31 - フロスが迎えた死の裏は
ユアン王子に懸念を知らせ、その懸念を裏付ける根拠として複数の資料をたたきつける。
もう少し否定的に考えられるかとも思ったのだけれど……ユアン王子があっさりとその可能性を認めると、他の三人も当然のように認めるあたり、さすがは王子様なんだなあと思ったりもした。
ともあれ。
僕が指摘したのは、魔狼の本質は病、では終わっておらず、その先があるのではないか――という点だ。
そもそも、僕が一番最初に怪しんだのは、やはり『病が意識を持つことはあるのか』という大前提の部分だ。
その上で結論を改めて述べよう。
『あり得る』、だ。
だから僕も、最初から何か確信があって調べ事をしていたというわけではない。
むしろお金を『無駄遣い』するために、『魔狼』に関連しそうな小さな情報を片っ端から集めて貰っていたのだ。
その結果、何も新しいことが解らないならばそれはそれでよし、その程度の考えで。
しかし話を集めれば集めるほど奇妙な事に気付く。
魔狼の発生周期があからさまに『固まっている』と。
数百年間出現しなかったものが現れたと思ったら、複数の国で複数回確認される――それが常態化している。
さて、その上で魔狼をもう一度考えよう。
魔狼とは病である。
それも数百年に一度罹るかどうかという、出現頻度の低い病だ。
にもかかわらず、一度発見されると何度も見つかる――全く違った病として。
そんな偶然が一度や二度ならばまだしも、毎回その偶然が起きるとなると流石に必然であると考える。
つまり不死鳥装具による方法では、『魔狼』という病は癒やせるけど、根治はできないのだ。
じゃあどうやれば根治できるのか?
それは当然、『病巣を叩く』が答えになるだろう。
しかし毎回全く違った病になって出てくるというのも引っかかる。
変異、という程度を越えているのだ。インフルエンザがノロウィルスになることはたぶん地球でも無いと思うし。いや遠い親戚とかはあるのか……?
まあ、そういう大規模な違いがある以上、それにも意味がある可能性がある。
そうやって考えていくとそもそも『病に見える』だけで、『病ではない』のではないか、なんて可能性も思い浮かぶ。
なので冒険者にお願いし、ちょっと感染してきて貰ったんだけど、
「待て、フロス。今さらっと凄いことを口走ったな、貴様」
「いや。他に方法も思いつかなかったので」
「…………」
ともあれ感染してきて貰い、毒消し薬での治療を試みた結果、あっさりとその病は消え去った。
つまり、それは本当に『病』だったのだ。
「今一度待て。なんだ、その毒消し薬というものは」
「王子様にも内緒です」
「…………」
魔狼がもたらす病はたしかに病に違いない。
ならばだ。
『結果的に病になった』だけで、『本来は別』に本質があるのではないか。
本質が病である事に意味があるのではなく、病という状態を取る事が効率的だったからそうしているだけではないか。
いっそ大胆に決めつけて、更に思考を進めてしまおう。
僕が『病という状態』を敢えて発生させてまで何かをしようとしたとき、その何かとは何だろうか――『病という状態』に、どのような価値を見いだすだろうか?
まず、病の特徴は、継続してその効果を及ぼし続けるというもの。
次に感染するタイプならば、勝手に増えていくと言う事。
更に『病』であるから、毒と同じく消そうと思えば簡単に消せるという点だろうか?
病に一人か二人でも感染させれば、その街に病が広がりきるまでに其程時間は掛からないだろう。
交易街などの大きな都市に広めてしまえばあっさりと拡散し、複数の街に広がってゆく。効果を、術者……この場合は僕だけど、僕の制御を不要としてただただ広げてゆく。
そういう性質を期待してやろうとするかもしれない――実現できるかどうかは別として。
さて、ここまで発想を勧めたところで今一度、魔狼の性質の一つを思い出しておこう。
魔狼は『他の生き物を操ることを得意とする』と言う点、そして遠く離れた場所の何かを操ろうとするとさすがに触媒が必要であると考えられている点だ。
それらと整合性を合わせる形で考える。
それほど難しい事でも無い。
つまり、『病という形で広げている』のは、『操るための下地作り』だ。
道具としての触媒を使う場合、その道具を如何に拡散させるのかが問題になる。触媒としての道具が無制限に作れるものだとしても、それには労力が必要だろう。しかも作っただけでは意味が無く、作った上でばらまかなければならない。
で、あるならば、魔狼の降誕を見破るに至った一件のことも思い出すべきだ。
まず、プロシアの街に偽金の問題が起きた。
偽金問題を解決した結果、偽金の材料に奇妙な金属が使われていたことが発覚。
その金属こそ、『魔狼の触媒』である。
偽金を造った理由は当然詐欺目的だろうと考えていたけれど、こうなると別の意図があり得る。
『魔狼の触媒』を偽金に混ぜて造る。その偽金はかなり本物に近く、常日頃から金貨に触れている者でさえ騙されるほどだ。つまりその偽金は『流通してしまう』。
最初は一つの街で繰り返し使われる程度だろう。
けれど行商人やキャラバンなどがそれの一部を掴んだら?
