102 - 猫の手
5月上弦9日。
ふぁん、と錬金術の発動にライアンが成功。
リーシャはまだ発動に至っていない他、最初に錬金術を成立させたフランカも、未だに発動が安定していない。
そもそも、錬金術を習得した世界においても、錬金術師は珍しかった。
これはスタートラインの位置が才能に左右されるだけで、誰でも最終的には習得しうる技術でありながら、その殆どが感覚的なものに左右されることから師事も困難であったからという側面ももちろんある。
けれどそれ以上に、錬金術は『安定化』が難しいという大問題を抱えていた。
一度錬金術の発動に成功したならば、その感覚は忘れることがない――けれど、毎回安定して発動させることが出来ると言うわけでもなく、数回試行して一回成功できる程度で止まってしまう人も多かった。
実際、錬金術師ではなくても錬金術を使える人物が希にいたのは、そういう人が大半を占めていたわけで。
もちろん、これも習熟である程度解決できることである。
しっかりと意図を持って錬金術の行使を繰り返していれば、その成功率はどんどん上がっていくし、今のフランカのように十回に一回失敗する――裏を返せば十回に九回は成功する、程度の成功率は確保できる。
ただし成功率が確保できても、錬金術師は次の不安定との戦いが始まるのだ。
つまり、品質である。
錬金術による完成品の品質はブレやすい。
全く同じ条件でやっているつもりでも、品質値が3000から6000まで上下するなんて事はザラにある――だからこそ品質の等級という概念があったとも言える。
品質の安定化を図るためには、マテリアルを追加するのが一番手っ取り早い。
これは品質が低ければ低いほどブレ幅が大きくなり、高くなれば高くなるほど小さくなるという性質がそうさせるだけであって、根本的な解決とは違うので注意が必要だ。
ではどうやれば品質を安定させることが出来るのか?
答えは単純、才能だ。
この点に関しては冬華でさえも覆すことが出来なかった――やっぱり、錬金術に向いている、あるいは向かないという才能は存在していて、それによって『並の錬金術師』で終わるか、それとも更に次のステージへと進むことが出来るかが決まってしまう。
……ちなみに、今更だけれど、僕の場合はこの錬金術師としての才能にとことん恵まれていた。それは換喩であったり生成であったり、そういう本質的な僕個人の素質の方向性も含めての話で、スタートラインがそもそも『並の錬金術師』と横並びかあるいは一歩踏み出している程だったし、すぐに次のステージへと進んでしまったわけだ。
一方で冬華は比較的一般に近かったんだけど、他人の才能を模倣し再現することにとても長けていたから、あっというまに並の錬金術師を越えてしまっていた。
じゃあ洋輔はどうだろうか?
結論から言えば、洋輔には『並の錬金術師』としての才能はあってもそれだけで、次のステージへと進む道は見えても、そこを鎖す門を開ける術を持たないタイプの才能だ。門を通ることが出来ないから、そこ――『並の錬金術師』でおしまい。本来ならばそうなるはずだった。
が、洋輔は僕と使い魔の契約を交わしたことで、僕と精神の一部を共有した。その時、僕の中に洋輔の一部が混じったように、洋輔の中には僕の一部が混じっている――お互いをつなぎ止める楔として、魂そのものに打ち込まれている。
だから洋輔は、他の錬金術師とはやや違う方法で、先へと進むだろう。『並の錬金術師』を阻む壁を尻目に、『その先』へと進むための門を、僕という鍵を使って開き通ることが出来てしまう。
……という確信はあるんだけど、まだ洋輔側からの反応がない。
思ったよりも時差が大きいのかな……、やっぱり来年までかかる、程度の覚悟はしておいた方が良いのかもしれない。
その頃、フランカ達の錬金術がどこまで育ってるかが見物だな。
一方、苦戦中のリーシャはというと、そもそも苦戦する理由が彼女にはあった。
「ただいま……」
「おかえり、リーシャ。具合はどう?」
「ぼちぼち悪いわね。なかなか色の良い返事は無いわ」
リーシャを苦しめているもの。
地球の現代日本では、それを就活と呼ぶ。
