ep8
田中先生に聞いたところ、新入生はまだ部活に参加できないということを面倒臭そうに教えられた。いや……面倒臭そうといってもきちんと教えてくれるんだけども……その、身体からそういう雰囲気を振りまいているために、否応が無しに察してしまう。分からないやつはそうとうなKYだろう。
というわけで、入部はしていないが何度か仮入部という形で陸上部を見学したり、いつも通り走ったり杏子の家の道場に行ったりとなにげない生活を続けて……ついにあの日が来た。
「ふふふ……この一年での俺の成長を見せてやる……!」
俺は現在、赤色のラインが入った体操服を身に纏っている。ちなみに男子は青色のライン。男女別の体操服というのも久しぶりだな、付属小では女子しかいなかったし、その前は私服だったはずだし。
いや、そんなことはどうでもいいんだ。待ちに待ったこの行事、その名も“体力測定”。複数クラス合同で一気に行うらしい。
「相変わらず気合入ってるわね」
「そりゃそうだろ、今年もベストタイムをたたき出す」
そう意気込む俺に杏子は呆れたように息を吐いた。
「そうね、なら私も頑張らなくちゃ」
「握力計壊すなよ」
「そこまで強くないわよ」
冗談もほどほどに、体力測定が始まる。
当たり前だが男子と女子は別、測定内容に所々に違う種目もある。1500mが1000mだとか……統一してもあまり変わらなそうなものばかりだけど。
「じゃあこのカードをもって、そこらへんぐるぐる回って測定してきて下さい」
あらかたの説明を終えて、田中先生がそう告げる。ここだけ聞けばかなり適当だが、その前に各測定方法の説明をされているのでそんなことはない。
「じゃあ行くか」
「そうね、どこから行きましょうか」
女子はまず体育館で握力、上体起こし、長座体前屈、反復横とび、立ち幅飛びの測定をするらしい。
解散してから女子たちはある程度固まってぞろぞろと測定しにいっているが、上体起こしと反復横とびだけが異様に少ない。
対してそれ以外の場所には群がっていた、特に握力の場所。楽だからな……ただあれ時間のロスが凄まじいことになりそうだけど。
「上体起こしからで良いんじゃないかしら」
「そうだな、人も少ないし」
というわけで、ついでに近くにいた生徒も測定係の先生が巻き込んで上体起こしの測定が始まる。簡単にいえば30秒で何回腹筋できるかという測定だ。相方が足に座るアレだ。
あまり筋肉をつけすぎると成長が阻害されるということを聞いたことがあるため、俺はそれほど筋トレに力は入れていないが、それでも触ると若干分かるくらいには腹筋も鍛えている。これは行ける。
「――始め」
ピッというタイマーの音と共に先生の合図が聞こえる。
「――そこまで、じゃあ回数を書き込んでから交代してもう一回測るよ」
腹筋なんて日常的にしているものだが、30秒に詰め込むとやはり疲れる。
俺は軽く息を整えながら杏子に結果を聞いた。
「27回ね」
「あー……もうちょっと行くと思ったんだけどな……」
「これでも平均よりは随分と上だから良いんじゃないの?」
「それもそうだな……」
続いて、俺が杏子と居場所を入れ替わって測定が始まる。
「そんなにだったわね」
上体起こしの測定が終わって、次の場所に向かう最中、杏子がそう呟いた。
その言葉に俺は意図せずに「はぁ!?」と声を荒らげてしまう。
「35回とか十分すぎるだろ!」
「40回は行くと思ったんだけど……」
「そこまで行くと俺が支えてらんねぇよ……」
実際ガックンガックンなったからな、終始同じスピードだったし、終わったあとも全然息が切れてなかったし……
「じゃあ最後は握力ね」
「うわ、全然人いねぇ」
その後も無事に測定を済ませていき、最後に握力だけが残った。始めに大人数が詰めていたこともあって今となっては一人もいない、今は上体起こしや反復横とびが賑わっている。まぁ握力の方にも人がいないわけではないが……
「よーし……今年こそは杏子よりも良い記録だすぞー」
「ふふふ……望むところよ」
俺が意気込むと、杏子も不敵な笑みを返してくる。付属小でも一応体力測定はあり、その時から俺と杏子は競いあっている、まぁまだ3年目なのだが。基本的に外で行う種目は俺が勝ち、屋内は杏子が勝つことが安定している。まぁ外は走る種目が多いからな……走る事に関しては負ける気は起きない……だが。
「よっ!」
