21 * フロス・コットンのメモ書き
――これは、『フロス・コットン』という少年が、『ハルク・ザ・ジェネラル』という偉大な冒険者から魔法についての説明を受けた際、少年が書き残したとされる覚え書きの一部である。
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大前提。
近代的に表現される魔法とは、三つのリソースのいずれか一つ以上を使う事で発動する現象の総称で、特定の技術を指した言葉では無い。
三つのリソースとは、魔力、領域、技術。
魔力。生命が必ずその内に秘めるリソース。その生命が保有できる魔力の最大値は才能や素質に最も左右され、努力で増やせる量は限られる。
魔力が最大値まで貯蓄されていないとき、魔力は周辺の空間に拡散した魔力を変換・吸収する形で自然に回復する。この回復は睡眠時がもっとも効率的に行える。
自身の魔力の最大値と現在値を参照する事はそれほど難しくないが、一部特殊な才能を持つ人物に関してはこれが難しい事もある。
領域。精神の内側に存在する、それぞれ固有の形状を持ったリソース。円や四角形のような美しい形状を持つこともあるが、全く規則性が存在しない、何角形とも表現のしようのない複雑極まる形状である事が殆どである。
領域は占有と解放という二つの状態があり、占有されることで何らかの効果を顕し、また効果を顕し終えたり単に占有をやめることで解放され、即座に再び使えるようになる。
占有されている領域の部分を改めてもう一度占有することはできず、己が持つ形状を越えて占有しようとしたとき、その不足分は魔力によって補われるが、補いきることができなければ精神が崩壊し、狂う。
他者の領域の形状を暴き出すという魔法が一時期、ミスティックの国プラマナで研究されたものの、失敗に終わった。これにより、形状の表示は不可能であると考えられている。
技術。『他のリソースを調整・制御する道具や技術』と言い換えることが出来る。例えば魔力への干渉を調整したり、領域の占有や解放を制御したりするのが、魔法としては主な使い方になる。
一方、魔力や領域という視認できないものでさえも制御しうる技術なのだから、視認できるものもまた制御できる事が多く、道具によって簡単に水を汲み上げる機構や、熱から生み出す技術特有の力を利用して常に輝く街灯という機構が、特にこの技術に長けたメーダーという国では広まっている。
これら三つのリソースとは別に、第四、第五のリソースが発見される可能性は十分にあるが、現時点では発見に至っていない。
三つのリソースは一つ以上を使う事で、魔法現象を引き起こすが、組み合わせによってその魔法現象の名前が変わり、特徴も概ねこの組み合わせによって決まる。
魔力のみによって発動したものはマジックと呼び、発動難易度が極めて高く、習得にはセンスが必要で、模倣が難しい上、魔力というリソースを消費して発動するため連発には向かない。
半面、これがもたらす効果は自由度が高く、センス次第で複雑な効果を顕したり、あるいは単純に膨大な効果をもたらしうる。
発動には通常、詠唱や図形動作が用いられるが、何度も繰り返し同じ魔法を使うなどして感覚で魔力の形成法を習得することが出来れば、詠唱や図形動作を省くことは出来る。
治癒術士と呼ばれる者達の大半はこのマジックにより治癒を実現している。
理論上は他人の魔力でマジックを発動することも可能であるが、極めて難しいとされる。
魔力を技術で制御したものをロジックと呼び、発動・習得難易度を下げ、魔法の効果を一定に揃えることができる。魔力の消費もある程度効率化されるため、コストパフォーマンスに優れ、最も優秀な魔法とされる。
半面、マジックが売りとしていた自由度はその殆どが失われており、ロジックの追記によって多少の応用系を作る事は出来ても、『新しい魔法』や『オリジナルの魔法』は通常、作る事が出来ない。
ロジックでは治癒が実現できない。
発動には通常、詠唱や図形動作に加えて、制御用の道具を用いる。道具の形状は杖や指輪が多いが、髪飾りや眼鏡などの装飾品や、衣服や剣などの装備品に加工されていることもある。
特殊な発動例としては、集団動作による発動がサトサンガによって研究されており、一定の成果を出しているが、数百人単位で初めて発動できるものであり、冒険者には無縁である。
領域のみによって発動したものはミスティックと呼び、習得難易度以前の大前提として己が持つ領域の自覚が必要で、この段階で既にマジックとは比べものにならない敷居の高さを見せる他、効果量は他の魔法と単純な比較が難しいものの、全体的に控えめである。
一方、前提条件さえ満たすことが出来れば己の領域が許す限りで複数のミスティックを同時に行使することが容易で、領域を占有して発動し/発動終了すると領域が解放されるため、間断なく連発することができる。
他方、己の領域を越えて行使してしまったとき、大概の場合で狂い、『パニック』として災害となり、死を待つことになるなど、リスクも大きい。
