106 - 猫撫でる手の感触に
7月下弦27日。
この時期のクラはジメジメとした暑さが続き、いっそ雨が降るかもっとカラっと晴れたら良いのになあ、なんて事を考えたりもして、それって地球の家と同じような感じだなあとかも思いつつ……今日は、特に予定もないので、朝からずいぶんとゆったりと一日を過ごしている。
最近変わったことと言えば、大体一ヶ月前、6月下弦29日に、リーシャが錬金術の発動に成功した。これでロニを除く三人は錬金術師としての第一歩を歩み出したと言える。
で、フランカの錬金術はそこそこ進んでいて、最近は中和緩衝剤という概念とエリクシル――エッセンシアの入門編、の作成を試みているんだけど、これがなかなか上手く行っていない。『同別の法則』という応用は教えてあるし、それを使うとも教えてあるから、時間の問題だろうけれど。
ポーション類は概ね作れるようになっているほか、便利系錬金術ならば錬金鍋を介さずに行使できるようになりつつある。つまりポーションとかを作るときは鍋が居るけど、木材からちょっとしたテーブルや椅子を作ったり、あるいはテーブルや椅子の形を調整したり、木材に戻したりするだけならば不要って感じ。
おかげで拠点内の家具がかなりグレードアップして良い事だ。
ただし時々スカがあることはまだ改善しきれていない。思った以上の長期戦になるかもしれない。
一方、ライアンはというと、成功率だけで言えばフランカよりもかなり高い。マテリアルを認識する力に長けている……って感じ。『識者の物差し』や僕がかけている眼鏡の内、品質値表示の部分の原型となった表しのレンズを多少カスタマイズした『表しの虫眼鏡』あたりは既に使ってみて貰ったんだけど、識者の物差しは上手く機能しなかった。錬金鍋を介さず複数の道具をマテリアルとして捉えなければいけないのが厄介なのだろう。
『表しの虫眼鏡』の方はある程度機能していて、おかげでライアンがある程度品質値というものの概念を理解し、フランカやリーシャにアドバイスをしている様も時折見る。良い兆候だ。尚、当たり前のように使っていた『薬草』が実は謎の多いアイテムだと言うことも『品質値が存在しない』性質も含めて理解したようで、やや困惑している部分もある。
ならばリーシャはどうかといえば、まだ一ヶ月に満たないけれど、既に便利系の錬金術をかなり使いこなしている。ただし『マテリアルの認識』の部分に錬金鍋が欠かせないため、大きなものの作成には向いていない。
また、フランカやライアンの錬金術と比べて精密性や品質に優れていて、特に細かい装飾品を作り上げることに関しては既に二級品以上を軽く作れるほどだ。ポーションなどの作成はまだ成功率の面でかなり不安定だけど、『ふぁん』と成功した時は最低限のマテリアルから三級品程度のポーションが大抵作れるあたり、大分尖った才能を持っているらしい。
……つくづく、僕や冬華という錬金術師は『でたらめ』の部類だったんだなあと、他人に錬金術を教えることでようやく自覚する。冬華と違って僕は特に、他人に錬金術を教えるなんてしたこともなかったしなあ。
まあいいや。
次、キヌサの現状について再確認。
まず、先のミズイ、バンタによる侵攻をゴチエの干渉によって助けられた形のキヌサは、ゴチエに対して助太刀を感謝する旨を、アイラム・ノ・キヌサ、つまり御屋形様が直々に、諸勢力に対して正式に表明した。
本来ならば直接感謝を述べるのが筋ではあるけど、キヌサからゴチエを目指す場合、最短ルートはバンタを、サブのルートでもミズイを突っ切る必要があること、その二勢力を避けて移動するためには一度外洋に出て海路を取る必要があり、そうすると移動だけで何ヶ月もかかってしまうことから内政の停滞を呼ぶだけでは済まない。
よって外交……いやクラの中の話だから内政のような気もするけど、ともあれクラ国内外交チャンネルを使ってその声明を出したわけだ。
クラ国内外交チャンネルってなんだろうこの……、まあいいけど……。
また、正式な親書をクラ商人会・クラ冒険者ギルドを介して速達で送りつつ、それらとは別に親書を持ち、アイラム・ノ・キヌサの代理人として側近中の側近であるハイゼさんがゴチエへと向っている。
今回の戦争にクラ商人会やクラ冒険者ギルドは関わっていないんだけど、その直前に間者を入れてきていたことが判明している以上、この二つへの信頼がやや揺らいでいる。
だから今回、こうやって使う事で、信頼性を改めて確認しようとしているわけである――まあぶっちゃけ、クラ商人会にせよクラ冒険者ギルドにせよ、その辺の組織は全ての勢力に間者を入れてるだろうという点は僕が指摘するまでも無く皆が理解していたことだ。
