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長い夜が明けた。百合はその日も、早く学校に行った。教室に入ると、昨日と同じように、榊がいた。今度は、百合の席の隣に座っていた。

「よお。早く来ると思ったよ」

榊は百合を見て軽く手を挙げた。

「昨日も遅かったし、眠いだろ?」

「榊君・・・」

何でH組にいるの?とか、こんな朝早くにどうしたの?とか、聞きたい気持ちよりもワズに対して膨らんだ、疑念と恐怖が先行した。

「榊君、私どうすればいいのでしょう?」

「怖くなったの?」

榊は、優しく、百合の目を覗いた。

「私、あなたを信用した訳じゃありません。でも、あんな写真を見せられて、ワズもそれを認めてしまうと。・・・私、自分が情けないのです。彼を信用しているのに、その一方で、彼を疑っている。私、どうすれば・・・。」

 百合が、言い訳がましく喚いた。

「・・・彼と、しばらく離れてみる?」

「・・・・どうするのですか」

榊は鞄から、指輪を二つ出した。

「いずれ君につけようと思っていた。これをはめると、ワズには姿が見えなくなる。どうする?離れてみるなら貸すよ」

榊の渡した指輪を、百合は迷って人差し指にはめた。榊はため息をついた。(信じ合っている様子だったのにこんなものか。)

「悪いけど、俺もするよ。後でワズに何かされるのは、いやだからね」

榊も、百合と同じタイプの指輪を薬指にはめた。

「薬指にしたら、仲を疑われてしまいます」

百合が、戸惑った。

「俺らは、もう付き合っていることになっているんだからこれでいい」

榊は、少しムスッとして、自分の組に帰って行った。

「百合―。榊君とおそろいの指輪じゃない?」

昼休みがおわると丘ちゃんがつっこんできた。

「ええ。そうなのですが・・・ね」

「やっだー。なんか展開早くない?」

「あまり、指輪の事は、触れないでほしいのですが」

 百合が気まずそうに言った。

「どうしたの?嬉しくないの?好きなんでしょ?なんで薬指にはめないのよ」

「ちょっと、事情がありまして・・・これでいいのです」

百合は俯いた。指輪の事言われるたびに、胸がギュウと締め付けられた。

「へんなの?なんか幸せそうじゃないみたい?榊君の事、好きじゃないの?」

好きというか、今はそんな事より、ワズへの罪悪感で一杯だった。

「はあっ・・・」

百合は、深くため息をついた。

 どんなに暗い気持ちでも時間は経っていく。あっという間に授業が終わってしまった。

部活の仮入部も今日からだ。みんな、色々な部活を見に行ってる。丘ちゃんは水泳部に入りたいみたいで、前から誘われていたけど、ワズに会える時間が少なくなると思って今まで断っていた。

