「ある兄の話」<エンドリア物語外伝34>
あるはずの天井は高くて見えない。
広々とした空間には50人を越える人々がざわめき、壁のあちこちに灯った魔法の明かりが、ここが地上であるかのような錯覚を起こさせる。
タラグ洞窟、地下13階。
コナー・アードンは壁にもたれかかり、矢の状態をチェックしていた。
まもなく出発だ。昨夜のうちに、弓の手入れも矢の調整もすませてある。それでも、入念な手入れを怠らない。
隣に男が座った。
ジュエル・ベルナップ。同じ射手だが標的を確実に射抜くことを得意とするコナーと違い、強撃系で大型モンスターの破壊を得意とする。2人とも得意とするものこそ違うが、多種多様な矢を使いこなし、状況に応じて打ちを変えられる。
今回の仕事は魔法協会の依頼で、腕もいい者が集められた。
剣士、戦士や、魔術師など戦う者たちだけでなく、治療師、料理番、荷物運びにいたるまで、名うての者が参加している。
ジュエルが矢筒から矢をとりだした。曲がりがないかをチェックしている。
「今日には着くな」
「ああ」
コナーがうなずいた。
今回のミッションは討伐ではない。
15階にある神殿の調査だ。その為の研究者を3人と外部参加者の2人が同行する。
5人届けるのに50人を越える隊を組むというのは大げさなようだが、そうでもない。
2ヶ月ほど前に実施されたタラグ洞窟の調査を目的としたミッションでは150人近い隊で行われた。1ヶ月近い日々を費やして、生態系、モンスターの分布図、構造などを調べ上げた。15階に神殿があったことから、そこの調査に時間がかかり、16階以下は調べていない。現時点では調査の予定はないと聞いている。
「今日で3日目。強行軍だな」
「これだけのメンバーを揃えたのは、それが目的だろう」
洞窟内を寄り道することなく、予定の通路を突き進んできた。モンスターの出現場所、各所での戦闘メンバー、戦闘時間、移動時間、決められたとおりに進み、巨大洞窟を2日間で13階まで降りた。
「神殿には何があるんだろうな」
「行ってみればわかるだろ」
コナーも神殿が気にはなっていた。だが、それよりも気になっているものがあった。
「なぜ、いる?」
メンバーに人目を引く長身の白魔術師がいた。
整った顔、腰に差した金色のメイス。
医療魔法のエキスパート、賢者ダップだ。
端正な容姿とは裏腹に、やりたい放題の乱暴者で暴力賢者という異名がある。腕は確かだが依頼金は桁違いに高く、魔法協会といえども依頼したくない相手だ。
その賢者ダップがいるということは、高い金を支払っても緊急時には治療してもらいたい人物がこのパーティに混じっているということになる。
王族か、高級貴族か。
「いったい誰なんだろう」
コナーがつぶやいた。
「俺はあいつだと思っているんだがな」
ジュエルが持っていた矢をクルリと回して、寄り添って座っている2人を指した。
出発の時、今回のパーティ全体を率いるオーランド・ヘッジズから『外部参加者』と紹介された2人だ。兄弟で兄がワット・ドイアル、弟がピアース・ドイアルと名乗った。
兄のワットは18、9歳、茶色い髪に茶色の目。魔力はないようで、安っぽいシャツとズボンを着ていた。覇気がなく、紹介されたときも、ボッーとしていた。それに比べ、弟のピアースは10歳くらい。淡い金髪に青い瞳。顔立ちも整っていて品があった。魔術師であることを示す白いローブを着ていた。
「貴人の魔術師に、付き人、世話係、腕が立つようなら護衛と思ったんだが」
そう言ってジュエルが苦笑した。
兄のワットは弟のピアースの面倒をよく見た。面倒はよくみたが、貴人に仕える態度とは大幅に違った。
弟を叱る。
出された食事を弟のところまで運んだりはするが、食べ残そうとすると叱る。疲れて周りの歩く速度についていけなくても自力で頑張ろうとすると、叱る。
そのあと、全部食べれば褒め、この状況で頑張って良いことと悪いことを説明して、無理そうならば抱き上げて運んでもやる。
弟も『兄様、兄様』と慕っていて、今も座って眠りこけている兄にピッタリとくっついている。
「あれでピンクのローブならば、桃海亭かと疑ったんだがな」
ジュエルの言葉に、今度はコナーが苦笑した。
「俺も同じことを考えた。だが、外れただったようだ」
チビの魔術師に、貧乏そうな若者の2人組。
偽名を使うことは問題ない。だが、ローブの色を偽ることは許されていない。
魔術師が魔法協会に登録する場合、自分が使える魔法をすべて申告する必要ない。使える魔法が炎系と黒魔法だった場合、黒だけで登録しても問題はない。その場合は、黒いローブを着なければならない。
特に桃海亭がピンクという特殊な色なのは、危険の目印でもあるので、別の色のローブを着ることは認められない。
今回、協会の許可を得てローブの色を偽ったという可能性もあるが、弟の性格は生真面目で優しいように見える。怪我人がでた場合など、自分から治療に加わる姿もあり、噂のムー・ペトリの性格とは違いすぎる。
「護衛なのは間違いなさそうだが」
「あれが護衛か?」
ジュエルがクッと笑った。
「逃げているだけだろ」
ジュエルと違い、コナーは笑えなかった。
狙撃を得意とするコナーは位置にこだわる。狙い易い場所と狙撃に良い場所は違う。
モンスターが現れたとき、ワットは弟を連れてすぐに逃げた。逃げた場所はその時点で危険がもっとも少なく、状況が変わっても別の場所に逃げることができる場所にいた。
もっとも安全な場所を瞬時に見極める能力をワットは持っている。
「護衛なら、あっちに頼めよ」
護衛専門パーティの隊長、ベンジー・バグウェルの姿があった。
バグウェルは防御魔法と結界魔法を得意としている。護衛専門だがメンバーは多彩で剣士、武道家、治癒系、防御系などもいる。コナーも一度だけだが組んだことがあった。護衛専門というだけのことはあり、様々な攻撃を想定して、その都度陣を組み替え、メンバーの連携もよかった。
「そうだな」
コナーも同意した。
護衛というだけなら、バグウェルに頼んだ方がいいように思える。
銅鑼が1回、鳴り響いた。
出発の為の隊を組まなければならない。
コナーは矢筒を背負うと、弓を片手に立ち上がった。
ピアースは寝ている兄を起こそうと「兄様、出発です」と言いながら、身体を揺すっている。
困った顔で兄を起こす姿は、微笑ましい。
14階にいるモンスターは植物系なので戦士と炎系の魔術師が対応に当たるはずだ。昼頃には15階に着く予定だ。
どんな神殿なのか。
