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第18話 優先席

 夏樹は図書館へ向かう市バスに乗っていた。まだ自由研究が終わっていないので、ちひろと明日香の3人で仕上げなければいけないからだ。夏祭り以来、彼らは一度も会っていない。今日は8月29日。今日で自由研究にもメドがつきそうだ。

 市バスはかなり混みあっていた。乗っているのは小学生、中学生、高校生が中心だ。みんな宿題に追われているのだろうと夏樹は想像していた。

 すると、大柄な高校生の中におばあさんが一人、乗っていることに夏樹は気づいた。どこか空いている席があれば座ればいいのだが、優先席には化粧が濃い女子高生が居座っていて、おばあさんは声が掛け辛そうだった。無理もないだろう。今時の高校生や中学生は声が掛けにくいと知恵子も言っていたことがある。

 七海市役所・(おお)()支所停留所を過ぎたあたりでまた中学生が乗ってきた。

「ったく〜、せっかくオレが神奈川に遊びに来たのに、なんでお前は全然宿題終わってへんねん」

 聞きなれないイントネーションだった。

「しょうがないだろ。ブツクサ言うなよカケル」

 もう一人、これは同い年だろうか、男の子が後で乗ってきた。

 バスはすぐに発車。ここからしばらく行くと、図書館に向かって坂道が続く。七海市の中でもここだけ、標高があるのだ。

「なぁ、良輔(りょうすけ)

