第70話 真実の席〜記憶の偽装〜
「夏樹、歩いて大丈夫なの?」
由利が心配そうに尋ねる。
「大丈夫だよ。だいぶ安定してきたから」
「どこ行くの?」
綾音がもっと心配そうに聞いてきた。
「姉ちゃんが話があるって言ってるから。姉ちゃんといるなら安心でしょ?」
「まぁ……そうやけど……」
「大丈夫。すぐに戻るから」
「わかった」
綾音はなんとか不安げな様子を隠しながら、夏樹を見送った。
談話室には陽乃はいなかった。いったいどこにいるのか。場所をよく聞いていなかったことを思い出した夏樹は、しばらく院内をウロウロと歩き回った。
「あ、いたいた」
談話室とは反対側の棟に位置する展望ルームに陽乃がいた。ここは七海市内が一望できる場所で、夜になると患者さんがいつも何人か夜景を楽しみにやって来る。けれども、昼間は人気があまりない。
「姉ちゃん」
「あ、来た来た」
「何なの? 話って?」
「ま、いいから隣座りなさいよ」
「うん」
夏樹は陽乃の隣に座った。陽乃はソワソワとするものの、なかなか話を切り出そうとしない。仕方なく、夏樹のほうから話し始めた。
「で? 話って何?」
「……あのね」
「うん」
「単刀直入に言うけど、いい?」
夏樹は一瞬戸惑ったが、陽乃は冗談でこんなことを言う姉ではないと知っている。夏樹は「いいよ」とハッキリ、ゆっくり答えた。
陽乃はスゥッと深呼吸を1回してから、ハッキリと言った。
「夏樹。アンタは間違ってる」
「……どういう意味?」
夏樹は突然「間違ってる」と言われて意味がわからなかった。何を間違っているのだろうか。
「いい? 落ち着いて聞いて」
「……。」
「明日香ちゃんは……アンタのせいで死んだんじゃないの」
夏樹の目が明らかに動揺した。目が泳いでいて、陽乃と視線が合わない。しかし、口調は気丈に続けた。
「どういうことさ、それ」
「アンタは自分の言葉が明日香ちゃんを追い込んで、自分の行動が明日香ちゃんに止めを刺したと思ってるみたいだけど、それは違う」
「じゃあ何? 誰のせいだって言うのさ」
「そもそも、自殺の前に何があったか、アンタは覚えてないの?」
「え?」
「思い出せない?」
何があったのか、夏樹はサッパリ思い出せずにいた。ただ、夏樹が明日香を連れ出して病院を抜け、火の見櫓に連れて行った後から明日香が亡くなるまでの記憶は確かに曖昧で、時間がテレビの砂嵐のように乱れている印象があるのも事実だ。
「わかんないよ、そんなの……」
「じゃあ、思い出させてあげられるんだけど、どうする?」
陽乃はカバンから一枚の紙を取り出した。淡い青色をした紙。その紙を受け取れば、真実がわかるとでも言うのだろうか。
夏樹は5分近く、無言でその紙を見つめた。陽乃も黙ってその紙を見つめ、対峙し続けた。
「見せて」
ハッキリと不意に夏樹が呟いた。陽乃は黙ってその紙を渡す。
「これ……」
それは、中学生の夏樹が書いた、明日香宛の手紙だった。
岡本 明日香様 2004年4月22日
こんにちは☆
すっかり東京は春めいてきました。桜前線はまだ上がってきてないけど、このあいだ、蟻が庭を歩いているのを見ました。
秋田は……どうですか?
今日の天気予報ではまだ雪ダルママークが東北地方には並んでいたよ。
もうすぐ、中学校の入学式です。明日香も入学式、9日だって言ってたね。俺と一緒♪ それだけで、なんだか嬉しいです(笑)
本当言うと、明日香と一緒の中学に入りたかった。でも、俺の病気も一段落したしね。一段落したら、戻るって父さんと約束してた。
明日香も早く、病気治してこの街に……七海に戻ってきてください。
明日香と一緒の学校に通える日を、楽しみに待っています。
朝倉 夏樹
「これ……俺が、明日香に?」
「そうよ。この手紙、アンタが明日香ちゃんに送ったの」
病気。治療。おそらく、この病気とは拒食症のことを示しているのだろう。4月12日。夏樹が騎士、なぎさと共にお見舞いへ行った日の1週間前である。そして、お見舞いが4月19日。夏樹の記憶が次々と鮮明になる。
4月1日。治療のために、明日香が七海を去ることになった。奇妙な偶然で、明日香の転院先は秋田県。そして4月12日。初めて夏樹が秋田にいる明日香へ手紙を送った。4月19日。一時帰宅のために病院ではあるが、明日香が七海へ戻ってきた。そして翌20日。夏樹は二人きりの座席へと明日香を連れて行く。その後、1週間近く会えなくなっていたのだが、それは症状の悪化によるものだった。確かに祥夫に明日香とは会うな、と言われたのは事実である。しかし、言われていなかったところで会えるはずなどなかったのである。
夏樹の混乱ぶりを久しぶりに目撃した明日香の精神状態も不安定になり、外へ出ることすら困難な状況となったのだ。そんな状況下で夏樹との接触を断絶されたことにより、明日香がショックを受けてますます不安定になり、やがて自殺へと至ることになったのだ。
夏樹の脳裏にその数十日間の記憶が一気に流れ込んできた。
「ウ……ソ……だ……」
「夏樹。ウソじゃないの。これが本当なの!」
「ウソだ! じゃあ……俺が、明日香を殺したんじゃなくって……明日香は、自分で死を選んだのか……?」
「……違う」
陽乃は小さく首を横に振った。
「なんで? なんでそう言い切れるのさ?」
「それは……」
「それは、私から説明させてくれるかい?」
振り向くと、玲子が廊下に立っていた。その右手には、手紙が握られている。
「夏樹くん。これを読んで」
玲子は手紙を一枚、夏樹に手渡した。
「本当のことが、ここに書かれてるの」
夏樹はゴクッと唾を飲み込んだ。これを開けば、真実が見えるのだ。
「……夏樹」
陽乃が心配そうに声をかけたが、夏樹は「わかってる」と答え、その手紙を開いた。