「丘ちゃん、これから見学いくのですか?」

百合は、聞いてみた。

「うん。他に行く人見つからなかったけど、入りたいから、一人でも行くつもり」

 (部活、何かやりたい事がある訳じゃないですけど、このまま帰っても時間が余りますし、一人だとつらいですね。) 百合は、丘ちゃんの顔色を見ながら聞いた。

「私も行って良いですか?」

「嬉しい。いいの?」

ずっと誘いを断り続けていたにも関わらず、丘ちゃんはとても喜んでくれた。彼女は笑顔で百合の手をとって、はしゃいでみせた。百合も少し照れながら、嬉しそうに笑った。

部室に行くと少し遅れて榊が来た。丘ちゃんは、百合を肘でつついた。

「やっ、愛されているねえ、なんか私じゃま者?」

「いいえ、そんなことないです」

榊の姿に、イライラした。自分の裏切りの象徴みたいで、いやだった。百合はそっと榊の側に行くと小声で怒った。

「なんの用ですか。ついて来られるのも、困ります」

「・・・ついて来たくてついて来ているわけじゃないよ。万が一を考えて、守りに来てるんだよ」

「指輪をはめていれば、ワズには見えないのですよね」

「見えないよ。でも見えないだけだ。声は聞こえるし、触れるし、臭いもわかる。俺がワズなら、お前を血眼になって探すけどね」

「・・・」

百合は少し顔をしかめて、丘ちゃんの所へ戻った。

「はー」

百合はそっと、ため息をついた。嫌な気分だった。

水泳部と言っても、夏以外は筋トレだ。今日は初めての練習なので、男女とも校庭5周。無心で走っていると、嫌な気持ちも少し和らいだ。

部活が終わり、丘ちゃんとも別れ、最寄り駅の千田駅についた。

「ワズ、待っていますでしょうか。こんなに遅くなって心配しているでしょうね」

彼の落ち着かない様子が見えるようで、百合はクスッと笑った。

「でも、ワズとは会わないって決めたのでしたっけ」

百合は指にはめた指輪を見て、またため息をついた。一日目から、こんな気持ちになるなんて。でも、ワズに殺されるのも怖いですし。あんな、老婆に自分がなるなんていやです。百合は、少しブルッと震えると、ワズを思う気持ちと、彼を疑う自分を、責める気持ちを追い払った。

家に着くと、百合はそっと自分の部屋のドアを開けた。空は、すでに暗かった。窓の外の屋根にワズの影が見えた。百合は、自分の部屋に荷物だけを降ろした。そして、その日は自分の部屋には戻らずに、不在の父親の部屋で隠れて過ごした。

翌日の部活の時間、その日は、男女混じって氷鬼をした。先輩達が男女とも仲が良いので、こういう交流会をよくするそうだ。榊も参加していたが、思いの他面白く、楽しかった。ただ、百合が捕まると、榊が張り切って助けに来るのが、少々恥ずかしかった。

 夕暮れが近づくにつれ、百合は不安になった。ワズが、探しに来るような気がしたからだ。春は、昼は暖かくても日が傾くと寒くなる。部活も、5時前には終わった。

服を着替えて、部室から出ると日は沈み、夕暮れの赤い光が、辺りを照らしていた。百合は、ドキッとして立ち止まった。学校の門にワズがいたからだ。百合は、指輪をそっと触った。(大丈夫なはずです。ワズに私は見えないはず。)

「何しているの?行こう」

丘ちゃんが施した。百合は、ゆっくり歩き出した。

 ふと、男子の部室を見ると、榊が友人と出てくるのが見えた。(ここでも、目立ちますね。くやしい事に、かっこいいです。)百合は、ぼんやりと、そう思った。榊もワズに気付いた。榊は友人達に断ってから、百合の所へ走ってきた。