発動に必要なルーチンは個人差があまりにも大きく、他人を参考に出来ない。
理論上はミスティックによる治癒も存在しうるはずだが、実用圏内で実現できる者は発見されていない。
技術によって領域を制御し発動するものをテクニックと呼び、技術や道具に依存することで予め定められたように身体を動かしたり、特殊な効果を生み出したり、あるいは簡単な魔法現象を引き起こしたりすることができる。
これを用いれば子供でも大きな剣を振り回したり、人外じみた力を発揮することもできる半面、基本的に発動に必要な道具は極めて高価で入手も難しい上、技術の伝授もやはり高価である。
また、複数のテクニックを組み合わせて無理矢理応用系を生み出すことは出来ても、新しい『テクニック』を作る事は至難。もしくはほとんどの場合で不可能で、新たなテクニックを作る場合はそれに特化した才能を持つ『ミスティック』使いと、そのテクニックの原型となる現象を引き起こせる者、そしてそれを道具や技術に刻みつける才能を持つものが必要である。
単に魔法といえばここまでに述べられているマジック、ロジック、ミスティック、テクニックの四つを指すことが殆どで、残る二つは広義もしくは形式張った表現としての魔法となる。
技術のみによって効果を顕すアルケミックは魔法と言うより技術の結晶で、たとえば水を井戸から簡単に汲み上げるポンプという機構もこれにあたる。
ただし、同じく技術のみによって魔法的な効果が発動することが希にあり、たとえば振るだけで炎を纏う剣や、投擲してもかならず所有者の手元に戻る槍などが実在する。
これを五つ目の魔法として数えることがある。
治癒系統の効果を持つ特殊な道具が過去いくつか発見されたものの、現存しているものはクタスタ王家に伝わる杖のみである。
そして、六つ目の魔法がパニック。
己に許された領域を越えてミスティックを行使しようとしたが為に狂ってしまい、『その効果をもたらす魔法を発動すること事態を目的として死ぬまで発動し続ける』という状態で発動される魔法をこう呼ぶ。
この時、発動しているパニックは行使者の魔力と命を削り続けるため、パニックに至った者は遠からず死ぬが、生きている限り大災害に近しい効果を常に発動し続けるため、最優先で殺さなければならない。
つまり禁忌としての魔法形態であり、リソース的には領域と魔力の組み合わせとなる。
尚、制限術式と呼ばれるカテゴリの魔法には、原則として『技術』が介入する。
たとえば階位開示や能力開示は魔力と技術によるロジックで、冒険者ギルドが依頼の発行に用いる承認印は技術と領域によるテクニックとなる。
これは、そもそも制限を掛けるために道具もしくは技術の力を利用しているから当然の話。
以上で説明は終わり。
疑問点があったので聞いて、その答えも書いておく。
一つ目。
魔法は三つのリソースの内一つ以上を用いて発動する。
魔力がマジック、魔力と技術でロジック、領域でミスティック、技術と領域でテクニック、技術でアルケミック、魔力と領域がパニック。上記の六つが近代における魔法だとされている。
同じ組み合わせで比重が逆になった場合でも同じ呼び方で良いのか?
テクニックは技術と領域によって発動する。これを領域と技術によって発動しても同じく、テクニックという範疇なのか、それとも違った効果を顕すのか。
この疑問への回答は『概念上、呼び方は変わらない』。
また、そもそも比重を逆転して発動することそれ自体が現実的ではない。
二つ目。
魔力は魔力でも、体内に宿る魔力ではなく世界に拡散している魔力を利用して発動する魔法は存在しないのか?
この疑問への回答は『各国で研究した範疇では不可能と考えられる。ただし、アルケミックによって生成された、特に特殊な効果を持つ道具は、魔力に僅かながら干渉していることが判明している』。
将来的に可能になる日が訪れる可能性は否定されない。
三つ目。
魔力、領域、技術の三つを全て用いて発動する『第七の魔法』はなぜ存在しないのか?
この疑問への回答は、『魔力と領域を用いる時点でパニックの要件を満たすため、そもそも研究ができないと考えられているのだと思う』。
この疑問について、ハルクさんは明確な答えを持ち合わせていなかった。
要検証。検証して大丈夫かという所から。
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――本人たちは知るよしも無いが、後にこの覚え書きは冒険者ギルドによって回収される事になる。
回収後これを原型に一部を省き、体裁を整えたものが魔法に関する基礎情報として広く共有されるのだが、それはまだ先の話。
また、この覚え書きがされた裏面には奇妙な図形がいくつか描かれており、その図形の解釈を巡っては冒険者ギルドでも極限られた一部のエリートが解析を試みた。
しかしついにその正確な意図を拾い上げることはできず、『フロス・コットンという少年が己の領域を測ろうとしたのではないか』『特に意味の無い落書きに過ぎないのではないか』など諸説が提示されたが、どれも断定できるような根拠は暫く発見されなかった。




