一枚の書面
こんちには!
たくさんの作品の中から、私の作品にアクセスして頂きまして、ありがとうございます。
今作は、レディたちの恋物語のセカンドシーズンとも言うべきお話になります。
過去作をお読みくださった方はもちろん、今作のみでもお読み頂けるかと思います。
よろしくお願い致します(*^^*)
パチパチと暖炉の薪が炎を燃やす音をたてて部屋を暖めていた。その音が聞こえるくらい、少女とそして向かい合う両親は静かに黙っていた。
まだ幼さの残る少女の淡い金の髪は豊かに背を覆い、ブルーグレーの瞳は美しいラインを描いて、小さな顔に美しく配置されている。その容姿は美少女、という形容がしっくりと当てはまる。
彼女の名はフェリシア・ブロンテ。イングレス王国の貴族の名門ブロンテ伯爵家の長女である。
フェリシアは、いま両親と斜め向かい合いにソファに座っていた。
「フェリシア、話がある」
さっきもそれは聞いたからとフェリシアは父を見た。
堅い表情から大切な話なのだと分かる。
まだ35歳の若き父、ラファエルは昨年爵位を譲り受けたばかり。
金髪と緑の瞳が美しく、美少女のフェリシアの父であるだけに素晴らしく美男である。
「はい。ですから、何ですか?お父様」
「フェリシアは、来年の春にデビューするわけだ」
「わかってますけど?」
フェリシアにはそれがどうかしたのかと言いたくなる。デビューすることは、もうずいぶん前から決まっている事だった。
そんな事を思っていると、ラファエルはフェリシアに一枚の紙を見せた。
そこには、『フェリシア・ブロンテ 王子エリアルド の妃候補として任ずる。王子エリアルドが結婚するまでは、婚約、結婚は認められない』というような内容が、小難しい言葉で回りくどく書かれている。
「何ですか、これは」
フェリシアはその紙を父の方へ押しやって唇を尖らせた。文字が読めない訳でも意味が分からない訳でもない。
「だからね、フェリシア。エリアルド殿下はまだ独身でいらっしゃるの。貴女が選ばれる可能性があるの」
フェリシアの母のティファニーは淡い栗色の髪と空色の瞳で、小柄なせいか少女めいた容姿の可憐な女性である。そのティファニーも、眉を寄せて困り顔である。
「…やだ…」
エリアルド王子は23歳。今のこの時代、8歳差の結婚は少しもおかしくはない、だけどフェリシアは嫌だった。
なぜに自分がそんな相手と!
そう、相手が問題だ。現国王 シュヴァルドの第一子 エリアルド、彼は王太子でありゆくゆくは王位を継承するのである。
つまりは、彼と結婚というからにはゆくゆくは王妃と言う身分になるということだ。
「無理!!」
フェリシアの声楽で鍛えた、声が静寂を打ち破り部屋中に響き渡った。フェリシアは同時に立ち上がっていた。
人払いをしたこの書斎には人の目はない。もはや令嬢らしいふるまいなど、かなぐり捨ててしまう。
「ぜ―――ったい、無理!!!」
すらりとした長身の彼女は、まだ若いながらも美しい曲線を描く肢体を手にしていた。だから、その体に見合ったその声量にラファエルとティファニーはのけぞって耳を押さえた。
「そもそも、どうして、今の今まで黙ってたの!」
その書面にはフェリシアが誕生してすぐの日付であった。つまりは産まれてすぐにフェリシアは婚約を、正式では無いもののしていたことになる。両親は産まれてこれまで何も告げずにいたことになるのだ。
「私はね、フェリシア。お前に殿下と結婚して欲しいとは思っていなかった。王妃とは責任の重い大変な地位だから。それにエリアルド殿下とフェリシアは8歳差だから、フェリシアがデビューする頃には婚約か結婚かされるだろうと目論んでいたんだ」
「へぇ~、お父様はそうやって楽観視して私に黙っていらしたのね?」
「フェリシア。お父様を責めないで…。なんとか他の令嬢を婚約者筆頭にしようと、力をこれまで尽くしてきてたのよ」
空色の潤んだ瞳を向けられても、フェリシアはたじろがなかった。母はこうみえて伯爵夫人だ、もう何年も社交界の第一線に身を置いている。それほど柔な筈がない。
「そんな目を向けてもだめです。お母様」
「いいんだ。俺が無能だった…」
「そんな事ないわ」
力を落としたような父を慰めるように手を取り合う両親に、フェリシアの癇癪は爆発寸前だった。
「泣いてやる!思いっきり泣いてやる!」
その宣言に両親はまた耳を押さえた。
「ぅわぁ――――ん!」
大音量の泣き声をあげて、フェリシアは部屋へ走っていった。
途中ですれ違ったメイドたちはぎょっとしながら、慌てて道を開ける。
自室の物を手当たり次第に投げては暴れて、フェリシアはベッドに飛び込んだ。
「…なんでよぅ…」
ぐずっと鼻をすすり、フェリシアはハンカチで涙を拭いた。
デビューと言ったら、少女たちはこれから未来の旦那様を探して恋することを夢見たり、一番華やかな時じゃないの?