「あっ今日、一緒帰る予定か。私先行くね」

丘ちゃんは気を利かせて、前を歩いていた女の子達の所に走っていった。

「来たな」

榊は、小さな声で百合に言った。百合は榊の服を握った。

「大丈夫。一緒に行こう」

複雑な気分。百合は、手を離して榊の後から、ゆっくりついて行った。

すれ違う時、ワズが声をかけた。

「百合か?それとも榊?」

百合は、とっさに榊の後ろに隠れた。その動作で砂が、飛び散った。ワズはそのまま続けた。

「警戒しなくてもいい。ただ百合に伝えたいんだ。俺が怖いのなら、もう近づかない。だから、もう逃げなくていいって」

榊は、黙って指輪をはずした。

「これから・・・お前はどうするつもりだ」

「遠くに行くさ」

「じゃあ、百合は、貰うぞ」

「・・・それを百合が望むならな」

百合の心臓は、また締め付けれられる様に痛んだ。榊は百合の手をとり、そのまま駅の方へ強引に百合を引っ張っていった。

「榊君、離して下さい」

ワズが見えなくなると、百合は榊に言った。榊は足を止め、彼女の手を一回強く握ってから離した。百合は、気まずそうに間を置いてから話しかけた。

「あの・・・疑問に思っている事があるのですけど」

「何?」

 榊が返事をしながら歩き出したので、百合もそれについて行った。

「なぜワズの事は、倒さないのですか?仕事なのですよね」

「仕事だよ。・・・でも、もし今、君の目の前で僕が彼を倒したら、君は彼を捨てることができるかい?」

「・・・榊君って意地悪ですよね」

「そうかな」

榊は少し俯いた。その後、榊と百合は駅で別れるまで、黙ったままだった。

 次の朝、百合は眠い目をこすりながら、リビングのドアを開けた。

「おはようございます。百合、見てください。怖いですねえ」

母親が、新聞を渡した。百合は、食卓の椅子に座りながら新聞を読んだ。茨城県で暴行事件があったらしい。隣の県だ。

「みんな、若い女性みたいですよ。百合も気をつけて下さいね。しばらく部活休んで、早く帰って来たらどうでしょうか?」

母親は心配そうに声をかけた。百合は、記事の先を読んだ。[襲われた女性は、皆赤い目をしている。警察は事件との関連を調べている。]百合は、ドキッとした。ワズ。これは間違いなくワズ。

「お母様。今日、早く学校行かなきゃ行けないのです。忘れていました」

百合は、慌てて席を立った。

「えっ、折角つくりましたのに?一皿ぐらい食べて下さいな」

母親は、朝食を勧めた。百合は急いで一皿食べると、すぐに出かける準備をした。

 玄関を出ると、百合は駅まで走った。(榊君なら、きっと同じニュースを見ている。絶対、なんとかしてくれる。)鳳駅で電車を降りると、榊を見つけた。

「榊君、大変なんです。新聞に・・・」

「知ってる。だから、百合がこっちに来ることは予想できた」

「どうすればいいのでしょう?」

「どうもこうもないよ。こんなに派手に動かれちゃ、僕も父さんに大目玉だ。僕は学校が終わった後、茨城に行くけど、百合も行く?」

「行きます。でも、そんなにのんびりしていていいのですか?」

「昼はワズも動けないだろうしね。学校終わったら、すぐ家に帰って茨城に行く準備をしてくれ。4時半頃迎えに行く」

「分かりました。でも、お母様にはなんて」

「百合が、帰るまでに何とかしておくよ。百合は気にしないで。悪いようにはしないから」

百合が榊の顔を見ると、榊は自信に満ちた目で頷いた。

 午後4時半、百合は支度をして家で榊を待っていた。聞きたい事が沢山あった。

 ブッブー。車のクラクションの音が鳴った。小さい赤い車が、百合の家に停まった。百合は急いで玄関の扉を開けて鍵を閉め、車に乗り込んだ。運転席には年配のおじさんが座っている。百合は後部席に座りながら、お辞儀をした。

「こんにちは。榊君のお父様ですか」

彼は無言だった。榊は面白そうに、クックッと笑って、

「出発するから、扉閉めて」

と、言った。

「彼は、僕の作った幻なんだ。僕が運転するわけに行かないだろ。僕はまだ16才なんだから」

「幻って一体・・・」

「僕の一族に代々伝わる技でさ。よく陰陽師でもあるだろ。人形に命をこめるやつ、あれと似たようなものだよ」

「榊君って、陰陽師なのですか?退治屋だって聞きましたけど」

百合は身を乗り出して聞いた。榊は、彼女の驚いた顔が、さも可笑しいというようにクッと笑うと、ニヤニヤしながらこう言った。

「僕の一族になるならまだしも、君はそこまで知る権利はないよ」

百合は少しムッとしたが、気を取り直して聞いてみた。

「家に帰ったら、お母様があたふたしながら出て行ったのです。急にお父様の会社のパーティーに呼ばれたから、2,3日帰れないと言いまして・・・一体何をしたのですか」

榊は、またクッと笑った。

「悪いけど、君の個人情報を調べさせて貰ったんだ。それで、君の父親の会社が分かったんで、会社に少し協力をお願いしたのさ。悪くないアイディアだろ。君も出てこられるし、母親に心配かけないですむし」

