第22話 昔あった席
「……! 夏……。……樹!」
誰かが呼ぶ声で、夏樹は目を覚ました。
「夏樹!」
綾音が心配そうに夏樹の体を揺らしていた。隣で玲子がタオル片手に覗き込んでいて、圭太と花菜もいる。
「よかった……気づいたよ、おばさん」
綾音がホッとした表情を見せる。
「急に倒れたんだよ、夏樹くん。おばさんも綾音ちゃんもビックリしたわぁ。だってお茶入れて帰ってきたら、仏壇前で倒れてるんだからねぇ。いくら明日香と仲が良かったからって、明日香のところへ行ってもらっちゃ困るんだよ?」
きっと冗談ではない。玲子は、真剣にこう言ってるのだと夏樹は理解した。玲子はあの日――櫓の日のこともすべて知っている。
「夏樹くん、きっと疲れてるんだよ。今日は帰ったほうがいいわ」
花菜が夏樹の汗を拭いながら優しく声をかけた。その様子が明日香を彷彿とさせるので、夏樹には少し辛いものがあった。
「そうだね。もう6時半だし、暗くなっちゃったから帰るほうがいいね」
玲子もそう言いながら、バタバタと隅に固めてあった夏樹と綾音のカバンを持ってきてくれた。
「すいません……急に押しかけた上にご迷惑おかけして」
「やだねぇ! 夏樹くんとウチの仲じゃないの。そういう水臭いこと言いっこナシ!」
ガハハ!と玲子が威勢良く笑い飛ばす。綾音も思わず笑ってしまい、つられて夏樹が笑った。
帰り道。綾音と夏樹は特に言葉を交わさず、商店街を抜けていった。商店街を抜けると神社がある。その神社の手前で急に夏樹の歩くスピードが落ちた。
「夏樹?」
「綾音。聞かないの?」
「何を?」
「俺が、あの4人で写ってた写真の3人……いや、2人と疎遠になった理由」
わざとらしく、冷たい風が急に吹き始めた。紅葉した葉が散り、夏樹と綾音の間に降り注ぐ。
「聞きたいよ」
綾音はハッキリ返し、それから続けた。
「でも、アンタ、その写真見ただけでぶっ倒れたやん。相当話したくない理由があると見た! だから、あたしは夏樹が話してくれるのを待つことにしてん。わざわざ、人の思い出したくないことホジクり返してまで聞きたくないからね」
夏樹がそっと綾音の手を握った。思わず鼓動が早くなる。それから綾音は夏樹の顔を見た。いつもの、優しい夏樹の笑顔がそこにあった。
「話すよ」
「……いいん?」
「もう……いいんだ」
夏樹の顔が少し寂しそうになる。
「もう――7年も前のことなんだから」
夏樹は綾音の手を引いて神社の境内に入った。夜の神社は街灯こそあるが、やはり不気味だ。
「座ろう」
夏樹が散らばっていた葉を払い落とし、ベンチに座るように綾音に促した。綾音は小さくうなずき、夏樹の隣に座った。
しばらく沈黙が続いて、不意に夏樹が言葉を発した。
「あそこ」
夏樹が茂みのほうを指差した。
「見える?」
「……茂みなら」
「茂みが少し、欠けてるのわかる?」
「うん」
「あそこに昔……そうだな。ちょうど5年前まで火の見櫓があったんだ」
夏樹が懐かしそうに笑う。
「なんか思い出あったん?」
「うん」
「そっかぁ〜。さては、明日香さんとの秘密の場所やったとか?」
夏樹がプゥッと頬を膨らませた。
「なんでわかるんだよ」
「やっぱりなぁ。なんとなく。あたしも誰かと仲良くなったら、秘密の場所とかほしいと思うかも。親も親友も知らへん、彼氏と二人きりの場所」
「ハハッ! 俺たち、似たもの同士かもしんないな」
夏樹の今の一言が、強く綾音の胸を締め付けた。キュンキュンしっぱなしだ。
「もう……熱くなってきた」
綾音がそういうと夏樹は「え? 熱あんじゃね?」といって額を綾音の額に引っつけてきた。
「ヒャア!」
綾音はたまらず後ろに退き、そのままベンチからひっくり返ってしまった。
「だ、大丈夫かよ?」
「な、なんとか」
「ホラ、手」
夏樹はしっかりと綾音の左手を握り、引き上げてくれた。
