第43話 予約席
「ナツー! 早く、早く!」
拓弥が嬉しそうに夏樹よりずいぶん先のところへ走っていく。夏樹は息を切らしながらなんとか早苗と勇人の後ろをついていくが、いつのまにか彼らからも距離を離されてしまっていた。
「まっ……待ってよぉ」
季節はあれから流れ、4月下旬。秋田では雪解けを終えて春を迎えようとしていた。既に関西地方や関東地方では桜が咲いている。例年になく厳しい寒さが続いた東北地方では少し開花が遅れていた。
夏樹は蕾が膨らみ始めた桜並木の道を走る。転校してから奏七太に教えられて始めたサッカーのおかげで少し体力はついたが、やはり元・都会っ子。元気いっぱい外で遊ぶのが習慣化している拓弥たちにはなかなか勝てない。
今日、駅前のチケット屋へ向かっているのは他でもない、修学旅行の電車の切符を買うためだ。6年生になった早苗、勇人、夏樹の3人に加えて中2の拓弥の合計4人で修学旅行へ行く。中学2年生で修学旅行というのも早すぎるかもしれないが、高校受験のために足立分校ではいつも2年生で実施するのだという。
夏樹は彼らと修学旅行へいけるのはとても楽しみにしていた。しかし、行き先に少し不満があった。それは他でもない、神奈川県と東京都だったからだ。神奈川県鎌倉市で2泊、東京都内で1泊の合計3泊4日の修学旅行。主に観光が中心だというこの修学旅行。夏樹は鎌倉にも何回か遠足で行ったことがあるため、よく知っている場所だったのだ。
てっきり県内で済ませると思っていただけに残念だったが、拓弥や勇人は「夏樹、東京とかよく知ってるだろ? 案内頼むな!」と言っているので嫌だと言える雰囲気でもなかった。その証拠に、たかだか切符を買いに行くだけで彼らのテンションは尋常ではなくなっていた。
もう一つの変化。それは自分の畑を与えられたという点だろう。
転校してから1ヶ月ほど経ったある日の放課後。夏樹は林堂先生に呼ばれて校庭の中でも日当たりのいい場所にある花壇に連れて行かれた。その花壇には『タクヤ♪』、『はやと☆』、『カノン★★』、『じゅのん!?』と友人の名前が書かれた札が立っていた。
「あの……なんですか、これ?」
「これね、生徒たちで畑で野菜を毎年育ててるんだ」
「野菜?」
「そう。それに学校から少し離れた田んぼでお米作りもやってるんだ」
「お米……」
グゥゥッと夏樹のおなかが鳴った。
「すいません」
夏樹が真っ赤になって謝る。靖治は「ハハハッ!」と笑ってからまた説明を続けた。
「夏樹くんのスペース作っておいたから、札に名前を書いて春に野菜の苗を植えよう」
「俺が育てるんですか!?」
「そうだよ。水やりから雑草むしりまで全部自分の花壇のものは自分ですること。その代わり、野菜がうまく育ったらそれは全部夏樹くんのものだ」
夏樹はワクワクした様子で靖治が見せてくれた去年の写真を見せてくれた。大きなトマトを手にした拓弥、きゅうりをおいしそうにかじる奏七太、ミニトマトをカゴいっぱいに摘んだ花音。みんな弾けるような笑顔だった。
「どうだい? やってみる?」
夏樹の答えに迷いはなかった。
「うん!」
夏樹が待ちに待っていた苗を植えるのは5月初めの土曜日。土日は学校は休みだが、夏樹は出る気満々でいた。また、修学旅行はその2日後の月曜日から。5月は夏樹にとってとても待ち遠しい月となっている。
「よかった〜! まだ満席になる前で」
拓弥は買ったばかりの新幹線のチケットを嬉しそうに見つめて笑う。
「俺さ、秋田から今まで出たことなかったんだよね、実は」
「え? そうなの?」
夏樹は驚いた様子で拓弥に聞いた。
「うん。今まで県外に出たことあるのって、勇人と花音くらいのもんだよな」
「あ〜、そういえば私も出たことなかったな」
早苗が思い出したように言う。夏樹にとっては本当に驚きの言葉だった。
「俺は東京とか静岡とか行くけど……。旅行で出たりしないの?」
「あ〜……出てもいいんだけど、私の家は農家だからあんまり長期間留守にできないのよ」
早苗が残念そうに呟く。早苗の家が農家というのも初めて知ったことであったし、農家の仕事がそれほど大変だとも思っていなかっただけに、夏樹には想像できないことだ。
「農家って大変なんだねぇ」
夏樹がホゥッとため息をついた。
「まぁ……大変なんだけど、別に私自身がそんなに大変なわけじゃないし」