「そんなことができるなんて、一体・・・。」

「世界に影響力のある一族なんでね。今はこれしかいえないけど」

夕焼けが赤く染まりだした。まるで誰かの血が、赤く空ににじんだ様に。ワズの支配する時間が始まる。百合の家を出てもうすぐ1時間、風が冷たい。榊は車の窓を閉めた。

「どうやって、ワズを見つけるのですか?」

百合が聞いた。榊は、眼鏡をポケットから取り出して、百合に渡した。

「一つしかないから、壊すなよ」

百合はそれをかけると、外を見てみた。

「赤外線スコープの機能が付いている。暗いところでもよく見えるだろ」

「そうですね」

それから、榊は急に百合の方を見て、聞いた。

「確かめておきたい事がある。ワズとは、完全に別れたんだよな」

「別れたなんて・・・少し、離れてみたかっただけです」

百合は俯いて答えた。

「ワズにとっては、同じ事だよ。」

榊の冷たく突き放した言い方に、百合はズキンと胸が痛んだ。

「ワズを倒す協力をしてくれるな」

「倒・・・す?」

「当然だろう。ワズは仲間を増やそうとしているんだぜ」

百合の胸が再びズキンと痛んだ。(そうですね、それが、榊君の使命でしたっけ。でも、そんな・・・)

「現場に着いたら、大声でワズを呼んでくれ。おそらく反応して、何らかの動きを見せるだろう」

「見せるでしょうか」

百合はため息をついた。(裏切ったのは、私の方ですのに、私が呼んだところで、彼が、出てきてくれるとは思えません。)

「間違いない、彼の暴走は君と別れたショックから、だろうからな」

「・・・」

百合は榊を睨んだ。

「そして、ワズを捕まえて天に返す」

ズキン、とまた、胸が痛む。

「そしたら・・・もうワズに会えないのですか」

「俺がいるさ」

榊は横目で、チラと百合を見て言った。

「あなたじゃありません。ワズです」

「まだ、好きなの?君から別れたくせに?」

ズキンズキンズキン。胸の痛む音。百合は、何も言わずに俯いた。(別れたのでしょうか。ただ・・・距離を置いて見たかっただけですのに。彼にとっては別れだったのでしょうね。悪いことをしてしまいました。)心の中で、後悔の言葉が廻る。何もできない自分にイライラした。

「とにかく、早くこの事件を止めたいんだ。悪いけど、この仕事に協力して貰うよ」

百合は、泣きたい気持ちになった。榊は百合から眼鏡をとり、服にしまった。

夜は、段々と近づいてくる。(どうしましょう。今更、元に戻りたいだなんて言えません。でも、あれから、ずっとワズのことが、頭から離れられませんでした。今、私が行動しないいと、手遅れになるかも知れません。)百合はもじもじ動きながら、榊の顔色を見た。(榊君の言っていることが正しいということは分かります。だけど・・・。)車は茨城の現場近くに停まった。      

百合は、車から降りると、すぐにそこから逃げだした。(ワズが殺されるのは、いやです。ワズじゃなきゃだめです。会いたいです。今すぐに。)それは、もう、永遠に動かないであろう本当の気持ちだった。

「まて、百合、どこへ行く気だ」

榊の声が遠くで聞こえた。ワズは私が呼べば、きっと来てくれます。それはワズに対する自分の甘えだった。そして、彼女がワズを選んだ瞬間から、どこか確信めいたものに変わっていた。高いところがいい。声が良く届く所、百合は高い建物がないかと見回した。辺りは暗くて怖かったが、研究所の建物が目に付いた。さすが学園都市。百合は建物の外側に着いている非常階段を登った。一番上までくると、暗い空を見ながら力一杯叫んだ。

