第3話「処女を探せ」
僕は喜んだ。
歓喜した。
神の存在をたたえた。
これで苦しみから解放される!
迷わずに「はい」と答えそうになって、そこで僕は一瞬だけ躊躇した。
スキル 基礎体力
詳細説明
体力を30底上げします
効果は永続します
発動すると失われます
発動しますか?
はい
いいえ
詳細説明をよく見る。
体力を30底上げする、というのが基礎体力スキルの効果であるらしい。
僕の体力はおそらく80。
発動させれば110になり、この体が持っている本来の体力を上回る。
命の危険はかなり遠ざかるだろう。
それは間違いない。
しかし。
ゲーマーとして考えるのならば、その選択はあまり合理的ではない。
体力値が不変であれば問題ない。
すぐに使うべきスキルだ。
体力値が変動するものであるなら話は違ってくる。
自力で鍛えられるだけ鍛え、限界値付近まで達してから使うべきスキルだろう。
たとえばレベル1、レベル限界値100のプレイヤーがいるとする。
彼のレベルを1から31にする。
これは簡単だ。
序盤の経験値は入りやすいと相場が決まっている。
逆に、レベルを70から100にするのは難しい。
終盤の経験値は入りにくいものだ。
レベル97まで上げてようやく折り返し地点だなんてゲームもある。
このゾーンを突破するために、基礎体力スキルはとてつもなく有用に感じる。
80の体力を鍛えて110にするのは簡単そうだ。
伸ばせるものであれば。
この体は贅肉だらけだから、鍛えれば強くなるはず。
伸びしろは健常者の比ではない。
170の体力を200にするのは難しい。
人を超える努力がいるだろう。
生活のすべてを訓練にささげて、それでも達成できるかどうかわからない。
その壁を。
スキルなら一足飛びにできる。
悪手だ。
ここでスキルを使うのは間違っている。
僕の理性は断じた。
後日使うべきだ。
基礎体力のスキルは、どう考えても今すぐ使うべきではない。
だ、だが。
僕の本能が叫んだ。
僕は死にかけているのだ。
命の危機だ。
もったいないと出し惜しみしている時ではない。
死んだらそれで終わり。
そのような状況下で、手段を選ぶような余裕が僕にあるというのか?
僕は決断を下した。
発動しますか?
→はい
僕はそれを祈った。
なんとなく発動した感覚があった。
体が楽になる。
荒かった呼吸が整い、自然なリズムを刻む。
心臓も痛くない。
血が巡っている。
汗だくで体が重いのは変わらないが、不快というほどではない。
僕は身を起こした。
立てた。
今度はこけなかった。
深呼吸をして喜びをかみしめる。
人として歩けること。
それがこんなにも大切だとは知らなかった。
体力を減らすとか。
バカか。
パラメーターのうちで、この値こそが最も重要ではないか。
まあいい。
取り返しはつく。
この醜い体だって、鍛えれば多少はましになるかもしれない。
僕はドアノブを回し、異世界生活への第一歩を踏み出した。
部屋から出たとたんに記憶が流れてくる。
空気が新鮮だ。
掃除がいきとどいている。
窓は開け放たれ、外の風が常に入ってくる。
今だから気づけるが。
僕の部屋にはセックス後の体臭が満ちていたため、非常に居心地が悪かった。
外は違う。
部屋の外には自然の匂いが満ちている。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
僕は自然に挨拶をした。
メイドである。
伝説の生メイドである。
メイド喫茶にいるような偽物ではない、リアルで訓練されたメイドだ。
エプロンドレス。
三つ編み。
整った風貌。
年のころは16、7といったところ。
なかなかの美少女である。
胸もある。
ぜひともお相手願いたい。
「……?」
ガン見していることに気付いたのか。
メイドは怪訝そうな表情で首をかしげている。
「その……なにか粗相がありましたでしょうか?」
「いや。そうではない」
「メイジー様はお帰りになられました」
「それは知っている」
「では、夜伽のもうしつけでしょうか。今夜ならば空いております」
「……いや、いい」
僕は急速に興味を失った。
処女ではないのか。
童貞を失うのであれば、その相手は処女でなければならない。
世界が滅びても変わらない鉄則である。
ざっと記憶を洗ってみる。
僕ではない、この体の持ち主であるウォーレンが持っている記憶だ。
ここは学生寮。
その中でも上級貴族用に建てられた、多人数で住むことを想定された家だ。
人数制限は10名。
そのうちメイドが3名。
メイド長が1名。
全員が僕のお手付きであるらしい。
クズが。
このクズが!
なぜ一人ぐらい残しておかなかった!
処女がいないなんて。
悲劇だ。
僕はどこで性欲を発散すればいいのだろう。
メイドは全員美少女であり、きっちりと顔採用で選び抜かれている。
うぜえ。
貴族くたばれ。
今の僕は貴族だが。
性生活でおいしい思いをしている相手には殺意が沸いてくるのだ。
ウォーレンの笑い声が聞こえる。
童貞とか。
童貞が許されるのは小学生までだよねー。
煽りを入れてくる別人格を脳内で蹴りつける。
豚の悲鳴が聞こえた。
ざまぁ。
どうやら体の主導権は僕にあるらしい。
というよりも、僕と彼が混じり、その残滓が別人格として残っている。
そんな感じだ。
悲しんでいる時にも腹が減るように。
僕とウォーレンは一つの体の中で矛盾なく両立している。
彼は僕であり、僕は彼である。
そこに違いはない。
ある意味では高校生としての僕はすでに死んでいる。
ウォーレンも同じ。
二つの人格が溶け合い、記憶だけを共有する全くの別人が生まれた。
そういうことなのだろう。
僕が愛するものは彼も愛しているし、彼が愛するものは僕も愛している。
自分の成り立ちはわかった。
しかし、このぶよぶよした醜い体。
これは許せん。
誰がなんと言おうと。
やせる。
やせずにいられるか。
僕は新しい自分に生まれ変わるためにダイニングルームへと向かった。