握力計を思いっきり握り込む。メーターがぐぐ……と上がり、これ以上上がらないなと思ったところで手を離した。
記録は20kg……低いとは思うがこれでも去年よりは上がった方だ。握力に限らず、俺は筋肉が付きにくい体質なのかも知れない。スタミナは付くからゴリ押しでなんとかなる種目も多いけどな、反復横飛びとか。
「まぁ……こんなもんだろ」
「20kg? 成長したじゃない」
そう言ってくる杏子の顔は微笑ましいものを見るような表情を浮かべていた。
「なに笑ってんだよ……」
「別になにもないわよ……」
「杏子の記録は……?」
「45kgくらいよ」
「はぁ!?」
予想を遥かに越える数字に俺はまたも声を荒らげる。
なんだよ45kgて……女子の平均て20前半じゃなかったか……? 男子でもそうそうそんな数字のやついねぇぞ……
「杏子は何と戦おうとしてるんだ……」
「敵よ」
「物騒だなぁ……」
本気で言っているらしい杏子に、俺はそう声をかけるしかなかった。
まぁこいつならそこらの一般市民には負けなさそうだけどな、それどころか柄の悪いチンピラでも数人くらいならなんとかなりそうな気もする。
何と戦うつもりなんだ……
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
屋内での測定が終わり、次は外での測定。50m走、ハンドボール投げ、1000mの持久走の3つだ。
さっき入れ替わりで男子を見かけたが、持久走のせいなのか死にかけのやつが何人かいた。というか持久走だけ他の種目と分けると思ってたんだけどな。疲れるし。
「それじゃあまず1組は50m走で2組はハンドボールな」
計測係の先生がそう言い、特に何かが変わるわけではないが集団のあちこちから声が上がり、慣れたように先生もそれを受け流していた。
50m走では2列になって測定していく形らしい、好きな者同士組めのタイプではないため、俺は必然的によく知らない女子と組むことになった。まぁこれも良い機会だし友好の輪でも広げていこうか。
「よろしくね〜」
俺の隣に来た女子はかなりおっとりしか感じの子だった……えーと確か名前は……
「広瀬、さん? あーうん、よろしく」
「わ〜私の名前覚えててくれたんだ〜ありがと日野原さん〜」
どうやら名前はあっていたらしい、良かった。まだ一緒のクラスになって数週間だからな、顔と名前が一致してない奴も多い、男子は特にな……接点もないし。
「俺の名前も覚えてくれてるんだ」
「え〜日野原さんは有名人だからみんな名前くらいは知ってると思うけどなぁ〜」
広瀬さんの言葉に俺は驚いて、そのせいでむせてしまった。
むせて咳き込む俺に驚いたのか、広瀬さんは目を丸くしながらも俺の背中をさすってくれた。
「だ、だいじょうぶ?」
「あ、あぁ……いやちょっと驚いただけ……えと、俺が有名て……どうゆうこと?」
「あ〜うん、えっとね……新入生の中に凄い可愛いのオレっ娘がいるって噂になってるんだよ」
どういうことだよ……オレっ娘はともかく……可愛い? 杏子のことなら頷けるんだけどな……俺はしっくりこないな、まだ格好良いって言われた方が喜べるぞ。
俺がそんなことを考えていると、あっという間に俺の番が回ってきた。
「ふふ……負けないよぉ……!」
「広瀬さんって走るの得意な人?」
「これでも小学校の時は学年の女子の中でトップ5には入ってたよ」
人は見かけによらないものだな。おっとりしてるから運動は苦手なタイプかと思ったんだけどどうやら違ったらしい。
それはともかく、それほど自信があるなら速さもそれ相応のものなのだろう……俄然燃えてきた。
50m走ではスタンディングスタートとクラウチングスタートとどちらでもいいらしく、先ほどまではバラバラだった。まぁクラウチングスタートをしようにもスターティングブロックもないしな。
それでも俺はクラウチングを選んだ、こっちの方が速いだろうし。広瀬さんも俺と同じくクラウチングではじめるらしい、その姿は流石に様になっていた。
それに答えるように俺は軽く足首と手首を回してからクラウチングスタートの体勢に入る。あとで持久走が待っているが……全力を出してもまぁ大丈夫だろう。
ゴール付近でスタートの合図の役目をする旗を持っている生徒が、その旗を勢いよく振り下ろした。
それと同時に土を蹴り上げながら俺はスタートした。俺の全身は生暖かい風が包み込む。何度感じてもこの爽快感が劣化することはない、やはり俺は走るのが好きなんだと再認識させられる。