「兄様、起きてください」
「……もう少し眠らせてくれよ」
「起きてください」
渋々起きあがった兄が背嚢を片手に欠伸をしながら歩き出すと、弟はチョコチョコと後ろをついていく。
この2人はいったい何者なのか。
昼にはわかるはずだ。
コナーはゆっくりと2人の後を追うように歩き出した。
「これは神殿ではないだろう」
驚きが声になっていた。
驚いていたのはコナーだけではない。ほとんどの冒険者が目の前にある風景に驚きを隠せない。
円形闘技場。
平らな地面をすり鉢状にくり抜くようにして作られている。数千人ははいりそうな規模だ。
闘技場の中心部の平らな場所には30メートルほどの巨大な魔法陣がかかれている。その中心がフツフツと沸き立つように動いている。
「諸君、静粛に」
隊長のオーランド・ヘッジズの声が響いた。
「これより、今回の作戦の内容を説明する。本来ならば出発前に行うべきものだが、外部に情報が流出する危険を避けるために、ここで行わざる得なくなった」
契約書にも【15階の調査およびそれに付随した事項】としかかれていなかった。行けばわかるだろうと考えていたが、それが甘かったことにコナーは気づいた。
「この神殿は地上にあったのものが約800年ほど前、人為的にここに移動させられた」
移動魔法。
どのような魔法かはコナーには想像もつかないが、それ以外では移すことは困難に思える。
「現在では記録が失われてしまいどのような神かはわからないが、暗黒神のようなものが奉られていたらしい。魔力で空間をねじ曲げて神を呼び出していたらしいのだが、事故がおきて別の次元とつながってしまったらしい」
オーランド・ヘッジズの話は続いているが、研究者3人は平らな場所に降り、魔法陣を調べ始めている。
「暗黒神を奉っていた人々は魔法陣を描き、次元を封印した後、この地に神殿を移動させた。前回の調査で判明している」
研究者達は何枚もの紙を片手に魔法陣と動いている中心部を調べている。
「そして、封印が解けそうになっていることも判明した」
おぉーという驚きの声が響く。
「研究者の予想だと、早ければ今日中にも解けるそうだ」
オーランド・ヘッジズは調べている研究者に声をかけた。
「間違いないか?」
「はい、まもなく解けると思われます」
「諸君、聞こえただろうか。もし封印が解ければ、異次元のモンスターが地上にあふれかえり、地獄となろう。食い止めなければならない。そこで我々がきた」
言っている内容はコナーにもわかった。わからないのは、精鋭といえどもわずか50人。異次元のモンスターが大量出現したら、食い止められるとは思えない。
「我々がここに来た理由。彼女を守り、届けるためだ」
ヘッジズ隊長の側近が、弟のピアースの手を引いて連れてきた。
「彼女の名前は、サフロン・リーヴァイン。ケォフシ神殿の神官一族の姫巫女だ」
ざわめきが広がる。
ケォフシ神殿の神官一族の女性には、封印の力があると言われている。だが、封印をするには命を捧げなければならないことから【生け贄の巫女】とも呼ばれている。
有名な話だが、実際に行われたのは百年以上前のはずだ。
「ケォフシ神殿の姫巫女は、現在彼女しかおらず、彼女はまだ幼いために、封印できる可能性は50パーセントほどしかない。もし、失敗した場合、諸君等の手助けを頼みたい」
頼みたいと言われても、異次元のモンスターと戦う方法などコナーは知らない。
「おい、そこのバカ」
張りのある声が響いた。
冒険者たちの視線が、一斉にそちらを向く。
賢者ダップが耳をほじっていた。
「なんで、ムー・ペトリに頼まなかった。異次元通路なら、あいつが専門だろう」
「彼のような危険人物に、人々の未来は託せない」
「危険ねぇ」
取った耳糞をフッと吹くと、ニヤリと笑った。
「手柄が欲しかったのか?それとも名声か?バカすぎて笑える」
そういうと、ブハハハァと笑い出した。
「これは魔法協会の正式な決定だ。賢者といえども、この決定に逆らうとなどということは…」
「うるせぇんだよ!」
隣に座っていたフルプレートアーマーの戦士をつかむと、ヘッジズに向かって投げつけた。
弧を描いて50メートルほど飛んだところからすると魔法を使ったのかもしれない。
ヘッジズが避けて、すぐ後ろに着地。大音響がした。
「な、なにを」
ヘッジズがビビっている。
「ついでに、ケォフシ神殿潰しか?最後の姫巫女が死ねば、封印の血は絶えるよな。ろくな封印もできない魔法協会のバカどもには目障りだよな」
コナーは目を細めた。
誰が、何の目的で、賢者ダップをこのパーティに入れたのだろう。状況から見ると、入れたのがヘッジズではないのは確かだ。
「おい、そこの姫巫女さんよ。兄ちゃんのところに走っていけ」
「でも、私は」
「心配するな。あんたの兄ちゃん、そこのアホより、少しだけ賢いアホだ」
「でも……」
動かない姫巫女。
「忠告はこれで最後だ。ここまでの道のりで兄ちゃんに何を習った?」
「…習った。何を」
一生懸命考えているようだった。そして、ハッと顔を明るくした。
「兄様……」
見回して、顔を止めた。
「兄様!」
駆けていく。まっすぐに。
「待て!」
ヘッジズが止めようとしたが、その前に魔法弾が打ち込まれた。
「兄と弟の感動のシーンを邪魔するなよ」
打ったダップがニヤリとした。
「兄様、兄様、サフロンは生きたいです」
飛びついてきた姫巫女を、兄のワットが笑顔で受け止めた。
「よく言ったな」
泣いている姫巫女の頭をなぜた。そして、姫巫女を片手で抱き上げると、周りを見回した。
誰かをみつけたようで、駆け寄っていく。
「頼みがある」
ワットが話しかけたのは、ベンジー・バグウェル。
「あんたの護衛の腕を見込んで依頼したい。依頼料は金貨30枚。依頼内容は、こいつを地上の両親の元まで届けてくれ」
バグウェルは何も言わない。
ここにいる全員の視線が集まっていることをバグウェルわかっている。届ける力量はあるだろう。心情的にも受けたいだろうが、魔法協会と契約している現在の状況で、この依頼を受けたら契約違反になる可能性がある。
ワットは姫巫女をおろすと、背嚢から金袋を出した。
「ここに金貨30枚ある。無理を言っているのはわかっている。もし、足りないようなら言ってくれ。オレが地上に戻れたら、必ず用意する」
「兄様?」
「異次元の通路はオレが必ず封印をする。だからこいつのことを頼む」
バグウェルが重い口を開いた。
「…封印ができるのか?」
「する。してみせる。だから、頼む」
