ep1
「あっつい……」
ミンミンと五月蝿く蝉が鳴く通学路を、ランドセルを背負った俺が歩きますよ。
季節は夏、暑い。
難病で死んだ俺が転生して赤ん坊になって、ついでに男から女になってから早くも9年ほどが過ぎた。この9年間、特に離乳食が終わる時期までが本当に大変だった。
生後数ヶ月ほどだった俺の主食はたまに粉ミルクになるが基本適には主に母乳、つまりあの美人さん……まぁ俺の母さんのアレをアレして直接頂く訳だ。エロい意味で大変だったわけじゃないぞ、決して、自分でも不思議なほど何も思わなかったからな、本能か何かだろうか。
離乳食が大変だったのは単に感触が気持ち悪かっただけ、というか俺もずっと同じ様なもの食べてたけどな。だからだろうか、離乳食には軽く殺意を覚えた。
しかしここまでほとんど固形物を食べていない、歯が生え揃ってないから当然と言えば当然だけど。ちなみに歯が一切生えていない口の中というのはもう体験したくないな。
歯が生え揃ってからはやっと固形物が食べられるようになった、身体は上手い具合に動かなくてこぼしまくっていたが……赤ん坊って元からそんな感じだったな。記憶を引き継いで転生したのに同年代の赤ん坊と同じような動きしか出来ない……いや、アレだから、何年も動いてなかったから……そのブランクか何かだから、きっとそうだ。
しばらくするとこの体にも慣れてきて、数年が経つと足腰も発達してきたのかちょこちょことだが走れるようにもなった。ついでに食事の際にもこぼす量がかなり減った。
走れたときの感動はいまでも覚えてる、俺も泣きそうだったけど俺よりも先に両親がなぜか泣いたから泣くに泣けなかったのを覚えている。
走れるようになったこと以外にも感動したことがいくつかある、まずはご飯が美味しいことだ。ずっと病院食だったからな、離乳食も同じ様なものだったが。まだ赤ん坊向けみたいな味付けだったが普通の食事になって、少しだが濃い味付けになったことには感動した。ちゃんとしたドロドロじゃない白米を食べるのは本当に久しぶりだった。
さらには体を洗えることだ、以前までも洗ってはいたが……正確には洗う、ではなくて洗われるの間違いだな。まるで洗車をするように磨かれるぞ。
あれも嫌いだったのだが、両親の手助けがあるとはいえ、自分で体を洗えることには一種の快感をも覚えた、変な意味ではなく。風呂好きになりそうだ。ちなみに両親の手助け、というのは勿論一緒に入るということだが、渋い感じの父さんの全身はムッキムキだった、憧れる、俺はもはやもやし以上、カイワレ並の細さだったからな、マッチョとまでは行かなくても健康的な体付きになりたいと思っている。
母さんはもはや想像できていた、どこぞのモデルかと思うようなそのプロポーションは半端なかった、父さんとはいい意味でよく似合いそうだ。だがたまに両親も一緒に入ってイチャイチャするのは止めて頂きたい。俺がまだ拙い喋りでそれを遮ったときに顔を赤らめるのも出来れば止めて頂きたい。夜ベッドが軋む音を見て見ぬ振りをしてるんだからここでくらい我慢してくれてもいいんじゃないだろうか。夫婦仲が良いことは嬉しいけどな……離婚とか嫌だぞ、俺は。しそうにもないけどな。
結論だけ言えば、基本的にずっと感動しっぱなしだった。取り敢えずは体が動くことに感謝だな。
言うのが遅れたが、俺の名前は日野原月乃という。性別は女、年齢は現在9才、日野原家の長女だ。
ちなみに2つ下に妹がいる、父母姉妹の計4人家族だ。両親どちらともに祖父母が健在だった、まぁ父さんも母さんもまだまだ若いからな、晩婚化が激しいらしいこの日本でよくやることだ。
ちなみに父さんの名前は圭一、母さんの名前は恵というらしい、非常に覚えやすい名前だ。妹の名前は“つくし”だ、植物の土筆とかではなく、月に紫で月紫だ、絶対に予測変換で出てこないと思う。
父さんはどこぞの大会社のお偉いさんらしい、知ったのはごく最近だったが、聞かなくても日野原家がわりと裕福なのは俺がいま住んでいる家からも容易に想像できてしまう。
一言で言えばデカイ、次にスタイリッシュだ。大きさは俺の前世で住んでいた家を基準にしている、前世の家は田舎の一軒家だったから想像もしやすいと思うが、この家は土地が安くて比較的大きな家が多い田舎の一軒家と比べてもなお大きかった。歩き回れるようになって始めのころはよく迷子になってたっけな。
俺は現在9才、とっくの昔に小学校に入学して現在小学4年生だ。
入学したての頃は精神年齢が違い過ぎて話しもあまり出来なかったが、子供の成長というのはやっぱり早く、いまでは普通に話をする仲になっている。一先卒業までずっとぼっちでいることにならなくて良かったとは思うが、逆に言えば俺の精神年齢が小4と同レベルだと言われると少し心が痛い。ほんとは高校生くらいあるから……!
