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第48話 横座席

 12月7日(月)。夏樹は登校のために自転車に乗っていた。本当なら家を出て、つくし野川という川を越えて()(がみ)橋という橋を渡ってしまえば学校はすぐだ。しかし、夏樹はあえていつもそのつくし野川沿いを北へ向かって行き、香神(こうがみ)橋という違う橋を渡っていく。そこを上がると小田急電鉄が走っているのが見える。

 朝のラッシュ時。電車の中にはサラリーマンや学生がたくさん乗っている。鉄橋の轟音が夏樹の耳にも届いた。

「え?」

 不意に車両の中に見覚えのある姿が目に入った。長髪。あまり高くない背。確信などない。そもそも見間違えかもしれない。しかし、夏樹はそう思いつつも確かめずにはいられなかった。

 気づいたときには、自転車を七海駅に向けて走らせていた。

 自転車を駅に繋がる歩道橋の横に置いて、鍵をかけてから慌てて歩道橋を駆け上がる。途中、クラスメイトらしい高校生とすれ違ったのか、「夏樹!?」という驚いた声が聞こえたが、振り向く余裕などなかった。

 急いで切符を買い、改札を出る高校生とはまったく逆の流れで夏樹はホームへ駆け込んだ。

「……はぁ……はぁ……ハァッ……」

 何の意味もない行動。夏樹自身がそれをわかっていたはずなのに、なぜかここまで来てしまった。

 冷たい風を思い切り喰らわせながら、特急がホームを通過する。

「……ホントなにやってんだろ、俺」

 夏樹はフッと自嘲気味に笑い、とりあえずホームにあるベンチに腰掛けた。何度も電車が停車し、通過する。気づけば9時を過ぎていた。

 メールが入る。綾音だ。


『何やってるん? どうしたん? 三浦くんが夏樹を見たって教えてくれた(>_<) いまどこにおるん?』


 心配してくれるのは嬉しいが、今はそっとしておいてほしいと思い、夏樹は携帯電話の電源を切ってカバンにしまいこんだ。

 どれくらい時間が経ったのかわからない。いつの間にかラッシュも終わって客の姿がまばらになってきた。夏樹は手にあごを乗せたまま、呆然と何度も通り過ぎる電車を見つめ続けた。

「あ……」

 雪が降ってきた。今朝からどんよりと曇ってはいたが、降るとは思っていなかっただけに少し嬉しい。そして、少し早い初雪でもあった。

「あの時は春も過ぎてたから……新緑の頃だっけなぁ」

 自分にしては大胆な行動だった。拓弥や勇人はオロオロしていたが、早苗と靖治は至って冷静。あの時出迎えた玲子と登、花菜、圭人、そして明日香も冷静に優しく迎え入れてくれた。だから、あの時のことは家族も友人も誰も知らない。

