16 - 虎の尾を踏む
『……え? ユアン様が来た?』
『ええ。……いえ、断定は出来ないのだけれど。特別面識があるわけじゃないし、現実的に考えてこんな町にユアン王子が来るとも思えないわ』
『ふむ。確かに本物のユアン様だとしたら護衛が二人しか居ないのは不自然か』
朝。
酒場の営業が終わった後の食事の時間は、カウランさん、スエラさん、ムギさんにヘーゲルさんというギルドハウスの人間に僕と、ハルクさんを加えた六人が揃って食べるように、自然となっていた。
ちなみに今日のご飯は牛ブロック肉がほろほろになるまで煮込んだスープを主菜に根菜サラダ、そしてパン。もうちょっとパンにバリエーションを増やして貰いたいような、けれどそれを僕が求めるのは何か違うような……お米が恋しいなあ……。
尚、ここまで休み休みとは言え働き続けていた酒場組と同量を、起き抜けで食べているあたり、ハルクさんは大食いなのかも知れない。
話が逸れた。
全員が明示的に揃う時間ということもあって、ここはちらほらと情報共有の場にもなっている。
一時過ぎの騒ぎは当然、その情報共有で真っ先に上げられた事だった。
『ただ者じゃない――というのは間違い無い。あきらかにあの少年が主導権を握っていた』
『そうね。……それと、ハルクの事を知っている、ような口ぶりだったわね?』
『……ふうん?』
ムギさんとヘーゲルさんの補足に、ハルクさんは小首を傾げるようにしてパンを手に取った。
『ユアン様が私を、ねー……。冒険者としての活躍を知ってくれているとしたら光栄だけれど、私を訪ねてこられるとなると……』
『困るか』
『ええ。どうしたら良いのかわからないのよねー』
……嘘はついてないと思うけど、何か隠し事をしている感じが。
ハルクさんへの真偽判定はまだ今暫くの調整が要るな……。
『心当たりはあるのか、ハルク』
『あったら言ってるわねー』
『それもそうだ。……うーん。まあ、本物のユアン様じゃあないとは思うけれど。もしそうならばギルドハウスに、本部から先触れが……あるかなあ……』
ん……んん?
なんでそこで遠い目になるんだ、カウランさん。
『本人なのか他人なのかは解らないが、ともかく、そういう不思議な少年が来たというのは事実。「事情が変わったのか」……とか、そんな事も言っていたか』
『でも、それだけだったわね。本当になんだったのかしら?』
『さて? ……念のためだし、本部に動向を確認しておく……いや、王子の動向なんて、教えてくれないか』
『キーパーでも無理なの?』
『王位継承権保有者というだけで、ギルド本部は頭が上がらないんだよ』
……ふうん。
あの少年が本物のユアン王子だったとして……、王子の行動はお忍びで、ならば冒険者ギルドハウスに前触れが無くても当然ではあると。
ただ、別に少年は名乗らなかった。ユアン王子では無い可能性がある。
重要なのは、あの子が確かにハルクさんを尋ねて来たこと、そして僕を見て何か納得した様子を見せたこと……かな。
ストレートに考えるならば、ハルクさんとあの子は実際に知り合いなんだろう。
あの子の正体までは断定できないけれど、少なくともハルクさんはその子との関係を隠す理由がある。
で、あの子は僕を見て『納得』し、『宜しいわけがない』と言いつつも他に手が無い、と帰っていった。
これはハルクさんの僕に対する評価と似ている。
となると、あの子はハルクさんと似たような立場……なのかな。
いや、でも冒険者として有名だったら流石に名前が出てくるだろう。
ましてや王子様と間違えられるとも思えない。
だとすると、そもそもあの子がハルクさんとは似たような立場では無いのか?
それともやっぱり似たような立場なのか。
もし後者なのだとすると、僕の認識のほうがズレているのだろう。
つまりハルクさんが冒険者だから、似たような立場であるあの少年が冒険者――と考えるのがそもそも間違いで、逆なのだ。
あの少年が冒険者では無いから、似たような立場であるハルクさんは冒険者ではないと考える。
ただし、ハルクさんが冒険者として活動しているのは事実としてあるのだから、冒険者では無い……というのも微妙に間違っている。
……着地点は『ハルクさんは普通の冒険者では無い』、かな。
だとするとカウランさんと必ずしも同じ立場ではない事にも説明が出来そうだ。
『だめもとだけど、一応照会はしておくとするか……。他には何かあったかな?』
『王都から一人、珍しい称号持ちの冒険者がこっちの方に向かってるって話があったな』
と。
纏めようとしたカウランさんに口を挟んだのはヘーゲルさん。
酒場のお店側には滅多に顔を出さない分、共有する情報は少ないポジションと見せて、実は冒険者以外からの情報を最も集めているのがヘーゲルさんだったりする。
これは食材調達を初めとしていろいろなお店を回っている都合上、いろいろな商人さんとコネクションがあるためで、当然と言えば当然だった。
『確かザ・レイス……だったか?』
『…………? レイス? いや、そんな称号は無いよ』
『あれ、じゃあ聞き違えたかな……』
ヘーゲルさんとカウランさんのやり取りに、一瞬だけハルクさんが反応した。
反応というのも微妙な、最初から疑ってないと気付けない程度のものだったけど。
ザ・レイスという称号……に、反応したのかな?
