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第60話 狂乱した席

「ウェェッ……ゲボッ、ゴホゴホゴホ!」

 夏樹が明日香の名前を呼んでも彼女は振り向かず、吐き続けた。夏樹はシャツの袖から見える明日香の腕を見てゾッとした。びっくりするほど、痩せている。いったいどうしたのか。

「明日香……?」

 夏樹の声に明日香がバッと振り向いた。頬がすこしこけている気が夏樹にはした。

「……。」

 明日香が呆然とした目で夏樹を見つめる。夏樹も明日香を呆然とした目で見つめる。

「ど、どうしたんだよ? 体調悪い?」

「……あ……」

「どした?」

 夏樹はそっと明日香に近寄る。何か言おうとしているのだが、それがうまく聞き取れない。

「熱でもあるの?」

「どうして……」

「へ?」

 次の瞬間、夏樹は思い切り明日香に突き飛ばされていた。

「うあっ!?」

 ドーン!と大きな音を立てて尻餅をついてしまった。腰に痛みが走る。

「なんで……! なんでいるの!?」

「え?」

 夏樹は自分が帰ってきたことを報告しに来たのを思い出した。痛みが残る腰をさすりながら、夏樹は説明を始めた。

「俺さ、昨日やっと秋田から帰ってきたから、それを知らせに」

「そんなこと聞いてるんじゃない!」

 明日香の怒鳴り声に夏樹は黙り込んでしまった。

「……。」

 明日香の表情が怖い。夏樹は初めて恐怖というものを身をもって感じた。

「なんで……なんでいるの?」

「だから、昨日帰ってきたのを明日香に知らせに……来たんだけど」

「誰もそんなことしてって頼んでない!」

 明日香は棚に置いてあった花瓶を夏樹に向かって投げつけた。激しい音を立てて花瓶が割れ、水がこぼれて花が散る。破片が夏樹の足を少し傷つけた。

「痛ッ……!」

 夏樹にはわけがわからない。急にどうしたのだろうか。目の前にいる明日香が明日香でないように見える。

 激しい物音は階下にいる陽乃にも届いていた。まず、ドオンと何かが倒れる音。次に誰かが叫ぶ声。きっと明日香が夏樹に会えた嬉しさでテンションが上がっているのだろう。そんな風に思った。しかし、その直後ガラスか何かが割れる音がした。

「なに……?」

 陽乃はそっと上がり、階段のほうへと向かった。

「帰って!」

 荒々しい声を上げる明日香。

「夏樹? どうしたの?」

「帰ってって言ってるでしょ!」

 バァンと何かがぶつかる音がした。すぐに倒れる音がして、夏樹の悲鳴に近い声が聞こえた。

「やめてよ、なぁ、明日香! 痛い、痛い! やめて! 帰るからお願いだよ、放し……痛いイタイイタイ!」

「ちょっとどうしたの!?」

 陽乃は慌てて2階へ上がった。すると、明日香より少し背が高い夏樹が明日香に馬乗りになって分厚い辞書のような本で叩きつけられていた。

「キャ――ッ!? ちょ、やめなよ二人とも! どうしたの!?」

「来ないでよ! 帰って!」

 明日香は夏樹を叩きつけていた辞書を陽乃のほうへ放り投げた。

「きゃあっ!?」

 それが障子を突き破って部屋へと消えていった。陽乃は放心状態でヘタリと座り込む。

「やめてくれよ、明日香! 痛い、痛いお願いやめてやめてやめて!」

「帰って! 帰ってよ帰ってよ私を気安く呼ばないで帰って帰って!」

 陽乃は目の前で繰り広げられる状況が夢のような感覚に襲われていた。目の前にいるのは、間違いなくつい1ヶ月ほど前に一緒に夏樹に会いに行った、あの明日香だ。その明日香が、夏樹を傷つけている。

