第14話 リビングの席
「夏祭り?」
夏樹は優翔の顔を見ずにカツサンドを頬張りながら答えた。
今日は市立図書館に夏休みの宿題をしにちひろ、明日香と仲良しの優翔の3人と一緒にやってきた。あんなトラブルがあった3人組でよくも宿題なんてできるな、と傍から見ていれば思うのだけれども、全ては大迫先生の仕業だった。もちろん、彼女が夏樹たちのトラブルを知っているか知らないのかまではわからなかったのだけれども。
自由研究だった。グループは今までのクラスでは自分たちの仲良し同士でやっていればOKだったが、なぜか大迫先生は自分の判断でそれを全部決めてしまった。その結果、こういうメンバーになっている。
優翔は梅オニギリを食べながら続けた。
「そう! 明日と明後日の2日間あるんだけど、明後日のほうは打ち上げ花火するんだぜ!」
「ふぅん……」
夏樹は素っ気なく答えた。どうせそんな夜遅い時間に父の祥夫が外へ出ることを許可してくれるはずがない。最近、姉の陽乃の門限がようやく7時になったのだ。陽乃も塾以外はすぐに家へ帰らないといけないと文句ばかり言っている。なので、陽乃は部活にも入っていない。入ることができないのだ。
当然ながら小学生の夏樹の門限はもっと厳しかった。冬は午後5時、夏は午後6時。これでは友達の家へ遊びに行くこともできない。なので、夏樹は友人の数は多いほうではなかった。
「なんだよ、その素っ気ない答え方。もっと喜べよ」
「なんで」
「だってな……」
優翔は夏樹の耳元で囁いた。
「岡本さん、誘ったから」
思わず顔が緩んでしまいそうになった。でも、そのすぐ後に祥夫が怒った顔で「許さん」と言いそうなのが容易に想像できた。
「うーん……」
夏樹は悩みに悩んでいる。
「なに? まだ4月のこと気にしてんの?」
「うん……まぁ」
気にしていないといえば嘘になる。あれからクラスメイトは事あるごとに夏樹と明日香、あるいは夏樹とちひろをくっつけようとしてくるのだ。それが夏樹には苦痛でならない。明日香ともちひろとも友達でいたい。好きだとか嫌いだとか、そういうので男女を区別したくなかったのだ。
「それもそうだけど、ウチさぁ、お父さんが厳しいの」
「そんなに? 祭りだぜ。せいぜい9時くらいには帰るさ」
「ダーメダメ」
夏樹は残っていたカツサンドを食べてから言った。
「俺の門限は午後6時です」
「はぁ?」
優翔がオニギリを口に入れたまま驚いた様子を見せた。
「汚いなぁ。全部食べてから喋れよ」
ングッと音がして膨らんでいた優翔の頬が縮まった。それから手のひらについたご飯粒を取って口に入れる。
「だって、6時って。夏だったらまだ明るいじゃん」
「明るいとか暗いとか、そういう問題じゃないそうで」
「そっか……」
沈黙が続く。夏樹はイチゴオレを手にしてストローで上品に飲んだ。甘い。夏樹は小さい頃からイチゴオレが大好きだった。今はもうなくなった銭湯でも上がったらよく飲んでいた。
「んじゃ、無理ってことかな」
優翔が残念そうに呟く。その表情があまりにも寂しそうだったので、夏樹は断りきれずに言ってしまった。
「お父さんに相談してみるよ」
途端に優翔の顔が嬉しそうになった。
「ありがと、夏樹」
「ただいま……」
夏樹がそっと玄関の戸を開けると、珍しく祥夫の靴がきれいに並んでいた。めったにないことだ。
夏樹はいそいそとリビングへ向かった。すると、陽乃の声が聞こえてきた。
「ねぇ、いいでしょお父さん。もうみんなと約束しちゃったの」
「ダメだ。女の子がそんな遅い時間に出かけるなんでとんでもない話だ」
祥夫は陽乃と目も合わせず、すぐにその話を却下してしまった。
「なんでよ! 他の家の子はみんなOKだって言ってるよ? せいぜい9時くらいまでだって」
「ダメだと言ってるだろう! 他の家は他の家、うちはうちだ!」
すると陽乃はプゥッと頬を膨らませて怒り出した。
「フーンだ! お父さんのケチ! いいもんいいもん、ウチはお父さんがケチで外に出してくれないから無理でーすって言っちゃうからね!」
「好きにしろ」
それっきり陽乃は祥夫と話をせず、ブスッとした様子でリビングの床に寝転がっている。
夏樹はその様子を見た後で恐る恐るリビングに入った。
「ただいま……」
小さな声だったが母親の由利が気づいて料理の準備をしながら笑顔で迎えた。
「おかえり。自由研究は進んだ?」
「うん」
夏樹は持っていたカバンをテーブルの上に置いてリビングの椅子に腰掛けた。
