ep2
なんで……こんな事になっているのだろうか。
両手は紐か何かで縛られて吊るされているため、腕は動かない。脚にも同じようにして括られているが、両膝の後ろ側に棒のようなものの感触があり、開きっぱなし……俗に言うM字開脚の状態になったまま脚も動かすことができない。
目隠しがされているため、視界は真っ暗。布を噛まされていて声も出ない。
なんで、こんなことになっているのだろうか……
俺は現実逃避をするように、今に至るまでの今日の出来事を思い出していた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「月乃、筑紫。二人共準備は出来てるかい」
「大丈夫」
「おねーちゃんに手伝ってもらった!」
父さんの問に、俺と妹の月紫が返事を返す。
妹の月紫は現在2年生、月紫は俺とは違って全生徒が女子、全教師が女性しかいない完璧な私立の女子(小学)校である、明成女子大学付属小学校に通っている。明成付属小はここから少し離れた場所にある学校で、生徒の身の安全を守るセキュリティが馬鹿にならないほど強い流石私立とも呼ぶべき小学校だ、まぁ……それ相応の金はかかるけどな。ちなみにお受験とかはない。
最初は俺もそこに入る予定だったのだが、なにせ遠いし、何よりも徒歩通ができないことが痛かった。あの頃の俺の頭の中は走ることしか考えてなかったからどうせならすぐ近くにある公立の小学校に行こうと思った訳だ。
セキュリティ強いとかいうところほど大したことなさそうだし、どこの小学校も一緒だろ。
それは兎も角、今日は我が日野原の親戚、というか父さんの祖父母、つまりは俺のじっちゃとばっちゃの家に行く日だ。ちなみに今はまだ夏だ、なので俺の服も夏使用の肌の露出が比較的多いものだ、ついでに言えば今日は親戚一同が集まるということで俺も渋々ながらに久々のスカート姿になっている。いつまで経ってもなれないんだよな、これ。これスカート一枚捲ったらパンツ見えるんだぞ?
ちなみに祖父母の家といっても父さんの実家なわけだが。ちなみに父さんは次男で、上に兄と姉が一人ずついるらしい、父さんは末っ子だったか。
大会社のお偉いさんである父さんだが、実家はそれほどでもないと言っていた。実力でここまで登り詰めたのか……尊敬するよ、父さん。
家族4人揃って車に乗り込み、早数時間。
ちょっと遠すぎやしませんかね、まぁ月紫が暇過ぎて寝たあとに俺も追うように寝たからあんまり実感無いけど。しかしいつの間にか周囲の風景がザ・田舎みたいな感じになってるからその移動距離は頷ける。帰ってきたぞ、田舎に。
そして何よりも驚いたことが一つ……
「デケェ」
「わぁ! おっきい!」
何がそれほどでもないだよ、屋敷じゃねぇかこれ。何坪あるのこれ。
周囲は白塗りの壁で囲まれているらしく、俺の目の前には大きな門があった。
駐車場は中にあるらしく、余裕でいま乗っている車が門を通過することも出来る大きさだ。
「わぁ、おねーちゃん見てみて! おウチの中においけがあるよ!」
「わぁーそうだねー」
あ、鯉が跳ねた。
なんだろうか……この間の社会の授業で習った平安時代の貴族の家を思い出すな。家の中に川が流れてて端も掛かってる。なんだよこの家、一人称「マロ」のおっさんが蹴鞠でもやり始めるんじゃないのか。
「さぁ、着いたぞ」
「わぁい! おねーちゃん、遊びに行こー!」
「迷子になるんじゃないぞ? 月乃、少しの間月紫の事頼むな、父さんの用事が終わったら直ぐに行くから……大丈夫だと思うけど、変な人に出会ったら大声で叫んで逃げるんだぞ?」
「分かってるって、大丈夫だよ」
父さんから釘を刺されたところで俺は忠告を聞いてなさそうな月紫に腕を惹かれて庭に駆り出された。
「わぁ……お魚さん……」
「落ちるなよ」
月紫はこの家のそこかしこに興味が湧いているのか、あっちへ行ったりこっちへ行ったりして縦横無尽に駆け巡っている。俺はそれを身守る役、本音を言えばこの庭を軽く一周してみたいのだが、俺が目を離した隙に月紫が何処かへ行ったり誘拐されたりされそうで心配なので我慢している。
