ドラゴンライダーと悪魔
友月は宿敵であるシークが実験的に作り出した合成獣に憐れみの情を覚えていた。なんの罪もない動物たちが無理やり各部のパーツを融合させられ、まるでオモチャのように弄ばれる。友情も愛情もない、ただのマッドサイエンティストとモルモットの関係。そんなものが許されていいはずがない。
「君のドラゴンは美しいですねえ。鱗の色が素晴らしい。体表だけ剥ぎ取ってコートにしたらさぞかし映えるだろうことでしょうねえ。僕の白衣はいい加減汚れているし、ちょうど外出用の服がほしいところだったんですよ」
「さっきはサメの頭を付けるとかいってなかったっけ」
友月は慎重にドラゴンを操って太陽を背に受けられるよう調整する。日差しを遮るもののない雲の上での戦いでは、より高い場所に位置どり、太陽が相手の視界に入るようにするのが定跡だ。
かなり強い風が吹いている。
ドラゴンなら飛ばされることはないだろうが、その背に乗っている友月たちはまともに風圧に向きあうことになる。派手な空中戦を演じて体重の軽いマリアが途中で落ちてしまわないよう、しっかりと腰に手を回させた。
「次から次にアイデアが湧きだして止まらないのですよ。ドラゴンだけは殺さないように、君たち二人を綺麗に仕留めてあげますから、激しい抵抗はしないでくださいね。いまなら安楽死できる薬もたくさん持っているんですけど、一本いかがですかねえ」
白衣のポケットから禍々しい紫色の液体の詰まった注射器を取り出す。医者がそうするように少しだけ針の先端から液体を出すと、あっという間に風に流されて消えた。
「あいにく人生をまだ楽しみたいんだ。遠慮しとくよ」
「そうですか、残念ですねえ。楽に死ねる最後のチャンスだというのに」
もう用済みだというようにシークは注射器をポイと後ろに投げ捨てた。たちまち強風に乗って雲の彼方に飛ばされていくそれを見送ってから、次の注射器を懐から引き抜いた。
「なんて大きさ……」
友月の背中から顔をのぞかせていたマリアが絶句する。
シークが抱え込むようにして持っている注射器は明らかに人間用のものではなく、ビールのジョッキではないかと思うほどの巨大さだった。なかには毒々しい緑色をした液体がたっぷりと注がれている。先端の防護キャップを外すと、注射針が銀色に凶悪な光を放った。
「これも日本で買ったものでしてねえ、中身は自作の強化薬なんですけど、これがなかなか良くできたものです。置き土産にザイドにいくつか渡したのですが彼は使ってくれましたかね」
目の奥に愉悦の色を潜ませながらシークは聞いた。
「さあ、わからないな」
「ということは自分には投薬しなかったのでしょう。馬鹿ですねえ、僕を信じて薬の力に頼れば死ぬこともなかったでしょうに。誰か彼の部下で変わった特徴を持った悪魔はいませんでしたか? たとえば以上に筋力が付いていたり、俊敏性が劇的に増していたり」
友月の脳裏に、マリアたちを拐った忍者のような悪魔たちの姿がちらついた。
おそらくあの変わり種の悪魔たちはシークの開発した強化薬のために特殊な能力を手に入れていたのだろう。厄介なものを作ってくれたものだ。
「覚えてないね。捨てたんじゃないか」
素直に話してデータをくれてやることもない。友月は素知らぬ顔で嘘をついた。
「そうですか、貴重な臨床データが取れると思っていたのですが……残念ですねえ」
心底落胆したというふうに溜息をつく。だが、すぐに気を取り直して特大の注射器を構えた。
「刺すのか……それ」
「もちろん。欲しいといわれても差し上げませんよ。人間への実用は試してみたいのですが、あいにく獣用にかなり濃度を高くしてありますからねえ。データを取るまでもなく即死しては、ムダになってしまいます」
「頼まれてもいらないよ。ビールでも断る量だ」
「ビール。あれは不味かった。個人的にはよく冷やしたワインのほうが好みでしたねえ」
「――余計なおしゃべりをしている暇はありませんわ。さっさと倒して、ヒデオ様の応援に行かなければいけませんもの。ほかの皆様に遅れをとったら笑いものですわよ」
マリアがかすかに赤みのさした頬をふくらませて催促する。
ヒデオはすでにエルザとの戦いをはじめているのだろうか。いくら同等の力を持つとはいえ、相手は魔王の心臓を取り込んでパワーアップしている。四人で力を合わせてなお勝てる保証はどこにもないのだ。
はやく助けに行かなければ。そのためには、シークと悠長に会話している暇はない。
「おやおや、あなたはユランという国のお姫様ではありませんか。すっかり存在を忘れていましたよ。どうでしたか、僕の訓練したドラゴン部隊の実力は。さぞかし脅威だったことでしょうねえ。空を飛べるというのは、それだけで圧倒的な優位に立てますから」
「その節はたいへんお世話になりましたわ」マリアがありったけの毒を込めて言い返した。「ぜひともその御礼をさせて頂きたくて参りましたの。すぐにユランの全国民の代表として、あなたに相応の礼儀を尽くす心づもりですわ」
「それはそれは、喜んでいただけて幸いですよ」
シークはぞっとするような目つきで微笑むと、その手にある残酷なまでに大きな注射針を合成獣の背中に突き刺した。短いうなり声が助けれくれと懇願するように獣の口から漏れる。
