第38話 新たな席
「失礼します……」
3月4日(火)。夏樹は秋田県稲賀沢町立 沖由小学校 足立分校の職員室兼校長室の扉をゆっくりと開き、中へ入った。
「おっ、君が朝倉夏樹くん? 僕はこっちゃある足立分校の教師の林堂靖治ってええます。これがらなんとがね」
「!?」
夏樹は突然訳のわからない言葉で話しかけられてかなり戸惑い、思わず扉の後ろに隠れてしまった。すると奥からその林堂という教師よりも年上らしい先生が彼に言った。
「林堂くん。朝倉くんにあぎだ弁で話しかけても通じねよ。東京弁で話してあげねと」
「あぁ! すいません、つい癖が出てしまって」
「……!?」
ますますもって奇怪な空間に来てしまったと夏樹はオロオロするばかり。
「ゴメンね、朝倉くん。ついつい秋田弁が出ちゃって。僕は君の担任の林堂靖治といいます。これからどうぞよろしく」
靖治は大きな手を夏樹に差し伸べた。
「よ、よろしくお願いします」
夏樹も緊張しながら彼に手を差し伸べた。ギュッと力強く靖治が夏樹の手を握り締めた。
「それから、後ろにいるのは校長の堀江茂一です」
「朝倉くん。よろしく」
「よろしくお願いします……」
緊張はしているが、夏樹には彼らがとても優しい人なのではないかというのは直感でわかった気がした。
その夏樹たちのいる職員室の扉が再び開いたので夏樹が振り返ると、長髪で背が夏樹と同じくらいの女の子が入ってきた。
「おはようあったたいば!! 先生、今日はめちゃめちゃ寒いですね! 私、今日日直なんで、日誌取りに……」
カチッと夏樹と目が合った。そして第一声がこれだった。
「わぁ! イケメンさんだ!」
「へ?」
すると彼女は夏樹のほうに近づいてマジマジとその顔を見つめる。
「う〜ん……目が一重で、シュッとしてて鼻が高い。鼻筋も通ってるし、唇薄め。まさに私の好みね!」
「あ、あの……」
夏樹が戸惑っていると靖治が彼女を夏樹から少し放して「こら! 自己紹介せんか!」とゲンコツを喰らわせた。夏樹は生徒に平気でゲンコツを喰らわせる靖治に驚いたが、それにちっとも参った様子を見せないその女の子にも驚かされた。
「はぁ〜い。私、幾田早苗っていいます。今はまだ5年生で、4月から6年生になります。よろしくね」
「よ、よろしく……」
「それじゃ、次、君だよ?」
「え?」
早苗は夏樹の手をしっかりと握り、言った。
「君の番!」
「あ……はい」
夏樹は少しドキドキしながら自己紹介をした。
「神奈川県から転校してきた朝倉夏樹といいます。よろしくお願いします」
「神奈川! 都会だね!」
早苗は転校生である夏樹が来たことで俄然、テンションが上がったようだ。靖治が夏樹の分の教科書を引き出しから取り出し、早苗に手渡した。
「幾田。教室に一緒に行って教科書どご渡してあげて」
「はーい! 了解です! 行こ、朝倉くん」
グイグイ手を引く早苗に若干振り回され気味の夏樹だが、最後に靖治に礼を言うのは忘れなかった。
「あ、ちょっと待って……えと、ありがとうございました!」
「はいはい。じゃ、また後でね」
靖治も微笑ましい気持ちになりながら、彼らを見送った。堀江校長がため息を漏らす。
「確かに……ちっと人と関わるのが苦手そうに見えるな」
「そうですね。小学生にはきつすぎる経験どごてっぺしてますし……とにかく、注意して様子どご見ておきます」
一方の夏樹は早苗に部屋を案内されながらギシギシと音の鳴る木造校舎の廊下を歩いていた。
「すごいね。木造なんだ」
「そうだよ。この分校、歴史あるんだ」
早苗が自慢げに言った。
「いつこの建物は建ったの?」
「昭和3年って聞いてるよ。戦争でも燃えなかったし、昭和の終わりにでっかーい地震来たけど、それでも潰れなかった頑丈な校舎なんだ」
「ふぅん……すごいな」
夏樹は冨樫小学校を思い出した。冬場は保温性と断熱性が高いおかげで温かかったが、どこか無機質な感じは拭いきれない校舎だったのを覚えている。だからこそ、こういう雰囲気の校舎は慣れてはいないけれど、夏樹は大好きだった。
「ここが昇降口。先生も生徒もここで履き替えるんだよ」
すると、制服を着た少年が入ってきた。
「あ! たくちゃん!」
たくちゃんと呼ばれた少年は夏樹にしてみれば随分とお兄さんに見える人だ。背も高いし、何よりキリッとした表情が大人っぽさをアピールしている。
「さな。おはよ」
「おはよう! あのねたくちゃん、この子今日からここに転校してきた朝倉くん!」
「あぁ、この子? 聞いてるよ。ソナタからちゃんと」
ソナタ。夏樹のいとこである朝倉奏七太のことだ。奏七太とはまた珍しい名前だが、夏樹はこんな名前がカッコよくて羨ましいと思っている。ちなみに、奏七太の妹は樹音といい、某雑誌を思い起こさせる名前になっている。
「なぁんだ。ソナタさんから聞いたのかぁ。つまんないの」
「それより、俺のことよくわかんないだろ。自己紹介させてよ」
そういうとたくちゃんは夏樹の前に立った。随分と背が高く感じる。
「初めまして。俺、新谷拓弥といいます。この分校に通う中学1年生。ここは小学生と中学生が一緒に通うんだ。教室も一緒だからね。よろしく」
「え? 中学1年生ですか?」
「うん。もっと年上だと思った?」
「はい……」
夏樹には衝撃的という言葉以外に浮かんでこなかった。なぜなら、陽乃と拓弥が同い年なのだから。
「よく言われるよね、たくちゃん。老けて見えるんだ」
すると再び早苗がゲンコツを喰らった。本日二度目だが、先ほどの靖治よりもかなり強力なゲンコツだ。
「痛いな〜。私にはキツいんだよね、たくちゃん」
早苗は頭を摩りながらブツブツ文句を言っている。そんな早苗を無視して、拓弥は夏樹の隣に立った。
「とりあえずさ、教室へ行こう。そろそろ先生来る時間だしな」
「あ……はい」
「堅いな〜!」
突然拓弥が大声を出し、バシバシと夏樹の背中を叩いた。
「この分校、朝倉くんを入れても8人しかいないんだから、タメ口利いてくれていいよ!」
「えぇ!? で、でも……」
夏樹は戸惑いながら拓弥の顔を見つめた。
「ほら、試しにたくちゃんって呼んでみなよ」
「たっ……たっ……」
緊張して舌が回らない。しかし、なんとか言い切ることができた。
「たくちゃん……!」
拓弥は嬉しそうに笑い、夏樹の頭をクシャクシャと撫でた。
「よーし! これで少しお近づきになったな。これからもっと仲良くなろうぜ! よろしくな、夏樹!」
「う、うん!」
するとそんな二人に嫉妬して早苗が強引に二人の間に入ってきた。
「それじゃ朝倉くん! 私は『さな』って呼んでよ!?」
「へ?」
「ほら! 簡単でしょ、お願い!」
夏樹は少し赤くなりながら「さな」と呼んだ。
「キャーッ! 嬉しい! よろしくね、夏樹くん!」
早苗はブンブンと夏樹の手を握って振り上げた。夏樹は揺れる視界に少し驚きながらも、ここでならうまくやっていけるという自信が湧きつつあった。