それに、こうやって妹の面倒を見るなんてことなかったからな、前世でも弟妹どちらもいなかったし、これはこれで新鮮だから別にいいかな。
「あれ、君たちは……」
ふと、背中に声が掛かる。そちらを見ると若干小太りの優しそうな顔のおっさんがいた。
「おじさんだぁれ?」
「そういえば会ったこと無かったね、僕は君たちのお父さんのお兄さんだよ。幸一っていうんだ、初めまして」
「父さんの……なんか、似てないですね」
「あっはっは……良く言われるよ、似てない兄弟だねって」
若干刺が入っていた俺の言葉にも笑顔で返してくれるあたり、このおっさん……いや叔父さんはいい人そうだ。人は見かけで判断しちゃいけないよな。
そのあとも、月紫を見守りながらも少しの間、叔父さんと話していた。内容は昔の父さんのことだったり、姉弟で一番上の姉のことだったり、面白い話を聞くことが出来た。
「おーい月乃ー、月紫ー……?」
そんなことを話していると俺たちを探す父さんの声が聞こえてきた。俺が父さんを呼ぶと父さんもこちらに気付いたようでこちらに向かって歩いてきたが、叔父さんの存在に気がついて、何故かその顔を少しだけ顰めた……それも気を付けないと分からないほどに。
「兄さん……?」
その声は親しげな兄弟間で交わされるような声色ではなかった。そういえば叔父さんの話で昔イザコザがあって父さんとの仲がギクシャクしてるって言ってたっけ。
ここは一つ、俺が「子供」であることを生かして父さんと叔父さんの仲を修復してあげようか。
「父さんと幸一叔父さんは仲が悪いの?」
俺はあざとく首をかしげて父さんと叔父さんにそう問いかける。
すると叔父さんはすぐに微笑みを浮かべて「そんなことないよ、あれは昔の話だよ」といったが父さんは少しだけ黙り込んだあと、「そんなことないよ」と言って笑みを浮かべた。
まだぎこちないがこんなものだろう、子供と違って大人はそういうのが面倒くさいっていうのを何時かの本で読んだ覚えがないでもない、切っ掛けが大事なんだろう。
「じゃあ行こうか、母さんが待ってるよ」
「うん! またね、おじさん!」
「叔父さん、それじゃあ」
俺を引っ張る父さんは、何時にもなく焦っているようにも感じた。
「……フヒ」
そのときの俺は……父さんに気を取られて、俺の後ろで叔父さんがどんな顔をしているか見ることはなかった。ましてや、どんな視線で見られていたのか……そんなことに気がつくわけがなかった。
それから親戚同士の挨拶を済ませてから、親戚一同一緒に食事をした。父さんの姉、つまり俺の叔母にあたる人物、明美さんというらしいのだが明美さんには既に受験を間近に控えた中学生の娘さんと高校生の息子さんがいた、何故か撫で回された、主に女子中学生の子に。
総勢10人という経験したことのない大人数での食事はなかなかに楽しいものだ。
ちなみに父さんは3人姉弟だけど、叔父さんだけが結婚してないみたいだ。もうじき40だとかそれくらいの年齢だし、ボヤボヤしてると婚期を完全に逃しそうだな。
ちなみに叔父さんは良く俺に話かけてくる、暇なんだろうか。話す内容は俺に合わせてくれてるみたいだし、やっぱり姪という事で良くしてもらってるんだろうか。知らんけど。
その夜、近くに未だに蛍が飛んでいるという川があるらしいので完全に暗くなる前に少し見に行こうということになった。叔父さんは参加せず、父さん母さん俺と月紫、あと叔母さん家族4人で見に行くことになった。
前世の田舎でも蛍が見えたことはなかった、昔は出てたとか聞いたことがあるけど正直興味なかったし。俺としてはあのままあの家に居たところで暇だろうし、今日は殆ど走ってないから取り敢えず歩けるならということで付いて来た、まぁ……蛍に興味がないといえば嘘になるけど。
「わー……」
「はぇー……」
