23 - 親父さんと闖入者
「フロス。ちょっと良いかな。君にお客さんだ」
「…………? 僕に、ですか?」
クイラさんがギルド本部を目指しこの町を出てから三日、四月下弦十七日。
酒場の開店準備をしている表のほうから、カウランさんが調理場に顔を出してそう僕に告げた。
「心当たりがないんですけど……」
「いやあ。確かに、ずっと来てないからね」
「…………?」
僕が知っている人ということだろうか?
まあ、カウランさんが変な嘘をつく意味も無いし。
シチューの仕込みを一旦停止して調理場を出て、酒場の方に顔を出す……と、
「やあ少年。久しぶりだな」
「あ。団長さんだ。お久しぶりです」
カウンター席に座っていたのは他の誰でもなく、この町の自警団の団長さんだった。
僕をこのギルドに預けた張本人だしな、そりゃ僕の知っている人で間違い無い。
「へえ。本当に言葉が戻っていたか」
「はい。お手数をおかけしました」
「いやいや、気にするな。むしろ少年のほうが大変だっただろう?」
「そうでもありません。ギルドハウスの皆が手伝ってくれましたから。まあ……心残りも、ありますが」
「……そうか」
すっと目を細めたあたり、団長さんはどうやら、スエラさんが死んだ後に僕が言葉を取り戻したことを知っているようだ。
恐らくカウランさんから聞いているのだろうけど。
「あの時は出来ませんでしたが。自己紹介を、させてください、団長さん。僕はフロス・コットンと言います。今はこのギルドハウスの調理場で仕事をしてますよ」
「俺はローガン・ブル。自警団の団長で、冒険者ギルドに所属する冒険者、アルスの父親だ。ふむ、しかし少年の名前はフロスか」
ちょっと想像と違ったなあ、といった様子で団長さんことローガンさんは頷く。
そして、すっと真剣な表情に変えて言う。
「カウラン。フロスに何か訓練はさせているのか?」
「特になにも。ハルクが魔法を教えてるくらいかな……、料理の才能は元々のものだよ」
「そうか。…………。なあ、カウラン。来月の上弦にでも、アルスが一度帰ってくるって話は聞いてるか?」
「いや……初耳だね」
アルス?
って、たしかローガンさんが『アルスの親父さん』って呼ばれてたから……、
「その情報、確かかい?」
「本人からの伝達。間違いなくだ」
「それは……、知らなかったな。少なくともギルドとして、アルスが動くという話は出てないよ」
「そうか。…………。アルスの父親として私情や私事で動くとも思えない……」
あ、やっぱり父親さんだった。
「ハルクに聞いてみようか?」
「聞いたところでさして意味が無いだろう。カウランにさえ伏せていると解っただけで十分だよ」
「そうか」
そしてローガンさんとカウランさんが話を続けてしまったので、当然聞こえたわけだけれど。
「……あの、今の話って僕が聞いてても問題は無かったんですか?」
と、一応の確認をしてみると、カウランさんがぎょっとした。
忘れてたなこの人。
ただ、ローガンさんは何を今更、といった様子だ。
こっちは確信犯、と。
「まだ冒険者になる前の話だ。幼い頃のアルスは、そうだな。フロス、君と雰囲気がずいぶん似ていた」
「僕と……ですか?」
「ああ。誰に習うわけでもなく、勝手に様々習得していく感じがまさにそうだ。もっとも、フロスと違ってアルスは戦闘ばかり習得したがね」
ふうん……?