バグウェルが顔を上げた。見たのは賢者ダップ。ダップがうなずいた。
「わかった。引き受けよう」
「ありがとう」
ワットは屈むと姫巫女と視線の高さを合わせた。
「いいか、兄ちゃんはここで封印をしてから帰る。お前は先にこの人と行くんだ」
「いやです。私もここに…」
「だめだ。なぜかを説明している時間はない」
姫巫女の頭の上に、手をポンと乗せた。
「家に帰るまでに自分で考えるんだ。これが終わったら、答えを聞きに行くからな。ちゃんと、正解をいえるようにしておくんだぞ」
「兄様…」
ワットは立ち上がると、姫巫女の手をバグウェルの手に重ねた。
「頼みます」
頭を下げた。
「引き受けた」
手を握ったバグウェルは、姫巫女を引き寄せ抱き上げた。走って出口に向かっていく。
「おい、急げ。予想より、早そうだぞ」
賢者ダップがワットに声をかけた。
「やっぱ、オレですか?」
姫巫女がいなくなった途端、ワットがだるそうな表情になった。
「ゾンビになってみるか?」
「わかりましたよ、やればいいんでしょ」
面倒くさそうにヘッジズの隣まで走っていった。
「あー、皆さん、ワット・ドイアルと言いま…わぁ!」
ワットの足下から白い槍が突き出ている。
「道具屋、外してやるのは今回だけだ」
ワットはため息をつくと、顔を上げて闘技場の冒険者たちを見回した。
「オレの本当の名前はウィル・バーカーと言います。ケォフシ神殿の巫女サフロン・リーヴァインの兄を3日間だけやって欲しいと依頼され、ワット・ドイアルという偽名でこのパーティに加わりました」
闘技場にざわめきが広がった。
コナーにも聞き覚えがあった。
「あのー、桃海亭といった方が早いかなあ、とか」
偽名ワット、本名ウィルが恥ずかしそうに頬をかいた。
「やっぱ、桃海亭か!」
「なんで、来やがった」
「まさか、ムー・ペトリまでいるのか!」
騒ぎに紛れて、手榴弾や魔法弾がウィルに飛んでいく。
それらをウィルは器用に避けながら、話を進めた。
「異次元のモンスターと戦ったことがある人はご存じだと思いますが、異次元のモンスターは物理的なダメージでも魔法でも傷つけられません」
攻撃が止まった。
コナーは初めて知った事実に緊張した。
物理的ダメージも魔法も効かないとなると、戦う手段がない。
「封印するしかないわけですが、これだけの大きい魔法陣を解析して、新たに封印の魔法陣を書くとなると、時間がかかるわけです。それにも関わらず、魔法協会の計算ではあと1時間ほどでこの封印は解けるんです」
まもなく、あのフツフツとした場所から、異次元のモンスターがあふれ出てくる。
「そこで、皆さんにお願いです。時間を作っていただきたい」
ウィルがペコリと頭を下げた。
「……どうすればいい」
前方にいる戦士から質問が飛んだ。
「オレがいまから魔法陣の外側に線を引きます。かなり大きな円ができると思います。そこから、異次元のモンスターを出さないでください」
「ダメージは与えられないだろ!」
コナーの後ろからの誰かが叫んだ。
「はい、怪我を負わせることは不可能です。しかし、立ち位置を押し戻すことは出来ます。いまから、魔法陣を解析に入ります。そして、そのあと、魔法陣で…」
ウィルが指で上をさした。
「上から封印します。出てきた異次元モンスターごと、封印して向こうに送り返します」
「出来るのか!」
コナーの右側から聞こえた。
「出来なければ、地上に異次元モンスターがあふれます」
「あの姫巫女で先に試した方が…」
左側から聞こえた。
「あんな小さな女の子を殺ししたいんですか?」
ウィルが大声で言った。
「さあ、英雄になるチャンスです。ここにいる勇者の皆さんで世界を救おうではありませんか!」
感動のシーンのはずだとコナーは思った。
オーランド・ヘッジズが朗々たる声で言ったのならば、一斉に呼応する声で溢れていただろう。
だが、闘技場はシーンとしている。
反応がないので困ったウィルが頬をかいている。
コナーにも、なぜかわからない。
感動しなかったのだ。むしろ、脱力した。やる気がおきない。
「あ、そうだ。ボーデンさん、お願いします」
「あいよ」
荷物持ち専門ギルドのベテラン、ボーデンがウィルの側に駆け寄った。
背中には1メートル四方のつづら。ウィルの足下に置くと、すごい早さで走って戻った。
「時間がないんだ、出ろって!」
ウィルが箱を蹴飛ばすと、横倒しになった箱の蓋が開き、コロリと人が転がり出た。
巨大なキャンディをくわえている。
「痛いしゅ」
起きあがっても、かなり小さい。
「ムー、ムー・ペトリだぁー!!」
コナーの身体が反応した。出口の方向に身体をひねったとき、爆音が響いた。
「逃げ出した奴は殺すからな」
賢者ダップが金色のメイスを片手に空中から見下ろしている。
「人類を見捨てるという愚行を犯す奴への正義の制裁だ」
正義を口にしているが、誰が見ても『攻撃したいだけ』とわかる。
「さあ、逃げろ!」
そう言われても、逃げれば暴力賢者の攻撃を後ろから受けるのだ。
「戦う奴は、攻撃の準備をしろ」
コナーは計算してみた。
荷物運びや料理人など戦力外の人間を除き、一斉に攻撃した場合、賢者ダップに勝てるだろうかと。
勝てる。
幸いにもこのパーティには腕利きが揃っている。
ウィルとムーの戦力が不明だが、ダップだけならば勝てる。
だが、
その先がない。
勝っても異次元のモンスターが地上に溢れれば逃げ回って、いつかは殺されるだけだ。
コナーは腰を下ろすと、弓の状態をチェックした。押し戻すなら強い矢がいい。矢尻に爆発系の魔法をかけておくのも有効かもしれない。
戦士や剣士は闘技場の平らな場所に降りて、魔法陣の円の外側に集まっていく。すでに剣を抜いている者の数人いる。
ウィルは書かれている魔法陣の外側に線を引き始めた。
ムー・ペトリは何枚の紙を片手に魔法陣を見ている。
戦うという方向性が決まり、緊張で空気が張りつめていく。
ムーがウィルのところに駆けていく。
「大変しゅ、大変しゅ」
「どうした?」
手に持った棒を差し出した。
「キャンディがなくなったしゅ」
「ちょっと待て」
背嚢から、ペロペロキャンディを取り出した。
「これじゃないしゅ。赤いのがいいしゅ」
「違うのか、これかな」
「これはイチゴしゅ、リンゴがいいしゅ」
ムーが転がった。
ウィルに蹴飛ばされたようだ。
「ほら、リンゴだ」
投げられたキャンディが頭にコツンと当たる。
「イチゴしゅ!」
「リンゴだと思えば、リンゴになる」