初めて見る蛍には圧倒された、なんだろうか……神秘の間みたいな感じだろうか。蛍がいすぎて本を読めそうなほど明るくなっている、でもあれ蛍って虫なんだよな……ちょっと細長くて黒っぽいヤツ。そう考えたらなんか冷めてきた。
「あー……ちょっと向こう行ってきていい?」
「どうしたんだ?」
「いや、なんとなく。行ってきていい?」
「あんまり遠く行くなよ」
「分かってる」
父さんの了解ももらったことだし、ちょっとブラブラしようか。こんな田舎に変質者とかも出ないだろうし、出ても大声出せば届くところにしか行かないから大丈夫だろう。
「はぁ……田舎だなー……」
気がつけばこの体になってからもう9年程経つ、いろいろあったけど未だに信じられない部分も多い、たまに前世の夢も見る。
こう言っちゃなんだけど、こうした何もない田舎の風景を見ているとどこか懐かしい気持ちになってくるのも否定はできない。
出来れば……俺はあの姿で走り回―――
「ッ!?!?」
その思考は、俺の口が布で抑えられたことで遮らえた。
もしかして変質者!? マジかよ……こんな田舎にもこんなやつでるのかよ……! と、取り敢えず父さんを呼ばなきゃ……
「〜〜〜〜っ!! 〜〜っ!?」
叫ぼうと思っても、出てくるのは小さな呻き声だけ。しかもどんどん意識が遠くなっていく。
なんだろう……凄く眠たい……。
「……すー……すー」
布に染み込ませた薬品が効いたのか、腕の中の少女の寝息が聞こえてきてその人物はニヤリと笑みを浮かべた。
―――フヒ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ビクリと体が反射的に跳ねて、俺は現実に意識を引き戻される。
そ、そうだ。そういえば俺は変質者に襲われて……ってこれ誘拐じゃないのか!?
「〜〜〜〜!!」
相変わず声は出ない。こういう状況になっても大丈夫だとか、実は声出せるんじゃないかとか思ってたけど全然そんなことなかった。
それにしても、この状況なんなんだよ。誘拐なら麻袋にいれて転がしとけよ、なんでM字開脚してるんだよ。
これじゃ身代金の要求が目的じゃないみたいじゃないか、こんなのまるでエロ同人みたいだ。
…………え?
自分の置かれた状況が把握出来てきた、途端に全身から嫌な汗が吹き出てくる。前世の俺は健全な男子だった、取り敢えずは……そういう話も知っている。ネットの掲示板には、小学生を甚振る妄想をして喜んでいた奴らがいて、見なきゃ良かったと後悔したこともあった。
俺はいまからあんなことをされるのか……? 心の中は、既に恐怖に支配されていた。
「フヒ……目が覚めたんだね……?」
俺のすぐ近くで声が聞こえた。俺が今まで聞いたことのない吐き気を催す声だった。舐めるような声、鳥肌が立ったのが分かった。
「怖がらなくていいんだよ……?」
「……っ!」
荒い鼻息と、髪に何かが触れた。助けを呼ぼうにも、声は出ない。
「あ、ごめんね。口のソレ……痛い?」
声の主はおそらくは俺の口に噛ませた布の事を言っているのだろう。なにを思っているのかは知らないが、とってもらえるかもしれないと思い、俺は必死で首を縦に振った。
「ごめんね、やっぱり痛かった? じゃあ、取るね……」
そう言って声の主、というか恐らくは変質者は俺の口にかませていた布を取った。
よしこれで大声で叫べば―――
「……っ! ……っ!!」
あれ……? なんでだろ、声が出ない。なんでだよ、出ろよ!
俺が大声を上げない代わりに、変質者の声が聞こえてきた。
「ジュル……ハゥジュル……ジュルル……」
な、なんだこれ……何かを啜ってる? いや、でも水を啜るような音じゃないぞ。
「ぁあ……ジュル、美味しいなぁ――」
―――月乃たん
「ひ……!」
全身に寒気が走る。田舎で涼しいとはいえ、まだまだこれから夏だというのに、震えが止まらない。口からは悲鳴という悲鳴は出ることはなく……小さな消えるような声が出ては消えるだけだった。
変質者が口にしているものは……俺が先ほどまで口に噛まされていたあの布?