他の相手ならともかく、相手が王太子というならフェリシアが他の男性と恋なんて確実に許されないではないか…。
王太子が他の女性を選ばない限り、フェリシアには自分で相手を選ぶ事は出来ないのだ。
(…他の…女性を…?)
「それよ!」
フェリシアは再び、階段を駆け降りると
「お父様!」
バン!と音をたてて勢いよく扉を開けると
「フェリシア、お転婆すぎる」
嗜める声には無視を決め込み
「殿下には他の妃候補もいるのよね?」
「ああ、もちろんだ」
「だったら、その人を選んでもらえば良いってことよね?」
フェリシアはそう言うと、ラファエルは複雑な顔をした。
「フェリシア、よく聞くんだ」
「なぁに?お父様」
「次の妃には、私はお前しかいないと思っている」
その言葉に、フェリシアは息を一瞬止めた。
「さっきはしたくなかったと言ったじゃない」
「そうだ。しかし、派閥の均衡を守るためにはそれしかない。それが私たちの答えだ」
ラファエルの言う〝私たち〟と言うのは……一体どういうことかと、思案を巡らせる。
「派閥…」
貴族の、派閥。
それの、均衡を守るため……。
「フェリシアごめんね」
父も母も、フェリシアの味方では無いのか…。
ブロンテ家はイングレス王国の力ある貴族のうちの1つだ。そもそもは王国の建国の戦いの際、武勲をあげたのが始まりだという話だ。
ブロンテ家の一族は立派な体格を持つ武門の名家であり、気性も激しい。そしてなおかつ美貌を謳われる事の多い血族なのだった。フェリシアもその例に洩れず長身に恵まれ、そして容貌に恵まれ、おまけに美声も得ていた。
「父としては娘を王家にはやりたくはない、しかしこの国の貴族としては、この国の平和を維持させるためにはフェリシアを妃にしなければならない」
「私にだって…わかってる…。でも、どうして私なの?」
「フェリシア…」
ティファニーは自分より背が高くなった娘をそっと抱き締めた。
「ごめんねフェリシア」
「どうして、謝るの?」
「不甲斐ない親でごめんね」
そんな風に謝られたら、これ以上は癇癪をぶつけるわけにもいかなくなる。
「こんなに、綺麗な子じゃなかったら候補から外れたかも知れないのに」
「何ですって?」
「貴女はとても、綺麗よ。みんなそう思うに違いないわ」
「不細工だったら外れたの?」
「それはそうよ」
ティファニーはきっぱりと言った。
「王子妃ではなく、王妃の条件は単に身分だけじゃない。容姿もとにかく求められる」
「でも、この妃候補には赤ん坊の頃よね」
ティファニーはうなずくと
「もちろん…。その時の容姿と変わるかもしれないから今の姿に難があれば解消されたでしょうね」
「まさか、自分の外見に傷をつけようなんて思わないな?」
ラファエルの言葉にフェリシアは
「…しないわよ」
ちらりとラファエルは妻を見た。
「うん。約束してくれ、そんなことをされるくらいなら牢屋にでも何でも入る」
「約束するわお父様」
貴族の娘として生を受けた以上、フェリシアにはこの家の一員としての務めがある。それが…どんなものかは人それぞれ。
フェリシアはフェリシアにしかなれないし、他の誰かがフェリシアになることも出来ない。
「フェリシア…今日は歌を歌ってあげるわ」
「私はもう小さな子供じゃないわ」
「わかってるわ。でも、そうさせてほしいの」
デビューまでは、あと1ヶ月。
もしかすると、それからの生活は一変するのかも知れなくて…。
「じゃあ、させてあげる」
「ありがとうフェリシア」
母の歌声は優しくて、暖かい。
フェリシアが部屋の寝台に横たわると、ティファニーにその髪をそっと撫でられながら目を閉じると、久しぶりに聞いたその歌は、月は輝き星は歌う、という曲だ。子守唄がわりによく聞いていた。
「好きでもない人と…結婚なんてしたくない。その気持ちはとてもよく分かるの」
「お母様?」
「分かるのに…」
言葉を詰まらせたティファニーを、フェリシアはそっと薄目を開けて見た。空色の瞳は潤んで今にも決壊しそうだ。
泣きたいのは私の方よ…。
まだ知らぬ世界は……、フェリシアに大きく迫っていた。