第39話 明日香の部屋の席
3月に入って関東地方は急に暖かくなった。明日香も最近はマフラーをせずに登校する日が増えてきている。
そんな明日香だが、天気予報の際には神奈川県以外にもしっかりと予報を見る地域が増えた。それは言うまでもなく、秋田県だ。
秋田県は今でもしっかりと雪だるまマークが並んでいる。東北地方はまだまだ冬の気配が抜けきらないようで、最低気温は1℃という日すらあるのだ。最高気温も10℃程度で止まる日がある。
「なっちゃん……風邪ひいてないといいけどな」
明日香は朝食のアジを口に運びながら呟く。連絡は、まだ来ない。夏樹が転校してからまだ少ししか経っていないのにも関わらず、明日香にとってはもう3ヶ月くらい過ぎたような気がしていた。
夏樹が転校して以来、クラスの面々にも劇的な変化が起きている。
まず、嘉村恭輔はあれだけ活発だったのに、今ではほとんど口を利かなくなってしまった。特に明日香や水穂とはほとんど喋らない。喋ってくれないのだ。それ以外は普通に喋っていることから考えると、何か後ろめたい気持ちがあるのかもしれない。
半田敬吾。彼は週1回学校に来ればいいような状態になってしまった。いわゆる不登校だ。
和田ちひろ。以前のように明るく活発な雰囲気になったが、時折見せる暗さがまだ夏樹のことを引きずっているという明確な証拠になっていた。
そして、飯沼水穂。彼女はもう、夏樹のことを忘れようと思うと言った。なぜかと聞いたのだが、夏樹が吐血したのは紛れもなく彼女が渡したチョコレートが原因のひとつだった。もちろん、夏樹が自ら口にしたし、水穂自身夏樹のチョコレートアレルギーはまったく知らなかったのだから、彼女に悪い点などあるはずもないのだ。
しかし、夏樹が転校してしまうような事件を引き起こした原因は自分にあると水穂は思っているようで、もう手紙もメールもせずに彼に自分のことを忘れてもらうつもりだと言った。
そして今日。水穂から手紙を預かった。夏樹からメールが来たときに、一緒にその手紙の内容を送ってほしいということだった。
「ただいま」
明日香は静かに勝手口から家へ入った。春の野菜が入荷されセールを最近、明日香の八百屋ではやっていたので表から入れないくらい奥様方が押し寄せていたのだ。当然両親は店に出ているので、家へ入ったところで誰も「おかえり」と迎えてくれることなどない。
「おかえり」
「へ?」
明日香が驚いて部屋を覗き込むと、花菜がおやつのクッキーを頬張りながら雑誌を読んでいた。花菜は念願の私立高校に無事合格し、今は悠々自適の日々を送っている。そんな花菜が自宅にいることを明日香はすっかり忘れていた。
「ただいま」
「おやつあるよ? 食べないの?」
「とりあえず、メールチェックしてから降りてくるよ」
「そっかぁ。夏樹くん、そろそろ落ち着いてるだろうから今日あたりメール来るんじゃない?」
花菜は笑顔で明日香に言った。
「私もそう思いたい。でもなかなか来なくってさ。結構寂しいよ」
「大丈夫よ。夏樹くんはそんないい加減な子じゃないから。そろそろ来てるって」
「そうかもね。ありがと、お姉ちゃん」
明日香は花菜の気遣いに少しの恥ずかしさとたくさんの嬉しさを感じながら2階へ上がった。
パソコンの電源を入れる。すぐに起動してデスクトップが映る。デスクトップの壁紙は――自然学校で写した写真を拡大したものだった。
あの時、本当に偶然だったけれども夏樹と隣同士になったのだ。あの時はまだ元気だった夏樹。
――岡本〜! もっと仲良しな雰囲気出して写らない?
――やだよ、そんなの。別にふつうでいいじゃない
――いいからいいから、ほら、もうすぐ写るって!