「それはウィルしゃんの舌が…」
ホーリーアローがムーの耳元をかすめた。
「壊れたリンゴ頭にしてもいいか?」
賢者ダップが空中から降りてきた。
「解析しゅ、解析しゅ」
イチゴのペロペロキャンディを拾ったムーが逃げていった。
「道具屋」
「いま、オレ、線を引いているんで」
「線引きか。オレと最初に会ったときも引いていたよな」
「オレ、線を引いているんで」
「あー、シュデルの飯が食いたいなあ」
闘技場に広がっていた緊張が、3人のせいで緩んでいく。
命がけの戦闘にはいるはずなのに、自宅の居間でくつろいでいるような会話だ。
「先週出してくれた茶、うまいよな」
「オレ、線を引いているんで」
魔法陣の外側に丁寧に線を引いているウィルの側を、ダップがフワフワと浮いてついて行く。
魔力の無駄遣いだと思うが、誰も口にはしない。
「クッキーもうまかったよな」
「オレ、線を引いているんで」
「大量に焼かせようかな」
「材料費は持ってください」
「ナッツも入れて欲しいよな」
「ナッツ代も持ってください」
「ゴマも入れたいよな」
「胡麻代と燃料費も持ってください」
貧乏という噂は本当らしい。
「そういえば、さっき金貨30枚渡していたけれどいいのか?」
「あれだけの腕がある人なら、しかたないかなあと思って」
「全額前払いということを忘れていないか?」
ウィルが立ち止まった。
青ざめている。
「あの…」
「シュデルがなんていうかなあ」
「それより、今週のパンが…」
「パンが買えないのか?」
うなずいたウィルがトボトボと歩き出した。
「ケォフシ神殿からもらったら、どうだ?」
「そういうわけにはいきません」
「可愛い子には良い顔をしておきたのか」
ダップがニヤニヤした。
「ケォフシ神殿までの旅費がないんです」
弓を磨いていたコナーだが手が滑りそうになった。いま磨きに使っている磨き粉は1箱、銀貨8枚。エンドリア王国からケォフシ神殿までの旅費は乗り合い馬車を使えば往復でも銀貨6枚程度だ。
「さっき、姫巫女に『会いに行く』と、言っていたよな?」
「もちろん、行きます。20年くらいして金がたまったらですけど」
「きっと兄様が来る、と信じて待っていたら、どうするんだ」
「大丈夫です。オレの言った意味がわかれば、待ったりしません。自分がすべきことをします」
「『少しだけ賢いアホの兄ちゃん』か。オレの言ったとおりだよな」
クッと笑ったダップの前に、オーランド・ヘッジズが立ちはだかった。
「このパーティの指揮は私が…」
ゴォーーン。
ダップの肘が、ヘッジズの頭頂にめり込んでいた。
ゆっくりと倒れていくヘッジズを、ダップが「邪魔だ」蹴り上げた。
「そろそろ、終わりです」
ウィルが線を繋げた。
魔法陣を囲む円が完成した。
ウィルが周りを見回して、大声で言った。
「どのような魔物がでてくるかわかりません。飛翔系かもしれませんし、大型獣かもしれません。小型獣が大量にでてくるかもしれません。とにかく、この輪から出さないようにお願いします。特に高速で飛翔するモンスターをこの輪の中にとどめておくのは難しいと思いますが、よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げた。
その後ろをムー・ペトリが魔法陣から出ていった。解析が終わったらしい。
顔を上げたウィルが、再び話し始めた。
「今回は治癒系魔術師の賢者ダップ様が参加されています。多少の怪我なら治してくれます。厳しい戦いになると思いますが、絶対に出さない。それだけはお願いします」
魔法陣の真ん中のフツフツしているところが、どんどん盛り上がってきている。
ムー・ペトリは闘技場の端の方で紙に何かを書き始めている。ムー・ペトリは薄紅色の丸いドームのようなものに入っているようだ。コナーの知らない結界なのかもしれない。
「準備をお願いします。1分後に出てきます」
魔術師でもないのにウィルにわかるのだろうかといぶかしく思ったが、ほぼ1分後、フツフツが弾けた。
ゆっくりと姿を現したのは中型の獣。大きさは象といったところ。角のないカブトムシの外見に長毛を生やしたような生き物だった。
「もし、もしもだ、この円より大きなモンスターが出てきたら、どうするんだ?」
剣士のひとりがウィルに聞いた。
「出さない。それがすべてです。通路にはさまった状態で、容赦なく、ぶったたいてください」
コナーの唇に笑いが浮かんだ。
ウィル・バーカーという若者、緊張感をなくす才能は秀でているらしい。
巨大カブトムシが魔法陣をうろつきだした。
斧を構えた戦士が焦れたのか、ウィルの側に行った。
「魔法陣の中に入ってもいいのか?」
「死ぬのは確定ですが、やりたければ、ぜひ、中に入ってモンスターをぶったたいてください。オレとしては、大歓迎です」
笑い声が闘技場のあちこちから起こった。
戦士がウィルの肩をたたいた。
「この戦いが終わったら、一度ゆっくり話をしようぜ」
「オレ、酒は飲めませんから、食事だけだったらつきあいます。でも、金がないんで、おごってください」
誰かが爆笑している。
死ぬのは大歓迎と言った相手にたかろうとするウィルの神経の太さは、巨樹キスカヌの幹くらいはありそうだ。
「その面、ぶったたかせてくれたら、飯おごってやってもいいぜ」
ウィルがニマァ~とした。
「オレに一回触れるごとに、ステーキ5枚でいかがでしょう?」
巨大カブトムシが2人の方に歩いていく。
顔を赤くして何かを言い掛けた戦士を、ウィルが手で制した。
「ちょっと、待ってください。とりあえず、話せるか試してみます」
ウィルは、カブトムシに向かって手を挙げた。
「ヘェーイ、オレはこの世界の人間でぇーす」
コナーはバランスを崩した。
つがえていた矢を放ちそうになって、慌てて手を離した。
「オレの言葉わかりますかぁー?」
ダメだ。
何がダメなのかわからないが、とにかく、ダメだ。
コナーは笑いをかみ殺した。
巨大カブトムシが線の前で止まった。
円を描く線をはさんで、ウィルと向かい合う形になった。
「ウィルしゃん」
紙に書いているムー・ペトリが顔をあげずに言った。
「そのモンスターは第298次元のモンスターしゅ。第298次元からくるモンスターには知性がないことは確認されているしゅ」
「つまり、こいつ…」
「言葉は通じないしゅ」
ウィルがカブトムシを見上げた。
「…オレより頭が悪いんだ」
巨大カブトムシが前足をあげた。足が落ちれば、ウィルを直撃して、線からでる。
ガッ!
