魔の国
窓の外で雀が鳴き始めた。長い夜が終わった。光が雨の滴に反射した。外は気持ちよく晴れ、榊の部屋も明るく照らした。
「う・・・ん」
百合は、目を開けた。けだるい朝だ。ワズに血を吸われた後の少しふらつく感じがした。
彼女はしばらくぼーっと、昨夜のワズとの夜を思い出した。(今までで、最高に気持ちが良かったです。最後の方は、覚えて無いけど・・・。)彼女はご機嫌だった。けれども側に榊が裸で寝ているのを見て思わず彼をベッドから突き落としてしまった。
「っ痛いなあ」
榊は落ちた拍子に当たった腰をさすった。
「最悪の目覚めだ」
百合は、榊の肌に百合と同じ所に傷があるのに気が付いた。
「もしかして・・・助けてくれたのですか?私、血を吸われすぎていたのですね。・・・有り難うございました」
百合は恥ずかしそうにそう言った。一歩間違えば、彼女は狂っていただろう。だがもう、恐ろしいとは思わなかった。もし廃人になっても、それは自分の選んだ道で、そうなるのは覚悟の上だった。
榊は、立ち上がろうとして、クラッとしてベッドに倒れ込んだ。
「大丈夫ですか?」
百合は倒れた榊の頭に触れた。
「あんまり。ちょっと貧血気味」
榊はボソッと呟くと体を起こし、棚の上の薬瓶を開けた。
「ほらっ百合も飲んだら」
榊は瓶の中の黒い粒を口に入れると、同じ物を百合に渡した。百合はいぶかしげにそれをジロジロ見た。
「あやしい物じゃ無いって。ただの鉄剤だよ。血を作るためにさ。そのままじゃ飲みにくい?」
榊は冷蔵庫に行ってミネラルウォーターを出すと、コップに二つ注ぎ一つを百合に渡した。百合は布団で胸を隠しながらコップを受け取り、薬と水を飲んだ。榊は椅子にどっかと座るとグイッと水を飲み、息をついた。
百合は真っ先にワズの事を聞きたかった。けれど助けてもらった弱味もあり、榊が疲れてそうなので聞けなかった。(それにワズは、昼は動けないから、急がなくてもおそらく大丈夫でしょう。)
「お腹すいたろ。何か作るけど、ちょっと待ってくれ」
榊はそう言うと、上を向いて目を閉じた。
百合は、そんな榊を意外に思いながら見つめた。(榊君って、思っていた程嫌な人じゃないのですね。いいえ、むしろとても優しい人なのかもしれません。)
「服、貸してくれますか?私が作ります」
「・・・僕の服で良ければ、そこのタンスの中にある。・・・悪いけど、僕のも取ってくれる?」
百合は布団を引きずりタンスに行き、適当に拝借して布団の中で着た。
「これでいいですか?」
百合が榊の着替えを持っていくと、榊がニヤニヤしながら言った。
「いいねえ。彼女が僕の服を着ている図。疲れてなければ、かわいがってやれるのになあ」
「変に悪ぶって。おかしいですよ」
百合は、榊の膝の上に服を置いた。
「同じくらい貧血気味だろうに、百合は元気だね」
榊はズボンをはきながら、百合に話しかけた。
「慣れ・・・でしょうか」
「ごめん」
「なぜ、榊君があやまるのですか」
百合は、少したぶつく服を持ち上げながら笑い榊を見た。彼女は、彼の胸にある赤いアザに気が付いた。
「これ・・・昨日の傷ですか?」
「これは、違う。産まれた時からあるんだ」
榊は百合の顔を見て続けた。
「なあ、百合の花みたいだろ。運命の人と出会う証さ」
「・・・面白いことを、考えつくのですね」
「分からないかな。男のロマンが」
「はいはい」
百合は呆れたように言った。
食事を終えると、百合は気まずそうに話しかけた。
「あの・・・榊君」
「ワズの居所なら知らないぜ。居そうな所は百合の方が知っているんじゃないか?」
「でも、昨日ここに連れてきたのは、ワズなのですよね」
「ああ。本当に珍しい吸血鬼だな。自分の子を身ごもりそうな女性を、彼女の気が触れるから助けてくれなんてさ。普通子を身ごもらせる事だけ考えて、女性の身なんて考えないぜ」
百合は嬉しそうに頷いた。
「ワズは、優しいですから」
「だから、俺も昨日、あいつを倒せなくなったんだ。なんか分かり合える気がするんだ。ワズとなら」
