第11話 放課後の席
「それじゃあ、これで終わりの会を終わります。日直、号令」
大迫先生が声をかけるが、明日香も夏樹もボーッとしていて彼女の声は耳に入っていなかった。
「日直! 聞いてるの!?」
「あっ、ハイ! 起立!」
大迫先生に怒鳴られて初めて夏樹は我に返り、号令をかけた。
「礼!」
「さようならー」
挨拶が終わると、クラスメイトはバタバタと教室を出て行った。
「朝倉くん」
大迫先生に呼ばれて、夏樹は軽く返事をして教卓へ向かった。
「どうしたの、今日は。珍しくボッとしちゃって」
「いえ……」
フゥッと先生のため息が漏れるのを夏樹は聞いた。
「多感な時期だもんね。何か、悩みとかはない?」
「悩み……」
ちひろの唇の柔らかさが急に蘇ってきた。
「朝倉くん? どうしたの?」
気づけば、右手で口をこすっていた。無意識だった。
「いえ……なんでもないですよ、先生。心配無用です!」
夏樹はガッツポーズを取った。大迫先生は「それならいいけど、何かあったらすぐに先生に言ってね」と言ってくれた。最近、夏樹には彼女が本当にいい先生だと思うことが多くなっている。ちょっと口うるさいのが欠点だけれども。
大迫先生が教室を出たのを見届けて、夏樹は椅子にもたれた。
涼しい風が教室へ入り込む。外から男子生徒の声が聞こえる。いつもなら夏樹も一緒になって騒いでいるのだが、今日はとてもそんな気分になれない。
あの一騒動があったのは3時間目の前のたった5分間の休憩時間のことだった。とても長く感じられたが、実はその程度だった。5分だけであまりにもいろんなことがありすぎて、夏樹自身だけではとても処理しきれない感じがする。
「夏樹」
ノックの音と同時に聞き覚えのある声が聞こえた。優翔だった。
「ユウ……どした?」
「それはコッチのセリフ。なんだよ、今日の」
ドアにもたれてジッと夏樹を見つめる優翔の目を見ることもできない。
「わかんね……」
「気づいてなかった?」
優翔も夏樹と目を合わせようとはしない。
「何が」
「ちぃ」
それだけで十分何を意味するかがわかってしまう。
「わかんなかった」
「そうなんだ」
「ユウは気づいてたわけ?」
「もちろん」
「いつから?」
「去年からかな。ちぃに直接聞いたわけじゃないけど」
「そんな前から……か」
それからしばらく、沈黙が続く。
優翔のすぐ後ろの柱で、明日香が座り込んで二人の話を聞いていた。日誌を出し終わって帰ってきたら、二人がこんな話をしていたので入りづらくなった。
「なぁ、夏樹」
優翔が続ける。
「なに?」
「お前さ、好きな人、いるんじゃないの?」
夏樹は答えを返さなかった。その代わり、何か落ち着かないのか足をパタパタと揺らすような音、上靴が音を立てているのか、そういう音が室内に響いた。
「いる」
明日香も優翔もドキッとしたが、すぐに夏樹は「かも」と付け足した。
「は? かも?」
「うん。いるかも。でも、いないかも」
優翔は意味がわからない。
「なに言ってんの? いるの? いないの?」
「わかんない。好きなのかどうか、わかんない」
「そんなの……」
「じゃあ聞くけど」
夏樹がやっと優翔と目を合わした。
「好きってどんな気持ち?」
「え……っと」
優翔も答えに困ったようで黙り込んでしまった。
「好きになるって気持ちがわかんないから、これがそうなのかはわかんない。なぁ、好きってどんな気持ち?」
優翔はしばらく考え抜いて、ようやく答えを出した。
「キュッ、キュン!って感じ?」
しばらく沈黙が続いて、しばらくしてから夏樹が大笑いしだした。
「なんだよ! お前がどんなって聞くから答えたのに」
優翔がムキになっているのがわかる。明日香も笑いをこらえるのが大変だ。
「ゴメンゴメン。ねぇ、それじゃあユウはキュンッてしてるわけ?」
「え……」
また沈黙が降りた。
「へ? ま、まさか?」
優翔は少し俯き加減で答えようとしない。夏樹は驚いて優翔に駆け寄った。
「なーんてな!」
ニッと優翔は笑って夏樹の頬を引っ張った。
「いててててて! なんだよ!」
「俺はまだそんなキュンッてしたことないですー!」
「じゃあさっきのは?」
「マンガの受け売り」
「……くっそー、カッコよく思った俺がバカだった」
「カッコよかった? センキュー」
優翔の屈託ない笑顔を見ると、夏樹も怒る気になれなかった。
「まぁ……多分、ちぃのことは断るかも」
「……そっか」
「気まずくなるかな?」
「気まずくなっても、嫌々付き合うとかよりいいんじゃない?」
「かな」
優翔は何も言わず、小さくうなずいた。
「そろそろ帰ろうか」
「あ、岡本が日誌出して帰ってくるはずだから、俺もうちょっと待ってるよ」
「そっか。じゃ、また明日な」
「うん。ばいばい」
夏樹は優翔に軽く手を振って、また教室へ戻った。優翔は明日香のいるほうとは反対の方へと歩いていった。明日香はこっちへ優翔が来たりしないか心配だったが、杞憂だった。
明日香はすぐに出てくると不自然と思ったので、5分くらい柱の影で座って待った後、教室へと入った。
すると、さっきまであれだけ元気だった夏樹が机の上で居眠りをしている。
「朝倉くん?」
返事がない。
明日香はキョロキョロと周りを見渡してそっと呟いた。
「なっちゃん?」
すると突然、ガバッと夏樹が起き上がった。
「わっ!」
「おっ!」
同時に声を上げて見つめ合う。
「おかえり」
夏樹が夕陽に照らされながら笑顔で声をかけてくれる。思わず明日香は胸がキュンとなった。
(キュッ、キュン!って感じ?)
優翔の声が蘇る。
「岡本?」
「ううん! ただいま」
チャイムの音が聞こえた。
「帰ろっか」
「うん。そうだね」
明日香はランドセルを背負い、鍵を片手に教室を出る。
「ほら、なっちゃんも早く」
「おう!」
教室を出て、鍵をかけた。
「私、職員室に鍵、返してくるから先に靴箱へ行ってて」
「いいの?」
「いいよ」
「サンキュ!」
まただ。胸が痛い。
明日香はしばらく呆然としたまま、夏樹の背中を見送っていた。
明日香自身、胸の痛みを感じている。夏樹は人が好きという感覚がまだわかっていない様子ですが、本当のところは……?