第52話 野原の席
6月14日(土)。今日はいよいよ全校生徒が待ちに待っていた田植えの日だ。
「よっしゃ〜! やるぞぉ!」
拓弥がやる気マンマンでTシャツに短パン姿で教室に現れた。
「また出たよ〜」
早苗がウンザリした様子で拓弥を見つめる。正直、見たくもない格好を見せられるのだから女子としてはたまったものではない。
「あれ? そういえば勇人やナツがいないね」
樹音がふと気づいてあたりを見渡した。もう8時20分。集合時間は8時25分だから、もう遅刻寸前という時間だ。
「ホントだ。どうしたんだろね?」
「ねぇ〜」
横にいた花音が早苗の真似をして語尾を伸ばす。すると、教室のドアがガラガラと音を立てて開いた。そして現れたのは、拓弥とまったく同じ格好をした奏七太、勇人の姿だった。
「ブッ……アハッ、アハハハハハ!」
樹音が堪えきれず爆笑し出した。早苗もおなかを抱えて笑い、状況をいまひとつ掴めていない花音だけがポカンとしていた。
「やぁだぁ! 男子、全員そろってそんな格好してんの!?」
「全員じゃねぇよ!」
すると、廊下から拓弥の大声が聞こえてきた。それとバタバタと廊下を走る音がする。
「待てやぁ〜! 逃がさない!」
「嫌だ! 誰がそんなもん着るか!」
外を覗くと、Tシャツに短パンを持った拓弥が夏樹を追い掛け回している。
「アハハ! まだやってる」
早苗がおもしろそうに笑う。勇人と奏七太は「がんばれ、ナツ! 絶対に捕まるなよ!」と必死に応援していた。
「ダメダメ。都会っ子だからどうせすぐ捕まるって」
樹音だけがおもしろくなさそうに鼻で笑って適当にあしらった。
「……。」
早苗がジッと樹音を見つめる。
「なに?」
「ジュノンってさ、ナツにいつまでたっても冷たいよね」
「そう?」
「都会っ子って言ったり、なんだか意地悪してるみたい」
「そんなことないよ」
「そうかな。ま、あたしの勘違いならいいんだけどね」
会話が終わった頃、夏樹が今度は教室へ逃げ込んできた。顔中汗だくだ。逃がすまいと拓弥も必死になって追いかけている。
「この暑いのによく頑張るねぇ」
「まぁね! 運動、運動!」
夏樹はサラッと言いのけて早苗と樹音の前を通り過ぎる。フワッと夏樹のシャンプーの香りが漂ってきた。
「汗かいてるのにいい香りするんだな〜。意外」
ククッと早苗が笑う。
「……。」
樹音は夏樹のどこがいいのかまったく理解できなかった。早苗や勇人、拓弥があんなに構うのが理解できない。それより腹立たしいのが、今まで何かと構ってくれていた拓弥がちっとも構ってくれなくなったことだ。
「捕まえた!」
ようやく夏樹を捕まえた拓弥が怪しげに笑って夏樹の服を脱がし始めた。
「ひぇー! やめろよ、女子もいるのに!」
「関係ねぇ〜! 覚悟しろ、ナツ!」
「ちょっとぉ! いくらなんでもあたしたちの目の前で着替えたりするのやめてよ!」
ケラケラと笑う早苗に花音、服を脱がそうとする拓弥、ただ見つめるだけの勇人、奏七太。そして抵抗する夏樹。見ているだけでイライラしてくる。気づけば樹音は大声を出してしまっていた。
「うるさいから、静かにしてくれん!?」
一気に教室内が静まり返った。同時に靖治が「えらい今日は静かだな〜」と感心した様子で入ってきたので、誰のフォローもないまま気まずい雰囲気で全員が着席した。
田植えが本格的に始まると同時に、6月にしてはきつい日差しが学校から5分ほど歩いたところにある田んぼに差していた。
ギャーギャーと騒ぎ立ててちっとも田植えを進めない勇人たちが靖治に「コラー! 早くせんかぁ!」と怒鳴られているのを、ボヤーッとした様子で木陰から見つめているのは樹音だった。
田んぼの周りは家も建っておらず、だだっ広い野原だった。その野原のど真ん中に立っているのが、この樹齢100年とも言われる大きな木の下で、樹音は息を少し荒くしながら休んでいた。
靖治は田んぼで指導をするのが精一杯なので、なかなか樹音のところへ様子を見に来ることもできずにいた。楽しそうに田植えを続ける拓弥が羨ましいし、少し腹が立つ。この気持ちがなんなのか、樹音自身も説明できずにいた。
「ひゃっ!?」
突然冷たい何かが顔に当てられて、樹音は小さな悲鳴を上げた。
「どうしたの?」
「……別に」
「よいしょっと」
夏樹はこの木に作られて随分経ったと見えるブランコに乗った。ギィッと木独特の音がする。
「飲む?」
「……いらない」
「あ、そ」
夏樹は持ってきたペットボトルを樹音のそばに置いてブランコをこぎ始めた。
「ねぇ」
「何?」
夏樹は人懐っこく笑って樹音に答える。
「アンタってさ……」
思わず言葉に詰まる。夏樹とこんなに近くで話すのは初めてだったので、少し緊張する。しかし、拓弥を前にしての緊張と違うことはわかる。
「ん? 何?」
「友達がね、ある人を見るとイライラしたり、冷たくしたりしちゃうんだって」
「友達? サナか花音? それとも、勇人? 拓弥? 奏七太は兄貴だから友達ってことはないよね」
そうだった。この周辺で友達といっても、限られている。
「アンタってそういうとこ、鋭いよね」
樹音はハァッとため息をついた。
「まぁね〜。それでさ、誰なの、それ」
「……。」
もう隠し通せるものでもないと思い、樹音はハッキリ言った。
「私、拓弥のことが好きなの!」
「……ふぅん」
随分あっさりした反応しか返ってこなかったので、樹音はむしろ不満だった。
「なんで私、アンタにこんなこと言ったんだろ」
「そうだね〜。なんで、それを俺に言うんだろうね」
「……?」
樹音はいまひとつ、夏樹の言わんとすることがわからなかった。
「それ、ホントは拓弥に伝えるもんじゃないの?」
「……!」
樹音の顔が真っ赤になった。それからガツン!と何かで軽く叩かれる感じがした。それは夏樹がさっき置いたペットボトルだった。
「わかってるよ、そんなこと!」
夏樹はよく知っていた。自分から言わないと、動かないと何も変わらないことを。樹音が自分に冷たいのは夏樹が拓弥と絡むことが多いからだというのはよくわかっていた。
自分のこの行動が、樹音の背中を押せたのなら嬉しいと夏樹はプリプリしながら去っていく樹音を見つめた。