「有り難うございます」
「ワズの事、好き?」
榊がおもむろに聞いた。
「ええ」
百合は頷いた。
「人間じゃなくても?」
「はい」
「僕の事は?」
百合は少し考えてから、静かに答えた。
「もし初めに榊君と会っていたら、もしワズと会ってなかったら、きっと好きになっていたと思います」
「ははっ」
榊は俯いて、恥ずかしそうに笑った。百合は自分の言ったことにハッとして、赤くなった。(そう、私会ったときから、榊君の事気になっていたのです。いやな人と思う一方で・・・。でも・・・。)
「今言ったこと、忘れてください。油断しました」
榊は百合の顔をジッと見つめた。
「僕以外の人の前で、油断するなよ」
「わっ、私にはワズという彼がいるのですよっ」
「そうだったな」
榊の思わぬ台詞に百合は、自分の顔がさらに赤くなっていくのを感じた。(この人は何故、私の心にすんなり入ってくるのでしょう。自信屋で、強引で、嫌味っぽい所もあるのに。でも・・・私は二人に惹かれているのですね。)百合は、自分の気持ちに胸が痛んだ。(もうワズを悲しませる事を思うのはやめましょう。)
「ワズのこと、探しに行った方がいいとおもうよ。僕はちょっと調べ物があるから一緒に探せないけど」
榊の言葉に百合は、ハッとして顔を上げた。まるで心を見抜かれた様なタイミングだった。榊は立ち上がって玄関に案内した。
「朝食ごちそうさま。後かたづけはしておくから。これ、昨日車に置いていった百合の荷物」
榊は、玄関の横に置いてあった荷物を手渡した。
「あっやだっ、私、昨日の屋敷に服おいてきてしまいました」
百合は突然思い出して赤面した。
「どこ、幻に取りに行かせるから」
「・・でも、また迷惑かけるわけには」
榊に昨日の情事の後を知られたくない。
「いいから。早くしないと、下着とか見つかるぜ」
「・・・・」
(もう全て知られているのですね。私も、彼氏はワズなんだから、堂々としなくては。)そう思いつつ、やはり堂々とは頼めない。しかし背に腹は代えられない。百合も詳しくは分からなかったが、覚えている限りを伝えた。
「いろいろ有り難うございました。榊君。どうお礼をしたらいいやら」
百合は、ぺこりとお辞儀をした。
「お礼ねえ」
榊は急に百合に顔を近づけて、軽くキスをした。
「お礼がわりさ」
榊は、にやっとしながら言った。百合は驚いた反面、喜ぶ自分の気持ちに気づいていた。けれど、それを悟られまいと榊を睨んだ。それを見て榊は慌てた。
「もうしないよ」
そしてちょっと俯いた。
「それでは」
百合は無愛想に言った。(恥ずかしいです。早く、ここを出ないと・・・私。)
「ああ」
榊も言った。彼は、彼女が見えなくなるまで見送ると、早速部屋にこもった。
(ワズの行きそうな所・・ですか。)百合は帰り道考えていた。(帰るところといったらワズの家しかないと思うのですが。)彼女は駆けだした。
百合は自分の家に着くと荷物を置き、ワズの家に向かった。
「ワズ!」
百合は、扉を開けると同時に叫んだ。
「ワズ!」
そして、二階に向かい、いつもの部屋のドアを開けた。
「百合!良かった。無事だったんだね」
ワズはベッドから体を起こし、気まずそうに百合を見た。
「急にいなくなるのですもの。心配しましたよ」
百合はベッドにストンと座った。トン。百合の足になにか当たった。見ると旅行鞄だった。
「・・・どこかへ行くつもりでしたの?」
百合は心配そうに聞いた。
「まあね。君とね」
「えっ」
「伝説にあるんだ。吸血鬼が人間になる方法があるってことが」
「えっ、何でもっと早く言ってくれなかったのですか」
「だから、伝説だって言ってるだろ。吸血鬼が人間になって恋人と結ばれた伝説がある。どこに行けば人間になる方法が分かるか分からないし、期待させるのも悪いし」
「・・・」
「本当は一人で見つけにいこうかと思ったけど、百合の側を離れたくないし。でも百合の生活も大事にしたかったから、なかなか誘えなくて」
「・・・どこ行くつもりだったのですか?」