小学校に入学してからというものの、この通学路を歩くという行為が楽しくて仕方がない。周囲は「めんどくせぇ」だとか「車で来た」という輩ばかりだが、むしろ走って登校したいレベルだ、登校するときは班を組んで登校するからそんな真似は出来ないけどな。
ただ、夏は少し暑すぎるのが困る。流石に走るのが大好きになってずっと走り回っている俺でもすこし躊躇しそうになる、しそうになるだけで走っているけどな。それも一度熱中症になってから控えるようにしたけど。
あと日焼けも酷い、焼けると黒くならずに赤くなるのだが、それが兎に角痛かった。あの過ちは二度と繰り返すまい……
家から歩いて数十分のところに俺が通う公立の小学校がある、世間にはお受験とかいう巫山戯たものを受けて私立の小学校にはいる奴らがいると聞いたことがあるが、ちょっと何がしたいのか良く分からないな。小学校なんてどこも同じだろう。
「おはよ」
「おっす。おはよう、ヒノ」
ガラガラと自分のクラスの扉を開けると、数名の男子が取っ組み合っていた、プロレスごっこだろうか。ケンカじゃないしましてやイジメでもない、本当にただの遊びだ。取っ組み合っている男子2人は普段からよく一緒にいるからな。
「今日も元気そうだな、谷坂」
取っ組み合っている男子の片方の名前は谷坂佐介、ぶっちゃけて言えば俺をぼっちじゃなくしてくれた奴だ。まぁ……ずっと校庭を走り回ってたからな、そりゃ話しかけづらいだろう。
兎も角、切っ掛けは子供らしく些細なことだった。いつものように校庭を自由気ままに走り回っていた俺のところに、谷坂率いる男子グループの方からサッカーボールが飛んで来てだな、気がつけば一緒にサッカーをやってシュートを決めていた。脚力には自身があったからな、ズボンだったことも幸いだった。スカートはヒラヒラして走りにくいからあまり履きたくない、初めはスカート押しだった母さんもスカート姿で構わず走り回る俺に負けて、それからは基本的にズボンになった、やったぜ。
それからはなぜか馴染めなかったクラスにも急に馴染み始め、男女両方ともにわりといい関係の友人が出来るまでになった。
ちなみに“ヒノ”と言うのは俺のあだ名だ。日野原だからヒノだとか凄い安直なあだ名だがすっかり定着してしまい、俺は男女ともから大抵“ヒノくん”とか“ヒノさん”と呼ばれている。
現在7月、まだ8月にもなっていないのに蝉の鳴き声が非常に五月蝿い。しかしそれにも俺は負けない。
小学校で7月といえば大きな一大イベントがある、そう……プール開きだ。都会に行くと屋上にプールがあったりするらしいのだが、俺の通う小学校は普通に屋外にプールとついでに更衣室があった。
走るのも好きだが泳ぐのも好きだ、あの妙な感触が忘れらなくなって困る。寒中水泳とかは嫌だけど。
きゃーきゃーと騒がしい更衣室の中で俺は手際よく水着に着替えていく。しかしこの女子用の水着、俗にスク水と呼ばれるタイプのこの水着はどうにも着にくいし落ち着かない。男の水着は真っ裸になって一枚履いたら終了だからな、慣れれば大したことないんだろうけど、どうにも男のときの水着の着方を知っていると……なぁ。
どちらかというと、着るときよりも、濡れた水着を脱ぐときの方がさらに厄介だが。
ついでに言っておくと、あたりまえだがここは女子更衣室だ。つまるところ周囲は9才か10才の女子小学生たちだけという訳だが……なんだろうな、凄く危ない匂いがする。かくいう俺も今は同じ女子小学生になるんだけど……
