第68話 参列席
「な……つき?」
優翔もドアの音に驚いて振り向いてみると、夏樹がいたのでようやく来たのかという感じがしていた。しかし、その手にナイフが握られていることに気づき、背筋がゾクッとした。
「夏樹が来たよ、お母さん」
「あら、本当。ここに来るように言って」
夏樹がスッと歩いてくる。陽乃は呼び止めようとして、その光のない瞳を見てドキッとした。そして、手にはナイフが握られている。
「夏樹……な、にしてんの?」
由利も夏樹の異常さに気づいて呼び止めようとした。
「夏樹! 何やってるの!?」
「うるさい!」
バッとナイフを向けた。悲鳴が上がり、参列者が立ち上がって夏樹のところから離れる。
「夏樹! どうしたの!? 落ち着きなさい!」
「うるさい! うるさい!」
ナイフを振り回すので、とても近づけない。
「来るな! 来るな……近づいたら」
夏樹が自分の喉元にナイフを突きつけた。
「これで……一度で喉を切ってやる!」
「夏樹……」
陽乃も恐ろしさのあまり近づけない。前列にいたちひろ、恭輔、騎士、なぎさも固まって動けない。誰もが動けずにいた。
夏樹は無言で喉にナイフを突きつけたまま、明日香がいるところに移動する。
「どいてください」
お坊さんに夏樹は冷静に言った。しかし、お坊さんは動こうとしない。
「どうしたんだい。そんなものを持って」
「どいてください」
「理由を聞かないと、どけないな」
「……。」
「君は……ナツキくんは明日香さんのお友達かい?」
「……。」
「教えてくれないかな」
夏樹は自然と口を開いていた。
「俺にとって……明日香は、大切な人です」
「そうか……。それで、ナツキくんは明日香さんの傍に少しでもいよう。そう思って……こんなことをするのかい?」
夏樹は小さくうなずいた。それから一呼吸置いて、続ける。
「俺のせいで……明日香は死んじゃったんだ」
「どうしてそう思うんだい?」
「だって! だって、俺が勝手に明日香を病院から連れ出して、ヒドい目に合わせて、会えなくなっちゃって……知ってるんだ、俺。明日香にコッソリ会いに行こうとしたことがあって、おばさんがいたからやめたときの、明日香の顔! 寂しそうで、弾けそうで……今すぐどこかに行きたい! そんな顔してた!」
「どうしてそんなだとわかるんだい?」
「俺、イジメ受けてたとき独りきりだった気がした! 同じ顔してる……寂しくて、辛くて、誰かと一緒にいたいのにいられない! おかしくなりそうで……明日香、そんな顔してた……」
「それで?」
お坊さんは冷静に続ける。夏樹は涙を流しながら話し続ける。
「それからしばらくしたら……明日香……手首切って……」
「……それがナツキくんのせいだと、ナツキくんは思うんだね?」
「うん……。だから、俺……明日香と並んでずっと……隣にいてあげたい」
「……ナツキくん」
お坊さんはそっと、ナイフを右手に握り締めた夏樹に近づこうとする。
「来るな!」
「……不殺生戒」
「え……?」
「私たちの世界には、五戒というのがあってね。中学生には難しいかもしれないけれども、不殺生戒、不偸盗戒、不邪姪戒、不妄語戒、不飲酒戒というのがある。特にね、不殺生戒は一番やってはいけないんだ」
「……。」
「不殺生戒っていうのは、生きものを殺してはならないという意味なんだ」
「……俺、ゴキブリくらいしか殺したことないけど?」
「それもダメだ。ゴキブリだって一所懸命生きているんだ。姿かたちは気持ち悪いかもしれないけれど、それは人間の価値観であって、ゴキブリの価値観ではないだろう?」
「……。」
屁理屈だ。夏樹はそう思った。
「それと、俺が明日香のところへ行こうとするのとどう関係があるんですか?」
「夏樹くんだって、生きものじゃないのかい?」
「……。」
「夏樹くんは今、自分で自分を殺そうとしているんだ」
「……。」
「誰かが、望んだのかい?」
「俺が望んでる」
「君だけかい?」
「多分……そうだろうと思う」
「そうなんだね……。じゃあ、明日香さんは、そんなことを望んでいるのかい?」
「……!」
夏樹の目の前に飾られた明日香の写真が、そっと微笑んだように見えた。カシャァン、と音を立ててナイフが落ちる。それから崩れ落ちるように、夏樹が座り込んだ。
「うっ……うあ……ああああ〜……あああああ……!」
夏樹の泣き声が斎場中に響き渡る。すると、真っ先に玲子が近寄ってきた。
「夏樹くん」
「ウグッ……うぅ……ゴメンなさい……おばさん……俺……」
玲子はポケットから一枚の分厚い紙を取り出した。
「これ……明日香からの手紙なの」
「え……!?」
「あなた宛に……。もちろん、あたしたち家族にも丁寧に宛てられていたの。でもね、あなたが一番長かった」
「……そうなんですか?」
「えぇ……あの子、病気になってからずっと寂しかったみたい。でもね、夏樹くんに会えることだけが、糧になってたみたいなの」
「……。」
「でもね、こないだの件で……けっこう悩んだみたい。これはね……きっとあの子、死ぬ直前に書いたのよ」
「どうしてわかるんですか?」
「……とにかく読んで。読んでくれたらわかるの」
「……わかりました」
夏樹は手紙を受け取り、そっと1枚目から読み始めた。