そして掴んだことに気付かず、どこかの支払いにそれを使ったら?
偽金が流通圏内に広がる――『病が感染するように』。
そして、触媒として効果を持つ。
つまり魔狼は『病』以外にも様々な方法で『他人を操るための下地造り』をしていると考えるべきである。
そうなると――『討伐に失敗してもなぜか、魔狼は自然に消えている』という謎の現象にも一つの仮説が思い浮かぶ。
『目的を達成した』のだ。
魔狼の本体は病やそれ以外の様々な方法で、自らが他の生き物を操るための下地を作っている。
そして他の生き物を操ることで何らかの目的を果たそうとしていて、実際にそれが果たせたら、病を『癒す』ことで痕跡と共に消す。
わざわざ明示的に消すとなると逆に手間のような気がするから、『目的』を果たすことで魔狼は自滅しちゃうとか、そんな感じだとどうだろうか。
それなりにいい線は行っているような気がする。
「例えば貴様のその決めつけが正しかったとしよう。魔狼の目的とはなんだ」
「僕にはさっぱり解りません」
「そうだな。そればっかりは本人に聞くしかなかろう」
いやそれが出来たら苦労しないよ王子様。
そんな僕の視線を受けて、ユアン様はご尤もと嗤った。
ただこの問題。
一つ懸念があるんだよね……。
ま、これで一段落ではあるな。
一旦小休止と……待てよ。
「ユアン様。『そればっかりは本人に聞くしかなかろう』って、どういう意味ですか?」
「深い意味は無い。そのままの意味だ、解るだろう」
「…………、おおよそのあたりは、付いている……?」
ユアン様は口を閉ざし、ただ一度頷くだけで答えとした。
あたりは付いている。
心当たりどころか、その先の段階……殆ど個人まで見ているって事か?
なのにあえて口には出さない。
違うな、出せないのか。
「厄介ですね」
「ああ。厄介だ」
王子でありながら、口に出せない。
政治的な力を持っている……?
いや、その程度でユアン様が口を閉ざすとも思えない。
もっと別種の力だ。
ユアン王子の口を塞ぐほどの力ともなれば、外交か?
外交程度で黙るとも思えないけど。
むしろ多少の不利益は覚悟の上でずばずば言うほうだろう。
「アルス。ハルク。少し席を外してくれ。シャル、結界を頼む」
「私達にさえ隠す事ですか」
「ああ。お前達は『古の黎明』だ、聞かせることができん」
ユアン王子が言えば、仕方なし、とアルスさんとハルクさんが席を立つ。
そしてシャルロットさんは僕とユアン王子だけを封じるように、結界を展開……完全な内緒話が出来るようにと、いうことだろうけれど……。
「恐らく魔狼の正体は黒床の神子に連なる何かだろう」
「黒床の神子……?」
「以前貴様が『黒い床』について、ハルクを介して聞いてきた事があったな」
……当時は『サム』がユアン様だとは知らなかったからなあ。
「貴様がどこでその景色を知ったのかまでは聞かん。恐らく意味が無い。貴様自身にも曖昧だろう。それこそ――夢のように」
「…………、どうしてそれを……、」
「やはりか」
ユアン王子は、嗤う。
「黒床の神子について解っていることは酷く少ないが、貴様には教えておこう。かつてアカシャという国が作られるよりも以前、この大陸に存在した小国に『ドア』がある。その小国は総人口は二万人――三つの都市を抑えていたそうだ。その国はだが、全世界的に影響力を持っていた」
「…………?」
「『月の魔法』。それを発動していた集団と言い換えても良い」
月の魔法を……発動していた?
