文字通りに『カモ』だろう。金は奪うだけだし、身ぐるみを剥いだ後も闇市で売り物になって、それもそこそこ高く売れる――労働力として見るならば男のほうが良いし、あるいはそちらの意味でも子供であれば男女は問われないのだから。
それが嫌ならば馬車を雇え。
大体こんな感じである。
つまり安全を買うという取引をしろと、実質的な強要をしているわけだけど、お金を払えば安全を買えるかというと、まず間違い無く買うことができない。
雇う馬車も護衛も、そういう脅しをする側の街が用意するものなのだ。
まず間違い無く盗賊側の人間だし、どの方法にしても『襲われない』だけで目的地に到着する事も無いだろう。
護衛を雇うパターンか、特別な馬車を雇うパターンかというのも、精々『護衛として雇った連中に嬲られながら商品としてアジト行き』か『アジトに着くまでは人間扱い』かの違いだろうし……。
「サムから聞いていた以上に荒れてるなあ。サトサンガ」
そう呟く僕の本名は渡来佳苗。
ちょっと前まではアカシャでフロス・コットンと名乗っていたけど、内密に動くためにその名を持つ『大罪人』として死を偽装した。
僅かでも今後の活動が平和に済めば良いなあと、個人的な平和の象徴である葵をもじって、今はアルテア・ロゼアを名乗っている。
そんな僕の直近の目標は、ハインで余生を過ごしているという、あるご隠居との面会だ。
「……道については嘘もなかったし。サッティラを目指すか」
のんびりと、ね。