『ザ・イレイサーのことじゃない? ほら、シャルロット・ザ・イレイサー。王都ディース、ギルド本部のミスティック使い』
『ああ。そいつかもしれない』
そしてスエラさんの補足にまたもハルクさんが反応した。
……細かい感情までは拾えないけど、知ってる名前っぽいな。
『ふうん。シャルロットね……アカシャの冒険者ギルドが抱えるミスティック使いとしては最高位。それを王都から動かす程に大きな依頼があったかな……』
『キーパー。必ずしも依頼で動くとは限らんぞ。シャルロットはアカシャ北部、ノウ・ラース地方のユーネの出身だ。こっちの方向に動く分には里帰りもありうる』
『……そうだね。それもそうだ』
ふうん……?
いや、地理関係が全然解んないから、同意して良いのかどうかがわからないな。
地図が欲しいな……、世界地図、売ってなかったんだよね。
地域単位の地図ならあるけど、なんか縮尺がおかしかったし。
軍事情報扱いなのかもな。天気予報もとくにないようだし。
と言っている間に食事が終わり、後はそのまま解散の流れへ。
今使っていた食器類をマジック式食洗機で洗浄して、はいおしまい。
やっぱり便利だな。
『さてと。それじゃ、お疲れ様』
『ああ。お疲れさま』
今日の朝番はムギさんか。
スエラさんが挨拶して去って行き、その後すぐにヘーゲルさんも去って行く。
『…………、』
僕も僕であくびが出たので、今日は大人しく寝るとしよう。
お辞儀をすると、
『ああ。セタリアもお疲れ様』
『ゆっくり休みなさい』
ムギさんとカウランさんはそう言って僕に微笑みかけてくる。
と。
『私も少しストレッチかな。また後でね、カウラン、ムギ』
『うん? まあ、いいけれど。珍しいね、怪我か?』
『ううん。なんとなくの気分よー。セタリアくん、一緒にいきましょうか。途中までだけれど』
『…………、』
ハルクさんの提案に、こくりと頷く。
少なくとも断る理由はないし……。
でも、なんだろう。あえて僕についてくるって感じだよな。
奇妙な事になったな、と思いつつ、二人で揃って調理場を出ると、そのままスタッフ向けの階段を上って二階、三階へ。
水場の黒い扉の前を通り過ぎかけたその時――
『少し付き合ってくれるわね』
『…………』
――拒否権はなさそうだった。
僕は頷きつつもタオルを取ってくるからちょっと待って、とボディランゲージで伝えると、ハルクさんは僕の部屋の前までついてくる。
絶対に逃がさないって感じだな……。
まあいいや。
着替えとタオルを手にしたら、改めて一緒に水場へと。
そのまま脱衣所に向かって、僕は着ている服をさっさと脱いで、そのまま湯浴み場へと向かう。
一方、ハルクさんは僕が服を脱ぎ始めた時点で反対側を向いて、その場に座り込むと、緑と赤の渦を生み出していた。
どんなものかは知らないけれど、何かしら魔法を使っているらしい。
『私に使える結界系の魔法はたかが知れているけれど……脱衣所と湯浴み場を閉じるくらいならばできるのよー。これでカウラン達には聞こえないわ。だから、セタリアくん――いえ、フロスくん。少し確認しても良いかしら』
「もとよりそのつもりで着いてきたんでしょうに」
『ごめんなさいね。お詫びじゃ無いけど、湯浴みしながらでいいわ』
「…………」
本当にお詫びじゃないな……。
いやまあ、良いと言えば良いんだけど。
多感なお年頃の僕としては扉一枚向こうに、湯浴み場とは逆を向いているとはいえ女性がいると、ちょっとお風呂も入りにくいのだった。
「……まあ、良いです。で、何を?」
『例のお客さんよ。あなたから見て、その子はどういう子だったかしら?』
「どういう子……と問われると、ええと、金髪の少年ですか。僕よりもちょっと年上くらいかな……、心構えとしての気品があったと思います。あと、身につけているものはどれもこれも高そうでした」
『……そう。つまり、本物のユアン様だと思う?』
「僕はそもそも本物のユアン様を知りません。だから確実にとは言えません……が」
魔法で丁度いい温度のお湯を作り出し、シャワーのように浴びる。
うーむ。気持ちいいけどめんどくさい。
まともなシャワー設備がほしいな……、近いうちに作るか。
ポンプを使わないタイプで、蛇口ではなく栓のタイプなら工作の範疇で言い訳ができるだろう。
「本物だと思います」
『そう。根拠はあるかしら?』
「身につけているものが高そうだから……くらいですかね。確信は無いですよ。ただ、その子とハルクさんはほぼ確実に知り合いだろうとは思っています」
『……やれやれだわあ』
ハルクさんは降参、といった感情を込めてそう言った。
「僕は別にどうでもいいですからね……あの人が真実、ユアン王子その人だろうが、影武者だろうが、あるいは偽物だろうが。何もしてこないならば、僕も何もしませんよ」
『ふふ。そうね。……フロスくんの言い分を、あの子も信じてくれると良いんだけど』
「それは勝手にしてくださいって感じですよ」
魔法解除で水気を切って、そのまま湯船に浸かる。
心温まる感じだけど、会話はとげとげしいのがいまいち落ち着かない。
「それにしても、結界なんてことも出来るんですね、魔法」
『ん……ああ。これは魔法の一つでね、一定範囲を結界――鎖した空間――化できるのよ。そこそこ使い手が多いわ。お手軽に密談できるからね』
「一定範囲……、ですか?」
『ええ。素質次第だけど、私はちょうどこの水場を隔離するのが限界かな?』
「凄い人だと?」
『町単位で隔離しちゃうのもちらほら見るわね』
いや……どうなんだろう、その広さは逆に使えないと思う。
戦闘の痕跡を隠さないで済む……いや、戦場で使えば無関係な人が巻き込まれないとか、そういう方向で使うのかな?
