第35話 対面席
翌日。夏樹は小春日和の日差しを受けながらベッドから立ち上がった。
「あら、夏樹くん。おはよう。今日は体調どう?」
三浦看護師が笑顔で夏樹に問い掛ける。夏樹も自然と笑顔になる。こんなにリラックスした気持ちは久しぶりだと夏樹自身、思っていた。
「おはようございます。気分はいいです。少し体がまだダルいけど……」
「微熱がまだ残ってるものね。免疫力が弱ってるから、あんまり無理のないようにね」
三浦はそう言いながら朝食を置いた。
「ありがとー! おいしそう、いただきます!」
夏樹は嬉しそうにベッドに戻り、朝食を口にし始めた。
「あ、おはようございます」
三浦が出ると同時に入ってきたのは、祥夫だった。
「お父さん……! おはよう」
「うん、おはよう」
祥夫は静かに病室に入り、三浦に軽く会釈するとすぐにベッドの正面に置いてある椅子に座った。
「今日仕事は?」
「あぁ……夏樹に話があるから昼から行くと伝えてあるよ。心配するな」
「そうなの?」
夏樹は特に不思議に思わず、朝食のおかずである卵焼きを口に運んだ。
「夏樹」
「なに?」
「夏樹は……病気が落ち着いたら、またあの学校に通うのか?」
「……うん。そのつもり」
「そうか……」
再び沈黙。夏樹は祥夫の意図するところがよくわからないまま、朝食を夢中で食べ続けた。
「夏樹」
「なに?」
さっきと同じやり取り。祥夫は何か言いにくそうな顔をしている。
「どうしたの、お父さん。何か今日変だよ?」
夏樹の的を射た質問に、祥夫は動揺を隠せずにいた。
「どうしたの?」
「……。」
「あ! わかった。何か隠し事でしょ? いいよ。遠慮しないで言って」
「あのな、夏樹」
「うん」
「お父さん、昨日、夏樹の小学校へ行ってきたんだ」
「そうなの? 何で」
夏樹は次に続いた祥夫の言葉を聞いて、持っていたスプーンを落とした。
「夏樹を転校させてほしいって頼んできたんだ」
「……は?」
「夏樹は退院次第、転校するんだ」
「な、何言ってんの?」
夏樹は手を震わせながら祥夫に聞き返した。同時に次には声を荒げて言い返していた。
「なんで勝手にそんなことするのさ! 俺、転校したいだなんて1回も言った覚えないよ!?」
祥夫もつい声が荒くなる。
「お前はイジメを受けて、今度は学校にお菓子を、それもあろうことかお前が一番食べてはいけないチョコレートなんか持ってきたヤツがいるんだぞ!? 学校はお菓子禁止だろう!?」
「そうだけど……バレンタインデーは特別な日なんだ。チョコくらい持ってくるさ!」
「そんなことは関係ない! そういうことが続くような学校……監督不行き届きもいい所だ!」
「そんな難しいこと言われてもわかんないけど、急にそんな理由で転校なんてしたくない!」
夏樹はふてくされて布団を被って祥夫から顔を背けた。しかし、祥夫は強引に布団を取り上げた。
「なにすんだよ!」
「話を聞きなさい!」
「やだ!」
「聞きなさい!」
「……。」
夏樹は祥夫のすごい形相に気圧されてスゴスゴとした様子でベッドの端に座り込んだ。
「夏樹、まだそれほど体調が良くないだろう」
「うん……」
「それも転校させたい理由なんだ」
「……。」
夏樹は俯いたまま返事をしない。祥夫はそれを気にせず続けた。
「転校先は……秋田のおじさんのところを考えているんだ」
「そ……そんな遠くなんて嫌だよ!」
「じゃあ逆に聞くが、夏樹はなんでそんなに転校するのが嫌なんだ?」
その言葉を聞いて、不意に明日香の顔がよぎった。思わず会いたいと思ってしまった。
「言いなさい。お父さんが納得のできる理由でなければ、認めないぞ」
「……。」
「夏樹」
「言いたくない」
「なら、転校だぞ。退院次第、すぐだ」
「やだ!」
「なら理由を言いなさいと言ってるんだ!」
祥夫も我慢できず、朝食の置いてあったテーブルを叩きつけた。ガタン!と大きな音がして食器や箸が少し動いた。
