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第20話 最後の席

「夏樹」

 あの日から1週間が経過した日の夕方、帰宅しておやつを陽乃と食べていたときだった。由利が怖い顔をして夏樹の肩を叩いたのだ。

「やだ、お母さん。怖い顔してどうしたの?」

 陽乃がまんじゅうで頬を膨らませながら聞き返すが、由利は怖い顔をしたままだ。

「これは何?」

 由利が持っていたのは夏樹の算数のノートだった。

「算数のノートじゃん」

 夏樹は冷静を装って答えた。しかし、由利は中を開いた。

「な……」

 陽乃はそれを見て絶句してしまった。


 女たらし。

 クサイ。

 学校来るな。

 キス麻。麻の字が違うと陽乃はつっこみたくなったが、そういう雰囲気でもない。


「なんなの」

 由利は声を抑えつつ、夏樹にもう一度聞いた。

「なんでもないよ。友達が書いた落書き」

 夏樹はすぐにそっぽを向いておやつの続きを食べ始めた。

「これがただの落書きで済ませられると思ってるの!?」

 由利がノートをテーブルに叩きつけた。衝撃でコップが横倒しになり、入っていたリンゴジュースがこぼれ出した。

「……。」

 陽乃は突然起きた出来事にただただ呆然とするしかなかった。

「落書きだっつってんじゃん!」

 今度は夏樹が逆上して由利に掴みかかった。

「きゃっ!?」

 5年生になって腕力が強くなり始めていた夏樹に由利は勝てるはずもなく、壁に押し付けられた。

「ちょっと……ちょっと夏樹! 何やってんの! ストップ、お母さん危ないでしょ! 夏樹!」

「うるせぇ! どいつもこいつも俺のことバカにしやがって! クソ! クソオォォ!」

 夏樹は腹いせに今度は陽乃の顔を思い切り叩いた。

「キャッ!」

 夏樹に突き飛ばされた拍子に、陽乃が椅子で腰を打った。

「い……痛い」

 陽乃が泣きながら腰を押さえる。

「あ……」

 夏樹がそこで初めて我に帰り、由利と陽乃のほうを恐る恐る見つめた。

「……どうしちゃったの、夏樹」

 由利が乱れた衣服を整えながら聞き直す。

「……なんでもない。ホントに」

「ウソ」

 陽乃の冷静な一言に夏樹はビクッと身を震わせた。

「ねぇ、夏樹。アンタこんなことする子じゃなかったじゃない」

「……。」

「アンタもっと優しい子だったじゃない! 急にこんなになるなんて変だよ!」

「……!」

 変、という単語を聞いた途端、夏樹の涙腺が急にゆるんで大粒の涙がこぼれ出した。

「変……やっぱり……俺、変なんだ」

 ペタンと座り込んで今度は泣き始める夏樹に、由利と陽乃はただただオロオロするしかなかった。

「うぅ……ウワアアア〜……あぁぁぁぁ〜!」

 大声で泣き出す夏樹を二人はどうしていいかわからず、とにかくなだめようと二人で夏樹を抱きしめるしかできなかった。

 その時、帰宅してきた祥夫が散らばった椅子や転げ落ちたコップ、そして泣きわめく夏樹を見て呆然と立ち尽くしていた。


「夏樹。本当のことを言いなさい」

 祥夫、陽乃、由利の3人が取り囲むように夏樹の周りに座った。これではまるで裁判所の被告人席のような気分だと夏樹は思った。もちろん、マンガの受け売りで全部知っていた知識だったけれど、こんなところで使うとは夢にも思わなかった。

 そして、証拠品のように並んだ夏樹の持ち物。算数のノートには真っ赤なペンの落書き。割れた下敷き。折れた鉛筆。ちぎれた消しゴム。割れたものさし。破れた国語の教科書。しかも、表紙は綺麗なままだ。