で、リーシャはまだ少女と表現できるような年齢であり、クラにおいては子供扱いされるお年頃だ。
しかもクラというお国柄もまた厄介で、ちらほら内戦が起きていることもあって、なかなか余所者に厳しいのだ。
「どうしようも無くなったら、屋形で働くという手をハイゼさんが用意してくれては居るんだけれど……」
「宮仕え、気乗りしないわね……いくらクラの一勢力にすぎないとはいっても、それでも一勢力の長の近くに違いは無いし、ともすればあの国が目を付けるかも知れない。木を隠すなら森の中――でしょう?」
「それがあの実験都市の常識なのだとしたら、逆に死角になるかもしれないよ。堂々とそんな場所で働いているわけがない、別人だって」
「そうね……それもあるわね……」
はあ、とため息をついてリーシャはソファに座った。
尚、このソファは説明を兼ねてつくった家具一式の一つである。
王宮に置かれていてもなんら不自然のない高級品があるという不自然な状況になっているけど、まあそれはそれ。
「けれどリーシャも、他の二人も真面目だよね。ちゃんと働こうとするなんて」
「そういうあなたが不真面目なのよ。……といっても、現実として今一番働いてるのがあなたなんだけど」
「猫と同じで、僕は居場所を提示してくれる相手に恩義を感じているのさ」
「猫ってそういう恩義を感じる生き物だったかしら……?」
「猫達は結構義理堅いんだよ。伝わりにくいだけでね」
尚、最近は定期的に野良猫たちを集めてぼんやりする時間を取るようにしている。
……その結果、なんだかキヌサ・ヴィレッジの街では『例の猫少年』と呼ばれているようだけど、まあ、それはそれと言うことで。
「でも実際問題さ、金銭面なら気にしないでも良いのに」
「あなたが居る間はそれで良いけれど、私達が死ぬまで一緒に居てくれるわけじゃあないでしょう? いつ居なくなるともわからないものをあてにできないわ。ましてや、ロニが死ぬまでだったり、あるいは私が産むかも知れない子供や、出来るかも知れないロニの妹弟、ロニの子供達……って考えると尚更ね」
「まあ……ね」
去る時がきたら、相応の資金は残しておこうっと。
ま。
「遠い未来のことだと思っていつまでも後回しにしていたら、手遅れになっても気付けない。私は少なくともそう思っているし……だからこそ、頑張っているんだけど。ほんと、なかなか上手く行かないわ」
「そうだね……僕も見習わないとなあ」
後回しにしていたら、手遅れになっても気付けない……か。
「その点では、私も錬金術を習得しないといけないんだけれど。あっちの鍋が変わってるって事は、ライアンも成功させたのね」
「うん」
「あとは私だけか……」
「あまり根を詰めないでよ。ライアンにも出来たんだ。リーシャにならばもっと余裕で出来るようになるよ」
「…………?」
――スタートラインが違うから。
僕は内心でそう付け加えつつ、さて、と立ち上がる。
「ご飯は用意してあるよ。そろそろライアンとフランカも買い物を済ませてくるころだろうから、帰ってきたら皆で食べてよ」
「そうさせて貰うけれど、リリは食べないの?」
「この後『担いの手』タンタウト・ガーランドと面会。ハイゼさんを通してあっちから会いたいって言ってきてるんだよね」
「……なんだか面倒事そうね」
同感だ。
けれど行かないという選択肢は取りようがない。
「頑張ってね。けれど無理は禁物よ、『猫の手』リリ・クルコウス」
「…………」
何その二つ名……。
◇
というわけで同日、20時。
夜中では無いとは言え、ほとんどの一般家庭では既に寝支度が始まっているような時間帯、しんと静まった屋敷の、指定された一室に向かうと一番乗りだった。
ので、下座で待機。
殆ど時間をおかずにやってきたのがハイゼさんで、それから五分もしない間に、僕を呼び出したタンタウト・ガーランドさんが到着。
「突然呼び出してすまない。応じてくれたことにまずは感謝しよう」
「いえ。何がありましたか?」
「その話をする前にまず一つ前提を置きたい。この場でこれから話すことは、御屋形様を除く誰にも知らせてはならぬ」
…………?