衝撃音が響いた。
ウィルが、隣の戦士を盾にしていた。
盾にされた戦士は、巨大な斧で前足を一本受け止めて、線からでるのを防いでいる。
「はあ、危なかった」
ウィルが額を拭った。
その前では、戦士が真っ赤な顔をして全身の筋肉を盛り上げ、必死に巨大カブトムシを押さえている。
体重を乗せて潰そうとする巨大カブトムシとそれを押し返そうとする戦士。
一進一退の攻防を、固唾をのんで見守る冒険者たち。
ガッコォーーン。
巨大カブトムシがひっくり返った。両足を上にむけて、バタバタしている。
「てめぇーら、ふざけているんじゃねえぞ!」
見事なアッパーカットを入れた賢者ダップが、怒鳴った。
「戦士の誇り、そんなものはゴミ箱にいれちまえ!汚かろうが、みっともなかろうが、この線から絶対に出すんじゃねえ。1匹でも出したら、お終いなんだよ。そのことを頭にたたき込んでおけ!」
空気が引き締まった。
心が落ち着いてきた。
「ここからだと魔法陣がよく見える」
後ろから声がした。見慣れた姿がコナーの隣に座った。
「どこにいたんだ?」
「あっちの後ろの方だ。光球の加減で見にくい」
上空に魔法の光球がいくつも浮かんでいる。前に来た調査隊が残していったものだろう。3ヶ月ほどに光っている長期型のタイプだ。
「あれ一匹で終わりだといいな」
起きあがったカブトムシと、線をはさんで戦士や剣士が戦っている。
カブトムシが羽を開いた。
上空から一斉に魔法弾が降ってくる。魔法の威力に押されたかのように羽を閉じた。
コナーは矢を打たなかった。
もし、長期戦になれば矢が不足することになる。一本でも無駄には出来ない。コナーでなければ出来ない戦い、それをしようと心に決めた。
深呼吸をして、矢をつがえた。
準備できた。
コナーがそう考えた時、それに応えるように通路から、モンスターが湧き出してきた。
小型、中型がほとんどだ。大型は見あたらない。
モンスターのほとんどが昆虫に似ている。
「やっかいだな」
「ああ」
ほとんどのモンスターに羽がある。昆虫のように高速で飛び回られたら矢も魔法も消耗する。
「さて、やるか」
ジュエルの強弓が唸った。飛ぼうとしていた牛ほどの蠅が転がった。
コナーは構えた状態で戦いの場を見渡した。テントウムシのようなモンスターが羽を広げた。内側に矢を放った。狙い通りに羽の内側に入れた。テントウムシはうまく飛べなくて、地面をヨタヨタと歩き回っている。
「よっし」
次を探す。
モンスターは増え続けている。
魔法弾は絶え間なく降り注ぎ、剣士や戦士の怒号が響きわたっている。
もう一匹、飛ぼうとしたテントウムシの内側に矢を入れた。
わずか2匹、だが、状況の厳しさをコナーはひしひしと感じていた。
背水の陣、そう思っていたが、この戦いはそんな甘いものではない。
逃げられないのは同じだが、敵を倒すことが出来ないのだ。ひたすら、しのぐしかない。しのいで、しのいで、ムー・ペトリが封印するのを待つしかない。
だが、
体力も魔力も限りがある。コナーの武器の矢も矢筒にあるだけだ。
封印が完成するまでもつか。
そう考えたコナーは、特大のホーリーボールが、巨大カブトムシを吹き飛ばしたの見た。
「てめーら、弱気になるんじゃねえぞ!」
賢者ダップが最前線で戦っていた。
素手で蟻のモンスターをぶっ飛ばす。
「ここにいるやつらは、腕自慢なんだろ!さあ、オレ様にその腕見せて見ろ!チビが封印しちまったら、もう見せ場はないんだぞ!」
白いローブは泥と汗で汚れているのに、光り輝いているようにすら見える。
ダップは金色のメイスを肩にかけるとニヤリと笑った。
迫力に圧倒された。
「おらぁ!」
金色のメイスが、線から出ようとした牛サイズのバッタの顔に直撃した。バッタは5メートルほど後ろに後退した。
「負けていられないな」
ジュエルが矢を放った。空中に飛び上がった蝉のようなモンスターを一撃で地に落とす。
コナーも矢を放った。別の蝉モンスターが地に落ちる。すぐに起きあがって羽ばたきはじめる。だが、飛び上がらない。コナーが羽と羽の間にいれた矢が外れるまでは飛べないだろう。
別のモンスターに照準を合わせる。
ダメージはない。それは手応えからわかる。だが、わずかだが線からでる時間を稼ぐことはできる。
打ち続けるコナーの耳に、誰かのわめいているのが聞こえた。
「蝶だ、蝶が出てきた!」
いやな空気が広がった。
蝶や蛾の系統は鱗粉を振りまく。それらは身体に毒になるものが多い。
通路から鷲ほどの大きさの蝶が十数匹、キラキラと粉を振りまきながら飛んで出てきた。
集まって飛んでいるところに、網のようなものが空中に出現した。包み込むようにして蝶を捕獲して地面に落とした。蝶達は網の中で暴れている。
コナーの後方から誰かが叫んだ。
「こいつらはオレがつかまえておく。オレにはこれで手一杯だ。あとは頼む」
鱗粉の危険は去ったが、楽観は出来ない。
いつまで蝶を押さえ込んでいられるかわからないし、モンスターは増え続けている。
飛び立ちそうなモンスター、飛び上がったモンスター、外さないように慎重に矢を放った。次々と射落とすが終わりが見えない。
ひたすらうっていると、時間の感覚が狂ってくる。戦いがはじまって20分なのか、4、50分経ったのか。
指も腕もしびれている。
もっと矢をもってくればよかったとコナーは後悔した。
1本1本大切に打っても、矢は確実に減っていく。魔法で作った矢を打つこともできるがコナーの魔力では数が知れている。
地上での線をはさんでの攻防は、時間が経つにつれて人よりモンスターが優位になっていっている。
「さて、オレは打ち止めだ」
隣のジュエルが弓を置いて、立ち上がった。腰にさしてある短剣を抜く。
「使うのは久しぶりだな」
2、3回軽く振ると「ちょっと、行ってくらあ」と魔法陣の方に走っていった。
魔法陣の周囲の顔ぶれも変化してきている。
負傷した戦士や剣士が後ろに下がって、魔法で援護している。前線には魔力切れした魔術師や射手や荷物運びなども混じっている。
