20 - ハルクの帰還
四月上弦八日。
このギルドハウスの酒場に、ハルクさんは一人だけを伴って帰還した。
「無事で何よりだよ、ハルク。……それで、首尾は?」
「生存者は一名。この戦士くんだけね。残りの三人は、残念だけれど……。遺体は最寄りのギルドハウス分室で処置をお願いしたわ。バウンドハウンドは、ついでだったから狩っておいた。この戦士くんの功績にしちゃう?」
「いや、ハルクの功績だね」
「そうですよ。俺なんか気にしないでください。完膚なきまでに俺たちは負けたんです。なんで俺だけ生き残ったのか……」
……一人だけを伴って。
その一人はどことなく、スエラさんの面影がある戦士の青年だった。
「他の三人については残念だけれど、一人でも生還できたのならば、それを糧にしないと他の三人が浮かばれないさ。ともあれ、生還おめでとう」
「……はい」
「……で、カウラン。何か酒場の様子が奇妙よね? ムギとヘーゲルとは挨拶したし、セタリアくんはなんか手慣れた様子で軽食を運んできてくれているけど、配置換えでもしたのかしら?」
「ハルクが出ている間に、良い事と悪い事があったんだ。ね、フロス」
軽食を配膳し、話を振られた僕はこくりと頷く。
「ハルクさん、無事でよかった」
「……あら。あれ?」
「僕も何故かはわからないんですが……、なんか、普通に喋れるようになりました」
「そう。それは……、良かったわね」
つまりそれは良い事だよね、と念を押すように、ハルクさんは言う。
僕もそれとなく頷くと、カウランさんはすっと。
ただ自然に、言った。
「で、悪いこと。スエラが死んだ」
「…………」
「…………」
それに、ハルクさんと戦士の青年は見事に固まった。
僕は――あの夢を、思い出して。
「ごめん。カウラン。少し事情が飲み込みにくいわ。何があったのかしら?」
「スエラが死んだ。死因は不明。変死といえば変死だけれど、外傷らしい外傷は無いし、毒の類いも検出されていない。かといって病気をしていたという話も無いし、遺書もない。今、ギルド本部で詳しく調べている」
「…………。…………。姉さんが……」
……やっぱり、この人が『弟』だったのか。
目に見えて動揺している。
なんとか落ち着こうと、それでも努力しているのは、この場で騒いでも意味が無いから……とかではなく、現実味が無いからだろう。
「冒険者とその周りは、ただそれだけの理由で、死が身近にある。たまたま今回はスエラがその番だった――のか、それとも何か理由があるのかは分からない。ただ、スエラは死んだ。クイラ。君はそのことを、自覚しなければならない。……遺体が帰ってきたら、葬儀もしなければいけないからね」
「……カウラン。クイラは今、仲間を失って――」
「だが冒険者だ。『この程度』で心が折れるならば、今回はたまたまハルクが助けたようだけれど、すぐに死ぬ。それも一人でじゃあ無い。パーティごと全滅だ」
普段とは……あきらかに、棘のある言い方を、カウランさんは敢えて選んでいる。
少しずつ、けれどわざとらしく追い詰めるような、そんな言い方を。
……ハルクさんも気付いてるな。
「クイラ。これは最悪の機会だ。……君はもう、冒険者をやめるべきだよ」
「…………」
「今回の失敗で『金色の月影』はもはやその存在を保てない。パーティは解散になるだろう。『金色の月影』として所有していたものは全てクイラ、君の者としてまずは処理することになる。ギルド側が把握しているだけでも、『金色の月影』は二つ持っていて、その二つの拠点にそれなりの蓄えがあるのも解っている。……それに、スエラが『何かあったとき、弟のために』と遺していた蓄えもね。その総額は『金色の月影』、他の三名の関係者に慰霊金を払っても、クイラ一人が冒険者ではなく一人の人間として生きる分には不自由しないほどになるだろう」
突き放すような台詞とは裏腹に、カウランさんの内心で一番近いのは――たぶん、『どちらでもいい』、だ。
心が折れて冒険者をやめるならばそれでも良い。スエラさんが死んだ以上、もはやクイラさんが危険を冒す必要が無い……冒険をする理由はない。