「ワズー。ワーズー。ごめんなさいー。会いたいのですー」

声は辺りに響き、消えていった。

百合は、もう一度叫んだ。辺りは静まり帰ったままだ。ふと、木の陰に人陰が見えた。ワズ?百合は、急いで階段を下りた。それは、確かにワズに見えた。背の高さも、マントも、彼のそれだった。だが、百合が近づくと、その人陰は逃げだした。

「ワズ、ワズなのですよね。何故、逃げるのですか?私・・・ごめんなさい。また、戻ってきてほしいのです」

百合は、叫びながら追いかけた。人陰は答えもせず、ヒラリと研究所の門を抜けると、通りにでて角を曲がった。百合も急いで角を曲がると、そこには男がいて彼女を抱きしめた。

「勝手な行動を取るなよ。夜道だぞ。危険はワズだけじゃない」

抱きしめられた耳元で、榊の声が荒い息づかいと共に聞こえた。

「幻を見せておびき寄せたのですね。卑怯者」

百合は腕の中で暴れた。

「騙したのは悪かったけど、百合が逃げるからじゃないか」

榊は逃がすまいとして、余計強く百合を抱きしめた。

「離してください。ワズに会いに行くのです。ワズが好きなのです。離れたくないのです。もう私がどうなってもいい・・・」

百合は力一杯叫んだ。

「離せよ」

急に、太い低い声が聞こえた。耳慣れた声だ。榊の後ろに、いつのまにかワズが立っていた。彼は榊の腕をつかんだ。いつもより強い力だ。(くっそー、昨日、血を思い切り吸いやがったな。力が違うぜ。)

ワズは、榊の腕を無理矢理百合から引き離した。ワズは、百合を抱き寄せ榊を睨み付けた。百合は彼にしがみ着くと、泣きながら謝った。

「百合、もういいから」

ワズは百合の顔を優しく上げて、キスをした。

「ワズ!」

榊は懐から札を出して、彼に投げつけた。ワズは百合をマントでくるむと、札が当たり体が焼けるのも気にしないで、闇に紛れるように飛んだ。

「安心しろ、榊。俺は百合をつらい目には遭わせない。初めに言ったろ。彼女の側にいるだけだ。俺も彼女が大切だからな」

闇の中から、ワズの声だけが榊の耳に響いた。榊は拳をふるわせた。


君が好きなのは、僕じゃない。近くにいるのに、届かない心。あいつが君の心の中にいる。そして今、君はあいつの腕の中にいったのか。


「ここは・・・どこですか?」

百合は、連れられてきた家を見ながら言った。

洋風のこの家はワズの家に雰囲気が似ていたが、それよりもとても綺麗に掃除してあった。

「元は貴族の家。今は記念館。たまに勝手に使わせて貰っている」

ワズは、百合を床に置くと近くのベッドに倒れ込むように横になった。さっき札があたった肩のところから、煙が出ている。

「ワズ、大丈夫ですか?」

百合は、ワズの肩を撫でた。

「っ痛。・・・でも心配すんなよ、百合。昨日、沢山血を吸ったから、すぐ治るさ」

「・・・ごめんなさい」

「あやまんなよ。大丈夫だって」

ワズは百合の頬に手を置き、目を閉じて軽く息をついた。百合は、頬に置かれたワズの手に自分の手を添えた。頬に手を置くのは、ワズの癖だった。百合は彼のひんやりした手が心地よくて、懐かしくて、愛おしくて、涙が出そうになった。

「でも・・・もう少し、吸わせてもらってもいい?」

彼はいたずらっぽく笑い、片目を開けて、百合を見た。

「いいですよ」

百合は嬉しそうにクスッと笑い、彼の口に自分の首を差し出した。ワズは体を起こすと、百合をベッドに押し倒し、軽く首に噛みついた。少し血を吸うと体を起こし、百合の体をじっと眺めた。