だから今回の親書にしたって、信頼性の確認というのは『無事に届くか』とかの確認では無く、クラ商人会やクラ冒険者ギルドがそれを『キヌサによる不信の証である』ことを理解しているかどうかの確認という意味合いが強い。
ま、それが無かったとしてもハイゼさんはゴチエに向かうしかなかったんだけど。
なにせ他に適任が居ない。
政治に関わる感謝や話し合いに、特に政治に関与してきた経歴も無い軍人を送るというのも妙な話だし、実質的に古く尊き血を動かした張本人であるところの僕に至っては論外、キヌサの政治家でも軍人でもなく、表面上は『保護されている子供』だ。
ゴチエ……はともかく、古く尊き血の方は僕に会いたがるかも知れないけれど、少なくとも今回は諦めてもらう。
そのあたりも適切な時期を選んで会いに行く旨を堅苦しい口調で書いて、親書とは別にハイゼさんに託しておいた。
まあ、『また今度ね』で納得してくれるとは限らないし、むしろ『こっちは軍まで動かしたのに本人が礼もしないとはどういう了見だ』と言われてもおかしくないので、クラ金貨五万枚に当たる追加献金を添えてある。
それでとりあえずは納得してくれるとは思う。多分。
尚、古く尊き血への献金方法はいくつかあるけれど、今回は最も一般的な方法を敢えて使った。
その方法とは国際ギルド間取引で使われる手形を利用するものだ。
これは冒険者ギルドの依頼と似たような形で発行でき、また越境依頼と同じように全てのギルドに対して影響を発揮できる。ただし、越境依頼とは違って『依頼』としての機能は持たず、単にお金のやりとりを行う……、要は冒険者ギルドが管理し発行する小切手のようなシステムだ。
少額ならともかく、金貨五万枚という大金となるとだいぶ目立つし、クラ冒険者ギルドで僕がやると悪目立ちして大変なので、サムの許可を取った上でザ・オディール"アカシャ"としてあれこれ手配した。
冒険者ギルドのザ・オディールという名義だけではちょっと厳しい細工も、アカシャの王子という権力者が協力者として存在したならば余裕なのだ。
……資金洗浄という言葉が脳裏をよぎったけど、まあ、うん。
微妙に違うし。
より悪質とも言う。
「リリ・クルコウス。…………。ええと。大丈夫か、それは」
「もちろん」
そんな事を内心で考えている時点ですでに『ゆったりとした一日』では無いような気もするけれど、それでもキヌサ・ヴィレッジは屋形の近くに作られた公園広場の野原に横たわり、大量の猫に囲われて、あちこちで「にゃあ」やら「みゃあ」やら「ごろごろ」やらと、猫たちの安らぐ鳴き声を挙げているのを聞いたり、時折身体を僕に擦り付けたり、尻尾で腕をとんとんと叩いてきたり、積極的な子になるとお腹の上に乗っかってきたりする猫たちとの触れ合ったりしていれば、心も体も休まるものだ。
で。
そんな僕に話しかけて良いのかどうかと暫く悩んだ結果、まあいいかと結論したのか、ようやく声を掛けてきたのは三将が一人、『太刀風』、ケン・シーリンその人である。
「何かありましたか?」
「……いや。御屋形様と用事を済ませてきたところで、なにやら猫にまみれている君が見えたものだから、とりあえず声を掛けてみるか……と思ってな」
「そうですか……珍しいですね」
「うん?」
「いえ。これまでも大概似たようなシチュエーションをいろいろな人の前でやってきましたが、この状態の僕に話しかけることを躊躇って、見なかったことにして去って行く人が大半だったんですよ」
「だろうな。私にしても正直、直前まで悩んでいた。何か用事があるならばまだしもね」
本当に用事が無いのか……。
すごいな。
僕が猫と戯れている猫成分補給モードに本格的に突入しているとき、とりあえずで話しかけてくることができる人なんて、地球でもお母さんと洋輔、あとは……郁也くんくらいか……? 葵くんですら話しかけてこないもんな。
「それにしてもよく懐かれているなあ……。私も猫は好きだが、撫でてもあまり懐いて貰えなくてね。そのかわりに引っ掻かれたりはするのだが……」
多分撫で方が気に入らないとか、今は撫でられたくないってときに撫でたからだろうな……。
「シーリンさん、僕の隣に座ってみますか。たぶん猫も逃げませんよ」
「ふふ、それが本当ならば嬉しいのだが、猫が逃げ出してしまうかも知れないだろう。猫たちに囲われている君はとても無邪気な子供のようだった。ただでさえ、私は君が子供らしくある姿をほとんど見たことが無いからね。そんな君が子供らしく居られる場所を奪うのは忍びない」
それも紛れもない本心か。
