疑惑と恐怖
百合は家に帰ると鞄を置き、隣の森に向かった。その森は小高い丘になっていた。その上に、おそらく百合しか知らないであろう西洋風の屋敷があった。ワズの家だ。彼女は玄関のドアをあけ、最も奥の部屋、寝室へと向かった。寝室の窓は厚いカーテンが閉じていたが、そこから薄明かりが差し込んでいた。彼は、そこに寝ていた。透き通るようなきめ細やかな白肌。整った顔立ち。漆黒の髪は、軽くカールしていた。
「また、毛布かけないで。仕方のない人」
百合はクスリと笑い、子供を見るような仕草で足下の毛布を肩までかけようとして、はだけた胸に見とれた。
「シミ一つ無い肌。こんなに綺麗なんて」
百合は軽く指で、胸をなぞった。と、急に彼女はその胸の中に引きずり込まれた。ひんやりとした彼の肌が、彼女の肌を包む。気持ちいい冷たさだ。
「お帰りっ百合。学校どうだった」
彼女はそのまま、彼の下になった。
「ごめんなさい。起こしてしまいました?ワズ」
「んー。君に起こされるなら大歓迎だよ」
ワズは、百合に軽くキスをした。
「でも、今日来たのは、ちょっと真面目な話なのです。」
百合は彼の手をどかし、ベッドから出ながら話した。
「昨晩吸われすぎたので、見て下さい私の目、いつもより赤いですよね」
「あっちゃーごめん。新しい高校に入って、変な虫が付かないといいなーなんて思っているうちに吸い過ぎちゃった」
「いいのですよ。気持ちよかったので」
百合は、にっこり微笑んだ。
「誘惑するなよ。それで?」
百合は、ワズの顔を上目で見て続けた。
「えっと・・・それで、男の子に」
「男の子っ!」
ワズは、ベッドから跳ね起きて、百合の顔を見た。
「あのですね。恋愛話でなく、この赤い目の話です。その子に、その赤い目は血を吸われたからじゃないかって言われたのですよ。」
「んー、もしかして吸血鬼専門の退治屋かもしれない」
「そんな人がいるのですか?」
「俺のじいさんの住んでたイギリスには多かったみたいだけど、日本にいるとは聞かないな。俺の親父もそいつらから逃げて来たから。」
「ああ・・・」
百合は口ごもった。ワズは以前、百合の事で父親と意見が対立し、百合の目の前で父親殺しをしたことがあった。
「でも、そう言えば彼クオーターだって聞きました。多分西欧の血が流れているのじゃないでしょうか」
「えーっまじいな。もしかして、俺の親父追って来たのかな」
「でも、大丈夫ですよ。私達、誰にも迷惑かけてないですもの」
「・・・・今度、そいつとはいつ会うんだ」
難しい顔でワズが聞いた。
「明日の朝・・・早く会います」
「かー朝かよ。朝は、俺、外出られないよ。夜会えないのか?」
「夜会う方がいやです。私、年頃の娘ですよ。お父さんは単身赴任中だけど、お母さんはいますし、勝手に外に出られません」
「・・・」
「ワズ?」
百合が心配そうに、顔をのぞき込んだ。
「んー、まあいっか。なるようにしかならないよな。そいつの名前は?」
「今は、言いたくありません。彼に何かしたら困りますから」
「信用ねえな。でも、何があったかぐらい、明日話せよ」
「はい」
百合は頷いた。
次の日、百合は8時より30分も早く、学校に着いてしまった。まさかこんな早くは、誰もいないだろう。野球部の朝練の声が、やけにすがすがしい。
ガラガラッ
教室の戸を開けると、彼女の席で榊が寝ていた。百合は驚いて、彼の行動に少し引いたが、軽くため息をつくと、
「あの、起きてください。そこ私の席ですし」
と、彼を揺り起こした。
「ああっ」
彼は、飛び起きた。目の下に隈ができている。
「百合っ早かったね」
彼の動揺が手に取るように分かった。
「呼び捨てですか?昨日会ったばっかりですのに」
「ああっ、そういうことになっているんだよね」
「???何ですか、それ」
