第23話 補助席
あの“騒ぎ”から1ヶ月半が経った。
季節は夏から秋へと移り変わり、夏樹の着る服も半袖から長袖の厚いトレーナーなどに替わりつつあった。
10月21日(月)。今日から富樫小学校5年生は4泊5日の自然学校へ出かける。夏樹はいま、そのバスの中にいた。
あの騒ぎのことを、夏樹は絶対学校の人には言わないでほしいと祥夫、由利、陽乃に念を押した。祥夫はそれを許そうとはしなかったが、夏樹が何度も何度もそれを繰り返すので、祥夫も折れたという形になった。しかし、大迫先生だけには伝えるという由利の強い意志により、大迫先生には全て事細かに伝えられたようだった。
あの“騒ぎ”を目撃した恭輔、敬吾、ちひろ、明日香の4人も表面上は特に変化なく見えるが、恭輔と敬吾、ちひろの3人はパタッとイジメを止めてしまった。もちろん止めないほうが変だけれども、急な変化にクラスメイトは戸惑いを隠せないようだった。
それだけではない。
夏樹は風邪でしばらく学校を休んだということになっていたが、久しぶりに教室に顔を出した夏樹の表情にクラスメイトは違和感どころか、気味悪さすら感じていた。
普通に会話はするのだが、あまり表情が変化しなかった。変化しないというよりも、変化してもすぐに無表情に戻ってしまうのだ。笑顔で「ありがとう」と答えてもすぐにまた無表情に戻る。そんな状態だった。
女子生徒はそれを不気味がっていたが、男子生徒はやはり夏樹に対するイジメのような行為を繰り返し続けた。もちろん、それに気づかない学校側の対応にも問題はあったのだが、あれ以来夏樹はちょっとのことでは動じなくなっていた。
そんな中で迎えた自然学校。夏樹の班は以下のようなメンバーだった。
・朝倉 夏樹
・飯沼 水穂
・神田 和真
・岸 未波
・木暮 建都
男子3人、女子2人。幸い、未波も建都も和真も夏樹に対するイジメに加わってはいない、いわば傍観者。別に夏樹にしてみれば、彼らがいようといまいと関係ないといった様子だった。
現に、いまこのバスでの座席も夏樹は通路にある補助席に座っていた。誰とも関わりたくない。関わる必要もないのだと考え、自分から補助席に座った。左から建都、和真、夏樹、水穂、未波の順番で座っている。
「朝倉くん」
水穂が声をかけてきた。いま、このクラスで夏樹が本当に心を開けるのは水穂、明日香の二人だけだった。後は誰も信用できない。それが夏樹のクラスに対する印象だ。
「なに?」
しかし、信用できる人に対しても夏樹はあまり積極的に会話をしたりしようとしない。それは家でも同じだった。特に、祥夫と由利に対しては本当に必要最低限のことしか話さない。陽乃に対する依存心が強くなりつつもあった。
「私ね、家でビスケット焼いてみたの。食べない?」
「……。」
夏樹のあまり輝きのない目を見て水穂は落ち込んだ様子を見せた。不意に、夏樹の心が痛むような感覚に襲われた。
正直、夏樹はあの騒ぎより前の記憶、それも夏休みあたりからの記憶がアヤフヤであまりない状態だった。
――朝倉くん……なんで言わないの?
――そんな……
あの廊下での出来事。寂しそうな水穂の顔だけが鮮明に蘇った。
水穂の手に、夏樹の温かい手が触れた。
「ありがと。もらうね」
「……うん!」
水穂は久しぶりに夏樹が笑った顔を見た気がしていた。夏樹も久しぶりに自然な笑顔を出せた気がしていた。
「おいしいよ」
自然と言葉が出てきた。
「ホント!? 良かった〜! 朝早く起きて作ったカイがあるよ」
水穂が嬉しそうに声を上げた。その声を聞いて明日香が後ろを振り向いた。夏樹と目が合う。
夏樹はまた自然に、明日香に手を振った。
「!」
明日香は思わず赤くなってしまったが、小さく振り返しておいた。それを見た水穂が、嫉妬に近いような気持ちになるのを彼女自身が理解できずにいた。
オリエンテーションが終わると、もう午後4時半だった。旅館の周りは滝や公園がたくさんあり、先生たちも見回りをするので自由に回っていいということになっている。
「なぁ、飯沼と朝倉は行かないの?」
建都が二人に声をかける。しかし、夏樹は寝転んだまま返事をしなかった。水穂も「バスでちょっと酔っちゃって……やめとくね」と苦笑いで返した。
「そっか。じゃあ俺らは行ってるね」
そう言って和真、建都、未波の3人は部屋を出て行った。
「……朝倉くん」
水穂はそっと夏樹に声をかけてみた。しかし、返事がない。
「朝倉くん?」
覗きこむと、夏樹はスゥスゥと寝息を立てて眠っていた。
「……寝ちゃったのか」
水穂はしばらく夏樹の顔を見つめた。
お姉さんがいると言っていた夏樹。一度だけ、家族写真か何かを4年生のときに見せてもらったそのお姉さんの顔は本当にまだ小学生だろうかというくらい、綺麗な顔をしたお姉さんだった。
夏樹はその美人なお姉さんとは少し顔のタイプが違う。陽乃はお母さん似だったのに対し、夏樹はお父さん似。一重でキリッとした目。唇は柔らかそうな印象。夏樹に一度、香水か何かを付けているのか聞いたこともあった。とてもいい香りがしたからだ。その時、夏樹は笑いながら「シャンプーの香りだよ」と返してくれた。その後言ってくれた言葉が忘れられない。
「そんなの言われたの、初めて。飯沼、ちゃんと人のこと見てくれてるんだね」
「……私はずっと、夏樹くんのこと見てたんだよ」
コンコン――。
急にドアを叩く音がしたので、水穂は驚いてそちらを見た。
コンコン――。
何か用事だろうか。先生かもしれない。
水穂は慌てて「はい! いま開けます」と返事をしてドアを開けた。
「あっ……」
そこにいたのは、明日香だった。
あの事件から季節は変わり、秋へ。夏樹たちは小学5年生最大の行事、自然学校へ向かいます。そして部屋割りは水穂と夏樹が一緒の部屋に、そこへ明日香がやってきた明日香は――。