「イジメられてるんじゃないの?」

 由利の一言に夏樹の目つきがキツくなる。

「イジメられてねぇって何度言ったらわかるんだよ!」

「夏樹! なんだその言葉遣いは!」

 さすがに祥夫にはかなわないと思っているようで、夏樹はシュンとした様子で俯き、こう呟いた。

「……ゴメンなさい」

 祥夫はネクタイを緩めて質問を続けた。

「いつからだ?」

「何が」

 祥夫は遠まわしにせず、単刀直入に聞いた。

「イジメられてるのは」

 夏樹は急に鼓動が早まる感覚に襲われた。同時にいろんな光景が蘇る。

 恭輔の意地悪な顔。

 ちひろの別人のように避けるときの顔。

 萌が汚い物を見るかのように扱うときの顔。

「夏樹。正直に言いなさい」

「……や……だ」

「何?」

「やだ」

 夏樹はブツブツと同じ言葉を繰り返す。

「なんだって?」

 祥夫がもう一度聞き返した直後、夏樹は大声で叫んだ。

「いやだああああああああ!」

「あっ!」

 陽乃を突き飛ばして夏樹はリビングを飛び出した。

「夏樹! 待ちなさい、どこへ行くんだ!」

 祥夫が後を追いかけたときには、夏樹は玄関を飛び出していた。

「由利! 陽乃! 急いで後を追うんだ!」

「はい!」

 3人は慌てて家を飛び出し、各々別々の方向へ走り出した。


「あ……」

 ちひろはコンビニからの帰り道、夏樹が前から走ってくるのを見た。

「あら、朝倉くんじゃない」

 ちひろの母・枝里子(えりこ)も夏樹に気づき、そしてすぐに二人は夏樹の異様さに気づく。

 涙を流しながら、裸足で走ってくるのだ。

「朝倉くん!? どうしたの!」

 しかし夏樹はちひろを見ると「ゴメンなさい、ゴメンなさい!」と叫ぶだけですぐに通り過ぎてしまった。

「……どうしたのかしら」

 枝里子は呆然と走り去る夏樹を見送り、その後すぐに由利が走ってきたのを見つけた。

「あ、朝倉さん」

「和田さん! いま……いまウチの夏樹、通らなかった!?」

「えぇ、神社の方向に」

「ありがとう!」

 由利は礼を言い終えるとすぐに走り出した。

「どうしたのかしらね……あっ、ちひろ!」

 ちひろも後を追うように走り出した。

「待ちなさい、ちひろ!」


「おい、あれ」

 恭輔と敬吾は塾の帰りだった。その彼らの前を、夏樹が走っていく。

「笑えるなぁ、アイツ。裸足じゃん」

 恭輔がそういうとゲラゲラと敬吾も笑い出した。その声に反応して、夏樹が二人のほうを見た。そしてその目を見て二人は絶句してしまう。

 涙をこぼしながら、しかし(うつ)ろな目をしながら二人を見つめるのだ。それからすぐに神社のほうへと歩いていってしまった。

「……なんだ、今の」

「わけわかんねぇ」

 そのすぐ後だった。

「ねぇ、いま夏樹くん通ったよ!」

 二人が振り返ると、夏樹の姉・陽乃の姿があった。

「ホント!?」

 未華乃の声に陽乃が急いで走りながらさっきまで夏樹がいた交差点のほうへ去っていった。後を未華乃と未咲が追う。

「……なんかヤバそう?」

 敬吾が彼女たちの後を追い始めたので、恭輔もついていった。


「朝倉さん!」

 玲子と登が明日香と一緒にやって来た。

「岡本さん! 夏樹が……夏樹が」

 由利が神社の櫓を指差すと、夏樹が脚を投げ出してブラブラとさせている。

「なつき――! 降りてきて――!」

 陽乃がたまらず叫ぶ。しかし、夏樹は鼻歌を歌いながらひたすら脚をブラブラさせるだけだ。

「やめてぇぇぇ――!」

 陽乃が泣き叫んで夏樹を止めようとする。しかし、今にも落ちてしまいそうだ。

 夏樹が不気味なくらいゆっくり笑って話し出した。

「俺なんていらないんだよ? 姉ちゃん。よく考えてよ」

 不思議なくらい夏樹の声が透き通る。周りの騒音が何も聴こえない。

「あの落書き見たでしょ。急にみんな変わっちゃった。俺、何もしてないのにね。ちぃも新庄も、恭輔も。まぁ父さんは前から俺に興味なんかなかったみたいだし。母さんだって今日、いきなり叱るしね。岡本は俺が避け始めたからきっと嫌いになってるだろうし。先生だってそうさ。相談してね、とか言うけど本当は俺になんか興味なし。ううん――きっと、みんな俺になんか興味ないんだよ」

「……。」

「……。」

 あまりの夏樹の急変に、誰もが言葉を失った。

「でも、姉ちゃんだけは優しかったね」

 その笑顔は、今まで見た中で一番、安らいでいるように見えた。

「また――姉ちゃんの弟になりたいな」

 そういった直後、夏樹の体が前のめりになり始めた。

「いや……いやあああああ!」

 未咲と未華乃が悲鳴を上げ、陽乃が櫓のほうへ走り出した瞬間だった。


「一人にしないでよ!」


 その声に夏樹が思い留まり、体を櫓のほうへ戻した。

 叫んだのは他でもない――明日香だった。

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