「えっああ、ごめん。気にしないで。本題に入ろう」
「・・・で、何を知っているのですか」
百合は、榊がどいた自分の席につき彼を睨んだ。
「君の近くに魅力的な男の子いるでしょ。彼に、血吸われてない?」
「やっぱりそこまで知っているのですね。彼を倒しに来たのですか?」
「だったら?」
「彼に近づけさせません」
榊はそんな百合を見て、にたにた笑った。
「何ですか。気持ち悪いですね」
「いや、ずいぶんと、ご執心なんだなと思って」
「・・・・。」
百合は、顔を赤らめながら、榊を睨み付けた。
「でも、珍しいな。まだ無事なんだ」
「彼は紳士なのです!」
「でも、君は吸血鬼の本当の恐ろしさ知らないよね」
榊が、急に真面目な顔になった。
「なっ、何ですか」
「君の・・えっと、彼の名前は?」
「教えません」
「名前知らないと話しにくいんだよ。いいや、君のスィートで」
「・・・あなた。随分と面白い人ですね」
「ええっ、そうかなあ。でも、恋人なんでしょ」
「・・・続けてください。」
「君のスイートに体の血を30%以上吸われると、君は、君の意識を失う。彼の子を身ごもってね」
「えっ」
百合は顔を赤らめた。
「そこ喜ぶとこじゃないから。いっとくけど、君の意識が死ぬんだよ。化け物になるんだよ」
百合は、下に目を落とした。
「いいかい、それを境に君のスィートは、本能的に君を受け付けなくなる。君は、子を産み、幼年期を育てる為だけの存在になるんだ。」
「・・・・」
「意識も死ぬんで良かったろ。まあ、女にしちゃ耐え難い苦痛・・・」
「もう、いいです」
百合が榊の言葉を遮った。
「分かりました。彼が、いつもギリギリの所で、吸うのやめてしまうかが。私の意識が死ぬのがいやだったのですね」
榊はだまって百合を見つめた。
「でも、彼を倒しに来たならおあいにく様です。私達は、人様に迷惑かけることは、何もしていません」
「これからするかも知れないだろ」
榊が、ジロッと百合を見た時だった。ガララッと扉が開いた。そこには、丘ちゃんが立っていた。
「ごっ、ごめん」
彼女は、急いで教室を出て行った。(あっ、見られてしまいました。しかも、勘違いされています。)百合は、しばらく傲然とした。
「僕、B組戻るよ。・・・良かったらさ、今日、僕の家来ない?君の認識の甘さが分かると思うよ」
榊は、伏し目がちに言った。
「私たち誤解されています。そんなことしたら、余計・・・」
「いやなの?いいだろ、どうせ君の彼氏は、人に言えない彼氏なんだから」
榊は、俯いたまま、続けた。百合は、ズキンと胸が痛んだ。(人に言えない彼氏。分かっているつもりですけど改めて言われると、つらいですね。でもどうしましょう。ワズの事もう少し知りたいですし、それに自分の事でもあるみたいです。でも、男の子の家に行くなんて・・・。ああっ、早く決めないと、また人が来ちゃいますよね。)
「分かりました。では、どこかで待ち合わせしましょう。えっと、夜じゃだめですか?彼も連れて行きたいので」
榊はクッと笑った。
「いいよ。出てこられるの?」
「大丈夫です。親が寝た後、ワズに連れ出して貰います。では、夜十一時に・・・榊君の家の最寄り駅はどこですか?」
「鳳駅。来てくれるの?遠いよ」
「言いましたよね。彼に連れて行ってもらいます。いいですから、早くB組に行ってください」
百合は、榊の背中を押して教室から出ようとした。すると、同じ組の男子に見つかってしまった。
「おーおー、もうカップル誕生かあ」
彼らがはやしたてる
「違いま・・・。」
百合が否定しようとするのを、榊が止めた。
「そうだぞ、お前ら、桜木百合に手を出すなよ」
百合は、がっくりうなだれた。怒る気力も無くなった。
「じゃあな」