周囲の女子たちはお互いの肌を触ったりしながら「わぁ! お肌きれー!」とか「すべすべー」とか言っている。俺の中では、そういうことをいうようになるのは女子高生くらいからだとばかり思っていたけど、テレビをみる限りでは今では小学生でも化粧をしてるらしいし、変わったなぁとは思う。そんな女子たちだが、俺の方には全然寄ってこない、触れようとすらしない。まぁ、何かされたいという訳ではないんだけど。
代わりにずっとチラチラ見られているような気もするけど基本何もされないし、勿論俺からも何もしない。悲鳴でも上げられたら心が折れそうな気がする。
プールには4箇所出入り口がある、1つは男子更衣室からつながっている出入り口と、女子更衣室からつながっている出入り口。あとは職員用と非常用だ。
俺が更衣室から出てプールに向かうと、さすがは着替えやすい水着の男子、ほとんど出揃っていた。
「女子って着替えるのおせーけど、ヒノははえーよな」
そう言ったのは朝、谷坂と取っ組み合っていたもう片方の男子の井上だ。下の名前は耕二郎とかそんなんじゃなかったかな。
俺が通う小学校は授業間の休み時間は10分、ただし2時間目と3時間目の間は業間と呼ばれて20分、昼休みは45分ほどある。まぁ……今日の体育は4時間目だからあんまり関係ないけどな。
しかし、休み時間があと5分くらいなのだが、プールサイドに出てきている女子は俺しかいなかった、井上が言うのもまぁ合っているだろう。ただ、着替えるのが遅いんじゃなくていろいろとやってるから遅くなっているだけだとは思うんだけど。
「ヒノって自分のことも“俺”っていうし、なんか男っぽいよなー」
「髪長いから女だってわかるけど、短くなったらほんとにわかんないかもな」
谷坂グループの男子たちはそう口々に言う、毎年この時期になると決まってそう言われる。俺の髪は肩にかかるかどうかというところまで伸びているが、俺はもっと短い方がいい、走っていると髪がなびいて半端なくウザイからだ。ただ、母さんと一緒に風呂に入ったときに俺の髪を撫でながら褒めちぎってくるのでどうにも言い出せない、流石に余所行きの時は仕方なく履くようにしているが、スカートの部分で譲ってもらった部分はあるからな、それもあってか大きくは出られないのが今の現状だ。
まぁ、スカートと違って髪なら括ればなんとかなるから我慢はできるのだが……水泳キャップをかぶるときに髪を仕舞いにくいのはどうにかしてほしい。
「俺も短くできることならしたいんだけどな」
「……俺はそのままで良いと思うけど」
俺がそう言うと谷坂はいつもとは違う小さな声でそう言った。
「谷坂、お前は髪が短いからそんなこと言えるんだぞ」
「そういうことじゃないんだよなぁ」
「何が」
「いや、なんでもねぇよ」
谷坂がそう言ったところでチャイムが鳴った。いつの間にか女子たちもわいわいと騒ぎながらプールサイドに来ていた。
ちなみにだが、俺は1年の頃、張り切って泳ごうとして見事に溺れかけたことがある。なんだろうな、勝手が違うのだろうか。今ではそこらの男子よりも早く泳げるようになったのだが、その事を3回に1回くらいの頻度で引っ張りだされるのでそれは癪に障る。
今日は連続投稿してます。
ここまで読了感謝です。