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第57話 男同士の席

 7月21日(月)。明日、夏樹は七海へ帰る日だ。既に荷物の準備は済んでいる。奏七太も樹音も普通に接してくれているが、夏樹は知っていた。昨日、奏七太がずっと珠子に同じ質問を執拗に繰り返していたことを。


「夏樹、今度はいつ帰るの?」


 それは、正確に決まってなどいないだけに珠子もなかなか答えをハッキリ出せずにいた。夏樹自身、それは一番よく知っている。

 自分はもう、おそらくこの稲賀沢には帰ってこない。

 自分で決めたことだった。それを覆す気持ちはもう、なかった。けれども、それをハッキリ言えない自分がいた。それが、奏七太をどれだけ苦しませているのかはわかっているつもりだった。しかし、言えないままこの日がやってきた。

 いつのまにか、奏七太はこの質問を珠子にしなくなっていた。それ以来、夏樹に対して特に態度が変化することもなく、ごくごく普通の日々が流れていく。そして、今日になった。

「夏樹!」

 ボーッと机に座っていると、奏七太が庭から夏樹を呼んだ。

「なにー?」

「ちょっと出てこない?」

「わかった。すぐ行く」

 夏樹はすっかり慣れた、ギシギシと音を立てる階段を降りて庭へ出た。

「あれ?」

 しかし、庭へ出ても奏七太の姿はなかった。

「お〜い、どこ行ったのさ」

 すると、上から「こっちこっち!」と呼ぶ声が聞こえた。

「うわ! なにやってんの!?」

 奏七太と拓弥が屋根の上によじ登っていた。

「いいから、ナツも来いよ!」

「う、うん……。でも、どこから?」

「ほら、倉庫の横にハシゴあるだろ? そっから登ってきて」

「わかった」

 奏七太のいうとおり、倉庫にはハシゴが掛かっていた。そこを登り、さらに倉庫の屋根から家の1階の屋根へ登る。

「上がれない!」

 2階の屋根へなかなか上がれない。身長が拓弥や奏七太より少しだけ低いので、届かないのだ。

「あーあ。これだからチビは困る」

 拓弥がニヤニヤしながら言う。

「チビッて言うな!」

「はいはい。ほら、手ぇ出せよ」

 拓弥に引っ張ってもらって、夏樹はようやく屋根の上へ上がった。

「も〜……疲れた! 帰る前の日に体力使わせないでほしい!」

「ブチブチ文句言うなよ。ほら、いいもんやるから」

 拓弥は強引に夏樹へスイカを押し付けた。

「でっかいなぁ。こんなに食べれないよ」

「まぁ、そう言うなよ」

「んじゃ〜、いただきます」

 夏樹はまだまだ冷たいスイカを頬張った。それからしばらく、拓弥も奏七太も口を開かないまま、時間だけが過ぎていく。

(な、なに……この沈黙)

 夏樹がいたたまれなくなって口を開こうとした瞬間、先に奏七太が喋りだした。

「なぁ、夏樹」

「なに?」

「お前さ……次、いつ、こっちへ帰ってくるの?」

「……。」

「いや……こっちに帰ること、あるの?」

 その表現のほうが正しいのだろう。このような状況になった今、稲賀沢へ帰ってくる可能性というのは極めて低くなった。今は、七海や家族のことを思い出しても不快感が沸いてこない。むしろ、会いたい気持ちのほうが勝っているのが事実だ。

 しかし、それは同時に稲賀沢とはしばらく距離を置くということだ。ようやく親密になってきた奏七太たちとの距離も置かざるを得なくなる。

「正直……こっちにいたいよ」

 夏樹は隠さず、本音を話し出した。けじめをつける形だ。

「でもさ、俺はやっぱり家族ではないでしょ。親戚だけどね、奏七太たちとは。でも、俺の家族は神奈川にいるわけ。なんだかんだで、12年俺を育ててくれた父さんやいつもケンカしててもいざとなったら優しい姉ちゃんとかがいるわけ。いつまでもこっちにいたら……みんなに心配かけるんじゃないかなって思うわけ」

「そういうもんなのか?」

 拓弥が奏七太に聞いた。

「知らないよ。俺、親じゃないもん」

「あー、そっか。じゃあ何、夏樹は親になったことあんの?」

「タク、根本的に話のピントがズレてる」

「え? そう?」

 夏樹は思わず笑ってしまった。

「笑うなよ〜。だいたい、ナツが難しい話するから悪いんだ」

 拓弥はプゥッと頬を膨らませた。

「そうだよな。夏樹って、なんか小学生のわりに考えてることオッサン臭い」

「オッサン……」

 夏樹があからさまに落ち込んだ様子を見せた。

「お前なぁ……オッサンはねぇだろ、オッサンは」

「え!?」

「見ろよ。ナツ、めちゃめちゃ落ち込んでる」

「あわわわ! 夏樹、ゴメン! ゴメンって!」

「……知らない」

 夏樹がそっぽを向いたので、奏七太は何度も夏樹に「ゴメンって! マジ!」と謝ってきた。それを見て拓弥が笑いを堪えている。

「プッ!」

 夏樹も堪えきれず、笑い出した。

「アハハハハ! も〜、ソナタっていっつも人が怒ると慌てるわりに、空気読めないこと言うよね!」

「へ?」

「冗談だよ。何も怒らないよ、そんなくらいじゃ」

「ヒドいなぁ! だましただろ?」

「だまされるほうが悪いんだい」

「このやろ!」

 奏七太は夏樹にデコピンを喰らわせた。しばらく大笑いしていたが、不意に沈黙が降りた。

「……明日の今頃は、どうしてる?」

 奏七太が聞いた。どこかで、鳥が鳴いている。きっと巣へ戻るのだろう。

「……新幹線のホーム、かな」

「そっか……」

 拓弥が小さい声で答えた。

「でも、一生の別れじゃないし」

 奏七太が声を震わせた。泣いているのだろうか。夏樹からは逆光で顔があまり見えなかった。

「そうそう。また会おうと思えば会え……る……」

 拓弥の声も詰まった。

(二人ともわかりやすすぎる……)

 夏樹はクスッと笑った。寂しくないと言えば、うそになる。でも、夏樹は笑顔で別れようと決めていた。いつか必ず、戻ってくる。夏樹はそう決めていたからだ。涙を出して別れると、簡単に会えなくなる気がする。それは嫌だったからこそ、泣かないと決めた。

「俺、また帰るよ」

「え?」

 拓弥と奏七太は同時に声を出した。

「俺さ、ゼッタイ、またここへ帰ってくる」

「ナツ……」

「だってさ、田植えしたのに稲刈りしてないし! 餅も食べたいし!」

 それを聞いて、ガクンと奏七太と拓弥が脱力した。

「どうしたの?」

「帰りたい理由って、それだけ?」

 奏七太が苦笑いして聞いた。

「うん!」

「……そっか! ゼッタイ稲刈り来いよ! 来なかったら餅やんねぇぞ!」

 拓弥が夏樹の背中をバシバシ叩いた。

「わかったよ、わかったから!」

 夏樹は笑いながら、心の中で呟いた。


 言えないよ。


 君たちともっといたいから、なんて。


 恥ずかしくて。


 こうして、稲賀沢での最後の日は、静かに過ぎていった。

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