榊は、百合の肩を叩き、ウインクしてB組に行った。姿は、かっこいいのですけど・・・。百合は、傲然と彼を見送った。あっ、丘ちゃんどうしましょう。
「付き合ったの?」
隣のF組で、中学からの友達と話していた丘ちゃんは百合を見て、開口一番そう聞いた。
「えっ、えっと、それは・・」
付き合っている訳じゃなんですけど、そういう風に思われて当然ですよね。榊君もそう見せたいみたいですし。
「そっ、そうなのです」
百合は、しどろもどろ答えた。嘘を付くのは胸が痛む。
「えーうらやましいな。百合綺麗だもんね。それに榊君もパーフェクトってカンジだし」
「そうですか?」
そうみえますよねえ。性格は、微妙だとおもいますけど。
学校から帰ると、百合は、すぐワズの家に行った。榊の家に着いてきて貰うのを頼む為だ。
「それ、行くのやめろよ。」
ワズは、ベッドに腰をおろし百合を見上げて言った。おとといから、ワズは百合の血を吸ってない。彼女の目は、段々元の黒い色に近づいている。ワズは、舌なめずりして唾を飲み込んだ。
「どうしてですか、ワズの事もっと知りたいですし、自分にも関係のあることみたいですし」
百合が反論すると、ワズは黙って目を下に落とした。
「血を吸いすぎると、私が、私じゃなくなるって本当ですか」
ワズはドキッとして、彼女を見た。
「だから、ワズは、いつもギリギリの所で止めてしまうのですか。目の色が元に戻るまで、吸わないですよね」
百合の言葉を聞いて、ワズは大きく息をついた。それから、すっと立ち上がり自分のマントをつかんで、そのまま百合を抱きしめた。
「分かった、夜迎えに行くよ。10時半でいい?部屋の窓開けといて」
百合は彼にしがみつき、(有り難うございます。)と小声で言った。
夜の十一時近くになると、地方の町には、ほとんど人がいなくなる。それでも駅前はタクシーが列をつくって、帰る人を待ちかまえていた。鳳駅前に、榊はいた。相変わらず律儀なのか、早く来るのが好きなのか、約束の10分前なのに来ていた。時計を見つつ空を見上げ、約束の人達を待っていた。ワズと百合は、上空の闇に紛れていた。あまり駅に近づくと、他の人に分かってしまう。彼らは、人通りのない路地にそっと降りた。そして、二人で、榊の方に走っていった。
「クッ」
榊は、二人の姿を見て苦笑した。
「何ですか?」
百合は、ムッとして聞いた。
「君達、ホストにだまされた女子高生の図って感じだよ」
めいっぱいかっこつけたワズはがっくりした。
「えっマジで?いいと思ったんだけどなあ」
(随分、和んでいますね。)百合は呆れたような、ほっとしたような、複雑な気分になった。
「行こう。あまりもたついていると、補導されるかもよ」
榊が軽く笑って、促した。
鳳駅から歩いて5分、榊の家は駅近くの住宅街にあった。その中でも、ひときわ目立つ和風の家。百合が門の前で見とれていると、榊が、横から声をかけた。
「庭に、犬がいるんだ」
門を開けると、3匹のドーベルマンが闇の中から顔を出した。
「かっこいいー」
百合がはしゃいで、手をだした。
「かっこいいだろ。慣れると可愛いんだぜ」
榊が言った。
「ヒッ」
最も怯えたのは、ワズだった。榊は、にやつきながら言った。
「君の種族は、犬に弱いからね。悪いこと、したねえ。ホスト君は窓から入れば?」
ワズは榊を睨んだ。
「嫌味な奴だな。まあいいや、百合も窓から入るからな。それに俺の名はワズ。妙な名で呼ぶな」
ワズは、百合を抱え宙に浮いた。
榊は門の中に入り、犬を軽く可愛がった。そして、空に浮かんでいる二人に合図すると家に入っていった。(犬好きに悪い人はいないですよね。今日は争いにならないと良いのですが。・・・でも変ですね、ワズの事倒さなきゃいけない様なこと言う割に、そんな気無さそうですね。)
「・・・よ」
ワズが、百合の耳元で呟いた。