マリアが耐え切れずに目をそらす。
並々と詰まっていた緑色の強化薬は細い注射針を通じて、植物に水をやるような勢いで合成獣のなかに吸い込まれていく。
シークが空になった器具を捨てたときには長い首筋に血管がふくらみ、目が獰猛に血走っていた。三日間も餌にありついていないように牙をちらつかせ、いまにも獲物に飛びかかろうとするのを懸命に押さえ込んでいる。主人であるシークが合図を出せば一直線にドラゴンの喉元を噛み切ろうと飛んでくるだろう。
手綱を引いて、さらに距離をとる。
薬の効力は絶大だ。普通のドラゴンとはケタ違いのスピードで襲ってくるだろう。かわすためには、あらかじめ遠くにいるしかない。
「怯えていますね。あなたの恐怖がこちらまで伝わってきますよ」
「武者震いだよ」
友月は答えた。先手をとる。主導権を握らなければ辛い戦いになるだろう。
「それは興味深いですねえ。どうして痙攣するかというのも――」
シークの言葉の途中で友月はドラゴンの腹を蹴った。あらかじめタイミングがわかっていたというように急降下する。
青い鱗が太陽光を背にして、黒い影となってシークの頭上を急襲した。友月の薙刀が迷いなく振り下ろされる。空気を裂くような一撃はしかし、あっけなくかわされた。
見るとシークが背後についている。
「ヤバっ」
友月が斬りかかろうとした瞬間にわずかに上昇したのだろう。空中戦において後ろをとられるのは喉元に刃を突きつけられているようなものだ。
耳元で風が唸りを上げる。
腹の奥がふっと軽くなる。友月が意志を伝えるよりも早くドラゴンは下降していた。ぴったりとシークと合成獣があとを追ってくる。
右、左、フェイクを入れてさらに左。
落下しながらまこうとするが強化薬によって格段に強化された反応速度がそれを許さない。空中に漂う雲に突っ込む寸前で翼を開き、速度を減少させる。
ここが勝負だ。
追いつかれる一瞬前にドラゴンは大きく羽ばたき、喉首に食らいつこうとする敵の口から逃れる。向こうはスピードを落としていない。すれ違いざまに友月が薙刀を振るうもののシークは悠々と軌道を見きって雲のなかに消えた。
急いで再び優位な位置を確保する。
日差しが首のうしろをジリジリと焦がす。目が痛くなりそうなほど白い雲をじっと見つめる。
シークが現れたのは友月の死角からだった。すなわちドラゴンの真下である。先に察知した相棒が一声鳴いて敵の接近を告げる。
友月は視界を広げるためドラゴンを一回転させつつさらに上昇する。
青と白の世界が交じり合う。その中に一点、赤い口内を見せるドラゴンがいる。
「そこかっ!」
上を向いていたのを反転。
一気に落ちていく。友月は身をかがめて空気抵抗を減らしながら、交錯する寸前に薙刀を限界まで伸ばした。
腕に激しい衝撃が伝わる。だが手応えはない。振り向きざまに見るとシークがヒデオのように両腕を悪魔化させていた。鋼鉄の体を打ち破るためには、正しい角度で刀を繰り出さなければならない。目をつぶって当てずっぽうに攻撃したのでは、まともにダメージを与えられないということだ。
「……キツイな」
思わず弱音が口をついた。
目まぐるしく増減する遠心力に振り落とされるまいと懸命にしがみついているマリアが叫ぶ。
「なにを躊躇っているのです! 我が国最高のドラゴンライダーともあろうものが不甲斐ないですわ」
「……マリア」
「手綱を私にください。私が友月様のかわりに握りますわ」
「危なすぎる。手が滑ったらそのまま落ちるって」
「大丈夫ですわ。子どもの頃に何度かドラゴンには触れたことがありますもの」
自信たっぷりに胸を張るマリア。彼女の表情に迷いはなかった。
「――でも、飛んではいないだろう?」
「それはそれ、これはこれですわ。ドラゴンもほとんど自分の意志で動いているのでしょう。でしたら私にできない道理はありませんわ」
「……わかった」
右手に持っていたドラゴンの手綱をマリアに譲る。これで友月は胴を挟む脚力と、マリアの力だけでドラゴンと繋がっていることになる。
「頼んだよ」
「任されましたわ」
屈託のない太陽のような笑顔。友月は思わず見惚れそうになったが、頭上に影がさしたのに気付いて慌てて薙刀を握り直した。
「行くよ!」
「はい!」
友月とマリアとドラゴン。二人と一匹の間に芽生えた信頼は、これまで以上のスピードとパワーを生み出した。
真上から迫り来る合成獣に先んじて雲のなかに落ちる。手が凍りそうなくらいに冷たい。白い氷に満たされた空間はドラゴンの姿をすっかり隠した。
続いてくる音に耳を澄ます。血に飢えた獣は必ず雲のなかであっても追いかけてくる。友月はほとんど視界の利かないなかで上を見た。
頼れるのはドラゴンと、マリア。
誰よりも愛おしく思う動物と人。ドラゴンが首をもたげた。
――来る。
強い確信とともに上昇していく。マリアが後ろから友月を支える。ドラゴンが咆哮を上げた。シークの姿が見えるよりも早く友月は薙刀を振った。直後に敵が落ちてくる。両腕が痺れそうになるのをこらえて、哀れな合成獣とシークの胴体を両断する。
悪魔の返り血が届くことはなく。
雲のなかを消えていくシークの姿は確認できなかったが、引き戻されるような感覚が彼の死を証明していた。




