第1話 向かいの席
2002年4月1日(月)。
朝倉夏樹は家族と一緒に秋田県に旅行に来ていた。父親方の叔父の朝倉 純の家に2泊3日で遊びに来たのだ。
ここは秋田県 稲賀沢町。人口1万人弱の小さな町だが、自然豊かでのんびりした町である。春休み、夏休み、冬休みには毎回夏樹たちは純の家へと遊びに来ている。
稲賀沢町のほぼ中央を走り抜ける秋田いなほ鉄道。夏樹たちは純の家から最寄り駅となる本釜駅から乗車し、帰路についていた。午後1時半。1時間に3本という列車の数は夏樹にとってはとても新鮮なものであった。
「涼し〜」
夏樹は1両編成の列車の窓を開け、入ってくる春風の心地よさを味わっていた。サッカー大好きの夏樹だが、同じくらい電車が大好き。
「夏樹〜、寒いわ。窓閉めてよ」
姉の陽乃が居眠りしていたのに目を覚まして窓を閉めるように言ってきた。
「なんだよ。姉ちゃんの渋ちん。せっかくいい景色で気持ちいい風なんだから、楽しく味わえばいいのに」
「ジジ臭いこと言って。いいわ、私、あっちの席座ってくる」
陽乃は夏樹の向かい側の席から離れて運転席寄りの場所へと移動した。夏樹はそのまま窓を開けて過ぎ行く景色と心地よい風を楽しみ続ける。
「まもなく、稲賀沢、稲賀沢です」
車内アナウンス(ワンマンカーなので車掌はいない)が響いた。次の駅にもうすぐ到着するようだ。
夏樹は少し身を乗り出して、駅のほうを見つめた。乗客らしい、5人の姿が見える。それに、何やら挨拶をしている人が3人。彼らは乗客ではないようだ。
列車が減速し、ゆっくりとホームに滑り込んだ。
5人の乗客の乗車位置ピッタリに停車し、ドアが開く。
「それじゃお義姉さん、どうも3日間お世話になりました」
5人家族の父親らしい男性が挨拶をする。
「やだわぁ、変にかしこまっちゃって! 家だと思っていつでも来てくれたらいいんだから、またすぐに電話してよ」
女性が続いて出てきた。
「それじゃ姉ちゃん。また連絡するわね」
「了解だよ。いつでも連絡しな! それじゃ、ハルちゃん、アスちゃん、ケイちゃん。またね!」
オバサンの明るい声に2人の女の子と1人の男の子が同時にペコリと挨拶をした。
「それじゃ、また来るね!」
ケイちゃんというらしい小さい男の子がかわいらしくお辞儀をした。続いて、ハルちゃんらしき大人びた少女が「お世話になりました」とお礼を言う。
「お世話になりました。伯母さんのお料理、やっぱり大好きです」
アスちゃんというらしい、夏樹と同い年くらいの女の子。
夏樹は3人の子供たちをジッと窓越しに見つめた。
「それじゃ、そろそろ電車発車するから乗るよ!」
お母さんらしい女性が子供たちに促し、夏樹たちの乗っている列車にドヤドヤと乗り込んできた。
「夏樹。他の方も乗ってきたから座りなさい」
夏樹の母・由利に促されて、夏樹はおとなしく普通の座り方で座った。
夏樹から見て向かいの席。端からケイちゃん、ハルちゃん、お母さん、お父さん、そしてアスちゃんが座った。
「ドアが閉まります。ご注意ください」
扉が閉まり、列車が動き出したときだった。
夏樹はアスちゃんが彼に向かって手を振ったように錯覚した。
夏樹は思わず振り返そうとして、その向こう側にいる伯母さん、伯父さんに振っていたことを理解して上げかけた手を下ろした。
(何やってんだろ、俺……)
顔が熱くなる。恥ずかしい。でも、相手にもその家族にも、自分の家族にも気づかれていなかった。
稲賀沢駅を出て10分近く経った。
