29 - ザ・オディール
五月上弦十三日。
『古の黎明』に指定された集合場所は、プロシアから随分と北東で、森や山、あるいは大河という自然によって明示的に区切られた、アカシャ国北部、ノウ・ラース地方。
最近は国境線が実質的に確定しているため静かだけれど、一昔前まではこのノウ・ラース地方の帰属を巡ってよく、国境を接する三国――アカシャ、サトサンガ、クタスタ――による戦争が起きていたとか。
そんな背景もあって、ノウ・ラース地方で一定以上の規模を持つ街は要塞のような壁に護られていたり、そもそも城郭の中に街が造られていたりと、僕がこれまで見てきたアカシャの街とは異質に見える。
戦場になる、というのは、そういう事なのかな。
勝手に納得しながら、いざ到着したのはノウ・ラース地方で最も栄えた街、サウエル。
……なんだけど。
「街……?」
「にゃあ……」
「みゃあ……」
交易路沿いに歩いて到着し、改めて視界に捉えたところでそんな根源的な疑問が浮かぶ。
いや、地図上では街なんだけど。
どうみても城砦だろう、これ。
幅七メートルを超えるそこそこ深そうな堀と、高さ十五メートルほどはある石造りの城壁に全周囲を囲まれていて、出入りをすることが出来るらしい門は跳ね橋構造も兼ねている感じ。
うん、これは街というかお城だな。それもどっちかというと戦国時代にあったような。
ただし、戦争の脅威が薄れている――ないし、殆ど失われているからか、出入りの門に検問らしきものは敷かれていない。
ちらほらとではあるけれど、商人や冒険者らしき人物が出入りしているほどだ。
子供が出入りするのは目立つかなあとも思ったんだけどそうでもないようで、何事もなく入ることが出来た。というかすれ違いで別の子供がちょっとした装備を調えて出てきていた。
街の外に危険があるわけでもなく、ちょっと遊びに出るくらいはオッケーなのだろう。
更に、門を潜って目に入るのは、一見普通の町並みだ。
……城砦としての機能は、実質的には失われてる感じかな?
とはいえ、外周部の家屋は頑丈な岩造りになっていたりと、一応の防衛能力はあるのかもしれない。
少し大通りを進むと街の地図が大きく掲示されていた。
防衛能力をだいぶ落としている気がしないでもないけれど、利便性を考えるとこうなるのは仕方が無いとも思う。
それに、この地図のおかげで目的地がはっきりとしたし――ね。
地図は眼鏡の機能で保存しておき、さて、と歩みを進めるのは裏道だ。
表通りは人が多く、ミユちゃんとヨシくんがちょっと怯え気味で可哀想だし。
少し遠回りになるけどそれはそれ、裏道を通ればこの街の治安もついでに見られる。
果たして、裏道や路地裏はというと、そこそこ掃除のされた、綺麗な道が続いていた。
時々ゴミが落ちていたり、ゴミを纏めたところがあったりはするけれど、それくらい。
治安は良すぎるくらいだろう。
サウエルは栄えた街だからこそ、裏道や路地裏にはスラムが広がっているというのも一種の自然だと思うんだけど……。
まあ、僕が通った道が偶々そうだったというだけで、反対側は別かもな。
そもそも途中で何人かとすれ違うし、裏道や路地裏と言っても使われていない道ではないのだろう。
というわけで目的地に到着。
サウエル三番街六号、白い屋根に深緑色の玄関の、二階建ての家。
窓はあるけれどカーテンが敷かれていて、内側の様子はうかがえない――まあ、そりゃそうか。
奇妙な納得をしながら、玄関の扉を指定された通り、『三回』『一回』『二回』と合計六回ノックする。
それを受けるなり、玄関は当たり前のように開く――扉の向こうに立っていたのは、見知った顔。
「こんにちは、ハルクさん」
「……ええ。こんにちは。中に入って頂戴ねー」
「はい」
少し寂しそうな表情を浮かべていたのは……ま、ハルクさんなりの義理人情かな?