けれど裏が強すぎる。
「理由としては綺麗ですけど、『猫に逃げられたら嫌われてるってショックを受けるからちょっと……』という内心を押し隠すには微妙に足りてませんよ」
「…………」
「ほら猫ちゃん、シーリンさんが座る場所を空けてね」
野良猫たちにそうお願いすれば、猫たちは素直に人一人が座れるような広さを開けた。
それでよし。
「どうぞ」
「……やれやれ」
おずおずと。
シーリンさんは野良猫の輪をかき分けて入ってくると、僕の横に腰を下ろした。
そんなシーリンさんの足に、一匹の猫が早速飛び乗ると、興味深そうにシーリンさんを見上げている。
「……あはは、いつもは『獲物を見る目』だったけど、今回はしっかり『興味の目』だなあ。こうも変わるのか」
「猫たちはとても気分屋ですけれど、機嫌が良いときはこうして色々と興味を持ってくれる者ですから。タイミングを計るのが肝要です。その子は首の後ろから指二本分背中側にゆっくりと撫でて上げると喜びますよ。三本目まで撫でると怒るので注意してください」
「判定がシビアだな」
「それが猫です」
恐る恐る、猫の首から背中にかけて、シーリンさんは優しく撫でる。
にゃあ、と野良猫は満足そうに鳴き、機嫌も良さそうに目を細めている。そんな様子に釣られてか、他の野良猫たちもシーリンさんを取り囲み始めた。なんだなんだ、面白そうなやつがきたのか、そんな感じに。
「猫に囲われて懐かれている……あれ、これは夢か……?」
「現実ですよ。ただし努々気をつけることです」
「え、何に?」
「猫たちはとても気分屋だと言いましたよね。猫たちにとってそれが心地の良いものならば、猫たちはとても可愛い生き物です。けれど猫たちにとって不快なことをすると、それはもう、猫たちは怒ります」
「つまり、ちょっとでも変なことをしたら、この子たちが一斉に牙を剥く? のか?」
「どちらかというと爪を出すって感じです」
「…………」
現在僕達の周りに居る猫の数は31匹。
内、シーリンさんを取り囲んでいるのは16匹。
如何に『太刀風』の二つ名を持つ武人であっても、16匹の猫が突然ひっかいたら結構なダメージになりそうだ。
「ま、緊張しないで大丈夫ですよ。よっぽど変なことをしなければ、単に逃げるだけで済みますから」
「そう、そうだよな……」
猫好きでも、猫と日常的にふれあってないとこのあたりの距離感は難しいしね。
僕の場合は猫好きをこじらせた猫煩いだし。うん。
「……ふっ。しかし、なんだかんだと言ってはみたが。話しかけてみて正解だった」
「猫とふれあえたからですか?」
「いや。私はこれまで、リリ・クルコウスという存在を掴みかねていた。子供の姿をしては居ても、百戦錬磨の武人を前にしているかのような緊張感さえ抱いたほどだ――実際、君の武芸は確かなものだった」
「最初期にお見せしたアレのことならば、武芸と言うより曲芸ですが……」
「それでも、見事に過ぎたのだ。妙な事を聞くが、あの時手合わせをした者のことを覚えているか?」
「ユーノ・バウトさんですね」
「…………」
答えると、あれ、と。
シーリンさんは虚を突かれたように、一瞬黙り込む。
「……驚いた。しっかり名前も覚えていたのか」
「そりゃあ。御屋形様の前で武勇を誇ることを許されるような人なのです。名前を覚えていないのは失礼ですよ。……まあ、それを言うならば僕は一つ謝らなければならないのですけれど」
「謝るとは、何のことだい?」
「……まさしく、三将の方々についてです。僕、三将の皆さんの名前を知ったのって、1月下弦の20日頃だったんですよ。それまで、誰も名乗ってくれなかったし、名前で呼び合っても無かったので……」
「ああ……あはは、それはむしろ、謝るべきはこちらだな。言われて見れば確かに、リリ・クルコウスと初めてあったあの日、名乗った覚えが無い。御屋形様からてっきり話が通っていると思い込んでいた。『担いの手』のにせよ、『鷹の目』のにせよ、恐らくそうだろう。すまなかった」
「いえ。あの時しっかり、僕の方から聞いておくべきでした。ごめんなさい」
頭を下げると、気にするな、と。
そんな頭を、撫でられた。
武人らしく手のひらは硬く、でこぼことしているようにさえ感じる――なのに、やはり、優しい気持ちにさせてくる。
これは猫達が身を委ねるのも納得だ……。
「ならば改めて。今更にも程があるが、名乗りを上げよう。私の名はケン・シーリン。頂いた二つ名は『太刀風』だ」
「リリ・クルコウス。特に二つ名はありませんが、『猫好き』です」
「良い名乗りだよ」
シーリンさんは笑って言う。
猫好きに悪人は居ないのだ。