けれどもしも、この状況を乗り越えるならば歓迎だ。もはや理由がないからこそ、どんな依頼にでも立ち向かえる。どんなに危険なものだとしても。
……いや。違う。
完全に間違ってるわけじゃ無いけど、何かもうちょっと先がある感じ……だな。
「ハルク。あえて聞くけれど、実際、クイラは冒険者に向いていると思うかい」
「才能面では文句が無いと思うわよー。スエラと似て、冒険者として必要な技術や技能には恵まれていると思うし。ただ、私が言うのもアレだけれど、精神面ではやっぱり未熟かな。カウランも同感でしょうけど」
一瞬、ハルクさんは僕を見て。
けれど、言う。
「正直、仲間が死のうと姉が死のうと、その二つが重なった程度で、こうも精神に影響しているようじゃ冒険者としては不適格ね」
「…………」
いやさっきと言ってることが違う……、ああ、だからこそ一瞬こっちを見た、のかな。
ちょっと黙ってろと言う意味で。
「どんなに技に優れていても、この程度で心がやられるような人とはチームアップも無理ねー。背中を預けられないもの」
「……誤解されては困ります」
と。
さらに追い詰めるようなハルクさんの言葉に、クイラさんは声を挙げた。
しっかりと、芯の通った声を。
「俺が今困惑しているのは、姉さんの死因に『心当たり』があるからです」
「…………? 心当たり?」
「はい。……そもそも、『なんで俺は今生きている』んですか?」
「え? いやまあ、ハルクが助けたからだよね?」
「ええ。確かに俺はハルクさんに助けられました。バウンドハウンドの牙がこちらを向いて、ああ、もう死んだな、と思って――けれど、その時。ハルクさんは助けに入ってくれた。だから俺は生きている。それは解るんです」
死にかけたところを助けられたから生きている。
それは至極、当然のことだ。
「……でも、俺はなんで、そもそもあそこで戦ってたんですか?」
「それは……だって、バウンドハウンドと戦って負けて、仲間の遺体をなんとか回収して逃げる、そんな所をまた襲われたから……じゃないの? 私が助けたとき、あなたの仲間はもう死んでいたし」
「そこが変なんです」
クイラさんは断定する。
「だって俺は、『戦っているところを助けられた』んです。『今さっき仲間が一人死んだ、残り二人と連携しなければ』、確かに俺はそう考えていた。けれど残り二人からの援護が間に合わず……『バウンドハウンドの牙がこちらを向いて、ああ、もう死んだな』と思った所を助けられた。俺が死にかけたとき、まだ残り二人は生きていたはずなんです」
「…………、そうなのか、ハルク?」
「いいえ? 私が助けに入ったとき、既に残りの三人は死んでたわ」
うん……?
どういうことだろうか、と、ハルクさんとカウランさんが小首を傾げている。
「……ええと。見当違いなことを言うかも知れませんけど……、クイラさんが死を覚悟したその時、残り二人はまだ生きていた――援護が間に合わないってだけで、援護をしようとしていたのに、です。で、ハルクさんに助けられた時には、残り二人も死んでいた?」
「その通りだよ、少年。変だろう?」
「…………、」
確かに、変だ。
なんか……、時系列がおかしいことになっている、のか?
クイラさん自身は『一人が死んで、残り二人は生きていて、自分はいま死にそう』という状況で助けられたと認識しているのに、ハルクさんは『残り一人になった状態のクイラさんを助けた』と認識しているわけで……。
その二つが同一のタイミングでは無い……?
いや、同一のタイミングじゃないと、ハルクさんが二回助けたことになる……よね。
「えっと……、確かに変ですけど、それがどうしてスエラさんの死因の心当たりなんですか?」
「『月の魔法』の事だな、クイラ」
「はい」
……『月の魔法』?
「……まあ、いずれフロスも知ることか。ならば早めに教えておく……、にしても、前提が今では足りないな」
「…………?」
「フロスにはあとでハルク、説明してやってくれるかい」
「ええ。というわけで、フロスくん。ちょっと我慢してね」
「……はい」
前提が足りない……のに、説明は出来る?