「貴様はハルクから多少は話を聞いただろうが、奴にも全ては話していない。良いか、フロス。その連中は真実、『月の魔法』という魔法を発動し得たんだ。もちろんそれは御伽噺にあるような月の魔法とは違った、現実として成立する魔法としてな。だから滅ぼされた」
「だから、で、滅ぼされる……?」
「ああ。月の魔法は奇跡のように大きな効果をも獲得しうるが、それと同じく大きな代償がある――それが問題でな。手前で犠牲を払うなら構わんが、それを他に押しつけるのさ」
犠牲の押しつけ……、奇跡の発動。
まるでペルシ・オーマの杯だな。
問答無用で願い事を叶えてくれる奇跡そのもの。
ただし代償は、己ではない遠くの誰かが支払う……って所も。
「ドアは滅ぼされた後、その国土を焼かれている。それによって月の魔法は実質敵に途絶えた……、筈だったんだが。フロス。お前がもしもドアに居る人間の一人で、そういう状況に陥ったらどうする。他国が全て敵となり、大国が踏み荒らしに来る。そんな状況だ」
「……勝ち目があるかどうかを考えて、まあ、無いと判断するかな。あるいは他国から攻撃されないような魔法を発動させることができればそれが最善……だけど、いつまで効果が続くか解らない、ならばいっそ……、『隠れる』……?」
「『俺』も同感だ」
うんざりと。
ユアン王子は――否、『ユアン』は吐き捨てた。
「そして連中にも頭が回る奴が居た。結果、ドアが滅びかけたその時、連中は一つの魔法を発動した。『世界から隠れる』という選択だ。結果、ドアは確かに滅ぼされたが、ドアにあったはずの聖域、黒い床の儀式場は誰も見つける事が出来なかった」
「……けれど、それだけならばそれほど問題は無いはず。『ドア』という国の国土を完全に焼き払う覚悟があるならば、それこそ範囲をその国土全域として文字通りに『焼き尽くして』しまえば、その場所も消せるはず」
「貴様は過激だな。だが当時の大国を率いていた連中も貴様と同じ発想を抱き、事実それを実行に移した。その結果、その場所は砂漠になっている。……だが、月の魔法はそれをも凌駕した」
つまり焼き払うことが出来なかったと。
結界……、じゃあないな。
「……まさかとは思いますけど、夢の世界に逃げたとか?」
「そのまさかだよ。……貴様、実はドアの実行者じゃあないだろうな?」
「違いますよ。そんな国、聞いた事も無ければ何処にあるのかも知りません。ただ……夢の中で、その黒い床の場所を見たのは事実です。……月の下に、黒い床。銀髪の男女。白い衣装に奇妙なシンボル……」
「…………? 男女? シンボル?」
「夢の内容です」
「男女は黒床の神子か……まあ、いい。シンボルとはどんなものか覚えてるか?」
「…………、」
はい、と頷いて、その場に『魔力の光』を使ってその形を再現する。
それを見て、『ユアン』の目つきが鋭くなった。
「これは『ドア』の国章だな」
「…………、本当に?」
「本当だ。…………。貴様が嘘をつくとも思えん。となると貴様、『俺』よりもよほど『深く』その夢を見ているらしいな」
「『よりも』――ということは、ユアン王子も見たことがある?」
「見たことがある。いや、より正確には『毎月三日に見ている』。はずだ。お前とは違って眠りが浅いのか、それほど深く記憶は出来ないが……起きるとその内容の殆どは抜け落ちていたからな……」
…………。
何か、あるな、これ。
月の魔法の発動をするための祭壇がある場所、それがあの黒い床の聖域。
その聖域は他国から侵攻を受けた際、夢の世界――もしくはそれに類するようなどこかへと逃げ込んだ。
で、その夢の世界を垣間見る事が出来る者が少なからずいる……?