 さっきの関西弁だった。夏樹の真後ろで話しているようだ。

「ん?」

 良輔が答える。(かける)が続けた。

「おばあちゃん、立ちっぱなしやんけ」

「ホントだ」

「あの化粧濃いの、変わってやったらえぇのに」

「そうは言っても……アレは変わりそうにないだろ」

「……まぁな」

 翔は残念そうに呟いた。

 そのときだった。バスが急カーブを曲がったのは。

「あっ……」

 おばあさんがバランスを崩したのを夏樹は見てしまった。そのときには夏樹は翔に「これ持っててください!」と右肩に掛けていたカバンを預けていた。

 サッカーで鍛えた脚で素早く人混みの間をくぐって、危うく倒れそうになったおばあさんをギリギリの所で支えた。

「大丈夫ですか?」

「あぁ……ありがとうねぇ。助かったよ」

 夏樹はおばあさんを支え、安定したことを確認すると優先席に座っている女子高生のほうへ近寄った。

「あの」

「はぁ?」

 いきなり睨まれたので少し(ひる)んでしまったが、夏樹は続けた。

「おばあちゃんに席、譲ってあげてください」

「はぁぁ〜? なんでアタシが?」

 女子高生はあからさまに嫌な声を上げた。

「だってここ、優先席です」

「そんなの知らないよ〜! アタシが先に座ってたんだから。座りたきゃこんな混んでるバス、乗らなきゃいいのにねぇ!」

 するとそのケバい女子高生の友達らしいエクステの女子高生が「マジそれだよー! 笑えねぇっつのー!」と笑い出した。

「ガキが年上の女性にちょっかいかけてくんじゃねーよ。ホラ、あっち行きな」

「替わったら、それを見届けたら行きます」

「ちょーっとオイタが過ぎるんじゃない?」

 夏樹の顎を女子高生がクイッと人差し指で上げた。

「替われって言ってんの!」

 夏樹が目つきを変えて女子高生を睨みつけた。

「な、生意気な目してんじゃねぇよ!」

 エクステが思い切り夏樹を突き飛ばした。

「ウワッ!」

 夏樹はその拍子に転んで肘掛で頭を打った。

「痛って……」

「アハハハハ! えみりぃ、やり過ぎだって!」

 エクステが笑う。

「ゴメンゴメン! アタシって怪力だからぁ」

 そう笑うケバい女子高生の腕を、さっきのカケルという中学生が掴んでいた。

「あん?」

「ケバい化粧して臭いっつーの、オバハン」

「オバッ……!?」

 周りがクスクス笑う。ケバいほうが顔を真っ赤にした。

 女子高生が怯んだ隙に、翔がおばあさんを優先席に座らせた。

「いいのかい?」

「どうぞどうぞ。ほらばあちゃん、あの子にも礼言っとかんと」

 翔が夏樹の背中を叩いておばあちゃんの前へ立たせた。

「ありがとうねぇ、僕」

「いえ……」

 夏樹は少し照れくさくなったが、もう一度しっかりおばあさんの顔を見て笑った。


 バス停を降りてすぐだった。

「なーっちゃん!」

 後ろからやって来たのは、明日香だった。

「ひょっとして……」

「うん! 一緒のバスだったんだよ」

「……。」

「どうしたの?」

「いや……恥ずかしいじゃん」

「なんで?」

「俺なんかほとんど役に立たなかったじゃん。あの、カケルってお兄さんが助けてくれたし」

「そんなことないよ!」

 夏樹は思わず明日香のほうを見つめてしまった。明日香はニッコリ笑って続ける。

「なっちゃんが勇気出して行かなかったら、きっと誰も何もしなかったよ」

「……そうかな」

「うん! なっちゃん、カッコ良かった!」

「……サンキュ」

 夏樹は真っ赤になってしまった。思いのほか、嬉しい。

「行こうか!」

 夏樹は明日香の手を引いて図書館へ入っていった。

「おい、見ろよ恭輔。あれ……」

「何だよ……あっ!」

 その瞬間を、クラスメイトの恭輔と(はん)()(けい)()に見られていたのを、夏樹と明日香は知らない。


 沈黙が続く。

 明日香、ちひろ、夏樹。あの時のメンバーが集まって自由研究だなんて、ありえないと夏樹は心の中で思っていた。

「私、お茶買ってくる」

 ちひろは突然席を立って自動販売機のほうへ行ってしまった。

「……やりづらいね」

 明日香が苦笑いする。

「まぁな。でも、今日で仕上げられたら終わりだし」

「そうだね。頑張ろうか」

 そう言って二人は続きを始める。しばらくして、明日香の様子が少し変なことに夏樹は気づいた。

「岡本?」

「……。」

「岡本」

「あ……ゴメン。ちょっと寝不足なのかな。頭痛くて……」

「頭痛かぁ。無理せずに今日休んでても良かったのに」

 明日香は少し辛そうな顔をしたが、すぐに笑顔でこう返した。

「ちひろちゃんにも……迷惑かけたくないしね」

「……つくづくいいヤツだな、岡本って」

「そう思うでしょ?」

「自分で言うなよ」

 二人はクスクスと笑った。その様子をちひろが複雑な感覚で見つめていた時だった。

「わーだちゃん」

「……あっ」

 恭輔と敬吾が取り囲んでいた。


「ちひろちゃん、遅いね」

 明日香はキョロキョロと辺りを見渡す。

「飲み物を決めるのに迷ってるにしても長いしなぁ」

 夏樹も同じように辺りを見渡すが、ちひろの姿は見当たらない。

「まさか迷った?」

 明日香が心配そうに呟いた。

「まさか。ちひろ、ここの図書館には何十回って来てるんだぜ」

「それにしても……あっ!」

 明日香が見た方向を見ると、元気がない様子でちひろが帰ってきた。

「ちぃ! 遅かったな」

 夏樹がホッとした様子でちひろに声をかけるが、ちひろは「うん……」とだけうなずいてすぐに作業へ戻った。

 6時過ぎにようやく完成した自由研究。模造紙いっぱいにスコールのことについて調べて、書いてある。

「やったぁ!」

 思わず夏樹は飛び跳ねて喜んだ。明日香とちひろも嬉しそうにその様子を見つめる。

「なぁ、ちぃ、岡本! 俺が持って帰っていい?」

「いいの?」

 ちひろが聞き返す。

「うん! 持って帰りたい!」

「私はいいよ」

 明日香が答えた。ちひろも「朝倉くんがよければ」と返した。

「やった! ありがと!」

 夏樹はバス停の前で嬉しそうに模造紙を抱えてバスを待っている。

「ゴメンね」

 ちひろが突然、呟いた。

「え?」

「ゴメン」

「何が?」

「……。」

「……まぁ、私も悪いこといろいろしたし。私も、ゴメンね」

 ちひろは俯いたままだ。

「ゴメン」

 もう一度言った。

「いいよ、いいよ! 私、もう気にしてないから」

「ゴメ」

 明日香はちひろの口を左手で塞いだ。

「もう言いっこナシ!」

 ちひろは今にも泣きそうな顔で小さくうなずいた。

「岡本! ちぃ! バス来たぜ!」

 夏樹が手招きをしながら大声で呼んだ。

「うん! 今行く! ちひろちゃん、行こう!」

「うん……行こう、明日香ちゃん」

「明日香ちゃんって呼んでくれたね!」

「えへへ……」

 ちひろは恥ずかしそうに笑いながら、明日香と一緒にバス停へ向かって走り出した。

明日香の中での夏樹の印象がまたひとつ、良くなることとなったこの出来事。同時に、彼らの知らないところで渦巻く波乱。もうすぐ迎える新学期、夏樹たちは……。

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