「魔物の国。魔の国を探そうと思うんだ。俺達吸血鬼は、魔物だって言うし。あっ魔物って俺達みたいに、人間じゃないけど、人並に話せる生き物や、人間に正式に認知されていない生き物なんだけど。魔の国には吸血鬼もいるだろうし、そいつらに聞けば何か分かるかもしれないし。百合、一緒に行かない?」
「行きます」
百合は即答した。親のこと、学校の事、色々頭をかすめたけど、もうワズと離れたくなかった。
「そう言うと思った。人間界の伝説の動物にも会えるらしいんだ。百合、何見たい?」
「ペガサス!昔から、乗って空中散歩するのが夢だったのです」
「いいね。探そう。・・・それと・・・できれば、榊も連れて行きたいんだけど」
「えっ」
百合はドキッとした。朝のこと、ワズが知っているはずありません。だけど・・・・。
「俺・・・今回の事で、自信無くしているんだ」
「・・・・」
「今晩誘いに行くつもりなんだ。百合も行くだろ」
「う・・・ん」
百合は、少し嫌そうに返事をした。これ以上榊の側にいると、自分の心に自信が持てなくなりそうだった。ワズは頭をポリッと掻いて、困ったように百合の顔をのぞき込んだ。
「俺だって榊を連れて行くのは抵抗ある。だけど、いざと言うとき頼れる人、他に知らないんだよ。ヤキモチ妬いてないなんて言ったら嘘になるけどさ」
百合は少し間を置いて答えた。
「分かりました。一緒に頼みに行きましょう。今回助けて貰ったのも事実ですし、いろいろ知ってそうですし」
百合は、そう言って複雑な表情をみせた。
夜になった。百合が家で旅行の支度をしていると、母親がうきうきしながら帰ってきた。
「百合ー。ただいまー」
玄関を開ける音と共に、母親の浮かれた口調が聞こえる。
「お帰りなさい。お母様」
百合は玄関まで迎えに行った。
「百合ー。寂しかったですか?これお土産でーす」
母親は百合に綺麗なスカーフと、豪勢なケーキを差し出した。
「どうしたのですか?そんなに浮かれて」
「楽しかったのですよ。有り難うございます。百合。久しぶりにお父様と会えましたし。会社が取ってくれたホテルは豪華で、ご飯もおいしいかったですし」
(榊君が気を利かせてくれたのですね。)
「良かったですね。楽しくて」
「お母様、お父様の所で住もうかしら」
母親が浮かれていうのを、百合は呆れて聞いていた。
「かまわないですよ。私は」
「まあ、そんなことしたら百合さんが心配で仕方なくなりますわ」
百合は胸の奥がずうんと重くなった。(ごめんなさい、お母様。心配かけるようなことしています。)
11時をすぎた頃、ワズが迎えに来た。共に榊の家に向かった。
榊の家では、まだ部屋の明かりがついていた。トントン、ワズは昨晩叩いた同じ窓を叩いた。ガラガラと窓が開く。中から榊が顔を出した。下で犬が盛んに吠えたてた。
ワズは無遠慮に部屋に上がり込むと、どっかと床に座り、榊に一方的に話しを始めた。(いつもは、もっと、礼儀をわきまえていますのに。少し気まずいのかしら。)百合はワズを見ながらそう思った。ワズは一通り話をし終わると、さも榊の同意を得られるだろうという顔をして、榊を見つめた。
「だめだね」
榊は即答した。
「なっ」
良い返事がもらえると思っていたワズは身を乗り出して、歯ぎしりした。
「まず第一に明日は学校がある。行くなら、夏休みまで待っていてもらえないか。俺も学校生活を楽しみたいし、百合にも楽しんでもらいたいんだ」
そして、榊は、側にあった古い本を手に取って続けた。
「第二に、下調べが足りない。僕は、旅行は計画的にこなしたいんだ。じゃなきゃ、遭わなくてもいい危険に巻き込まれる。魔の国はどういうところなのか、魔の国はどこにあるのか、可能な限り調べてからだ」
バン!ワズは立ち上がり、机を叩いた。
「もういい!百合と二人で魔の国を探しに行く」
「金は・・・あるのか?」
榊がぶっきらぼうに言った。
「・・・どこかで盗む」
「盗むのですか?」
百合はビックリして、飲んでたジュースを吹き出した。榊は、ため息をついて続けた。
