第66話 真っ赤に染まった席
「……。」
あれから1週間が経過した。夏樹は窓際の席でボーッと寝転んで外を眺めている。
「夏樹」
「ん……あぁ、騎士……」
「最近、岡本さんの調子どう?」
何も知らない騎士は笑顔で聞いてくる。しかし、聞かれても困るという顔を夏樹は思わずしてしまった。
「どうかした?」
「あ……最近、会ってない」
「え? なんで?」
「……。」
「ケンカでもした?」
「そういうわけじゃないけど……」
「……。」
騎士は以前のように元気な夏樹でないことに気づいた。ますます落ち込んでいるように見える。
「最近、会っちゃいけなくなっちゃって」
「なんで?」
「俺……勝手に明日香病院から連れ出しちゃって。それが父さんにバレてめちゃめちゃ怒られて……いま、会えないんだ」
「え? 会えないの?」
そう言って会話に入ってきたのはなぎさだった。
「うん……寂しいけど、明日香のためだし」
「明日香って言った」
「あ」
夏樹は騎士の指摘に真っ赤になってしまう。思わず名前で呼んでしまったのだ。
「別に照れなくてもいいよ! 私たち、なんとなくそうじゃないかなって思ったから」
「そうなの?」
「前にも明日香って言いかけて『あ』って言ったことあったしな」
騎士となぎさがクスクス笑う。夏樹はますます真っ赤になってしまった。
「でもさ、明日香ちゃんのためっていうけど、それは朝倉くんのためにならないんじゃないの?」
「どういうこと?」
夏樹は不思議そうに首をかしげた。
「だってさ、朝倉くん先週からずっと暗い」
隣で騎士がうなずく。
「そうそう。周りにキノコが生えそうなくらいジメジメした感じ」
「キノコって……失礼だな」
騎士の表現に夏樹はクスクスと笑ってしまった。騎士は「やっと笑ったよ」と安心した表情になった。
「ね!」
なぎさが夏樹の机の前に立つ。
「今日、明日香ちゃんに会いに行こう!」
「え?」
「久しぶりに会いに行ったら、きっと明日香ちゃん喜ぶよ!」
「賛成! 俺もまともに岡本さんに会ったことないし!」
「うーん……」
夏樹が渋い顔をした。騎士が心配そうに聞く。
「やっぱ行くと迷惑?」
「いや……俺さ、心配なことがあるんだ」
「何? 言ってみて?」
「騎士、イケメンだろ? 明日香が惚れないか心配……」
騎士が大笑いした。バシーンと夏樹の背中を叩いて続ける。
「バカ言うなよ! 俺、お前と岡本さんの仲に割り込むつもりなんてないから!」
「ホント?」
「当たり前だろ」
「良かった〜!」
夏樹がようやく心から笑ってくれた。騎士もなぎさも、それだけで十分嬉しかった。
「ひ、久しぶりだから緊張する」
夏樹の顔がガチガチになっているのを見て、騎士が背中を摩った。
「はい、深呼吸〜!」
なぎさの声に合わせてスウウゥッと深呼吸する夏樹。
「よし!」
「行く!?」
「待って。あと2分」
夏樹の優柔不断さに思わずよろけるなぎさと騎士。
「えぇい! 行くぞ、どうせ裏庭からなんだからさ」
そう。玲子や登に見つかっては大変だから、コッソリ裏庭から会いに行くことにしたのだ。ガサガサと植え込みをくぐり、カサカサと芝生を踏んでようやく明日香の部屋の窓に着いた。
「き、緊張する……!」
「大丈夫よ」
「なんなら俺がノックしようか?」
「ダメ! それは俺の役目!」
「そうそう。関係ない人は禁止!」
なぎさがグイッと騎士を窓から遠ざけた。
「ヒドいよ片岡ぁ」
夏樹はクスクス笑いながらも、背伸びして中を覗いてみた。
「あ、いるいる」
明日香は椅子に座っている。どうやら今日はベッドにはいないようだ。
「どれどれ?」
騎士が一緒になって見てみる。手をダランとだらしなく伸ばして、あれは寝ているのだろうかと夏樹は思った。
「岡本さーん」
窓をノックするが、明日香は動く様子がない。
「寝てるのかな?」
なぎさも不思議そうに覗き込もうとするが、なかなか見えない。背が低いせいだろう。
「明日香! 俺だよ、開けて!」
けっこう強めにノックする夏樹。しかし、応答はない。
「なんか……変じゃない?」
「うん……。俺、ジャンプしてみようか?」
騎士がジャンプの準備態勢に入る。
「頼んでいい?」
「当たり前じゃん。ヨッと」
騎士が飛んで室内を覗いた瞬間だった。床に真っ赤な何かがぶち撒けられているかのように見えた。
「え!?」
騎士の声になぎさと夏樹の顔も驚いた表情になる。
「どしたんだよ?」
「夏樹! 俺、肩車するから中を覗いてみて!」
「なんで?」
「何かが変だ!」
「わ、わかった」
騎士はゆっくりと夏樹を肩車し、室内を覗かせた。夏樹の鼓動が嫌でも高鳴る。何か、何かとんでもないことが起きるような気がして落ち着かなかった。
騎士に肩車され、窓を覗き込んだ瞬間だった。
椅子に座った明日香。その明日香の両腕がだらしなく伸び――その右手には果物を剥くのに使っていたのだろう――ナイフが握られていた。
「明日香……!?」
夏樹は視線を左へ移し、映った姿に目を疑った。
左手首から出血し、その血が床を、椅子を染めていたのだ。
「うあああああああああああ! 明日香、明日香ぁ!」
「ちょ、ど、どうしたんだよ夏樹!」
「明日香が! 明日香がぁ!」
「どうしたんだよ! 落ち着け!」
「明日香が……手首を、手首を!」
バタバタと入口から走りこんできた夏樹たちとぶつかるように、玲子と花那、圭太が駐車場からやって来た。
「あら、朝倉くん!」
「花那さん……!」
「どうしたの? そんなに慌てて」
「明日香が……明日香が病室で血だらけになってて!」
「えぇ? 何それ、見間違いじゃ……あ、待って」
夏樹も騎士もなぎさも花那たちが止めるのを聞かず、病室へまっすぐ走っていった。
「開かない! 明日香、明日香!?」
なぜかドアが施錠されていた。騒ぎを聞きつけた三浦看護師が駆け寄る。
「いったいどうしたの!? ここは病院よ?」
「三浦さん! 明日香が……明日香が!」
「明日香? 明日香! 開けなさい、開けなさい!」
異変にようやく気づいた玲子がドンドンと戸を叩く。
「すぐに鍵を取ってきます!」
理恵子がナースセンターに走る。玲子、花那、夏樹、騎士、なぎさと入れ替わりでドアを叩き、開けようとし、明日香の名前を呼ぶが返事がまったくなかった。
「鍵です! 開けるので退いてください!」
理恵子が慣れた手つきで開錠する。そして、ドアが開け放たれた瞬間、花那となぎさの悲鳴が病室と廊下にこだました。
「あ……あ……明日香あぁ!」
既に血を大量に床に流し、真っ青になった明日香が、椅子の上に座っていたのだった。