第7話 最初の席
4月。新学期が始まった。
「行ってきまーす!」
夏樹はすっかり体調も回復し、いつもどおり学校へ通えるまでに回復した。
「行ってらっしゃい。車に気をつけてね!」
由利は元気そうに手を振る我が子を見ながらほっと一安心した。でも、まだ夏樹にチョコレートアレルギーのことは言えずにいた。言いにくいと祥夫に相談すると、普段から何でも由利任せにしている部分が大きいことに加えておそらく今回のことはさすがの夏樹も反発するだろうと予想して、祥夫のほうから夏樹へと説明してくれると言った。普段から何かと忙しい祥夫は家庭のことは由利に任せきりだが、いざとなると行動してくれる。
陽乃はというと、あれ以来まったくチョコレートのお菓子やケーキを家では食べなくなっていた。陽乃にも気を使わせてしまっていることに由利は少し心苦しさを感じていた。
「お母さん、通れないってば!」
陽乃にドンドン背中を押されて由利は自分がボーっと玄関に突っ立っていたことにいま気づいた。
「あぁ、ゴメンゴメン! さっ、気をつけて行ってらっしゃい」
「はーい! じゃあね!」
陽乃も元気そうだ。夏樹が入院しているときは何かと落ち着かないところもあったが、退院してきたときは本当に嬉しそうだった。
「お母さん」
門を出てから陽乃は振り返った。
「なに?」
「大丈夫?」
「何が?」
「お母さん。最近、夏樹のことばっかり考えすぎてない?」
その一言に由利は衝撃を受けた。自分でもそう感じていたが、まさか娘に気を遣わせるほど顔に出ていたとは思わなかった。
「そんなことないわよ! 陽乃ったら気にしすぎ!」
「本当?」
「本当よ」
陽乃はニコッと笑って「それならよかった! じゃあ、行ってきます!」と手を振って走って行った。
「車に気をつけなさいよ〜!」
「わーかってるー!」
夏樹は大丈夫。
チョコレートさえ食べなければ大丈夫。
学校の先生にも伝えておいた。
大丈夫。
由利は陽乃の背中を見送りながら、何度も心の中で繰り返した。
夏樹は富樫小学校の中校庭でクラス分けの発表を待ち構えていた。夏樹たちの学年は5クラスもある。なんだかテストが返ってくるときよりもドキドキする。
「なっつきー! おはよう!」
「あっ、ユウ! おはよー」
4年生のときに一緒だった坂上優翔が声をかけてきた。
「今年はどうだろ? 夏樹と同じクラスになれるかな?」
「なれるといいよなぁ。5分の1の確率だから、微妙だよな」
「朝倉くーん! おはよぉ!」
バシーンと夏樹の背中を思いっきり平手打ちして現れたのは同じく4年生のときに同じクラスだった和田ちひろだった。
「ちぃ、おまえ相変わらず元気なのな」
「あたしは元気だけが取り柄だもん!」
ちひろはニコニコしながら夏樹と優翔の間に割って入った。
「おい、ちぃ! 俺と夏樹が一緒に話してんだぞ! 間に割り込むなよ」
「うるさいわね〜、小さいことをグチャグチャ言ってるとモテないよ?」
ギャアギャアと言い合いを始める二人。いつもこうだ。去年も何十回とこの光景を目にしてきた。
「あ、おい! 二人とも! クラス発表だぜ!」
夏樹が制裁をするように玄関を指差した。先生たちがゾロゾロと模造紙を持って出てくる。
「やっべぇ〜、緊張する」
夏樹は大きく深呼吸する優翔を見てクスッと笑った。
バラバラと模造紙独特の音がする。
5年1組。朝倉という字は見当たらない。
5年2組。ここにも朝倉という字はないし、坂上、和田の字もなかった。
5年3組。
「あーっ! 俺だけ3組じゃあん!」
優翔が頭を抱えて大声を上げた。5年3組11番、坂上優翔の名前がある。
「あーあ。ユウ、空気読めよ〜」
夏樹がケラケラと笑った。
5年4組。和田という字も、朝倉という字もなかった。
「きゃーっ! 朝倉くん! あたしたち、2年連続同じクラスだよ!」
「よっしゃあ! ちぃ、やったな!」
意気投合する二人を優翔は恨めしそうに見つめる。
「二人だけ盛り上がりやがって〜……うらめしぃ〜」
「キャーやだっ! 朝倉くん、逃げよ逃げよ! 暗いのが伝染っちゃう!」
「待てよ! 人をバイキンみたいに扱いやがって!」
3人は中校庭をグルグルと駆け回った。
8時40分。
クラス発表が終わって教室へと向かう夏樹。廊下は春休み前にやった油掃除のおかげでツルツルになっていて、その油の匂いがかすかに残っている。新学期という雰囲気がして、とても好きだ。
5年5組の教室は北校舎の一番東側。南校舎とも適度に距離があるので日当たり良好。窓際だと給食の後は眠くなるかもしれない。
「あたしは和田だから、一番廊下寄りの一番後ろ。朝倉くんは?」
「俺は一番窓際の後ろから二番目」
「なぁんだ。じゃあ、今度席替えで近くなろうね!」
「なれたらいいな。じゃあ、また帰りに」
「うん。また後でね」
ちひろと別れてから、夏樹は自分の席へと着いた。やがて担任の先生が入ってきた。
「はぁい、それじゃあホームルーム始めようか。まず、先生の紹介しておくね!」
「知ってるからいいって〜!」
何人かの生徒から同じ声が飛んだが、その女の先生はニコニコしながら続ける。
「うるさいわね〜、先生のこと知らない子だっているでしょ! さっ、自己紹介するから静かにする!」
そういうと、先生は黒板にこれでもかと言わんばかりに大きな字を書いた。
「5年5組の担任になりました、大迫美智子と申します! 1年間、よろしくお願いします!」
「お願いしまーす!」
生徒たちから元気よく返事が来たのに満足そうな美智子はさらに続ける。
「はぁい! それじゃ、出席番号1番の人からちょっとでいいから自己紹介してもらおうかな!?」
来た。
夏樹はこの自己紹介っていうのが一番苦手だ。どうやって自分を紹介すればいいか、未だに少し困る。
しかし、残酷にも夏樹の苗字は「あさくら」なので考える暇もないくらいにすぐに順番がやってきた。
(まぁ、名前と好きなスポーツ、好きな教科と苦手な教科、好きな食べ物くらい言っておけばいっか)
「出席番号4番、朝倉夏樹で――」
ガタン!と音がしたので夏樹やクラスメイトは思わずそちらを見つめた。
「なっちゃん?」
「へ……? こ、ここで何やってんの?」
夏樹の斜め前の席。
そこにいたのは、紛れもなく岡本明日香だった。
まさかのまさか、明日香と夏樹は同じ学校で同じクラス!? 何やら一波乱起きそうな予感。