「あーあ。葉っぱがスカートに付いてる」
サッとすぐに払ってくれた。綾音は夏樹のこういう小さな気配りもできるところが大好きだ。
「ありがと」
再び沈黙が落ちる。今度は綾音のほうからその沈黙を破った。
「で? その火の見櫓でなんかあったん?」
「うん……まぁ」
「……。」
話しにくそうにする夏樹。
「ノロケやないんでしょ?」
「え?」
「真剣な話。違う?」
夏樹は小さくうなずき「うん……」と返した。
「話して」
綾音は優しく夏樹にそう促した。
「……いいのか?」
「さっきも言うたけど」
綾音が少し厳しい表情で言った。
「あたしは夏樹の全部、受け入れるつもりでおる」
「……うん」
「だから、言うて」
「わかった」
夏樹は覚悟を決めて全てを綾音に話した。
5年生の夏休み。先ほど写っていた少年が明日香とは違う少女に告白して以来、4人の仲が急速に悪くなったこと。
夏休みに明日香と親しくしていたところをクラスメイトに目撃され、それを新学期にバラされたこと。それが発端となったケンカ以来、クラスで仲間はずれにされ、イジメを受けたこと。
「それから……俺ってヘタレだから、イジメに耐えられなくなって……」
綾音が突然憤慨しながら叫んだ。
「当たり前やん! なんやの、そいつら! かんなりムカつく! 夏樹、アンタ優しすぎる! キレてもえぇくらいやで!?」
「お、落ち着けよとりあえず」
「あぁ……うん、よし、深呼吸」
綾音は深呼吸を三回してから「よし! 続きを」と言った。
「それで……家でイジメを追及されて……多分、精神的におかしくなってたんだろうな。俺、家を飛び出してこの神社にあった火の見櫓に気づいたら来てたんだ」
「ははぁ……明日香さんとおった場所で落ち着きたいってとこ?」
「ううん」
「え? ちゃうの?」
「うん」
「じゃあ、なにしに来たん?」
夏樹は少しためらった後、その言葉を放った。その言葉を聞いて、綾音は耳を疑った。
「自殺」
自殺――。
じさつ。
ジサツ?
「ウソ……や」
綾音が震えながら返す。
「ううん。ホント。今にしてみれば、なにやってんだ、俺って感じだけど」
ヘヘッと夏樹が笑う。しかし、その声は震えていた。
「ゴメンな……重すぎだよ。俺……重すぎるよな。男のクセにこんな……弱いの、無理だろ。綾音」
「……。」
「だから俺なんかと付き合うのはや……め……」
綾音がそっと夏樹を抱き締めた。
「話してくれて……ありがとう」
家へ帰ると、夏樹はすぐに自分の部屋に上がった。
「おかえり、夏樹」
由利が声をいつもかけてくれる。5年生のあの事件以来、特に気を配ってくれているのだと夏樹は感じていた。
「ご飯、食べるでしょ?」
「うん」
「じゃあ用意するから着替えてらっしゃい」
「はーい」
夏樹は二階へ上がり、自分の部屋に入った。
ベッドに制服のまま寝転がった。
(話してくれて……ありがとう)
あの時、綾音の顔が辛くてまともに見れなかった。その後彼女を家まで見送り、別れた後に気づいた。
夏樹の制服の胸元が濡れていることに。
綾音は泣いていたのだ。泣いてくれたのだ。5年生――7年も前の夏樹の出来事に。
「……明日あたり、お別れかな」
この話をした次の日、必ず夏樹はフラれていた。しかも、全員同じセリフを吐いて。
「話してくれてありがとう、か……」
今まで付き合った子たちのありがとうはどういう意味だったのか、夏樹にはわからない。けれど、ケジメをつけさせてくれてありがとう、という意味があったと夏樹は確信している。
「……。」
急に眠気が襲ってきた。昨日の晩、古文の宿題をするのに追われて夜更かしをしたせいかもしれない。
そのまま夏樹は吸い込まれるように眠りに落ちていった。
今はなくなった櫓での出来事を綾音に話した夏樹。ひとつひとつ、夏樹は明日香との思い出を綾音に語り始めます。果たして、現代の夏樹が考えていることとは……。