「夏樹―ッ!」

「!?」

 自分を呼ぶ声がしたので振り向くと、なぜか今までホームにいたはずの夏樹は電車の中にいた。

「サナ……拓弥……勇人……先生」

 勇人が誰かを慌てて止めようとするが、その人物は手を振りほどいてホームへ出てしまった。

「あれは……俺?」

 夏樹は自分らしき人物を追う。不思議なくらい、人がいない。夏樹は気にせず、その人物の後を追うがおかしいほどに足が速い。

「クソッ! チビのくせして……」

 そう言った瞬間、そのチビの足が止まった。夏樹はそのチビの姿を見て凍り付いてしまう。

「お前……やっぱり、俺なのか?」

「……。」

 間違いなかった。自分の幼い頃の顔を見間違えるはずなどない。いま、自分の目の前にいるのは紛れもない、小学6年生の夏樹自身だった。

「あの時の……俺は正しかったと思う?」

「……。」

「あの時の俺の行動は……明日香を……」

「今の俺はどう思ってるの?」

「!」

 夏樹は突然喋りだした『自分』に不気味さを感じつつも、会話を始めた。

「俺は……俺は……ただ、明日香に会いたかったんだ。ただ、それだけで……」

「そっか」

 『夏樹』は少し笑いながらそう答えた。自分はこんなにも寂しそうに笑うのかと思うと、夏樹は切なくなった。

「明日香も俺に……そしてお前に会いたがっていた」

「だろ? だから……」

「でも、それが明日香を傷つけたんだ」

「……っ」

 夏樹は『自分』に吐かれた言葉に答えを詰まらせた。

「でも……俺もお前も後で、もっともっと傷つくんだよな」

 『夏樹』は夏樹以外の他ならない。目の前にいる『夏樹』はいったい何者なんだろうか。

「俺は……2011年の俺は、ずっと模索してる」

「何を?」

「それはお前が一番よく知ってるハズさ」

「わかんねぇよ!」

「お前も……現代(そっち)で模索してるんだろ?」

「そんなの……わかんねぇよ!」

「……クセに」

「え?」

 目の前にいる『夏樹』の姿が急に遠のく。

「待てよ! 待ってくれ……まだ、まだ聞きたいことが……!」

 声が出なくなる。音が聞こえなくなり、やがて『夏樹』の姿は見えなくなった。


「君、君」

 ハッと夏樹が目を覚ますと、駅員が心配そうな様子で夏樹を揺り起こしていた。周りにはオバサンとオジサンが夏樹を同じく心配そうに取り囲んでいる。

「大丈夫かい?」

「えっ……」

 慌てて起き上がると、自分がホームの上で倒れていたことに気づいた。

「顔色は悪くないから病気とかではないと思うけどねぇ」

 オバサンが優しそうに笑い、夏樹の額に手を当てた。

「……すいません、なんか」

 夏樹は制服についたホコリを落として立ち上がった。

「切符、落としてるよ」

 おばあさんが落とした切符を拾ってくれた。

「すいません」

「……いいえ」

 夏樹が大丈夫だと確認した駅員やオバサン、オジサンは静かに散っていく。おばあさんだけが残った。

「柿生駅」

「え?」

「おばあちゃんね、柿生駅に用事があるんだけどね」

「そうッスか」

「あなたも、柿生駅に用事があるんだろう」

 切符の行き先を見られていたらしい。

「学校は……お休みかい?」

「……自主休校ッス」

 おあばさんはクスッと笑った。

「おいくつかね?」

「18です」

「若いねぇ」

 しばらく続く沈黙。おばあさんは寒そうに手に息を吹きかけた。

「どうぞ」

 夏樹ははめていた手袋をおばあさんに手渡した。おばあさんはしばらく手袋を見つめて、それから少し嬉しそうにはめた。

「ずいぶん、小さいんだね」

 ドキッとした。夏樹のはめている手袋はずいぶんと年季が入っている。流行の手袋とかではなく、ずっとその手袋を使っている。もうサイズはとっくに合わなくなっているし、何より右手小指と左手薬指の先には穴が開いている。

「大事な……モノだったのかい」

「……はい」

「おばあちゃんもね、昔、大事な人がいたんだよ」

 おばあさんに似つかわしくない、最新式の携帯電話を持っていた。

「スゲェ! それ、先週発売のケータイじゃないですか!」

「おばあちゃんねぇ、こう見えても若い人と話するのは好きなんだよ」

「スゲェ! ちょっと見せてくださいね」

 夏樹はおばあさんから電話を受け取り、外観を見つめた。それからすぐにメインディスプレイを開いて、ハッとした。

 ディスプレイに映るおばあさんは、明らかに若かった。

「あぁ、見ちゃったのかい」

 おばあさんは携帯電話を見つめ、懐かしそうに言った。

「それはね、孫なんだよ」

「お孫さん……」

「もうねぇ、あの子の歳は14歳で止まったままだねぇ」

「……。」

 なぜ止まっているのか。それはもう、言うまでもない。夏樹は辛くて聞けなかった。

 各駅電車が滑り込んできた。小田急の通勤電車は基本的に横座席(ロングシート)が設置されている。夏樹とおばあさんは乗り込んで、隣同士で座った。

 発車して間もなく、夏樹は気になることを聞いた。

「あの……」

「なんだい?」

 本当に聞いていいかどうか、迷いに迷った末の発言だった。

「どうして、お孫さんは14歳で……その……」

 亡くなった。そうは言えなかった。亡くなったとは限らないからだ。しかし、おばあさんは夏樹の予想どおりの言葉を口にした。

「あなたは西暦で言うと、何年生まれだい?」

「えっと……1991年です」

「そうかい……あの子は1981年生まれだったから、10歳違うんだねぇ」

 電車の走行音だけが聞こえる。車内には夏樹とおばあさん、買い物へ行く若いお母さんとその娘さん、競馬新聞を読んでいるオジサンくらいしか乗っていなかった。先頭車両だからだろうか、サラリーマンの姿は見当たらない。聞こえるのがはばかられる話題かと思ったが、おばあさんは何の抵抗もなく続けた。

「これはね、1995年のお正月、娘たちが住んでいた神戸で撮ったものなんだよ」

「俺が生まれる4年前ですね」

「そう。それで、これが最期の写真だった」

「……なんで。何かあったんですか?」

「これの16日後にね。阪神淡路大震災っていう、それはそれは大きな地震があってね」

 日本史で習った気がする。しかし、太字になっていただけでそれがどんな災害だったが、そこまでは教えてくれなかった。

「娘と旦那さんは無事だったけど……この子だけね。この子だけ、ダメだった。受験でね、勉強のために朝早くからやっていたみたいで。高校の受験なんてまだまだ先なのに。それで、地震が来て……本棚がね」

「……。」

「でも、その顔を見たら綺麗でねぇ。きっとあなたが見たら恋しちゃったかもしれないねぇ」

 夏樹はもう一度、ディスプレイに映る少女を見た。確かに、地味だけどかわいい。

「あのすぐ後は、その写真がもう見るのも嫌でね。何度捨てようとしたか。何度焼こうとしたか。何度この子のところへ行こうとしたか。でもね、そんなことしたってあの子は帰ってこないんだよね」

「……。」

 夏樹にも痛いほどわかる。夏樹も、この手袋を何度捨てようとしたか、何度ちぎろうとしたかわからない。あの後、この手袋を見ると泣き叫んで誰も手がつけられなくなるほどだった。でも、今はこうしてまた一緒に冬を迎えている。

「あなたは、手袋が大事なんだね」

「ハイ……」

「これからも、大事にしてやりなさい」

「ハイ……」

 夏樹の目に涙が溢れてきた。視界がボヤける。電車が揺れ拍子に、たまった涙が目からこぼれ落ちた。

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