「ごめんなさい、考え事していました」
「百合が、榊の知ることを全て知って、俺と別れたかったら、別れてもいいよ」
百合は、ワズの顔を見た。ワズは、遠くを見ている。なんだか、彼を遠くに感じ切なくなった。
窓から部屋にはいると、二人は出された座布団に座った。
「何飲む?」
部屋にある冷蔵庫を開けながら、榊が言った。
「えっと、コーヒー、紅茶、麦茶、あと、リンゴジュースとかあるけど」
「リンゴジュースをお願いします」
「俺は、紅茶」
榊はペットボトルを二人に投げ、自分はコーヒーを開けながら、冊子を本棚から出した。
「自分の部屋に冷蔵庫があるのですね」
百合が、飲み物を受け取りながら聞いた。
「もちろん、一階の台所にもあるさ。便利だから、自分の部屋にも置いたんだ」
「お父様と、お母様、いらっしゃらないのですか?」
「親父もお袋も、仕事で、アメリカに行ってる。僕は、百合とワズを見つけたから、ここに残って、退治を任された」
「お前、一人でか?まだ、半人前じゃないのか」
ワズが小馬鹿にしたように言った。
「君こそ、まだ吸血鬼としては若い。それに、僕はもう、何人か救っているからね。一人で仕事するのは、2回目。半人前じゃないよ」
榊もムッとした。
「俺を殺しに来た?」
「まあ、それが仕事なんだけど、急がないよ。急ぐと失敗するからね。それに、君も紳士的だしね」
榊は、座布団に座り冊子を開いたまま、百合に渡した。
「えっと、最初に衝撃的な写真見せようかな」
そこには、醜い老婆が幼子を抱えている写真があった。老婆はこちらに顔を向けていて、表情は敵意に満ちていた。百合は老婆から、嫌悪感と共に恐怖を感じた。
「この人、黒目が無い」
百合は驚いて、榊を見た。
「うん。それが、ワズの種、吸血鬼に魅せられた者のなれの果てだよ」
百合は、ワズを見た。心臓がドクンと脈打った。ワズが、黙ったまま榊を見つめている。
「この人は、半世紀前イギリスで見つかったんだ。祖父の弟が、その後この人の魂を救ったけど」
「(救う)って・・・殺したんですよね」
「・・・説明がいるね」
榊は、コーヒーを口に含み、軽く咳払いした。
「産まれたばかりの吸血鬼の子には、魂が無いんだ。子を産んだ女の魂が、それから、3年の間、少しずつ子に移っていくんだよ。寄りつかなくなった男への憎しみに魂を汚しながらね」
「・・・・」
百合は、つらそうに俯いた。
「だから、ただ殺すんじゃない。魂が天国に行けるように殺すのさ。それが、救うってことだ」
「殺しを、自己弁護しているみたいです」
「ハハ、きついこと言うね。だけど、彼女も憎しみで苦しんでいるのは分かるだろ、何せ若さを、吸血鬼の子に吸い取られてしまったのに、彼は近寄らなくなったんだぜ」
「・・・そうなのですか?それで、こんな老婆なのですか?ただ、年を取ったからではなく?本当は、若い女性なのですか?」
ワズが、低い声で付け加えた。
「そうだよ。子供が吸い取るんだ。母親の美しさと、若さをね」
「ワズ・・・」
百合と榊は、ワズをみた。彼は低い声で、続けた。
「知っていたさ。古い文献に似たような写真が載っていた。・・・だが、安心しろ榊、俺は百合をこんな風にはしない。彼女を大事に思っているからな。・・・それに百合、俺を信用するか、しないかは、今までの俺を見て判断してくれ」
榊は、首を振った。
「君は・・・嘘を付くのが上手いのか、本気で彼女を愛しているのか・・・普通、吸血鬼は、人を愛さない。汚れた魂を入れられるから、人を愛せないんだ」
榊はまた、席を立って本棚から本を取った。
「もしかして、君の父親の名はグランデル?僕の父が救い損ねた女性の子供かな?」
ワズの父の事は知っているが、確かにその名だった。