――ちょ、もう。強引だなぁ
そうして写ったのがこの写真だった。夏樹が明日香の肩に手を回してくれている。あの時、こんなに夏樹との距離は近かったのだ。当たり前だと思っていた時間と空間があっという間にねじれ、乱れ、今のような状態になってしまった。
「何がキッカケでこうなるかわかんないなぁ……」
明日香はため息をついてからメールを立ち上げる。それから受信のボタンをクリックする。
『12件の受信メールがあります』
すぐに全部を受信する。明日香は1件1件チェックしていく。1件目はアマゾンからの広告メール。2件目は花菜が書いているブログのお知らせメール。3件目と4件目は八百屋でやっている通販の依頼メール。
それからもまったく明日香に関係ないメールばかりだった。全部いちおうクリックして覗いては見るが、やっぱり関係のないメールばかりだった。
「今日も来てない……か」
メールを閉じようとした瞬間『メールを1件受信しました』という表示がリアルタイムで出た。
「おっ、グッドタイミング。どれどれ」
メールアドレスを確認すると、見たことのないアドレスであることに変わりはない。
morning-warehouse@eonet.ne.jp
「morning? 朝……」
明日香は気になって「warehouse」という単語を調べた。意味は「倉庫」。
「朝……倉庫……。朝……倉!?」
驚いてメールをクリックすると、長い長い文章が打たれていた。しかし、その冒頭を見れば誰からのメールか一発でわかった。
『2003.03.05(Wed)
☆Dear 岡本明日香様☆
久しぶり! 元気にしてる? 覚えてるかな、俺のこと(笑)
朝倉夏樹です。秋田県は稲賀沢町の叔父さんの家から送ってます。いとこのお兄ちゃんの奏七太(そなたっていう名前だよ。カッコよくね?)兄ちゃんのパソコン借りて送ってます♪ 兄ちゃんがわざわざ俺用のメールを準備してくれて……! これから毎日メール送れそうだよ。
秋田県ってチョー寒いんだけど!(>_<) 天気予報見てたら、たまに神奈川のほうは14℃くらいの日もあるんでしょ? 羨ましいよなぁ。
でも秋田ではめっちゃんこ雪降ります! 登校するときに何回こけたかわかんないもん(^^;) 雪だるまも何回も作ったし☆
あ、学校は俺を入れて8人しかいないんだ(笑) でも校舎も綺麗だしみんな優しいし♪ 初めは転校が嫌だったけど、今は転校して良かったかな、と思います。
岡本もいつか遊びに来てね! 待ってるから☆』
それから何行もの空白行を挟んで、文章は続いていた。
『今さらだけど、俺の本音を書きます。嫌だったらここから下は見ないでください。』
明日香はかなり緊張した。それでも、見ないままメールを閉じるのも返信するのも嫌だったので勢いよく下へスクロールした。
『俺は、岡本が好きです。大好きです。もしよかったら……しばらくメールで交換日記的なことをしませんか? もちろん、岡本が嫌ならハッキリ言ってくれていいから。返事、待ってます』
心臓がバクバク鳴っているのを明日香自身、はっきりと感じ取っていた。しかし、答えは一つだ。
『☆朝倉夏樹サマ☆
メールありがとう。すっごく、すっごく嬉しかったです♪
学校、人数少ないんだね! ビックリしちゃった。私もそっちへ行ってノンビリした学校生活送りたいな〜。いつか案内してね?
それから……一番下に書いてあった件のお返事もしておきます。』
緊張しつつも、しっかりとその文字を打ち込んだ。これだけで十分だ。
『よろしくお願いします』
「これでヨシッ!」
明日香は送信ボタンを押す。それから机の上に置いた水穂の手紙を見て、少し後悔しつつもその手紙の内容はまたの機会に送ろうと決めて、下へおやつを食べるために明日香はメールを閉じてからパソコンをシャットダウンさせた。




