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第26話 隣り合う席

 25日(金)。長かった自然学校もとうとう終わりになった。冨樫小学校5年生はバスに乗り込み、七海市へ向けてバスは発車した。

 帰りの席は左から未波、建都、補助席に和真、水穂、夏樹の順。当然だが、夏樹は水穂にキスをしたことなど伝えていない。好きだという気持ちすら伝えていないのだから、そんなことなど伝えられるはずもなかった。

 顔を向けられない。夏樹は水穂の顔を見るだけでドキドキしてしまうので、とてもではないが見れる状態ではなかった。思い出すだけで水穂の唇に自分のそれを重ねた光景が蘇り、なんだか落ち着かない気分になる。

 水穂は水穂で、ちっとも自分の顔を見てくれない夏樹にモヤモヤした気持ちを抱いていた。

 和真は居眠りをしているし、未波と建都はカードゲームに夢中。前後の席にいる生徒も話をしていたりしているので、静まり返っているのは夏樹と水穂くらいだった。

 しかし、それも1時間もすれば全員が静まり返っていた。疲れが出て一人、また一人と眠りに落ちていく。水穂も眠気が限界に達し、ウトウトしていた。一方の夏樹は前夜、爆睡していたのでちっとも眠くない。

 ふと気づくと、起きているのは夏樹だけになっていた。

 さらに、けっこうな霧が出ていて冷え込んできていた。バスの車内もいちおうエアコンで暖かめの風は出ていたが、それでもけっこう車内も冷えている。

 夏樹がなんとなく水穂を見てみると、寒そうに縮こまっていた。

「……。」

 起こさないように上着を脱いで、それを水穂に被せる。少し寒くなったかもしれないが、水穂のためなら構わないと思えるようになった。

 立ち上がって水穂に上着を着せた後、前にいたのが明日香であることにも気づいた。明日香も寒そうな様子だった。

「……。」

 夏樹は何か羽織るものがないかどうか確かめた末、自分のトレーナーを脱いで明日香に被せた。女の子に寒い思いをさせるくらいなら、自分が寒いほうがマシ。夏樹はそんなことを考えていた。


「みーずほ!」

 一人きりで教室で待っていると、夏樹が飛び切りの笑顔で水穂に話し掛けてくれた。

「夏樹くん!」

 水穂も思わず嬉しくなって夏樹の手を握る。教室には二人きり。夕焼けが綺麗で、ちょうど逆光になった夏樹の顔は暗くなって表情が見えない。

「……。」

「……。」

 ふと見詰め合う二人。そのまま、少し背が高くなった夏樹の顔が水穂の顔に近づく。そして、そのまま夏樹の唇が重なる直前――。

「ハッ」

 気づけば、そこはバスの中だった。何人かの生徒はまだ眠っているようだが、窓の外の景色が山中から都会へと変わっていた。高速道路を降りたところらしい。緑色の看板が見えた。

「え?」

 見たことのない上着。女の子のものではない。柄がけっこう派手で、男の子のものだった。それがちょうど水穂の口と鼻を覆うように被さっていた。そこから漂ってくる香りは、間違いなく夏樹のあのシャンプーの香りだった。

「え? え?」

 隣を見ると、半袖姿の夏樹がいた。

「やだ! ねぇ、朝倉くん、朝倉くん! 風邪ひいちゃうよ!」

「うーん……」

 それでも夏樹は起きようとしない。水穂の声に先に明日香が起きてしまった。

「え? やだ! 誰の服!?」

 その声でようやく夏樹が起きた。

「あぁ〜、それ、俺の服」

 夏樹が眠そうな目をこすりながら前の座席に体を出して、グイッと明日香の手に握られていたトレーナーを引っ張った。

「え? なっちゃんの?」

 明日香が唖然としている間に、今度は水穂から上着を引っ張って取った。

「だってさぁ、二人とも寒そうなんだもん」

「だからって……半袖になるくらいだったらいいのに」

 水穂が赤くなって答えた。

「いいの。俺が寒そうって思って、被せてあげたいって思ったからそれでいいの」

「……ありがと」

 水穂と明日香は同時に呟いた。水穂の周りにはまだシャンプーの香り。明日香の周りには柔軟剤の香りが残っていた。

(なっちゃんの香り……)

 明日香はその残り香をソッと匂いながら、夏樹の優しさを思い出していた。

(夏樹くんの腕、意外と太かったな。筋肉質……かな)

 水穂は半袖から見えていた夏樹の腕に少しドキドキしていた。いろんな思いが交錯する中、バスは冨樫小学校前に到着した。


「ゲホッ……ゲホッ」

 解散式が終わり、自宅へ着くなり夏樹は咳をし始めた。

「やだ。咳?」

 由利が心配そうに夏樹の額に手を当てた。

(あつ)っ! ちょっと、熱測ってごらん!」

 1分もしないうちに電子音がリビングに響いた。

「ウソ! あんた、38度5分も熱があるじゃないの! なんともないの!?」

「……そういえばちょっと寒い」

 返答もボーッとしている。これは相当悪いようだ。

「とにかく、すぐに布団に入りなさい。後で冷えピタ持っていってあげるから。飲み物はどうする?」

「ポカリがいいな」

「わかった。いい? すぐに上がって布団に入るのよ?」

「はーい」

 夏樹はフラフラしながら自分の部屋に転がり込み、そのまま布団を押入れから引っ張り出してすぐにイビキをかき始めた。

 風邪の原因はわかっている。バスの中であれだけ薄着になったのだから、当然だろう。でも、夏樹は後悔なんてしていなかった。二人のために風邪をひけたなんて、本望じゃないか。そう思っていた。

 隣り合った席。真正面にいた明日香も隣り合っていたなんていえるだろうか。それはわからなかった。けれど、もうあんな機会はない気がする。

 水穂の笑顔が頭をよぎる。そして、明日香の笑顔。

 そのまま夏樹は、深い眠りに落ちていった。

水穂への気配り。明日香への気配り。夏樹は水穂のことが好きだと自覚したが、明日香への気持ちも忘れられない。それは明日香も同じだったのかもしれません。


その気配りの代償がもたらした風邪。この風邪がもたらすものは……?

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