やることはひとつ。
この線より先にいかせない。
それだけだ。
それだけなのに、一秒経つごとに厳しくなっているのが見ていてわかる。
矢が切れた。
弦を引き、魔法の矢を指先から出してつがえた。
「もってくれよ」
剣には自信がない。
弓が使えるうちに、この苦行が終わって欲しい。
願いを込めて、飛び立とうとした蝿を打ち落とす。
「ダップ様、信じていますよ!」
ウィルの声が響いた。
「おっし、信じていいぞ、オレ様を信じ切ってつっこめ!」
ダップの声と響く中、魔法陣につっこんだ人影があった。
必死の形相で、モンスターをすり抜けて魔法陣の中央に向かっていく。
ウィル・バーカーだ。
封印の準備ができた。
コナーはそう信じて、目でウィルを追い、矢を放った。
ウィルに飛びかかろうとしたバッタが弾け飛とんだ。
モンスターの群に突っ込んだウィルは、転がったり、飛び越えたり、つかんだり、回転したりと忙しく避けながら、魔法陣の中心部に到達した。
シャツの下から何かを取り出して、フツフツと湧いているところに乗せた。
フツフツが止まった。
蟻のモンスターが出ようとしていたが、頭だけ出た状態で動けなくなっている。
「終わった!」
「おら、行けぇーーー!」
ウィルの身体が真っ直ぐに上昇した。両手、両足を広げると、真下をみる状態で急速に上昇していく。20メートルくらいあがったところで、ウィルが再び、シャツの下から何かを取り出した。
紙のようなものを真下に向かって広げた。
「行くしゅーーー!」
ムー・ペトリの声がした。
紙からウィルが書いた線に向かって光が広がった。
「モンスターごと押し込めるぞ。光に入ると向こうに連れて行かれるから気をつけろ!」
ダップの声に、ウィルの書いた線の辺りで戦っていた人々が、一斉に身体を引いた。
広がった光は急速に収縮していく。光の中でもがいているモンスターの群が見える。光がどんどん小さくなって、魔法陣の中心で消えた。
誰もいなくなった。
「うわぁーーーー!」
落ちてきたウィルが、地上5メートルくらいでスピードが落ちた。回転して、なんとか足から降り立った。
「あぶねぇー」
ダップがウィルの隣に駆け寄った。
「感謝しやがれ」
「ありがとうございます、ダップ様」
ウィルが恭しくお辞儀をしている」
ダップは円形闘技場をグルリと見回した。
「ようっし、終わったぞ、帰るぞ」
さっさと出口に向かって歩き出した。
疲れていないはずがない。
整った顔は汗塗れで、髪も汗でべったりとしている。ローブは汚れでもはや白には見えない。
それなのに、颯爽と歩く姿は、美しく力強い。
「待ってください」
ダップに声をかけたのは、線のところに杖にすがって立っている若い魔術師だった。
「今の戦いで皆疲れています。休憩後の出発ということでお願いします」
「お前らのパーティの隊長はそこだろ」
ダップが指したのは、地面に転がっているオーランド・ヘッジズだ。まだ、気絶中だ。
「オレの下僕は、チビと道具屋だけだ」
「ボクしゃん、下僕じゃないしゅ」
「黙って聞き流せよ。どうせ、あと少しの我慢だ」
ムー・ペトリもウィル・バーカーも声量を落としていない。
2人の会話が、闘技場にいる全員に丸聞こえだ。
ウィルが地面に座り込んだ。その隣にムー・ペトリも寝転がった。
「疲れたなあ」
「疲れたしゅ」
「ほらよ」
ウィルは背中の背嚢から、ペロペロキャンディをとりだして、ムーに投げた。包み紙をむいて、ムーがなめた。
「酸っぱいしゅ」
「新作のレモン味だ」
「美味しいしゅ」
「疲れているんだろ」
ウィルが笑った。
その右頬が血で塗れていることにコナーは気がついた。
右の側頭部の辺りを切っているようだ。よく見ると、腕も身体も足も、着衣のあちこちが裂け、血がにじんでいる。
異次元モンスターの群にひとりで突っ込んだのだから、怪我をしていないほうがおかしい。むしろ、生きている方が不思議な状況なのに、コナーはウィルが怪我をしていることに驚いていた。
「おい、帰るぞ」
ダップが不機嫌そうに声をかけた。
「すんません。オレ達、もう一仕事あるんで」
「聞いていないぞ」
「オレ『少しだけ賢いアホの兄ちゃん』みたいなんで」
ダップが驚いたような顔をした。そのあと、ニヤリと笑った。
「オレは先に帰る。巻き添えはごめんだ」
「ひどいですよ、ダップ様。ここは手伝ってやる、っていうのが白魔術師の本分じゃ…」
「ついてきたい奴は、ついてこい」
ローブを翻して、ダップは出口に向かって歩き出した。
疲れ切っていたが、コナーは弓を持って立ち上がった。
ダップについて行った方がいいと、経験が教えてくれていた。
「こいつ、どうしやしょう」
荷物運びのボーデンが、ダップに駆け寄った。転がっているオーランド・ヘッジズのことを指す。
「チビを詰めてきた箱に入れればいいだろ」
「小さくありゃしませんか?」
「呼吸の魔法はかけてある」
先頭を切って歩いていくダップについて、満身創痍の戦士や剣士、杖にすがって歩いている魔術師、疲れ切った人々がダップに続く。
「よっ」
再会したジュエルの右腕は焼けただれていた。
「弓を取ってこないとな」
左手で折れた短剣を鞘に納めた。
「待っていろ。取ってきてやる」
駆け戻って弓を取り、ジュエルと合流した。怪我だらけの冒険者の群。
50人の冒険者で異次元の通路を封印した。
偉業なのはずなのに、なぜか、達成感がない。
先頭を歩いているダップが振り向いた。
「状況が変わった。できるだけ早くに出口に向かう。この先、休憩も宿泊もなしだ。食事は歩きながら取れ。料理番は食べられるものをどんどん配れ。重傷なものは右側に並べ。今オレが治す。軽傷のやつは治療系の魔術師に頼むか、薬草などのアイテムで治療しろ。15分後に出発する。ついてこられない奴は置いていく」
「まだ、ウィル達が残っている!」
誰かが叫んだ。
