5 えらいこっちゃ!
「やっぱり、瑛丞は鶴の屋を継ぐつもりは無いみたいどす」
お母ちゃんは、前から何となく察していたが、お父ちゃんは「えらいこっちゃ! えらいこっちゃ!」と頭を抱えて、座敷を歩き回っている。
東京の大学に行かしたのが悪かったのかと、両親は嘆いているが、由利亜はお兄ちゃんは始めから鶴の屋を継ぐつもりは無かったのだろうと溜め息をつく。何故なら、話が何処へ向くのかはわかっているからだ。
「なぁ、由利亜? あんたが鶴の屋を継いでくれんと、ご先祖様に申し訳が立ちまへん」
瑛丞が大学4年になり、法科大学院に進んで弁護士になると宣言した時から、由利亜はいつかは両親が言い出すだろうと思っていた。高校3年の進路相談が、えらい話になったと溜め息つく。
「うちは鶴の屋を継いでもええけど、大学は行きたいんや。女将の修行は卒業してからでええ?」
早くから修行した方がええと、お母ちゃんは渋い顔をしたが、瑛丞には自分の好きな道を選ばせたので、由利亜の大学進学を認めるしかない。
「ええけど、京都の大学にしておくれやす。休みの日には、手伝うて貰いたいし、お茶やお花のお稽古もせんとあかんよってになぁ」
由利亜は、もう一つだけ釘をさしておく。
「鶴の屋は継ぐけど、結婚相手は自分で選ぶぇ! お見合いで、婿さんなんかとらへんからね」
お母ちゃんは、鶴の屋の旦那さんになる人を密かに物色中だったので、お茶を吹き出しそうになる。お父ちゃんは、目の中に入れても痛くないほど可愛がっている由利亜に甘い。簡単に、ええでと応える。あんさん、とお母ちゃんに抓られているのを苦笑しながら、由利亜は部屋に向かう。
「お母ちゃんに文句つけられへんような男の人を見つけななぁ。お見合いで結婚やなんて、ロマンチックやないもんなぁ」
由利亜は自分としては、そこまで学歴主義では無いが、お母ちゃんに文句をつけられない男の人をゲットできるように、必死で勉強して国立大学に合格する。
「えらいこっちゃ! 由利亜がこんなに頭がええとは知りまへんどした!」
幼稚園からのエスカレーター式の女学校に通っていた由利亜は、中学生までは中の上ぐらいだった。鶴の屋の女将として忙がしいお母ちゃんは、成績は赤点取らなければ良いぐらいにしか考えてなかったので、ほんまに驚いた。
桜の季節は、鶴の屋はお客様で満室だ。お母ちゃんは入学式どころではない。裏の離れで、由利亜を送り出す。
「これからの女将は、英語や中国語も話せなあきまへん! 由利亜、気張って勉強しておくれやす」
妙な激励を受けて、由利亜は入学式へ向かう。黒のスーツに、黒のパンプス。桜並木を颯爽と歩く。亮に失恋してからは、勉強ばかりしていたので、大学デビューしてボーイフレンドを見つける気ぃ、満々だ。
「大学時代に彼氏をゲットしなきゃ! 女将修行中は無理やもん」
女子校出身の由利亜は、男子学生の群れに少し身構えてしまう。まして、校門からズラリと並んだ部やサークルの勧誘の激しさには、恐怖を感じる。差し出されたパンフレットを勢いに負けて受けとると、入部決定! とバンザイされる。
「違います、私は女将修行もせんとあかんから……」思わずパニックになって走り出す。
草履や下駄には慣れている由利亜だが、パンプスには馴れてない。講堂の前の桜の下で、根っこにつまづいて転けそうになる。
「きぁ、すみません」
転ぶ! と思ったが、男の人にぶつかって、抱き抱えて貰った。
「入学式、早々から転ばなくて良かったですね」
「えらい、おおきに……」背の高い人やなぁと、由利亜は見上げる。そこには、亮が微笑んでいた。
「亮さん、なんで? なんで、ここにいはるん?」
眩いぐらいの笑顔に、由利亜はドキドキが止まらない。頬を染める由利亜に、亮もハートが鷲掴みされる。やっと大学生になった由利亜に、亮は封印を解く。愛しさが心の奥から込み上げてくる。
「何故? それは由利亜がいるから、京都の大学院を選んだんだよ。それとも、私だけの勘違いかな?」
桜の舞い散るキャンバスで、由利亜は生涯のパートナーをゲットした。