早苗がクシャクシャと頭を撫でる。夏樹は恥ずかしくなった。同い年の早苗に頭を撫でられるとは思ってもなかったのだ。よく考えてみれば、夏樹より早苗のほうが少し背が高い。小学校高学年というのはこれくらいのものだろうか。
チケットを買い終えて駅前の商店街を出たところで拓弥が腕時計を見た。
「ゲッ! もう3時半かよ」
「なんかあるの?」
「俺さぁ、春休みから塾入れさせられたの、塾」
「塾ぅ!?」
勇人があからさまに嫌そうな顔をした。その顔を見て拓弥は勇人に思い切りゲンコツを喰らわせた。
「ひでぇよぉ、拓ちゃん」
「俺だって好きで行ってるんじゃねぇよ。あー! 遅刻するから悪い、俺先帰るわ!」
そう言うと「またなー!」と叫びながら拓弥は走っていってしまった。
「あ……花音ちゃん。そろそろお家帰らないと暗くなるよ」
「そうなの?」
花音は辺りを見渡した。よく見れば西の方角が赤く染まり始めている。
「勇人兄ちゃんが連れて帰ってあげようか?」
「ホント!? わぁーい、花音一緒に帰る帰る!」
花音は嬉しそうに勇人の手を握った。
「というわけで……俺もボチボチ帰るわ」
「あ……そうなの。気をつけてね」
「うん。またな。ほら、カノンちゃんも夏樹兄ちゃんたちに挨拶しなよ」
花音はかわいらしく小さく手を振った。夏樹もつられて小さく手を振る。直後、奏七太の持つ携帯電話の音が激しく鳴った。
「はい、もしもし?」
すると電話の相手は彼らの母である珠子だったようで、怒鳴り声が聞こえてきた。
「アンタらはぁ! どこの誰が仕事ほったらかして遊びに出ていいって行った!?」
「うっげ! ヤベェ、樹音! 母ちゃんに畑仕事放り出して来たのバレたぞ!」
「えぇ!?」
明らかに樹音も焦った様子になった。奏七太が「ゴメン! 今からすぐ行く! 行くから夕飯ヌキにしないで!」と叫んだ。
「ゴメン、ナツ、サナ。俺ら先に行くわ!」
「また明日ね!」
そういうと挨拶もろくにできないまま、二人は走っていってしまった。夏樹は特に挨拶しなくても後で会えるからいいか、と思いつつも急に二人きりにされてしまったこの微妙な空気をどうしようか、悩んでいた。
「みんな勝手だねぇ」
早苗が苦笑いする。
「だな……」
夏樹が答えてから、沈黙が続く。夏樹は沈黙が苦手だ。どちらともなく歩き始めた。カラスが鳴く。まだ少し冷たい風が二人の頬を撫でる。
「ックシュン!」
夏樹は思わずクシャミをしてしまった。
「冷える?」
「あぁ……少しだけ」
夏樹は鼻をすすって笑って答えた。早苗から見える夏樹の鼻が赤くなっている。
「ねぇ! ちょっと温まらない?」
「え?」
「待っててね」
そういうと早苗は走って自動販売機のところへ行った。何かを2本買ってすぐに帰り、手に持っていたそれを夏樹に手渡した。
「ハイ!」
それはコーンポタージュスープだった。
「しばらく熱いから、カイロ代わりに使えるよ」
「サンキュー」
夏樹は嬉しそうに笑い、早苗から受け取ったポタージュスープを頬に当てた。
「あったかい」
夏樹が頬を赤くして笑った。早苗の心臓の鼓動が高鳴る。
「ねぇ、ナツ」
早苗は立ち上がって後ろを指差した。
「ちょっと上へ上がらない?」
「上?」
早苗が指す方角は、階段を上がった神社の広場だった。早苗に引かれるがまま、夏樹は上へ上がった。
「うわぁ……!」
上がった夏樹の目の前に広がったのは、一面真っ赤に染まった町並み、田んぼ、畑、そして空だった。
「どう? 綺麗でしょ。稲賀沢でも一番綺麗だって私が思ってる場所なんだ」
「……スゲェ」
不意に、明日香と約束した『二人きりの座席』のことが蘇った。田んぼが家へ、畑がビルへ、カラスの鳴き声が街を行き交う人と車の音に変わる。
「ナツ?」
夏樹が涙を流した。早苗はあまりに綺麗に見える夏樹の顔を見て心臓がドキドキ鳴りっぱなしだ。
「ナツ……」
夏樹は震える手でそっと早苗を抱きしめた。ガサッ、と芽吹き始めた草の上に早苗が持っていたポタージュの缶が落ちる。
「ナツ……私ね」
「……。」
夏樹は何も答えない。
「夏樹のことが好きなの」
「……。」
なおも続く沈黙。その状態が5分ほど続いて、ようやく夏樹が口を開いた。
「サナ……」
「何?」
しかし、その次に出てきた言葉は早苗が期待していたものとは違うものだった。
「ゴメンな……」
ザァッと強い風が吹き、早苗の髪の毛が夏樹の頬に触れた。