待てよ。
だとするとだ。
「ユアン王子は『魔狼』を黒床の神子なのではないか、と推測していましたが……黒床の神子は、あの銀髪の男女かな。彼らの目的は……」
「現実世界への回帰だろう。その為に現実世界上で月の魔法を発動させたがっている。だが月の魔法は聖域と共に現実から失われた――」
「だから『生物を操って』、『現実世界で発動』しようとしている……?」
「というのが俺の読みだ。フロス、貴様はどう見る?」
…………。
「事情が事情だけに、誰かに話すことは出来ませんね……気が狂ったと思われるだけです」
「だから結界の中で内緒話をしている。『俺』自身、なぜその夢を見ているのか。その理由も知りたいし、もしも俺の懸念が真実だとすると……」
「……厄介ですね」
「ああ。恐ろしくな」
ならば話は早い。
僕にとってもユアン王子にとっても共通見解……であるならば、細部はともかく方針に間違いは無いんだろうなあ……。
それだけではない。
この方針が正しいのだとすると、帰還条件が思った以上に厄介な可能性が出てきた……。
まあ――それは、後でゆっくりと考えるとして。
「『俺』は貴様を頼りたい。無理にとは言わんがな」
「…………。ある意味、難しいかもしれない条件を付けても良いならば。『外』で、僕は色々と調べて、秘密裏に報告できます」
「良いだろう。条件は?」
「ミユちゃんとヨシくんです。あの二匹、王子が預かって下さい」
「貴様が連れて行くんじゃないのか」
「そのつもりだったんですけど、その手の調べ事をするに当たって猫を肩に載せてたら目立ちまくりますよ……」
「……それもそうだな」
自然と握手を交わして。
「敵を騙すにはまず味方からと言う。フロス、少々芝居をしたいと思うが」
「どこまで意味があるかは解りませんが、徹底的にやりましょう。ダミーの死体も用意できます」
「ふうん……フロスの名を捨てる覚悟もある、か」
「もとより偽名ですからね」
「なるほど。本名は教えてくれるのか?」
「…………。皆には、内緒ですよ?」
――僕はこの世界で初めて、本名を名乗ったのだった。
「不思議な名前だな。――俺のことはサムでいい」
◇
五月下弦二十七日。
その日、アカシャより世界に向けて発信された二つの報告は世界中に強い衝撃を伴い響き渡った。
第一に、魔狼の討伐に関する報告。
アカシャ冒険者ギルドのパーティ『古の黎明』は予てより実行していた魔狼の討伐を無事に成功させ、その証明として魔狼の分析結果を獲得、これをアカシャ国王室へと提出し、それを第二王子、ユアン・サムセット・ウィ・ラ・アカシャが受け取った。
それによると、魔狼とは病そのものであり、実体を持たない。
また、病という性質上、再発の恐れがある旨を明確に世界に知らしめ、今後の世界的な対応を促すと同時に、その根治をするために、再発が確認された場合、アカシャはその対処を全力で援助する用意があるとした。
この報告だけであれば、精々感嘆されるだけだろう。
だが、続きがある。
第二の報告――ユアン・サムセット・ウィ・ラ・アカシャ暗殺未遂事件である。
不遜にもユアン王子を害そうと試みたのはフロス・コットンと名乗っていた者であり、その者はプロシアの街において孤児としてギルドハウスに拾われていた。
極めて巧妙な偽装がそこにはあったとユアンが指摘すると同時に、プロシアのギルドハウスの責任は問わないことを明言。
その上で、ユアンはフロス・コットンが誰の命を受けて暗殺を試みたのかは既に把握しているとし、敢えて名指しは避けるとした。
この暗殺未遂の報告は、世界中に強かな衝撃を与えた。
ユアンの暗殺を試みたフロスとは何者か?
そして、フロスに暗殺を命じたのは何処の誰か?
そのどちらもが不明瞭だったからだ。
ユアンが何を考えているのか。その意図を、諸外国は測りかねていた。
――尚、フロス・コットンが使用していた部屋については、その内部にあるものを王室が接収することを望み、当該ギルドハウスの長であるカウラン・ザ・キーパーはそれを承認。
このフロス・コットンの部屋からは特にこれと言って特別な毒物などは発見されず、結果的にカウランを初め、プロシアのギルドハウスが関与していない事の証明は後日改めて、ユアンの声明によって知らしめられることとなる。
また、大逆人であるフロス・コットンの遺体はユアンによる反撃がされた状態……護身用ナイフが心臓に突き刺さった状態のままで引き渡され、同ギルドハウスに在籍していたカウラン・ザ・キーパー、ハルク・ザ・ジェネラル、ムギ、ヘーゲルと、引き渡した張本人であるシャルロット・ザ・イレイサーらの立ち会いの下、埋葬が行われた。
ムギやヘーゲルは『あのフロスがそのような事をするなど信じられない』とコメントを残したが、実を言えば彼らはフロス・コットンを、忘却しつつある。
ハルクとシャルロットにせよ、複雑な感情を内に秘めたまま――ついにその生涯において、以降フロス・コットンを語ることはなかった。