招かれるままに中へと入ると、家の中には一通りの家具。
机の上にはコップが三つ置かれていて、その内の二つが使用中。
片方がハルクさんだとすると、もう片方を使っていた誰かは……、気配的に、二階だな。
「こうなるように仕組んでいたとはいえ。事実、こうしてフロスくんが来たのを見ると、私は私の無力さを痛感するわねえ――あなたを巻き込まないように、全力を尽くしたつもりなのに。ああ、いや。今のは言い訳ね」
「いいえ。ハルクさんが乗り気じゃなかったのは解ります。手段を探している間に僕の話題を出さざるを得ず、そこで『他の三人』の意見に押されたと言うところでしょう」
「……三人。どうしてわかったの?」
「決めつけですよ。ただの決めつけ――推理とは、言えません」
古の黎明というパーティに、ハルクさんは参加している。
そして状況的にアルスさんもほぼ確定――『ザ・ブレイバー』という称号は、そこに参加していなければ付与されないだろう。
ただしこの二人が動けば当然目立つ。となると、活動痕跡を消し去る別の誰かがいるわけで、都合の良いことに『ザ・イレイサー』などという称号を持つ冒険者がいる。
この三人はほぼ確定。
その上で、ギルドにこの『匿名のパーティ』という存在を認めさせる力を持った誰かが必要だ――ギルド本部のかなり上層部に直接的な圧力を掛けることが出来る誰かが。それはもはや国の代弁者であり、となれば国王か王子か、その当たりだろう。
そこで以前も考えたとおり、『ユアン王子』が出てくるわけだ。
もちろん、ユアン王子は直接パーティに参加しているとは限らない。あくまでも指揮をとる、ただそれだけかもしれないし、普通に考えればそうなる。
けれどこの拠点に入ったところで、僕はユアン王子も古の黎明の一人なのだろうと直感していた。
……というか、まあ。
「上の階に居るのが、恐らくアルス・ザ・ブレイバーさんですね。で、そこに居るのがシャルロット・ザ・イレイサーさんと――ユアン王子。あってますか?」
「……そこに居る、というのは?」
「僕はもうあの酒場に帰るつもりがありませんからね――かといってハルクさんたちの敵にもなりたくない。魔狼の一件が終わればアカシャを去ります。だからこそ」
何もない場所に残る赤い渦を両手で掴んで。
そのまま、引っ張るようにして――千切る。
「この程度のことが出来ますよ、と説明する意味も兼ねて、自己紹介としましょうか。僕はフロス・コットンです。初めましてではありませんね、ユアン王子。それに、シャルロット・ザ・イレイサーさん。あなたもです」
「……シャル。今のは?」
「……ただただ、強引に。『結界を掴んで、千切られた』としか」
「ふん……なるほど。ハルクが渋って当然だ」
渦を千切ると、そこにはいつか見た気品に溢れる少年と、同じく酒場で二度ほど見かけただけの地味な女性が立ち尽くしていた。
「礼には礼を以て、か。良かろう。我が名はユアン・サムセット・ウィ・ラ・アカシャ。アカシャ国第二王子だ。シャル、お前も名乗っておけ」
「……シャルロット・ザ・イレイサー。冒険者です」
大正解、と。
「シャル。アルスを呼んでこい」
「わかりました」
僕が反対しないのを見てから、シャルロットさんは奥へと去って行く。
それを見送った後、
「フロス。と言ったな。貴様の力を我々はどうやら尚も過小評価していたようだ」
と、ユアン王子は言った。
「シャルの結界が破られるとは……。正直、想定もしていなかった。というより貴様、どうやった?」
「どうもこうも、魔法なんてものは発動している限りそこにあるものですから。結界だってそれは同じです」
「なるほど。認識できないだけで存在はしているならば、それに干渉できるか。…………。いや、なるほどか?」
なんか煙に巻かれてないか、とユアン王子。
流石に鋭い。
しかしまあ、これ以上追求するつもりもないようだ。
視線は厳しく僕を値踏みしているけれど、それ以上のものではない……。
何より、『色別』する範囲では緑判定だしな。
敵対の意図は今のところ無さそうだ。
「お待たせしたんだよ」
微妙に空気が剣呑としかけたところで、気の抜けるような声がした。
成人した男性の声なのに、不思議とこう……、いや、やっぱり気が抜ける、としか表現のしようのない声だった。
「へえ、君がハルクの行ってたフロスくんか。初めまして。アルスなんだよ」
「……初めまして」
「おお。本当に猫を連れてる! 撫でたい!」
「どうぞ」
…………。
成人した、男性……。
だよね?
と、そんな疑惑の視線をハルクさんに向けてみた。
諦めろ、と首を振られた。
ので、ユアン王子にも視線で問いかけてみた。
放っておけ、と首を振られた。
なんか立ち位置が見えたような気がする……。
けれど、確かに不思議な印象の人だな。
成人した男性であることは間違い無く、外見は青年のそれに違いないんだけど……どうも、外見と印象が『綺麗にかみ合わない』。
致命的に間違って見えるわけじゃないけど、ぴたりと型にはまらない――外見と印象と、その先にあるはずの本質がしっちゃかめっちゃかになっている。
でも猫を撫でる手つきは上手なので良い人だろう。
「ふうん。けれどシャルの結界が破られるなんて、ハルク。なかなか君の言っていた以上に、びっくりな子なんだねえ」
「……アルス。私は言ったはずよ。あんまり――」
「いやいや。大丈夫なんだよ。フロスくん、彼は綺麗に割り切っている。『これっきり』とね。それに、こっちの印象はむしろ、素直に言った方がこの子の好みだと思うよ。サムと似ているかもね」
ん……?