(さて、どうしてやろうかな。散々俺を悲しませた罰を・・・。)

「百合、愛しているよ」

ワズは彼女の服を脱がせながら、至る所に噛みつき血を少しずつ吸った。百合は、気持ちよさげにうなりながらそれに答えた。

(少し吸いすぎかな。)ワズの頭をそんな思いがかすめた。(まだ、もう少し。もう少し。俺につらい思いをさせた罰に。)ワズはその思いを振り去るようにして、血を吸い続けた。

 ブルッと、百合の体が震えた。ワズはハッとして、体を離した。百合の目が、開ききっている。ワズの噛みついた全ての傷が、まるで鯉の口の様にパクパク開いたり閉じたりしていた。

(まずい、やってしまったか。)ワズは彼女の体をなでた。震えは止まらなかった。百合が、百合で無くなってしまう。ワズは青ざめた。このままでは助からない。ワズは彼女を抱き上げ、窓の外へ飛んだ。空は雲が出てきたからか、星一つ見えない。


 榊は自宅の前で、車を止めた。飼っている三匹の犬が愛想良く、彼を出迎えてくれた。榊は門の外から三匹をなでると、扉を開けた。その時、彼の手の上に降り始めの雨がポツンと落ちてきた。彼は空を見上げ、ため息をついた。

「このままじゃだめだ」

彼は独り言を言って、家に入って行った。


僕には、まだ知識が足りない。百合を助けられるか不安だ。


部屋に着くと彼は電気をつけ、分厚い本を出し、椅子にどっかと座ってページをめくった。そこには、吸血鬼に魅了された女性の救い方が載っていた。外の雨の音が、激しくなってきた。彼は不安を覚え、一人武者震いをした。

 ワンワン。犬が盛んに吠える声が聞こえた。同時にトントンと、窓ガラスを叩く音が聞こえる。雨?それにしては・・・榊は本を机に置いた。バンバン。今度はかなり強い音だ。榊は椅子から立ち上がると、窓へ歩いて行った。カーテンを開けると、窓の側でワズがびしょぬれで飛んでいるのが見えた。

「助けてくれ。榊」

窓の外から聞こえる必死の声に、榊は窓を開けた。

「一体何があった。百合をどうしたんだ」

榊の声を無視して、ワズは榊のベッドに彼の濡れたマントの下の百合を寝かせた。症状は変わってなかった。

「・・・っ」

榊は百合の方へ駆け寄ると、ワズを見た。

「百合を助けてくれ。俺はどうして良いか分からない」

ワズは泣きそうになりながら、榊に頼んだ。

「馬鹿か。お前は。彼女をこんな風にして」

榊はヒクヒクしている彼女の傷口をなで、

「傷・・・痛そうじゃないか」

と呟いた。そして、軽く息をつくと、ワズの方を向いた。

「初期状態の治療は簡単だ。部屋から出てくれないか。・・・見ない方がいい」

ワズは、黙って部屋を出た。

榊はワズが部屋を出るのを見届けると、上着とズボンを脱いだ。そして彼女の傷口を塞ぐように自分の体を重ねた。彼女の傷口は血を欲していた。榊が肌を重ねた瞬間、一つ一つの傷がまるで吸血鬼の歯のように、榊に噛みついた。

「・・・うっ」

榊は呻いた。そしてごくりと唾を飲み込むと、未だ残っている一番大きな傷口、彼女の首に自分の首を重ねた。

「ああああっ・・・」

榊が叫んだ。部屋の外にも榊の声が聞こえた。ワズは、その場にいられなくなって玄関から外に出た。そして犬がワズに飛びかかるのをヒラリと交わし、雨の空へ飛び立った。(俺は馬鹿だ。あんなに大事にしようと思っていたのに、こんな風にしてしまって。)雨の音が激しくなり、榊の苦しそうな声をかき消していった。


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