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第21話 一人きりの席

「……岡本」

 夏樹が呟く声はもちろん、下にいる誰にも聞こえるはずがなかった。しかし、明日香は小さくうなずいた。

「そこ……朝倉くん……ううん! なっちゃんと私の特別席――二人きりの座席(ばしょ)にしようって……なっちゃんが言ったんじゃん!?」

 明日香が大声で櫓の上の夏樹に問い掛ける。ピクッと夏樹の体が動いた。

「そうだったね……」

 夏樹がニッコリ笑うのが明日香たちからもハッキリ見えた。

「だったら、今すぐそこから降りて、私たちのところへ来てくれるよね?」

「……。」

「なっちゃん!」

 夏樹の笑みが不自然になった。

「できるものならね」

 夏樹の体がまた前のめりになった。未華乃、未咲、ちひろが悲鳴を上げる。

「あなた!」

 祥夫と登が同時に走り出していた。目指す場所はひとつ、櫓だけだ。

「息子さん、いったいどうしちゃったんです!?」

「……イジメを受けていたようなんです」

「イジメ!?」

 登が驚いた様子を見せた。しかしその直後、最近明日香が元気がなかったことを思い出した。

「それに私が最後まで気づいてやれなかった。妻が気づき、問いただしていた最中なんです。突然飛び出したのは。きっと、きっと限界が来たんでしょう。優しい子だから……なおさらキャパシティが少なかったのかもしれない」

 二人は櫓を駆け上がり、ようやく夏樹のいるところへたどり着いた。年甲斐もなく走ったせいで二人とも息が切れ切れだ。

「お父さん……」

 夏樹が驚いた様子を見せた。

「夏樹……こんなことはもうやめろ」

「やめろ?」

 夏樹が俯きながら聞き返す。

「そうだ。皆に心配をかけて……もうやめるんだ」

 夏樹が顔を上げた。不気味なくらい、笑顔が顔一面に広がる。祥夫も登も思わず鳥肌が立ってしまった。

「やめるならさっさと落ちりゃ済む話じゃない?」

「違う! 違う! やめてくれ、夏樹! 夏樹!」

 祥夫が声を張り上げるが、夏樹の耳には届いていなかった。ふと夏樹の視線がちひろ、恭輔、敬吾の3人を捉えた。

 ビクッと体を震わせる3人を見てクスッと夏樹は笑った。

「3人とも〜! 最後まで見て行ってね〜」

 ちひろがペタッと座り込んだ。恭輔も敬吾も半泣きになっている。

「……お父さん」

 夏樹が、ようやく夏樹らしい優しい笑顔を見せてくれたので祥夫はホッとした様子を見せた。しかし、次の一言で戦慄が走った。

「今までありがとう」

 櫓の柵から右手が離れる。

「お姉ちゃん。せっかくお姉ちゃんが病気から助けてくれたのに、ゴメン」

 左手。

「お母さん。晩御飯、最期に食べたかったな」

 左脚。

「岡本……君のこと――」

 右脚を誰かが掴んだ。宙吊りになる。景色がひっくり返って夏樹の天地が逆転したようだ。誰かが叫ぶ。


「この座席(ばしょ)を私一人きりにしないで!」


「岡本……」

 夏樹が我に帰ったように呟いた。

「この座席(ばしょ)で私たち、ずっといろんな話をするの! 自然学校から帰ってきたらその思い出話するの。体育祭の終わった後、泥だらけの体操服で一日を振り返るの。テストの点が悪かったらここからそんなテスト、捨てるの! 中学生になったら制服が似合ってるかどうか、二人でここで見せ合うの! 高校生になったら、髪の毛染めてみたい!」

「……。」

「私一人だけでここでそんなことしてたって、楽しくも何ともない!」

 明日香の両目からとめどなく涙がこぼれていく。それが夏樹の右脚に落ち、(つた)っていく。

「なっちゃんがいないと、私――!」

「……俺も」

 夏樹の右目から涙がこぼれ、それが櫓から落ちて東京の夜景を反射させ輝いて下へ降っていく。

「俺も岡本と……そういうことしたい」

「だったら……だったら上がってきて!」

 明日香の手が震える。限界が来ているのだ。

「お父さん!」

 明日香が叫んだ。登と祥夫が精一杯力を入れて登が明日香を、祥夫が夏樹を引き上げる。

 夏樹の目に映っていた東京の夜景が、元のように戻る。そしてすぐに、明日香の顔が視界に入ってきた。

「……なっちゃん」

 明日香がすぐに夏樹を抱き締めた。

「岡本……」

 明日香の目から涙がいくつもこぼれ、夏樹のグリーンのTシャツを濃くしていった。

「ゴメンね、ゴメンね……私、なっちゃんがイジメられてるのに……助けもしなかった」

「ううん、ううん……。俺が弱かったから、弱かったからダメだったんだ……俺が悪かったんだ……」

「イジメられてる人は悪くないんだよ。お父さんが、言ってた。なっちゃんは……頑張ったんだよ。頑張りすぎたんだよ」

「……ウッ……ううぅ〜」

 夏樹は何かが弾けたかのように泣き始めた。

「わぁぁぁぁぁ……あぁぁぁぁぁ」

 夏樹の泣き声は、夜の七海の街の隅々まで響くくらい、大きく聞こえていた。

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