第54話 茶の間の席
「……。」
夏樹は違和感を隠しきれず、その状況を見守っていた。いつもは奏七太が座っているはずの場所に、陽乃。そしておばさんが座る場所に、未華乃。そしておじさんの場所には未咲。極めつけは夏樹の向かい、樹音の席に明日香がいた。
(なんか……いつもの茶の間じゃない)
夏樹はぎこちない動きで箸を口に運ぶ。そして、最大の違和感は目の前にいる人物、明日香にあった。
食べる量が異様なのだ。
(明日香って……こんなに食ったっけ)
それは他の面々も思っているようだった。
「明日香ちゃん、けっこう食べるねぇ」
驚いた未咲が笑いながら聞く。
「え? そうですか?」
「うん。華奢なのに、大食いだわ」
未華乃も認める大食い。夏樹は明日香がそんな風だったとは記憶していない。
「未咲〜、アンタ負けてらんないんじゃない?」
陽乃がニヤニヤ笑いながら未咲の肩をつついた。
「ちょっとぉ! 恥ずかしいこと言わないでしょ!」
すると全員が大笑いし始めた。明日香の笑い声も、笑顔も変わらない。夏樹はそう思っていた。
ただ、本当のことを知らないだけだった。
「……?」
真夜中。午前3時。陽乃が目を覚ますと、寝ていたはずの明日香の姿が見当たらない。
「明日香ちゃん?」
トイレだろうか。しかし、この広い家で迷子になっていたりしたら大変だと思った。陽乃自身、トイレへ行った後に無事、部屋へ帰れるかどうかと聞かれると、自信がなかった。
寝ている未咲と未華乃を起こさないようにそっと部屋を出た。
「うわぁ……綺麗」
秋田の夜空は、七海とは比べ物にならないほど綺麗な空だった。透き通るほどの空に散りばめられたたくさんの星。こんなたくさんの星を見るのは初めてだ。
陽乃はしばらく呆然と空を見上げる。
「あっ」
流れ星だった。陽乃は慌ててお願いをする。
「……。」
願いは一つ。
夏樹が、元気になって七海に戻ってきますように。
それだけだ。
「さて……トイレはどこだろ」
陽乃は勝手に明日香がトイレにいると決めつけて、トイレを探し始めた。
「う……ん……」
ギシギシと誰かが歩く音がしたので、夏樹は目を覚ました。
「なんだよ……こんな時間に」
夏樹は目を摩りながら音のしたほうを見た。しかし、人影も気配もない。
「ん〜……」
そっと障子を開けて確認するが、誰かがいた気配はなかった。
「気のせい?」
しかし、目が覚めたついでにトイレへ行きたくなったので、夏樹は起き上がってトイレへ向かった。
「あ……」
陽乃の予想どおり。トイレらしき場所からは明かりが漏れてきていた。
「なんだ。やっぱりトイレだったのか。心配して損した」
陽乃はクスッと笑いながら戻ろうとしたが、違和感を覚えたので足を止めた。
「ウェウッ……ゲホッ……ゴホゴホ!」
「……明日香ちゃん?」
「ゴホゴボッ……! ゲホッ!」
普通ではない。間違いない。この音は、夏樹がアレルギーを起こしたときに聞いた音だった。戻している。
「明日香ちゃん?」
ドアをノックするが、戻す音はおさまらない。相当ひどいのだろうかと心配になった陽乃は一瞬ためらったが、すぐにドアを開いた。
「ゲホッ! ゲホゲホッ!」
ドアを開いた陽乃が目にしたのは、喉の奥に指を突っ込みながら何度も戻している明日香の姿だった。
「……。」
呆然とその姿を見る陽乃にようやく気づいた明日香は、指を出して口の中に残っていた吐しゃ物を吐き出した。
「……陽乃さん」
「明日香ちゃん……どうしたの?」
「……。」
明日香は答えない。
「なんで? なんでそんなこと……」
明日香は水を流して手を洗った。それから突然、陽乃に泣きついてきたのだ。
「陽乃さん! お願いです、お願いです!」
「どうしたの? ねぇ、落ち着いて明日香ちゃん」
「お願いします! なっちゃんにも、お父さんやお母さんに見たこと、内緒にしてください!」
「で、でも……とてもしんどそうだったし」
「お願い! お願いです!」
「……。」
尋常でない明日香の様子に少し引いてしまったが、ここまで懇願されて断るわけにも行かず、陽乃は「うん」と答えてしまった。
「ありがとう……!」
「とりあえず、いっぱい戻しちゃったし……水分摂って寝よう?」
「はい!」
明日香の顔が急に笑顔になった。その笑顔に陽乃は不安を少し感じた。しかし、これ以上問い詰めたりなどできるはずもなく、一緒に戻っていくしかなかった。
「……やっぱ誰もいないか」
陽乃と明日香がトイレを離れた直後、夏樹が同じ場所に立った。
「あれ?」
電気が点いている。誰かいるのかと思い、ノックしたが応答はない。
「誰だよ。エコじゃないなぁ」
夏樹はクスクス笑いながらトイレに入った。途端に、酸っぱい臭いが鼻を突いた。
「うわっ……臭ッ」
かなり濃い匂いだ。そして夏樹自身、その臭いに覚えがあった。
「戻したときの臭いだ……」
胃液の酸っぱい臭い。これは戻したときに漂う特有の臭いだった。ふと、明日香が夕食のときに尋常でない量を食べていたことが思い出される。
「アイツ、食いすぎて気分悪くなってんじゃねぇの」
夏樹は心配になり、明日香たちが眠っている部屋へ向かった。そっと障子を開けると、陽乃と明日香の布団が空になっていた。
「あれ?」
もう3時半になろうとしている。こんな時間に、女の子二人がどこへ行くというのか。夏樹は広い朝倉家の中をグルグル回った。この家ももう夏樹の庭のようなものだ。
居間。洋間。土間。
回れど回れど、二人の姿は見当たらない。もう戻って寝ているのかと思って寝室を見てみたが、やはり布団はもぬけの殻のままだ。
「あっ」
茶の間を探していないことに夏樹は気づき、急いでそこへ駆け込んだ。
「わっ!」
陽乃が突然開いた障子に驚いて声を上げた。明日香も目を丸くしている。
「どうしたのよ、夏樹」
「それはこっちのセリフだよ! 夜中に二人して何してんのさ!?」
「それは……その〜……」
明日香の手が陽乃のパジャマの袖を引っ張った。
(言わないで)
そう訴えているのがヒシヒシと伝わってきた。
「暑いから、喉渇いたら明日香ちゃんも起きてて! それでちょっと話し込んじゃったって感じ?」
「なんだよ……心配させないでよね」
「あれー? あたしのことも心配してくれてるんだ? てっきり明日香ちゃんだけだと思ってたわ」
陽乃が茶化すように夏樹の額にデコピンを喰らわせた。
「バカ言うなよ! ほら、もうさっさと寝ようぜ!」
夏樹は顔を真っ赤にして部屋を出た。
「わかりやすいね、アイツ」
陽乃が言うと、明日香もおもしろくなって笑ってしまった。夏樹は少し離れた場所で、立ち止まって何も言えなかった自分が悔しかった。
――なんともないんだよな?
ただ、それだけ。その言葉が出てこなかった。あの時、何か言っていたら状況は変わったのか、今でもわからないまま。