だとしてもちょっと使い勝手は微妙そうだ。
『ねえ、フロスくん。あなたのこと、あの子にも言って良いかな?』
「できれば遠慮願いたいかな……、でも、そう僕が答えるのはわかっていて、それでも質問してきてるんですよね?」
『そうよー。無理強いは出来ないけれど――というか、私もあの子の疑問を解消して上げたいとは思うけど、だからといって虎の尾を踏みたくは無いわ』
「そうですか……うん?」
『え?』
あれ?
「すいません、今の部分、最後の方をもう一度繰り返してくれますか?」
『あら、翻訳面の問題かな? だからといって虎の尾を踏みたくは無いわ、って言ったわね』
「虎の尾?」
『ええ。虎って猛獣が居るんだけれど、それの尻尾を踏むと当然大変な目に遭うから、それは嫌よね、って感じの言葉ね』
「虎……、居るんですか?」
『ええ。国内にも生息しているわよ。高原地帯だけれど』
虎が居る……、ということは……、
「……じゃあ、取引しませんか? 僕のこと、あの子にならば話して良いです。そして僕は、あの子の正体については聞きません。条件は、可能な限りそれ以上には話さないこと。どうしても必要ならばあらかじめ僕に『あと何人に教える』と教えて下さい。誰に教えるかまでは言わないで構いません」
『……ふむ。で、私はそれに対して何を差し出せば良いのかしら?』
「猫って生き物を知ってますか?」
『ええ。可愛い生き物よね。アカシャには居ないけど』
…………。
アカシャには、居ない……?
『今の王様の前の王様が極度の猫嫌いだったのよ。それで猫狩り……』
「よし。殺すか」
『待って。ストップ。フロスくん。もう前の王様は死んでるわ。死人は殺せないでしょう?』
「…………」
『残念そう……! フロスくんの純粋な感情を初めて今感じてるけど、あなた、結構怖い子ね!?』
「…………。そんなことはありません」
落ち着こう。
死人は殺せない。残念だけど。うん。
『……えっと、おちついたかしら?』
「はい」
『……でね。その前の王様がしたことのせいで、アカシャ国内において猫は禁じられた生き物になっちゃってるのよ。別に法律があるわけじゃあないけど……』
「一匹でいいから……いやここは妥協して二匹で良いのでどうにか連れてきてくれません……? 海外からの輸入ってお金掛かりそうですけど、その、頑張って払うので……」
『さてはフロスくん、あなた、極度の猫派ね……?』
今更だ。
そしてこの機を逃してはなるまい。
いや待てよ、アカシャ国内に居ないと言うだけなのだ、ならば国外に行けばわりと頻繁に猫と遊べる……?
よし、一通り言葉を覚えたら異国を目指そう。そうしよう。
『あれ、なんだか今奇妙な危機感を覚えたわ……? えっと……、猫、猫を用意したらいいのね?』
「そうですね。そうしてくれると僕は大層喜びます」
『……そこまではやってあげるけど、その猫を飼うとなると、カウランが反対するかもし――』
「その時は僕が出て行きます」
『…………。わかったわ、説得も手伝うから、できればこのギルドハウスに居て欲しいなって……、だめかしら?』
「それならば構いませんよ」
よし。
これで猫とふれあえる。
それならば多少のリスクなんて吹き飛ばせる。
どんな子を連れてきてくれるかな?
楽しみだなあ。
『……うわあ。なんだろう。すごくご機嫌な気配が……』
「まだ何か?」
『……いいえ。なんでも。じゃあ、えっと……。私は部屋に戻るけど、お風呂、楽しんでね?』
「はい。そうさせて貰いますね」