榊は、本の間から写真を取り出して、百合達に見せた。そこには、髪の長い女性の横顔が写っていた。その人は、とても幸せそうな微笑みを浮かべていた。
「綺麗な人ですね」
百合は、写真をまじまじと見つめながら言った。
「ワズ、君の父親がグランデルなら、彼女は君の母親だよ。言われてみれば、君によく似ている」
ワズはその写真を手に取り、まじまじと見つめた。
「この写真は17年前、父がロンドンで撮影したものだ。見てごらん」
榊は、写真の顔を指さした。
「彼女の目が赤みがかっているだろ。吸血鬼は、少しずつ血をもらいながら、女性を虜にしていくんだ。血を思う存分吸っても、彼女が逃げ出さないようにね」
百合は、ゴクンと唾を飲み込んだ。ワズは、榊を睨み付けた。が、かまわず榊は話を続けた。
「父は彼女を説得したが、結局彼女は父を信じず、グランデルの元に向かった。父は彼女を探したが見つけた時、彼女はすでに子を身ごもっていて、今にも産まれそうだった」
「それで、どうしたのですか?」
百合がおそるおそる聞いた。
「彼女の魂を救うため、祈った」
「祈っただけ?」
「特別な祈りさ。彼女の魂は強制的に体から抜かれる。産まれる子には行かないでね」
「でも、何故俺が、ここにいるんだ」
ワズは榊を見つめた。
「彼女の魂が抜き取られた瞬間、グランデルが来て、彼女の体と魂をさらっていったんだ」
「お父様は、何もできなかったのですか?」
百合が呆れてきいた。
「一瞬のことだしな」
榊は肩をすくめた
「俺は、無理矢理母親の魂を体に入れられたのか?」
ワズが、震えた声で聞いた。榊は一呼吸して答えた。
「君は、憎しみで汚れた魂を入れられた訳ではない。だから、人を愛せるのだろう・・と言うのが、俺の出した結論」
榊は座り直してワズを見つめた。
「だがワズ、君を信用するとしても、君はいつまで百合とその関係を続けるつもりだ。百合もいつまでも、若くは無い。いつか大人になるが、お前とは結婚もできないし、家庭も築けない」
榊は、今度は百合を見た。
「そして百合、ワズを唯一の男にすれば、子は一生もてないんだぞ。おまけに君は老いるが、ワズはまだ若いままで生き続ける」
ワズが百合の方を向いて、口を挟んだ。
「俺は、俺はかまわないぜ、百合が老いようが・・・・・・・・他の誰かと結ばれようが。側にいれれば」
ワズは、百合の目をじっと見つめた。
「それでいいのですか?ワズ。」
百合は、ワズを見た。ワズは優しく百合に微笑んだ。
「ワズ、今日君を殺すのは、簡単なんだが」
榊が、ワズを見ながら言った。百合が、焦って割って入った。
「いやです!」
「そうだね。まだ百合は、ワズが大事だろうね」
榊は、首をすくめた。
ボーン
12時の鐘がなった。百合は時計を見つめた。
「帰りましょうワズ、明日もありますし」
百合は立ち上がって、ワズの服を引っ張った。
「ああ」
ワズもゆっくり立ち上がった。榊は二人に声をかけた。
「百合、良く考えてくれ。もし、ワズと別れるんなら、僕は、協力するぜ。」
「・・・・」
百合は、振り向かず黙ったままワズの胸に顔を埋めた。代わりにワズが答えた。
「別れないなら、どうするつもりなんだ?榊」
「心を奪われているなら、無理強いしても仕方がないしな。様子をみるさ」
ワズはフンと鼻で笑い、彼女を軽々と抱き上げると闇の空に消えていった。榊は、そのまま、長い間、二人が消えた空を見上げていた。
「着いたぜ、百合」
百合の家に着くと、ワズは窓から百合の部屋に入り込み、彼女を降ろした。百合は、深くお辞儀をすると、
「・・・お休みなさい。ワズ」
と、言って、そのままベッドに潜り込んだ。ワズは、額に愛おしそうにキスをして、部屋の窓から出て行った。
百合は、毛布の中で少し震えていた。夜風に冷えただけじゃない。榊の家で見た老婆と子供の写真が、頭の中にこびり付いたまま離れなかった。