「つまり、三将の残りお二方さえも伏せる……のですか?」
「そうだ」
「物騒なことで」
物騒、と暗にハイゼさんが批判すると、ガーランドさんもそれを認めるように頷いた。
よほどの事態が起きているようだ。
「まあ、良かろう」
「僕も秘匿についてはお約束します」
「助かる――本題。ミズイがどうも『古く尊き血』との連携を模索しはじめている節がある。この動き、察していたか?」
「……何?」
古く尊き血……か。
「それは真か、ガーランド」
「少なくとも私の子飼いはそう結論せざるを得なかったのだ、ハイゼ」
「…………、確かに、今のミズイならば古く尊き血を迎える資格がある。まるっきり夢物語と言うこともないが……」
古く尊き血。
朝廷、と僕は訳したけれど……まあ、その実質的なところも本当にそのままというか。
古く尊き血は自身が武力を持たず、それを持つ大名貴族の庇護を常に求めている。
そうすることで古く尊き血は勢力の隆盛と関係為しに生き残り、また古く尊き血を抱えることになる勢力は、古く尊き血という絶対的な正当性の名の下に、他勢力に対して強く出る事が出来るわけだ。
例えば。
ミズイが古く尊き血を無事に迎え入れることができたならば、未だに併合し切れていないジワーの抵抗を瞬時に消滅させ、完全にミズイの一部へと変化させるだろう。
そしてミズイに接している多くの小勢力はまともに戦うことも出来ず、古く尊き血の威光の前に跪く形でミズイの一部として併合されてしまうと思う――このあたりで僅かにでも抵抗が出来るかどうかの分かれ目は、兵力五千を重く感じるかどうかって所だろう。
そういう意味で見るならばキヌサというこの勢力は余裕がある。
たとえミズイが古く尊き血を迎え入れたとしても、すぐに膝を折ることは無いし、なんならミズイに対して反発を続ける事も出来るだろう。
それでも軍の士気は駄々下がりになるだろうし、民心も動揺する。抵抗できる時間には限りがある――その間に古く尊き血をキヌサに迎えるか、ミズイから追い遣る位のことはしなければならない。
……けどまあ、それはそもそもミズイが古く尊き血を迎え入れたらの話。
ガーランドさんやハイゼさんもそれを理解していて、だからこそここで内緒話にしているのだろう――判断に困っているのだろう。
ミズイにその資格があったとしても、ミズイにその『資金』があるのかと。
「旧イキ領の港を使って貿易を始めている……というのは察知していますけれど、まだ明確な稼ぎにはなっていないはずです。そもそも旧イキ領では今のミズイの統治に不満が溜まってますから、民も面従腹背でした。やや勢力としては不安定な状況にあります――」
だから前置きをして、二人の様子をうかがう。
続けろ、と二人共に頷いたので、問題視している部分が一致していると判断。
「現状のミズイでは古く尊き血を迎え入れることは叶わない。少なくとも表面上ではそう判断するのが妥当であるはずです。戦力的な資格はともかく、古く尊き血に貢ぐ資金が伴っていませんし、それを整えるまでにはかなりの時を要するはずです。ただ……あくまでも可能性としてではありますが、ミズイが『己の繁栄か、あるいは己の滅亡か』の両極端な選択肢を採るならば、この評価は変わります」
「異勢力に攻勢を強めると見るか? だがそれで領地を奪ったとしても、すぐさま金にはなるまい」
「領地は金になりませんが、そこで生きている人ならば別です。貿易港を抑えている以上、奴隷貿易という形で『人を売り出す』ならば、資金はみるみる貯まるでしょうね……」
「……なるほど。滅亡とはそういう意味か」
敵勢力を攻め、人を捕らえ、捕らえた人の内従順なものは手元に置き、そうでないものは売り払う。
奪い取った敵勢力の領地には、信頼出来る将兵を置いて管理させる――もちろん、この方法を取れば、短期的にはともかく、長期的には損をするし、人口の増加量も少なくなる。
獲得した領土に対して得られる人口が少ないならば、その分だけ捻出できる兵力は落ちる――領土が広くなってもそれを守る兵が足りないという状況に、遅かれ早かれ陥るだろう。
けれどまあ、そんなことを繰り返していれば、ミズイの側の国から人は自主的に退避するだろう、そして退避した先で反ミズイとして連動するだろうし、ミズイの内部でも徐々に人が足りなくなるから、領民にかなりの無理をさせる。その状態で古く尊き血をまともに守り切れるだろうか?
ミズイ自身は守り切るという自信を持てたとしても、古く尊き血は違う結論を出すだろう。
「だからこの線は強行するならばこうなるだろうという推測に過ぎません。実際には不可能でしょう」
「だとしたら、現状は無害か」
「いえ……より深刻かと」
そしてこのあたりはミズイ自身が一番検討を繰り返したはず。
その上で動いたならば、その先も考えなければならない。
「ミズイのその動きに、現状、古く尊き血を擁するゴチエが対応しないわけがない。ゴチエとしては一刻も早くミズイの動きを潰そうとするでしょう。ミズイはそれを解っていても動いたと考えなければならず――ゴチエの兵力は少なく見積もって十二万。ミズイの兵力は甘く見積もって六万……この戦力差をひっくり返せる、あるいはなんとか出来る『何か』をミズイは持っているということになります。それはキヌサにとっての危険である可能性がめっぽう高い……」
僕の推理に、ガーランドさんとハイゼさんがため息交じりに首を振った。
やはり。
この二人は以前にこのテーマを話したんだろう、その上で一つの可能性として近しい答えは出たけれど、裏付けが無いと。
「リリ・クルコウス、すまぬがこの件で探りを入れてもらいたい」
「はい。裏付けを取ってきます」
「時間はどの程度掛かるか?」
「十日ほどはかかるかと」
「あい解った。ならば下弦20日、この時間、この場所にて報告して貰う。ハイゼ、良いな?」
「無論。では他の三将二名には内密のまま、行動を頼もう」
「はい」
……なるほど。
三将の全員に僕のチャレンジを共有しないのは、警戒しているからか。
僕の失敗を。
そして、残る二名の内通を。