「サム?」
「私のことだよ。ユアン・サムセット・ウィ・ラ・アカシャ――まあ、ユアンなどと呼ばれれば周囲から観察されるからな。『古の黎明』では『サム』という冒険者になっている」
「なるほど」
びっくりした。もう一人居るのかと思った。
……けれど。
これで全員、ね。
「それで、僕は何をするために呼ばれたんですか?」
「説明をする前に確認したい。フロス、承認印は使えるな?」
「はい」
承認印はテクニックに分類される魔法で、僕に与えられたそれの発動用の鍵としての道具は指輪形状だったので、ネックレスのようにして首から提げている。
その状態で指定された通りに指を動かして、テクニック、承認印が発動。
透き通った黒色のスティックは、印鑑のように冒険者ギルドの依頼を正式に発行し、また報告を受けた旨の承認を確定できるものである。
「その様子ならば問題無さそうだな。大前提として我々『古の黎明』は大っぴらに表には出られない。かといって『古の黎明』だけで魔狼をどうこうできるわけもない。そこで、『古の黎明』を依頼人として、冒険者向けに依頼を用意することになる。その窓口をフロス、貴様に頼みたい」
「つまり、皆さんのことは内緒。メッセンジャーとしてどこかに拠点を構えて、そこで冒険者に依頼を発行したり、報告をうけろ、と」
「そういう事だ。メッセージの伝達についてはロジックの遠隔音声伝達を利用する予定だが、それは習得しているか?」
「いえ。多分それと思われる魔法を見たことはありますが」
「だそうだ。シャル、魔法移譲書を造れ」
「かしこまりました」
いや造れって。
しかもかしこまりましたって。
それ、そんな気軽に作れるものじゃないんじゃ……、いやまあ、この面々にとっては『気軽』な部類ってだけなんだろうけど……なんだかなあ。
「魔法移譲書で習得次第、実際に拠点に入って貰う。拠点はこの町に『ユアン』名義で冒険者ギルド本部を介して用意しているから、それを使うこと。我々は基本的にここを拠点としているが、これは機密だ」
「解りました。詳しい話も僕が全て話すと言うことですね。信じて貰えるかが問題ですが」
「ユアン名義で貴様を伝達者に指定するからな。問題は無い。いや、実を言えばあったんだが、過去形だ。貴様がこの件を最後にアカシャを去るならばその問題は解決できる」
「つまり隠蔽工作ですね。僕を鍵に古の黎明を探られるのが嫌だと」
「そうだ」
うん、ちゃんとそういう事を言ってくれるならば信頼出来る。
「依頼を発行するとなるとお金が掛かります。それは?」
「私は王子だからな。私の名前で額面通りに換金できるチケットを無制限に発行できる。それを使って適切に銀行で換金し、支払ってくれ。額は任せる。ハルクから聞く限り、妙な浪費もしないだろうしな」
正しい強権の発動はともかく、僕に対する妙な信頼があるな……いや、信頼というか割り切りか。いざとなったら仕方が無い、そんな感じの。
となると問題は、だ。
「ならば問題は、冒険者に依頼して獲得した成果をどうやって皆さんにお渡しするか、ですが」
「ある程度溜まったらシャルに取りに行かせる。……まあ、貴様には通用しなかったが、普通はシャルの結界を見破る事なんて出来ないしな。それにシャルの結界は『移動できる』」
「なるほど。…………。なるほど……、え? 移動するんですか? 結界が?」
「ああ」
「動く結界……って、アリですか……?」
「…………。実現されてしまっているんだから仕方が無いだろう」
いや仕方が無い……のか?
結界を動かしながら維持するって、割と無茶を言ってるんだけど……。
王子も大概無茶を言っていると理解しているようで、その視線には諦めが満ちている。
まあ……そんなものか。
国単位での隠蔽工作を出来る人ならば、そのくらいはやってもおかしくない。
「他に質問は」
「追々出るかも知れませんが、今のところは特に思いつきませんね……ああいや、一つ大きなものが。現時点で魔狼の位置はどの程度特定できているんですか?」
「『パイカル地方』、『エスティア区』」
と。
王子との会話に割り込んできたのは、ハルクさんである。
思ったよりもピンポイントで特定できている……どころか、この表情。
「既に二度ほど交戦しているんだけど、私とアルスじゃ手も足も出なかったのよ。そもそも攻撃が当たらない」
「なるほど……、攻撃が当たらないのは厄介ですね」
「ええ。なのにあっちは攻撃を当ててくるから本当に厄介。何度か死にかけたわ」
「その割には、元気そうに見えますが」
「私が治したからな」
なるほど。
……ってあれ?
「王子がですか?」
「私は『古の黎明』において治癒術士も兼ねている」
「……お供が少数なのは、そういう事ですか」
「そう。貴様は理解が早くて助かる。三人にも見習ってほしいものだ」
そう言って王子はアルスさん、ハルクさん、そしてシャルロットさんへと視線を向ける。
三人はやや不服そうな表情を浮かべていたけど、僕でも王子と同じ事をしただろう。
「フロス。貴様には拠点と同時に、正式な称号を与える。魔狼に対処するまでの間、アカシャでは試練を与える者と名乗れ」
「はい。有り難く頂戴します」
フロス・ザ・オディールか。
…………。
わたあめの脅威……?
「どうした?」
「いえ。なんでも……」
なんでよりにもよってフロスだなんて名乗ったんだろ、僕。