「状況が変わったと言っただろ。あのバカ道具屋が『兄ちゃん』をやると言った意味がわかっていないのか!おら、怪我人はとっとと並べ!」
皆、冒険には慣れている。滞ることなく、人が動いた。
重傷者を右側に移動させ、軽傷のものは自分や友人に手当をしてもらい、料理番はパンや干し肉、水を配りだした。
治療を始めたダップの手際は見事だった。手をかざして、次々に治していく。完全に治すのではなく、地上まで歩けるだろうところまで治療すると、次に行く。時間のロスをなくすためと魔力の残量を考えてのことだろう。
治療されている黒魔術師が、恐る恐るといった様子でダップに聞いた。
「賢者ダップ。ウィルの言った『兄ちゃん』の意味を教えていただけませんか?」
「はあ、わからないのか?バカ道具屋は通路の封印では飽きたらず、異次元通路の完全な閉鎖をしようとしているんだ」
「閉鎖ですか?」
「封印だといつかは緩む。そうなれば、姫巫女の一族を生け贄にしようなどというバカが現れるだろう。だから、通路自体を完全に閉鎖して、二度と開かないようしようとしているんだよ」
「そのようなことが出来るのですか?」
「できるから、天才と呼ばれるんだよ、あのチビは」
転がってレモン味のペロペロキャンディをなめていた小さい少年が、いまから次元の閉鎖に挑む。
コナーは弓を持っている手に力がこもった。
「手伝わなくてもいいのか」
戦士のひとりがダップに聞いた。
「バカ野郎!」
本気で怒っている。
「あれほどデカイ異次元通路を閉鎖してみろ。洞窟全体に影響が広がって、あちこちがブッ壊れちまう。オレ達が今しなければならないのは、この洞窟からでることだ。死にものぐるいで地上を目指せ。それができないやつは死ぬと思え!」
「いま閉鎖を行わず、彼らに後日来るように進言したらどうだろうか」
ダップの横にいた老いた魔術師が言った。
「チビがなんで箱で運ばれたのか考えろ!あいつらは二度とここには入れない!」
怒鳴りながらも治療の手はとめない。
「モンスターは、もういない。オレ達にできることはない。絶対に振り向くな」
怒鳴り終わったダップの息が荒いことにコナーは気がついた。
最前線で戦っていた。疲れていないはずがない。
「よし、治療は終わったぞ。水をよこせ」
料理番からひったくるように水の容器を取ると、逆さにして一気に飲み干した。ローブの袖で口を拭う。
「15分経ったな。戦う力のある奴は前に出ろ。地上まで一気に出るぞ」
ダップが大股で歩き出した。先頭にたつダップの後ろに傷の浅い者達が続く。コナーも弓を片手に加わった。
50人の冒険者が列になって動き出した。
魔法協会本部から10分ほど歩いた大衆酒場で、コナーはビールジョッキを片手に座っていた。
テーブルの上には鶏の唐揚げとポテトフライ、ミートボールグラタンが食べかけて置かれている。その間に酔いつぶれたジュエルが、突っ伏している。
飲めない酒を早いピッチであおっていた。
一本気なジュエルには、魔法協会での出来事が、よほど腹に据えかねたのだろう。
賢者ダップに率いられて、通常ではあり得ない強行軍でタラグ洞窟から出たのが一昨日の夜。
全員汗にまみれ、荒い息で洞窟から出た。座り込もうとするのをダップに叱咤され、100メートルほど離れた位置に移動した。
その直後、洞窟が崩れた。
山肌を巻き込み、陥没してすり鉢状になった。
ダップに言われて移動しなければ巻き込まれていた。
崩壊したタラグ洞窟の見ているコナー達のところに、魔法協会本部の魔術師が数人やってきた。
洞窟から戻ってきた冒険者を受け入れる係のようだ。
「お疲れさまです。いま馬車を手配しました。すぐに参りますので少しだけお待ちください。宿泊施設にご案内します。どうぞ、そちらでゆっくりと休んでください」
イヤな展開だとコナーは思った。
洞窟から戻った全員が同じ場所に置かれる。仕事はまだ終わっていないということだ。
案内されたのは魔法協会本部の研修施設だった。高級ホテル並の設備があり、食事も満足できる量と質だった。魔法協会本部の魔術師が明日の朝8時に報酬を支払うので、全員会議室に集まって欲しいと言われた。
言われたとおり朝の8時に会議室に行くと、参加者がほとんど集まっていた。出発の時と違うのは出席者が4人足りないことだけだ。隊長だったオーランド・ヘッジズ、護衛専門のベンジー・バグウェル、ピアース・ドイアルと名乗っていたケォフシ神殿の姫巫女、そして、ワット・ドイアルと偽名を使っていたウィル・バーカー。
指定された席に座って待っていると、壇上に魔法協会の関係者が立った。
ガレス・スモールウッド。魔法協会の災害対策室長だ。
「諸君、ご苦労だった。賢者ダップから封印が成功したことは聞いた」
ダップが立ち上がって、スモールウッド室長の隣に並んだ。
「君たちと同行した姫巫女のサフロン・リーヴァインはベンジー・バグウェルの護衛のもと、ケォフシ神殿に向かっていることを伝えておく」
戦い前の無傷な身体だったとはいえ、ベンジー・バグウェルは子供連れで崩壊までの短い時間で洞窟から脱出した。
ベンジー・バグウェルの護衛の腕と、彼を選んだウィル・バーカーの眼力にコナーは感嘆した。
「まず、私から諸君に詫びなければならないことがある。封印が解ける時期を本部はすでに把握していた。封印が解ける直前に諸君を送り込んだのは、我々の本意ではない」
ざわめいている。
封印が解ける時期がわかっていたのならば、早くにムー・ペトリを送り込めばすんだはずだ。
「私に出来たのは、賢者ダップとウィル・バーカーを参加者として送り込み、ムー・ペトリを箱に詰めて密かに運ばせることだけだった」
別の力が働いている、スモールウッド室長は暗にそう言っている。
「諸君、今回の契約を思い出して欲しい。契約締結時から、終了を告げるまでの間に見たこと、聞いたこと、すべて口外できないことになっている」
書類には確かに書かれていた。契約書類のほとんどに書かれている文言なので、コナーは気にも留めなかった。