夏樹はニンテンドーDSを取り出して、ゲームを始めた。夏樹が初めて買ってもらった機種だったから、今でも大切にしている。
由利や父・祥夫、陽乃はうたた寝をしている。相手の家族もうたた寝をしていて、起きているのはどうやら夏樹と運転手だけらしい。
「あっ、クソ〜……いっつもここで進まないんだよなぁ」
夏樹は苦手なRPGをあえてやっている。周りの友達がやっているから、話を合わせるためだけにやっているようなものだ。
「リプレイ……」
不意に、DSの画面が暗くなった。
「ん?」
見上げると、目の前にアスちゃんが立っていた。
「へ?」
「困ってる?」
アスちゃんはニッコリ笑いながら聞いてきた。
「まぁ……恥ずかしいことに俺、RPG苦手なんだ」
「苦手なの?」
「うん……」
なんで女の子に、それも初対面の子にこんなことを話しているのか。夏樹は恥ずかしくなってきた。
「なのにやってるんだ」
クスッと笑われて恥ずかしくなった。
「しょうがないじゃん。やってないと、クラスの子の話題についていけない……」
「話題に追いつくためにやってるの?」
「……。」
墓穴。
さらに恥ずかしくなってしまった。
「じゃあ、とっておきの話題教えてあげる」
急に隣にアスちゃんが座ってきたので夏樹はかなり驚いた。
「そ、そんなにビックリしなくても」
「ご、ごめん! なんかホント驚いて……」
妙な間ができてしまった。
「いい? 今から私が言うこと覚えてね」
「あ、うん」
スゥーと息を吸ってから、言い始めた。
「キーを順番に、上右下上下右左上上下右左上下右右左の順に押して」
あまりの速さに聞き取れなかった。
「ふぇっ!? 早っ! ちょ、ゆっくりゆっくり!」
「もー、こんなのも聞き取れないの? ダメじゃん」
アスちゃんはクスクス笑いながら夏樹を見つめた。
「そんなの、聞き取れるほうが人間じゃない」
「人間じゃないだって。おもしろいね、君」
「……。」
アスちゃんというこの子は、笑うとえくぼができる。
「ねぇ、君、名前なんて言うの?」
「俺?」
アスちゃんはコクリとうなずき「そう、君」と言った。
「夏樹。朝倉夏樹」
「ナツキ?」
字が思い浮かばないのか、アスちゃんは首をかしげた。
「うん。女の子みたいだろ……だから、俺はなんとなくこの名前嫌い」
「どんな字、書くの?」
夏樹は持っていたカバンからメモ帳とシャーペンを取り出してサラサラと書き出して、それをアスちゃんに手渡した。
「春夏秋冬の『夏』に樹木の『樹』で、夏樹」
「ふぅん……」
アスちゃんはしばらく黙ってその紙を見つめていた。
「そんな見るようなコトかな?」
「ううん。そうでもないけど」
ハッキリ言われてちょっとショックだった。
「……ハッキリしてるね、君」
「でも」
アスちゃんが急に笑って返した。
「夏樹って、いい名前だと私は思うな」
「……。」
開いた窓から、爽やかな風が吹き込んできた。その風が夏樹の頬を撫でて、アスちゃんの肩まで伸びた髪をフワリとかき上げた。
「私は」
夏樹はハッと気づいてアスちゃんの顔を見つめなおした。やっぱり、えくぼがステキだ。
「岡本明日香っていいます。明日が香るで、明日香。よろしくね」
「よ、よろしく……お願いします」
明日香の背に太陽があったからか、夏樹は明日香の顔をまともに見れなかった。
今思えば、恥ずかしくて、意識して見れなかったんだと思う。
夏樹は、今になってそう思った。
夏樹と明日香の出会いは、秋田県を走る素朴な電車の車内。ここが始まりでもあり、終わりでもあるのです。