「天気のことを調べるよ。ほら、最近急に雨が降ってきて、なんていうんだっけ、ほら、南国の大雨みたいなの」
「スコールでしょ」
陽乃がすぐに答えてくれた。でも声は不機嫌だ。
「そう、スコール。なんでそんな雨がいっぱい降るようになってんのか調べようってことになって。だから見て! こんなに本、借りて来たんだよ」
カバンから5冊も分厚い本が出てきた。思わず由利も手を止めて本を手に取った。陽乃も驚いてその本を見つめる。
「うひゃ〜! なにこれ、環境白書? 難しそう……環境省?」
陽乃が顔をしかめてウンザリと言わんばかりの表情になった。
「まぁ、スゴいじゃないの。こんな難しい本、読めるの?」
由利は環境白書片手に夏樹に聞いた。すると夏樹はすこぶる笑顔で返した。
「わかんないところあったら、お母さんと姉ちゃんに聞くよ」
その直後、二人の顔が強ばって部屋が静かになった。
「どうしたの?」
夏樹が不思議そうに聞く。そして祥夫が咳払いをした後に自分の言ったことがまずかったことに気づいた。
「え……と。あ、あたしも英語の参考書欲しいなって思ってたとこなの! 夏樹に刺激されちゃった。なんかいいのないかなぁ」
陽乃がフォローするように声を上げた。
「あら、そうなの。珍しい。いつも夏休みはお遊びに夢中のアンタが」
由利が笑って陽乃の頭を小突いた。
「失礼ね〜! だって、勉強しないと外へ遊びに行くにも行きづらいでしょ。夕方までしか遊べないし、時間は有効に使わなくっちゃ」
それを言った後、それもまずかったことに陽乃は気づいた。
「母さん。風呂」
祥夫は何も言わず新聞を置いて立ち上がった。
「あぁ、はいはい。沸いてるから、入ってちょうだい」
由利はバスタオルとバスマットを用意するために洗面所のほうへと向かった。
「……マズったわね」
陽乃が祥夫も洗面所へ行って声が聞こえなくなったのを確認してため息をついた。
「姉ちゃんも祭り行きたいの?」
「うん。志田ちゃんと多部ちゃんに誘われてるの」
「そっかぁ……。俺も行きたいんだ」
夏樹はゴロンと床に寝転んだ。
「アンタもあたしも、大変ねぇ。あんなお父さん持つと」
陽乃が横に寝転がる。
「ホントだねぇ」
このままだと、夏休みはお先真っ暗だ。
「いただきます」
夕食の時間。時刻は午後6時半。
朝倉家では夕食の時間はテレビを点けてはいけない。ましてや本を読みながら食べるなど絶対に祥夫に叱り飛ばされる。夏樹は一度その経験があったから夕食の時間があまり好きではなかった。確かに行儀は悪かったが、お気に入りのお茶碗を割られるほど叱り飛ばされたのでショックも大きかった。
「陽乃、夏樹」
突然祥夫が二人に話しかけてきた。
「はい」
陽乃だけ答える。夏樹はどうも祥夫が苦手で最近、話す機会が減った。
「明日と明後日、おばあちゃんが泊まりに来ないかって言ってるから、行ってきなさい」
「へ?」
「ちょうどお祭り会場もおばあちゃん家から近いだろう。ついでだから、あまり遅くならない程度に行ってきなさい」
「い、いいの?」
「あぁ。気をつけて行ってきなさい」
「ありがとー!」
陽乃がツンツンと夏樹のわき腹を小突いた。
「ありがとう、お父さん」
「あぁ。気をつけてな」
夏樹と祥夫の会話はあってもこの程度のものだった。
夕食後、夏樹は電話を手にした。
「045の、86……」
かけるのは優翔の家。コール音が3回鳴ってから、優翔のお母さんが出た。
「はい、坂上です」
「あの、朝倉です。こんばんは。あの、優翔くんいますか?」
「あぁ、いるわよ。ちょっと待ってね。優翔、優翔〜! 朝倉くんからお電話よ〜!」
すると電話の向こうからバタバタと走る音が聞こえてきた。
「もしもし!?」
「あ、あぁ、俺」
「祭り、行けるのか!?」
「う、うん」
「よっしゃあああ! 本当に大丈夫なんだな!?」
「うん。大丈夫」
「よっし! それじゃ明日も自由研究するだろ? そのときに全員で打ち合わせだ!」
優翔の声がとても明るい。本当に嬉しそうだ。
「わかった。明日な」
夏樹の声も自然と明るくなる。受話器をそっと置いた後、夏樹は玄関の戸を開けてみた。夕立が降って少し涼しくなったくらいの、この雰囲気が夏樹は大好きだ。
「楽しみだなー!」
気づけば夏樹は叫んでいた。
「ちょっと! 恥ずかしいでしょ、早く入りなさい!」
由利がリビングから夏樹を叱る。
「はぁーい」
そっとドアを閉めて、夏樹は2階へ上がった。
父の思わぬ機転でお祭りに参加できることになった夏樹。この夏祭りで果たして何が起きるのか……。