第44話 沈黙の席
「わっ! ナツ、どうしたんだよその顔!」
翌日登校してきた夏樹の顔を見て拓弥と勇人が驚いた声を上げた。昨日、帰ってきた奏七太とさすがの樹音も夏樹の顔を見るなり驚いた声を上げた。
「えっと……ちょっといろいろあってね」
夏樹は正確には言わず、言葉を濁して自分の席へ着いた。それから早苗の席を見るが、彼女はいつも一番に来ているにもかかわらず、今日は姿が見当たらない。きっと、欠席するだろうとは思っていたけれど、実際に休みということを知るとショックも大きい。
(俺……最低なことしちゃったもん)
夏樹は俯いてため息を漏らした。早苗が一所懸命告白してくれたというのに、夏樹は明日香との思い出に重ねて彼女が明日香の代わりのように接してしまったのだ。
あの抱擁は、確実に明日香へ向いていた。断言できる。
「サナ……」
「何?」
「ゴメンな……」
「なんで……謝るの? 付き合えないの? あたしと」
「うん……」
早苗の顔が曇った。
「そこまでハッキリ言われるとは……思ってなかったかな」
早苗が悲しそうな声を出した。これ以上彼女を苦しめるつもりはなかったが、夏樹は言ってしまった。
「俺……何回かサナと目が合ったことあったよな?」
「うん。嬉しかった。あたしとナツ、両想いなんだとか思っちゃって」
「あれさぁ……」
「うん?」
「あれ、サナが俺の好きな人と似てるから……ついつい目が行っちゃって」
「は?」
「……ゴメン」
「じゃあ……何? あたし、ナツはあたしを見てたんじゃなくって……あたし越しに……好きな人を?」
「……ゴメン」
次の瞬間、パシッと乾いた音が聞こえると同時に、夏樹の目の前に火花が走ったように見えた。それから左の頬にジンジンする痛み。目を開けると、早苗が右手を思い切り振り切って、夏樹の頬をはたいた後だとわかった。
「ヒドいよ……ヒドいよ、ナツ!」
そういうと早苗は落としたポタージュの缶を拾いもせずに走り去っていた。
「……。」
いつもは賑やかな早苗がいるはずの場所。周りにはいつも勇人、花音、樹音の3人が楽しそうに話している姿があるはずだった。しかし、今日はその姿はない。
早苗がいなければ教室も一際静かだった。別に誰も喋らないわけではないが、何か雰囲気が違う。早苗一人でここまで違ったものだったのかと夏樹は思った。
給食の時間。
ジーッと夏樹を見つめる拓弥と勇人の視線が痛くてついつい夏樹は視線を彼らから逸らしてしまっていた。
「ナツ、お前、今日、変」
まるでロボットが喋るように拓弥が単語を区切って喋るので思わず笑いそうになりつつ、夏樹は冷静を装って「そう? なんでもないよ」と答えた。
「ふぅん。なんでもない……か」
意味深な発言をする勇人を上目遣いで見た。その目はどこかオロオロしているようにも見えたのは、夏樹の気のせいだったのだろうか。
同じ頃、千鶴子の店の前で早苗はウロウロしていた。夏樹と明日香の関係を聞き出したくて学校へ行くときに、分かれ道でお好み焼き屋へ続く道を曲がった。結果、学校を欠席することになってしまった。
「でもきっとオバサンにバレたら怒られる……よね」
「心配しなくても、もうバレてるよ」
ギョッとした表情で振り向くと、千鶴子がカゴにお好み焼きで使う材料を目いっぱい入れて買い物から帰ってきたところだった。
「どうしたんだい、サナちゃん。学校は?」
「……。」
早苗は答えない。答えは一つ、『サボリ』だからだ。
「アッハハハ! まぁ、サナちゃん普段から真面目だからねぇ。学校が窮屈に感じちゃうこともあるんだろうに」
そういうと千鶴子はグイグイと早苗を店へ押しだした。
「エッ!? お、おばさん?」
「ホラホラ、もうご飯の時間だよ。ウチでお好み焼き食べてきな!」
「でもあたし、今日お金持ってないから……」
「お金なんていらないよぉ! ほら、入った入った!」
強引に入れられて仕方なく早苗はランドセルを机に置き、座敷のテーブルに座った。しばらくすると目の前で千鶴子はお好み焼きを焼き始めた。おいしそうな匂いが漂う。
「……。」
早苗はキョロキョロと辺りを見渡す。何か明日香が写っている写真とかがないか探しているのだ。
「ん?」
その様子に気づいた千鶴子が聞いた。
「何か探し物かい?」
「あっ……ごめんなさい」
早苗は悪いことをしている気分になり、謝ってしまった。千鶴子は早苗が何を気にしているのかわかったようで、お好み焼きを焼く手をいったん止めて、茶の間の引き出しから何かをゴソゴソと出してきた。
「ほれ! これが見たいんだろう?」
たくさんの写真。まるで自分の心が見透かされているようでドキッとしてしまった。
「なんか……ゴメンなさい」
「いいよいいよ。食べながら見な」
早苗はホカホカのお好み焼きがお皿に乗ったのを見届けて、割り箸を割った。ふんわりとした生地が最高だ。
ある程度食べてから、写真を見始めた。どうやら明日香と千鶴子は頻繁にメールをするようで、そのたびに添付された画像を千鶴子はプリントアウトして貯めていたのだという。
「これは?」
「あぁ、クラス替えのときの写真だってさ。あの子の通う学校変でね〜、進級のたびに写真撮るんだってさ。想い出のためだとかでね」
屈託なく笑う明日香と夏樹がそこには写っていた。続いて出てきたのは、これは小学校のお祭のようだった。トミガシフェステイバルという看板でなんとなくわかる。法被を着た夏樹と男子数名、それから女子数名と明日香がいた。この笑顔も夏樹は本当に楽しそうだ。
そして自然学校。これは梅雨時の6月の日付がある。パジャマ姿だったり、眠そうな顔をしていたり、食堂で残ったフライドポテトの取り合いをしたりしている夏樹の姿がたくさん写っている。
そして、別の一枚。まったく知らない子ばかり写っている写真の左隅。見慣れた後姿の少年と、明日香が写っていた。何か約束しているのか、指きりげんまんをしているように見えた。それから次の写真。それは集合写真だった。
明日香に腕を回している、夏樹がいた。それを見た瞬間、早苗は思った。彼らの間に割って入れる人はいないだろう、と。
「それにしても、会ったことのない明日香の写真を見たいって……変わった子だね」
千鶴子は笑いながら言った。どうやら、早苗の真意は読み取られていないようだったので安心した。
「いえ……ナツが、やたら明日香ちゃん明日香ちゃんっていうもんですから……」
悔しかった。それが本音だ。でも写真を見てわかったのだ。彼らの絆は、そう簡単に切れるものではないと。
「まったく、あの子もなかなかヒドい子だねぇ」
千鶴子が苦笑いする。
「ナツですか?」
「そうだよ。サナちゃんみたいにカワイイ子がいるのに、遠くの明日香の話ばっかりしてねぇ」
早苗は少し嬉しかった。ウソでもお世辞でもいい。今は自分を元気づけてくれる言葉が本当に必要なのだから。
「サナちゃんも諦めずに、夏樹くんを振り向かせられるくらいビックリするような美人になるだよ! サナちゃん、カワイイからさぁ!」
「ありがとうございます」
早苗は赤くなりながら、少し冷めたお好み焼きを口へ運んだ。