そう思うと、震えが止まらなかった。止まれと思っても止まらないその震えに、さらに俺の恐怖は増幅される。
ふいに、変質者の顔が近付いて来るのがわかった。荒い鼻息が近づいてきたから、それでだ。
そして変質者は、俺の髪に顔を埋め、匂いを嗅いだ。
「んん……はぁぁ……いい香りだよ、月乃たん」
「う……あ……」
そして変質者は留まることを知らず、今度は俺の体に触れてきた。
腕、脚など初めから肌が露出している部分。今日は肌の露出が比較的大きい夏服を着てきていたから、その部分は徹底的になで回された。太ももの内側を撫でられたときには反射的に脚を締めようと力が入るが、固定されているため脚は全く動く気配がない。
そして変質者は一通り露出している肌の部分を撫で回したあと、こんどは服の下から手を入れてきて直に胴体を触ってきた。
「フヒ……スベスベだね……」
「や……やぁ……!」
嫌だと叫ぼうとしても出てくるのはそんな声ばかり。いつの間にか俺の視界を隠す目隠しは俺の涙に濡れて冷たくなっていた。
「あぁ……この未発達な――――も……最高だよ月乃たん……!」
「や……ぁ……!」
「ぅうん……そうだよね、早くしたいよね……分かったよ月乃たん」
「……ぇ……?」
変質者は一旦俺の服から手を抜いて、そう言った。
そして次は、這うように太ももの内側を触りながら、最後にはスカートの下に潜りこんで、ある部分をツゥ……と指でなぞった。
「ぁ……ぁ……」
とてつもない恐怖と絶望が俺を襲う。
ついでとばかりに何かが漏れるような音がして、俺の股のあたりが生暖かさに包まれた。
「あれぇ……9才にもなっておもらしなんて……悪い子だなぁ、月乃たんは」
誰かに自分の失禁を見られたことの羞恥心よりも、恐怖心の方が何倍も強く。そろそろ俺の精神も限界で、意識も朦朧としてきていた。
――ピチャ……ジュルル……ジュル
そんな音さえしなければ。
今度は明らかに何か水的なものを啜る音、しかも俺のすぐ下のほうから……
「美味しい……ジュルル……美味しいよぉ……月乃たんの――――……ジュル」
「ぅ……ぁあぁあ……!!」
俺の中で何かが切れ。俺は我武者羅に暴れまわった。足の裏にブヨブヨとした感触が伝わってきた。恐らくは変質者の顔でも蹴ったのだろうか……ざまぁ見ろ。
「……いってぇなぁ……!」
直後に聞こえて来たのはあからさまに不機嫌な声。その声に俺は動きはまるで蛇に睨まれた蛙のようにピタリと止まった。
そして変質者に殴られたのか、俺は後頭部に強い衝撃を覚えた。横には吹き飛ばず、かわりに腕を縛る紐が食い込み、その痛みに俺はさらに呻き声を漏らした。
さらに、目隠しの仕方が甘かったのか。変質者が殴った衝撃で目隠しが取れ、俺の視界が真っ暗闇から開放された。
俺は小屋のような場所にいたらしく、そこは鈍く照らす1つの電池式のランプがあるだけだった。
そして俺は、初めて変質者の顔を見て。絶望のどん底に突き落とされることになる。
「ぉ、じ、さん……?」
嫌、違う、あの優しそうな叔父さんがこんなことをするはずがない。それに声だって……あれ、そういえば叔父さんの声に似てる……?
嫌だ、違う、叔父さんじゃない。そんなこと、あるはずないんだ……
「フヒ……月乃たん……じゃあ、気持ちよくしてあげるね。大丈夫、痛いのは最初だけだから……」
「ぁ……」
全身から力が抜けた。目からは止めどなく涙が溢れ出る。
もう、何もする気力も湧かない。あの時と同じ様な気分になった。なんでだよ、なんで毎回俺が……
目の前がどんどんと真っ暗になっていく。
もういいや。
そう思ったとき、小屋の入口が空いて、そこから大人が数人入ってきて、叔父さんを蹴り飛ばした。あぁ……あれ、父さんか。
抱きかかえられてる? 母さんかな……
俺は最後に安堵して、意識を失った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
数時間ほどまえ、月乃の父親である圭一は月乃が居なくなったことに気がついた。
途端に圭一の頭には一つの嫌な予感が過ぎる。圭一の兄、幸一のことだ。実は幸一は何度か犯罪者になりかけたことがある、それも性犯罪……対象は、幼児だった。
圭一は幸一が根っからのロリコンであることを知っていた。今日は兄がいないということで帰ってきたのに、いざ帰ってきてみれば兄がいた。どういうことだと親に言っても知らないの一点張り、顔には出さないが姉も同じ意見だった。