たかが50mなので直ぐにその感覚は終わりを告げた、息が切れて胸が上下するが、その苦しさも俺には一種の快感のようなものになっていた。ランナーズハイという奴なんだろうか。
俺がゴールした後に、同じく息を切らしながら広瀬さんがゴールした。その顔には有り得ないものをみたかのような驚愕の表情が浮かんでいた。
「は……速すぎだよ日野原さん……」
「そう?」
俺からしてみれば特に気にする程の速さじゃないので、流れでそのままタイマーを持っていた先生に記録を聞きにいく。
「え、えーと……7.1秒と8.3秒」
「速っ!」
「ま、そんなもんだな」
「え、えぇ〜……」
広瀬さんは俺に何を思ったのか、有り得ないものを見るような目を向けてきた。
俺は既に息も整っているので、旗を持っている女子と役割を交代した。その時の女子も若干引きつったような笑みを浮かべていたのは何故なのだろうか。
「日野原さんって陸上とかやってるの?」
「いや、全然やってないけど?」
「うっそだぁ」
「本当だって、ずっと走ってるからそのせいだと思う」
「なるほど〜」
律儀に俺を待ってくれた広瀬さんも、息が整ったのか元の口調に戻っていた。
ハンドボール投げでは杏子も合流して待機中は3人でずっと喋っていた。
女子では1番早い番号の杏子が最初に投げたのだが、そこで30m手前という大記録。なんなんだよアイツは……
「なんだよ30mて……」
「もっと鍛えないとダメね」
「なんか凄い人たちと一緒のクラスになったわ〜……」
「凄い人は杏子だけだろ」
「月乃に言われたくないわよ……」
なんでだよ、俺なんてちょっと足速いくらいだろうが……
杏子の身体って実はロボットだったりしないよな……その皮膚は人工皮膚でその下には金属のフレームがあったりして。
そして最後の測定種目、持久走。俺はこれだけのために今日の体力測定を頑張ったといっても過言じゃないだろう。
50m走と違ってあの感覚がずっと長く続く、いずれはフルマラソンにも出てみたいんだよな……ま、いまの状況はむりっぽいし、そうするためにも早く恐怖症云々は治しておきたいんだよな。
持久走は2クラス合同で行うらしく、そうしている間にもスタートラインに女子が集まりつつあった、先生も集合を促している。
女子たちは相変わらずというか……面倒臭そうにしている子がほとんどだった。そんなに走るのが嫌かねぇ。
「行くわよ月乃」
「う〜ん、私はあんまり長距離って得意じゃないんだよねぇ……」
ふぅ、と軽く息を吐いて、俺も杏子と広瀬さんに続いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「やっぱ1000mは短いと思うんだよな、やるなら10kmぐらいにしようぜ」
持久走を走り終えた俺、しばらくして同じくゴールした杏子と広瀬さんに近付いてそういう提案をしてみる。
広瀬さんは、俺が何を言っているか分からないというような顔をして。杏子に至っては睨みつけられた。
「それを完走できるのは……月乃くらいよ……!」
息が絶え絶えになりながらも杏子はそう言う。
「いや……大丈夫だって」
「ひの……はら、さん……速すぎ……」
「おぉう……大丈夫か広瀬さん」
思いっきり肩で息をする広瀬さんに心配して声をかけると、「大丈夫」と絶え絶えで返答された。相当疲れてるな。
「それはそうと……月乃……タイムはどうだったの?」
「タイム? ……えーっと……2分47秒……」
「はぁ!?」
「!?」
杏子と広瀬さんに有り得ないものを見るような目を向けられた。
「い、いやぁ……1キロだけだったからだって」
10kmにもなると流石にこのスピードはキツイ、1kmくらいならなんとか全力で走りきれる距離だ。もっと全力で走れる距離を伸ばしたいとは思っている。最近伸びが悪いんだよなぁ。
「やっぱり……日野原さんも……凄い人だ、ね……」
若干マシになったが未だに肩で息をしている広瀬さんが困り顔でそんなことをいった。
「そんなことないけどなぁ……」
何度言っても納得してもらえないんだよな。なんでだよ、俺の横にはスーパー超人がいらっしゃるだろうが……これ言うと杏子怒るけど、「まだその域には達してないわよ!」ってだけど、何時かは行く気なのか……
読了感謝ですっ!
次回更新は明日の18時です!