「だからな、機会があるならばフロス。君をアルスに会わせたかったんだよ。とはいえアルスの奴は俺の息子である以上に、いまやアカシャを代表するような冒険者になっちまってる。呼んだところで来ないだろうしな」
「僕なんかが口を挟んで良いのか解りませんが。『来ない』と『来られない』は別ですよ」
ローガンさんは何も言わず、小さく頷いた。
どっちなのかは解らないけど……たぶん、アルスさんという人は来られないのほうなんだろうな。
節々で連絡はしているみたいな様子だし、今回もローガンさんにだけはこの町に立ち寄ることを予告している。
「ところで、カウランさん。アルスさんという人は、冒険者としてはどんな格なんですか?」
「アルスの親父さんも言っていたけれど、アカシャを代表する冒険者の一人だ。アルス・ザ・ブレイバー"アカシャ"と呼ばれているよ。ギルド本部、ディース以外にも、三つくらいの拠点を持っていたかな」
「ザ・ブレイバー……随分、勇ましい称号ですね」
勇ましい、というか。
――勇者、というか。
僕にとって勇者って、ちょっと厄ネタ的な存在なんだけど……、だからこそ、僕の周りに居るのは当然なのか。
「勇ましい。言い得て妙な表現だな。けれどあれは――」
と。
しかし、そんなローガンさんの言葉は途中でピタリと止まった。
それはドスン、と扉が乱暴に開けられたからで、果たしてそこに入ってきたのは、見た目こそ普通の男性冒険者、二人組だ。
ただし、なにやら尋常な様子ではない。
目が据わっているし、目に見えて顔色も悪い。
具合が悪くなったので急いで入ってきた、という様子にも見えないんだよな……。
眼鏡の色別を有効化すると、その二人が緑色の世界に、赤色で表現されている。
害意あり――だ。
「カウラン。あれはこのギルドの冒険者か?」
「いいや。見覚えがないね」
「……ははは!」
ローガンさんの問いにカウランさんが答え、笑ったのは二人のうちの片方。
その視線はどうにも定まらないけれど……、だからこそ、だいぶ怖い。
ふと見れば、酒場で依頼を物色していた冒険者達がそれとなく武器に手を掛けているし、ローガンさんもやれやれと肩をすくめつつ、当たり前のように僕を庇うような位置についていた。
理由は分からないけれど、危険な状況だというのは共通認識らしい。
「はははははは!」
そして高らかに笑い、片方が姿勢を傾ける――もう片方も、当然のように背負っていた鈍器を振りかざした。
「フロス」
「はい」
カウンターに置かれた水をわざと床に垂らす。
水が床に触れた瞬間を見計らい、手を叩き/目を見開き/左手で指し示し/指を鳴らす。
図形動作によるマジックの発動は無事に成功。
すると、床から産まれた青い渦が、姿勢を傾けた男と、鈍器を振りかざした男を巻き込み、そのまますぐに男達は倒れ込んだ。
がちゃんと、重なり合うように。
下敷きになったほうの人がちょっと可哀想だけど、普通に伸されるよりかはマシだと思って貰いたい。
「…………? え? いや、何があったんだ、カウラン」
「それはフロスに聞くのが正しいね」
「ただの、酒場のトラブルを穏便に鎮圧するための魔法です。効果は単純、僕が指定した相手を、強烈な眠気が襲います」
「…………。眠気?」
「はい。見ての通りぐっすりでしょう?」
「確かに上のほうはぐっすりだが、下の方はぐったりしてないか……?」
「そりゃあ、思いっきり上に人が一人のっかればぐったりもしますよ」
たぶん。
うん、いや、大丈夫。大丈夫のはず。
どっちも品質値見えないし生きてる生きてる。セーフ。
「カウランさん。あの二人、どうします?」
「私が適当に捨ててくるつもりだったけれど、何か気になるのかな、フロス」
「いえ。なんだか尋常な様子ではなかったので、一応確かめた方が良いかなあって。目つきがおかしかったですし」
「ふむ……。そうだね。アルスの親父さん。牢屋借りてもいいかな」
「構わないよ。フェルナーの奴が監視についてるから、俺の名前を出してくれ」
「じゃあ、遠慮無く。フロス、この場は少し任せるね」
「はい」
重そうだなあ、とカウランさんは呟くと、床で寝込んだ二人に近づき、そして周囲の適当な冒険者に声を掛けた。どうやら運ばさせるようだ。
「……しかし、マジックを随分と使いこなしているんだな、フロスは。相手を眠らせるなんてマジック、聞いた事も無い。ただ、相手のことも考えた良い魔法だと思う」
「褒めて貰えるのは嬉しいですね」
「とはいえだ。フロス。今の魔法、詠唱らしい詠唱がなかったよな?」
「はい。そもそも魔法を習得した段階では、まだ言葉も戻っていなかったので、図形動作の発動が僕の基本になっちゃってるんですよね……」
「図形なんて書いた素振りはなかっただろう」
「いえ。水を垂らしたでしょう?」
「…………?」
知られて困る類いのものでもない。
変に不信感を持たれるくらいなら、説明してしまった方が良いだろう。