姉のところの今年で中3になる娘にも幸一は手を出そうとしていた、その時はこの娘の兄がなんとか防ぎきり、そのあとで事が露見したらしいが。
警察は証拠がないと動かないし、その時はどうすることも出来なかった。
そして今回、圭一には今年で10才になる娘、月乃がいた。それも周囲からは将来が楽しみだと言われるほどの女の子だ、本人は男気のある気の強い子だ。
実家で幸一を最初に目にしたとき、既に幸一は月乃に嘘を吹き込んでいたみたいだった。月乃の言った言葉に、大人の汚い部分を子供に見せることはできないとそこは誤魔化したが、内心は不安で一杯だった。
夜、圭一の妻である恵が蛍を見に行こうと言いだした。恵も圭一がずっと気を張っていることを知っていたのだろう、圭一もその意図は汲み取っていた。
結局行くことになったのは圭一たち家族4人と、同じく姉の家族4人だった。
叔父が付いてこず、さらには大人数の為、気が緩み、油断したのだろうか。あろうことか、月乃を一人にしてしまった。そして……気がついた時には遅かった。
警察の上層部である姉の旦那、つまるところ圭一の義兄は月乃が居なくなったことを聞くとすぐさま捜索隊を手配、自らも部下を数人連れて捜索を始めた。月紫は姉に預け、圭一と恵も同行することになり、捜索は数時間に及んだ。
そして現在、義兄の部下から連絡が入る。自分たちのすぐ近くに小屋の様なものがあるという、ちょうど圭一たちの場所が見渡せる場所にいる捜索隊からの連絡だった。
指示通りに行動していれば、言っていた通り、小屋の様なものがあった。虫の鳴き声が五月蝿い中で一瞬だけ物音が聞こえた。
その次の瞬間、圭一は小屋の扉を蹴り飛ばしていた。
「っ!」
「月乃!」
圭一は唖然とし、恵は悲鳴じみた声で娘の名前を呼んだ。
そのときの月乃の姿は悲惨なものだった、縛られている手はよほどキツく縛られているのか血の気が引き、さらには縛られている箇所からは血が滲んでいる。顔も血の気が引いて、青を通りこして白くなっていた。
ツンとした匂いもした、月乃の表情には生気が宿っておらず、死んだ魚のような目をしていた。身体はぐったりとしていて、力が全く入っていない。
「テメェエエエェエエ!!!!」
その月乃の姿をみた圭一は、瞬時に、ズボンのベルトを触っていた幸一を蹴り飛ばし、さらに馬乗りになって殴ろうとしたが、そこで義兄に止められた。
「馬鹿野郎、それ以上はお前も危なくなる」
「止めんなよ! 俺はこいつを殺す!!」
「それこそダメだろうが!! お前がいなくなったら誰がこの子を支えていくんだ!?」
「くっ……!!」
「早く手錠付けろ!」
「はっはい!!」
幸一は瞬時に捕まった。
圭一の義兄の部下たちは月乃を縛っていた紐を解き、恵は開放された月乃を抱きかかえた。少しだけ目が開いており、まだ意識があるようだったが、恵の顔をして安堵したのか、そのまま気を失ってしまった。
「なんで……なんで月乃がこんな目に合わないといけないのよ……」
恵は月乃を抱いたまま大粒の涙を零した。
それから、幸一は現行犯で逮捕。流石に甘い月乃の祖父母もこれにはマジギレ、圭一と姉には迷惑がかからないようにと“日野原”の名前をフルに使って圭一たちを保護し、逆に幸一は勘当され、金輪際圭一や姉家族には近づかないようにさせると宣言した。
しかし、そこで終わったのは、あくまでも“事件”の部分だけであり、それよりも大きな問題は、まだ解決には程遠かった。
月乃は側頭部に殴られた跡があったが、それほど重症ではなく、入院するほどではなかったため直に退院できることになった。しかし外傷は治っても精神的な部分は治っていなかった。
何をしてもほとんど反応すらしない、ただ、外に出ることだけは酷く嫌がっていた。それ以外は、ロクな受け答えもできず、必要最低限しか動こうとしない。
走ることが大好きで、なにをするにも楽しそうだった月乃の面影はもう、何処にもなかった。風呂好きだったが、いまはそれも赤ん坊のころに戻ったように、洗ってやらないとまず自分から入ろうとはしない。それも母親である恵にのみ許し、圭一は拒絶していた。医者によれば、おそらく男性恐怖症のようなものだろうと思われる、とのことだった。
それから月乃が本当の意味で目を覚ますまでの数ヶ月の間、日野原家に明るい話題が溢れることはなかった。
まだ続くんじゃよ(にっこり)
ここまでの読了感謝です。