いや、説明に時間が掛かるってだけかな。
「姉さん……に限らず、俺の家族は皆なんですけど、特にその話をよく聞いてましたし、よく話してましたから。……まあ、だからといってそこに至れたという親族は居ないので、所詮は『御伽噺』なのかもね、と毎回話はそう終わらせてたんですけど」
「あの魔法には分からない事が多いからなあ。けれど、なるほど。もしもスエラがそれに至れていたならば……、どうかなあ」
「ギルド本部に記録は無いんですか?」
「さあ。少なくとも私が知りうる範囲では無かったかな。ただ、私も全部を見られる立場では無いからね……」
詳しい事はまるで解らないとは言え、どうやら何かの心当たり……というか言いがかりというか、何かの引っかかりはある、ということのようだ。
そしてクイラさんも、なかなかどうして冒険者だな。
姉の死を……その先の為に考えている。
いや……けれど。
ムギさんほど、割り切れてはなさそうだけれども――
「その様子ならばクイラ。君は冒険者を続けるわけだね」
「はい。『金色の月影』としては……もはやどうしようもないですが、俺はまだ生きている。俺の出発点は確かに、姉さんを再起不能にした魔物への復讐心です。けれど、『金色の月影』という仲間を得て、俺はあいつらからいろいろなものを貰いました。……それを俺は返せていない。だから俺は、まだ戦います」
「…………」
クイラさんの言葉を、僕は肯定も否定もすることが出来ない。
僕は……、冒険者としてはだから、不適格なんだろうな。
なるつもりも、正直言えば無いけれど。
「解った。このギルドハウスから、依頼を君に発行するよ。スエラの死因調査に協力すること――ディースにあるギルド本部に行ってくれ。紹介状を用意する」
「望むところです。お願いします」
「うん。それじゃあ、詳しい報酬の話をしよう。――ハルクはお疲れ様。フロスと一緒に少し離れてくれ。フロス、ついでだから少し休むついでに、ハルクから話を聞くといい」
「ええ」
「はい」
ああ、報酬に関しては僕達にも内緒、と。
そんなもんだよな。
僕も勝手に納得しつつ、ハルクさんと一緒にその場を去りつつ猫を回収。
「それじゃあ、お話をするためにも私の部屋に来てくれるかしら。その子達も一緒で良いわよ」
「わかりました」
どうやら長い話になりそうだし、と、飲み物と軽食を雑に準備して行くことに。
そんな様子を見て、「あれ?」とハルクさんは首を傾げた。
「調理場、本当にあなたが回してるの? 喋れるならば接客できるでしょうに」
「そうなんですけど、僕だと依頼の正式な発行が出来ないんです。まさかムギさんに二十四時間ずーっと働いて貰うわけにも行かないので、ヘーゲルさんが依頼窓口、ムギさんが接客、僕が調理場ってスライドしました」
「へえ、そうなんだ。……食材の仕入れは?」
「それはヘーゲルさんも手伝ってくれています」
「ああ。納得」
なので結局、ヘーゲルさんだけ微妙に仕事量が多いんだけど……まあ、いずれやり方を覚えたら僕がやるので、ということで我慢して貰っているのだった。
その分、食べたいものがあればそれを優先して作るようにしていたりはする。
「飲み物は紅茶で良いですか?」
「ええ。お酒は入れないでね」
「僕も飲めません……。軽食は、特にリクエストが無ければローストポークと季節野菜をパンで挟んだものになります。食べたいものがあれば言ってください。材料がありそうなら作りますよ」
「え、そうなの? ……いや、個人的にはちょっと食べたいものもあるけれど、それ以上にその『ローストポーク』というものが気になるわ。豚肉なのね?」
「はい。味見してみますか?」
「いいえ、折角だし普通に楽しみにしてみるわ」
「そうですか」
じゃあ、と紅茶をしっかり淹れながら、パンの表面にざっと火を入れる。
その間にローストポークのブロックをすっと包丁で切り、ついでに野菜も同じくらいの大きさや分厚さになるように整えて、こんがりとトーストしたパンの内側にからしを混ぜたソースをさっと塗って、野菜とローストポークを投入して挟み込み、最後に黒胡椒をぱらつかせてはい完成。
丁度紅茶もできたようだ。
「……不気味なくらいに手際が良いわね?」
「元々ですよ?」
「そう……、かしら……?」
訝しがるハルクさんは無視して、ついでにミユちゃんとヨシくんの分の餌も調達。
今にもお皿に飛びつこうとしている二匹は、それでも僕が良いよというまでしっかり我慢の出来る良い子達なのだった。
あとでご褒美に鰹節もどきをあげよう。
猫でも安心、減塩タイプをね。