「と、すると二人は犯罪者だな。お前はともかく百合を犯罪者にするのは、僕は反対だな」
「・・・・・」
「まあ、夏休みまで待て。それまでに僕も準備しておく」
「そうしましょう。ワズ」
「・・・俺は、急ぎたいんだがな」
「闇雲に動けばいいという問題でもない」
榊は諭すように言った。ワズは渋々納得したようだった。帰り道は何とも気まずかった。百合は別れ際に軽くワズを元気づけた。彼は気恥ずかしそうに笑った。
次の日から、いつもの学園生活が戻った。榊も前ほどベタベタすることも無く、でもいつも見張るように百合を見ていた。百合はある意味寂しいような、ほっとしたような気持ちだった。
「別れたの?百合」
ある日、丘ちゃんが、おそるおそる聞いてきた。
「えっ」
(ああ、そうか、付き合っていることになっていたのでしたっけ。なんかいろいろありすぎて忘れていました。)
「えっと・・・ですね」
百合は言葉を濁した。
(でも・・・付き合っていることにしないと、これからやりにくくなるでしょうか。なにせ一緒に旅行に行く予定ですし。でも、独り決めも、榊君に悪いですよね)
「えっと、ごめんなさい。まだ、話し合ってないのです」
「ごっごめん。変な話して」
丘ちゃんは、急いで話題を変えた。
(あっまた、勘違いされました。困るのですよね。人の恋愛沙汰がおもしろ可笑しく広がってくのには。)
百合はため息をついた。
放課後、百合はB組に行き榊を呼んだ。
(男の子を呼ぶって、思ったよりずっと恥ずかしいですね。これは、早く終わらせなければ・・・。)そんな、百合の心を知ってか知らずか、呼ばれて来た榊の顔は真っ赤だった。
「ゆっゆっ百合ちゃ・・ん、何?」
(どうして、そんなに赤くなっているのですか。余計恥ずかしくなってしまいます。)
「すっ、少し、はっ、話があるの・・・ですが、こっちへ来てくれますか」
(うわー、しどろもどろになってしまいましたー。)百合は、榊を屋上へ連れ出した。彼女は、屋上の手すりから校庭を見ながら、深呼吸した。(今度は、落ち着いて話しましょう。)百合は、いちいちドキドキしてしまう自分にびっくりした。そして榊の方を見ないように話した。見れば、また動揺してしまいそうだった。
「あの・・・ですね。私たち、付き合っているのでしょうか?」
「えっ」
(あっ、また誤解を招く言い方をしてしまいました。)百合は、焦って榊の方に振り向いた。
「あの・・・友達に言われてしまって、別れたのかどうか・・・」
百合が言い終わらないうちに、榊は百合を抱きしめていた。百合はボッと顔が赤くなった。
「百合さえそれでよければ、僕は付き合っているほうがいい」
耳元で、榊がほっとしたように息をついた。
あの夜から、僕は、自分が抑えられる自信がなく、距離を置いていたが、その分思いが募った。抱きしめないと、息すらできないみたいだ。
「つっ付き合っているまねっこですよね。榊君」
百合は、強く打つ自分の心臓の音を感じながら言った。
「ああ、そうだった」
そう言いながら、榊がまだ抱きしめているので、百合はもぞもぞと動いた。
まだその時は来ていない。分かっている。だから僕は君を守る為だけに全てを費やさなくてはいけない。
「ごめん、百合。」
榊は慌てて手を離した。(心臓が止まるかと思いました。・・・でも、けじめは大切です。)
「あの・・・ですね、榊君。私。あなたに感謝していますし、好感を持っているなんて言いましたが、ちゃんと彼氏が居るのです」
「分かっているさ」
榊はちょつとムスッとした。
「それで、どういう事にしておくほうがいいでしょうか」
「・・・付き合っている事にしとこう」
榊が手をポケットにつっこみながら、言うと
百合は、ちょっと下を向いて早口に言った。
「なら、今日一緒に帰りましょう」
「えっ」
榊が嬉しそうな顔をした。
「そう、見せかけることも大事ですよね」
(もうっ気が、まわらないのですから。)
百合は少しイライラしつつ、にやけている自分が情けなくなった。