「カウランさんの許可を貰った上で、床にいくつかのマジックを発動するために必要な図形を、完成まであと一筆というところまで書き込んであるんです。その一筆を水で書き足して、動作を挟めば発動するって形なんですよ」
「…………。それは……、えっと……、簡単に言っているが……、え、カウランは何も言わなかったのか?」
「…………? はい。やりたいのでいいですか、って確認したら、『別にいいけれど……』とだけ」
「…………」
……え、何この沈黙。
何かやらかしたかな僕。
「図形動作を拠点に刻み込み、いざという時に複数種類を使い分けて発動する。…………。いやこれ、やっぱり王宮とかで使われている防衛概念だな……」
「…………? そうなんですか?」
「ああ。いや、俺も直に見たことはないんだが……。アルスが何度かそれを見たらしく、『なるほど、そんな応用もあるものなんだなあと感心したんだよ、親父どの』なんて言ってきたことがある」
どちらかというと王宮で使われていたという事実よりもアルスさんの口調が想定外の方向で衝撃を受けているけれど、ふむ。
つまり一般的ではないなりに、存在はしていたわけだな。
まあ……僕に実現できちゃう程度なのだ。当たり前だろう。
洋輔ならもっとえぐい応用しそうだし……。
「王宮とかで使われている物は、もっとちゃんとしてるんでしょうね……僕がここに設置してるのは、ずいぶん雑ですから」
「雑、ね……ますます、君の雰囲気がアルスに似ているように見えるよ。あいつも『適当』で、あれこれやったからなあ……」
懐かしそうに、ローガンさんは笑う。
丁度そんな頃。
「楽しそうな話だが――」
と、騒ぎを聞きつけたのか、ムギさんがやってきた。
ムギさんは今、休憩中だったんだけど……。
見ればカウランさんは既に出発しているし、声を掛けていったのだろう。
「フロス、何があった?」
「冒険者らしき二人組が扉を破るような勢いで飛び込んできて、暴れそうになったので寝かせました。カウランさんがそっちに声を掛けたんじゃないんですか?」
「……いや。なにか妙な物音がしたからな、服装だけ整えてきた」
あれ?
そうなのか。
「で、その暴れそうになった連中はどうした」
「カウランさんが適当な冒険者を使って牢屋まで運んでるようです」
「そうか……、って、牢屋? 捨てておしまいで良いだろう」
「……カウランさんもそう言ってましたけど、なんか尋常じゃなかったんですよ。目つきとかが。何か問題があってそうなったのかもしれません。事情は一応、調べた方がいいですよ」
「本当に問題があったならばそれでいい。だが問題なく、単に暴れただけだったらどうする?」
「変に疑ってごめんなさいと謝って、改めて捨ててきたらいいじゃないですか」
「それもそうだ」
「おい」
自然と僕とムギさんのやり取りに突っ込みを入れるローガンさんだった。
なんだか奇妙に新鮮だ。
いや、このギルドハウス、ツッコミ役が本当に居ないというか、ボケ殺しというか……。
……僕もどっちかというとボケ役だしね。
「というか……。ローガン。どうした? 酒場に来るとは珍しい」
「今更だなおい……。ちょっと確認をしに来たのさ」
「確認……、ああ。例の件か」
「ん……知ってるのか?」
「偽金の件だろう?」
いや違う。
別件だと言うことは僕とローガンさんの沈黙から察したようで、ムギさんは憮然とした表情で腕を組んだ。
「まあ、客は客だ。別に理由は問うまいがね」
「ははは。その心配りはありがたい。さて、ならば客は客らしく注文でもしようか。今日のおすすめは何かな?」
「がっつりなら、牛ブロック肉のシチューを、くり抜いたパンの中に入れてホワイトソースを掛けたものとかが自信作です。軽食程度ならば薄切りのお肉で旬の野菜を包んでカラッと素揚げしたものにとろみのついた甘酸っぱいソースをかけたものがおすすめです」
本当は魚料理とかも作りたいのだけど、新鮮な魚を一定量仕入れるのが不可能に近いのだ、この町。
漁港があまりにも遠すぎる。
近くにある川も漁が出来るほどの規模ではないらしい。
あと、お肉も供給がかなり牛肉に偏ってて、鶏肉とか豚肉でさえもあまり流通してないんだよね……。鹿肉とかはたまに見るかな。
とはいえ今度は豚肉を結構入荷して貰う予定なので、それで生ハムとかを作るつもりだ。
問題は作り方がいまいち分かんないことだけど……まあ『理想』でどうにもならなければ錬金術ででっちあげてしまえばよかろう。
……今ので料理人を敵に回した気がするけど。
それはそれ。
「……いや、うん。フェルナーから聞いてたけど、本当に本格的な料理だな。高そうだ」
「いえ、値段はヘーゲルさんの時代から一切変えてません。シチューは肉メイン扱いです」
「え……? じゃあ、……がっつりのシチューとパンのやつを」
「はい。今用意しますね。ムギさん、このままホールは任せてもいいですか?」
「ああ。もちろん」