「や……めて」

 陽乃は声を震わせながら呟いた。辞書で殴られたときにできたのか、額から夏樹は出血していた。さらに引っ掻き傷ができて、頬が真っ赤になっている。

「やめてよ明日香ちゃん! ねぇ、どうしたの落ち着いて!」

「放してよ! 今すぐ帰って! 来ないで! 帰ってぇ!」

「やっめーて!」

 陽乃は力をこめて明日香を突き飛ばした。

「夏樹! 立って? 大丈夫?」

「姉ちゃん……デコが痛い」

「帰るよとりあえず……キャッ!?」

 時計が飛んできた。バネやガラスの破片が飛び散って陽乃と夏樹に破片が叩きつけられる。

「帰ってよぉ! 早く! 邪魔、邪魔!」

 夏樹の目が寂しそうな感じになっても、明日香は気にすることなく叫び続けた。

「そんな……ヒドいよ、明日香」

「帰って!」

 二人を睨みつける明日香の視線は尋常ではない。

「でも、どうしたの明日香ちゃん?」

「帰ってって言ってるじゃない!」

 明日香が夏樹を突き飛ばして陽乃に飛び掛かった。

「キャ――! やめて、痛い! いやああー!」

 明日香は陽乃の髪の毛を引っ張り倒している。

「やめろよ! やめろって! 明日香ぁ!」

「ちょっと! どうしたのよ!?」

 帰宅した花那が騒ぎに気づき、制服のまま3人の間に割って入った。

「明日香! やめなさいよ……明日香!」

「お姉ちゃんには関係ない!」

「キャッ!」

 突き飛ばされた花那は柱で背中を打った。

「大丈夫ですか?」

 夏樹がすぐに駆け寄る。

「それより、陽乃ちゃんが……」

「ねぇ、明日香やめてよ! 姉ちゃんがケガしちゃう!」

「アンタたちが早く帰らないから悪いんだ! 帰れ、帰れ! 帰れ――!」

「明日香! やめなさい!」

 花那が明日香を無理やり引き剥がした。

「きゃっ!?」

 明日香がよろけて、階段のほうへ倒れる。

「あっ……」

 そのまま、階段から落ちそうな体勢になる。

「明日香!」

 夏樹は間一髪のところで明日香を引っ張って難を逃れた。

「なんで見るのよ! なんでよ……なんで……」

 泣き崩れる明日香に、全員が呆然とするしかなかった。


「……。」

 帰路へついて、陽乃と夏樹はただ呆然と歩くしかなかった。あの後、明日香の両親が帰ってきた。帰りに聞かされたのは、夏樹にも陽乃にもショックだったことだ。

「明日香ね……前からちょっと様子はおかしかったの」

 玲子が悔しそうに呟く。登が続けた。

「私たちも気をつけてたんだ。イライラすることも多かったし、食べる量も少ないし。花那や圭太に八つ当たりのようなことをするのも増えていてな……」

「ただ、まさかこんな騒ぎ起こすとは思わなくて……。二人には申し訳ないわ」

 ケガの手当てをしてくれる花那も「ごめんなさい」と消え入るような声で謝った。夏樹も陽乃も、返す言葉がなかった。圭太は最近、すっかりおびえて明日香と話もしないという。

「明日香ちゃんは……」

 迎えに来てくれた祥夫がようやく口を開いた。

「病気かもしれんな」

「病気……」

 夏樹が寂しそうに呟く。

「そう。夏樹や、陽乃やお父さんにはわからない、何か大きなことを抱えているのかもしれない」

「……想像つかないや」

 夏樹は悔しくて仕方がなかった。帰れ。邪魔。明日香に言われた言葉すべてが胸に突き刺さり、どうしようもなくなる。気づけば、涙が溢れ出ていた。

「夏樹。辛かったか?」

 祥夫の質問に、ますます涙が溢れる。

「きっとな、明日香ちゃんはちょっとイライラしてるだけなんだ。それが抑えきれないんだよ」

「それって病気なの?」

 夏樹が聞く。祥夫は残念そうにうなずいた。

「お父さんの会社にもな……いるんだ、そういう人」

「……そう」

「今はどうしてるの?」

 陽乃が聞いた。

「長期休暇を取っている。辞めたい、と本人は言ったんだ。まぁ、ちょっとトラブルがあったからな。でも、お父さんの大事な仲間だから……」

 それ以上、祥夫は何も言わなかった。苦手だった父が、少し近くになった気が夏樹にはした。

「明日香ちゃんのこと、大事にしてあげるんだぞ?」

 祥夫は優しく夏樹の頭を撫でながら言った。小さく、しかし力強く夏樹はうなずいた。

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