「言ったって、絶対お父さんが認めてくれるような理由じゃないもん!」
その言葉を聞いて祥夫が少し悲しそうな顔をした。言ってから夏樹も後悔したが、ずっと言いたかったことを言えたような気もした。
「なんで……なんでそう思うんだ」
「だって……お父さん、俺のことどれくらいわかってくれるか……わかんないんだもん」
「言ってみなけりゃわからんだろう?」
「そうだけど……」
しばらく沈黙が続いた。
「言ってごらんなさい」
「わかった」
心臓がドキドキする。本当に言ってなんとかなるのだろうか。夏樹にはきっとダメだと思う気持ちが強くあった。
「好きな人が……いるんだ」
祥夫は何も言わない。黙って見つめて聞いてくれている。ひょっとしたら希望が持てるかもしれない。夏樹の胸の中で、温かさのようなものが芽生えてくる。
「俺、その子のこと本当に好きでさ。だから……今は離れたくないんだ」
それを聞き終わるか否や、すぐに祥夫は立ち上がった。
「ど、どうしたの?」
「よくわかったよ」
「ほ、ほんと!?」
「あぁ」
しかし、その後の祥夫の返事は夏樹の期待を裏切るものだった。
「そんな理由では、転校させるしかないな」
「……な、なんで!?」
「人を好きになっただと? 小学校5年生程度で人を本気で好きになれるのか!?」
夏樹は顔を真っ赤にして涙を流しながら叫んだ。
「なれる!」
「調子のいいことを言うんじゃない! とにかく、もう手続きをしてくる。今日はそのために午前中は休暇を取ったようなもんだからな」
そういうと、祥夫は立ち上がってカバンを片手に病室を出ようとした。その時、夏樹は信じられないくらい素直に言葉が出た。
「バカ……」
もちろん、その言葉を祥夫も聞き逃すはずがなかった。
「なんだと? いま、なんて言った?」
「バカ」
「夏樹! 親に向かってなんだ、その言葉遣いは!」
祥夫はカバンを床に投げ捨てて夏樹の胸倉を掴んでそのまま平手打ちを喰らわせた。乾いた音が病室に響く。
「お父さんのバカ! やっぱり、お父さんは俺のことなんかちっともわかってくれてないんだ!」
「何を言ってるんだ! お父さんはお前のことを考えて転校を……」
「それなら、転校したくないっていう俺の気持ちを尊重してよ!」
「好きな人がいるから転校したくないなんていうバカらしい理由でそんなことができるか!」
夏樹の目が突然、虚ろになった。祥夫も掴んでいた手を放し、カバンを取りに行く。
「とにかく、手続きは今日のうちに……」
「……け」
夏樹が何かを呟いたのに祥夫は気づいて振り返った。
「で……け」
「なんだ?」
よく聞こえないので聞き返そうとした祥夫の右耳のすぐ横を何かが飛んでいく感触がした。バサッ!という音と共にドアにぶつかったのは、枕だった。
「出て行け」
「夏樹! またそんな口の利き方を……!」
近づいて叱りつけようとした祥夫の目の前を飛んだのは、今度は箸だった。バラバラ!と音を立てて床に落ちる。
「出て行け! 今すぐここから出て行け!」
そう言い放つ夏樹の目は、明らかに狼狽したものだった。
「な、夏樹、落ち着け、落ち着きなさい」
「俺に命令するヤツなんか大嫌いだ! 出て行って!」
「夏樹……」
祥夫は愕然とした様子で夏樹に近づこうとする。今度は茶碗が飛んできた。瀬戸物のそれは大きな音を立てて祥夫の足元で割れた。
「出て行け! 今すぐ出て行け! もう顔も見たくない! 出てけ、出てけ、出てけ!」
布団やマンガ、筆箱からノートまで夏樹は周りにあるものをどんどん祥夫に向かって投げつける。
音を聞きつけて三浦看護師や他の看護師、中島医師が病室に駆け込んできた。祥夫はすぐに病室から出され、三浦や中島が何度も夏樹をなだめる声だけがその耳に入るばかりだった。
突然の転校を切り出された夏樹は思わず混乱してしまいます。果たして彼の混乱振りを見た父・祥夫は夏樹を本当に転校させてしまうのでしょうか……?