「これから言うことは大切なことだ。忘れないで欲しい」
そこでスモールウッド室長は壇上から見回した。
「タラグ洞窟にあった異次元通路を封印したのは、オーランド・ヘッジズとする」
怒号が巻きおこった。
コナーも怒りで身体が震えた。
オーランド・ヘッジズは今回の戦いでは何もしていない。50人が命がけで戦っている間、ずっと気を失っていた。
その前にしたことと言えば、姫巫女を生け贄に捧げようとしたくらいだ。ダップがムー・ペトリの使用を進言したときも、反対していた。
そのオーランド・ヘッジズが『タラグ洞窟にあった異次元通路を封印した』という栄誉を独り占めする。
「こいつはいいや」
ゲラゲラと笑ったのは賢者ダップ。
「おい、スモールウッド。洞窟であったことを口外しちゃいけないんだよな?」
「その通りだ」
「おーい、聞いたか。お前ら、絶対に口にするなよ。あの洞窟で、何を見たのか、何と戦ったのか、どうやって封印したのか」
ボーデンが手をあげた。
「わかりやした。絶対に口外しません。特にオーランド・ヘッジズにゃあ、口が裂けてもいいませんぜ」
怒号が止まった。
コナーにもわかった。
これはスモールウッド室長の今回の件に対しての上層部への抵抗であり、参加した冒険者達の怒りを和らげる為の処置だ。
何かの力が働いて、魔法協会としてはオーランド・ヘッジズを英雄にせざる得なかった。だから、スモールウッドは、書類の口外しないという事項を逆手にとって参加者の口封じを行った。
オーランド・ヘッジズは次元の通路を封印した英雄でありながら、そこで何があったのか、どのようなモンスターが現れたのか、どうやって封印したのか、真実を知らないままに、英雄を演じ続けなくてはならない。
「報酬は隣の部屋に用意してある。今回は君たちの活躍で世界は救われた。心から礼を言う。ありがとう」
話を終えたスモールウッド室長は壇上から降りた。部屋を出ていこうとしたとき、声がかかった。
「ウィル・バーカーとムー・ペトリが神殿に残りました。2人のことを室長はご存じありませんか?」
緑色のローブを着た女の魔術師だった。
「生きている。心配することは何もない」
「しかし、洞窟が壊れて…」
「この件は終わっている」
そういってスモールウッド室長は部屋を出ていった。
その後、コナーは報酬を受け取って研修所をでた。飲みに行こうと歩き出すとジュエルに声をかけられ、一緒に飲みに行くことになった。
コナーは手柄がオーランド・ヘッジズのものになるのは不愉快だったが、しかたないと受け入れていた。だが、ジュエルは納得できなかったらしい。酔いが回ると愚痴り始めた。オーランド・ヘッジズは何もしなかった。生け贄にされそうな姫巫女を助けたのはウィル、封印したのはムー。そのウィルもムーも通路閉鎖のために洞窟内に残り、その洞窟は崩壊してしまった。スモールウッド室長は『生きている』と言っていたが、オレ達が出てすぐに崩壊した。中まで崩壊していれば、死んでいるだろ。と言って酒をあおった。そして、すぐに潰れた。
コナーはビールのお代わりを頼もうと手を挙げた。
顔なじみの女給が軽い足取りで近づいてきた。
「注文は?」
「ビールを」
「一人分?」
「そうだ」
暗い顔をしているのに気づいたのだろう。真向かいの席に腰を下ろした。
「ねえ、あんた、有名な冒険者なんだろ?」
それなりに名は通っている。だが、それを自慢する気にはなれなかった。
「金があるなら、慈善事業でもしない?」
「慈善事業?」
「ちょっとだけ金をだしてやれば、幸せになれる奴がいま店にいるんだ」
「酒か?」
「ううん、食べ物。なんでもいいんだ。時々くるんだけど、お腹を空かしていて可哀相でさ」
女給はコナーの性格をよくわかっている。
コナーは人を助けることに喜びを感じる性格だ。
「どこにいるんだ?」
「ほら、あそこ。カウンター。店長が可哀相だから、無料であげているんだけど、あれだけじゃね」
目を向けて驚いた。
包帯人間がいた。
大怪我をしているらしく、全身包帯でグルグル巻きになっているが、お腹が空いているようで、パンの耳を夢中で食べている。
「何をしているのか知らないけれど、いつも怪我だらけでお腹を空かせていてね。この店に来るようになったのも、店長が行き倒れていたのを拾ってきたのが最初なんだ」
包帯人間の向こうにもう1人いるのが見えた。子供でショッキングピンクの服を着ている。こっちもお腹が空いているらしく、パンの耳を必死に食べている。
洞窟で、寝ころんでいた人物に似ている。
目をこすって、もう一度見た。
間違いない。
ムー・ペトリだ。
そうなると、隣の包帯人間はウィル・バーカーの可能性が高い。
「店長が店で雇ってあげると言ったんだけどね、やらなければならないことがあるからって、追いつめられたような顔で帰って行くんだよ」
飲んでいるのは水だ。
コナーは慌てて金袋を出した。
あの2人には美味しいものをたくさん食べてもらいたい。
「この間、金が入ったからと言って、銀貨5枚を持ってきたんだ。パンの耳の代金だってよ。バカだよね。うまいものを食えばいいのに」
コナーの手が止まった。
「次からは腹を減らして、パンの耳を食いに来ているんだから、世話ないよ」
コナーは立ち上がった。
「いくらだ?」
「帰るのかい?」
「こいつを宿につれていかないといけないからな」
ヘッジズが酔いつぶれている。
「あんたたちの飯代の銅貨5枚に、あの子達の鶏の唐揚げ2皿追加して銅貨6枚でどうだい?」
「唐揚げを6皿やってくれ」
チップも入れて、銅貨9枚を渡した。
「ほら、帰るぞ」
ヘッジズに肩を貸して歩き出した。
店の扉を抜けるとき、闘技場で何度も聞いた声が後ろから聞こえた。
「唐揚げ、ありがとうございます」
「ありがとうしゅ」
感謝がぎっしりと詰まっている声だった。
暖かいものを胸に抱えて、コナーは歩き出した。
次回更新は6月4日になります。