交錯
ダンクの正規軍を中心にサフラン、ユランを加えた連合軍はリエーヌの故郷を経由して悪魔の住まう国との唯一の接点である砦を目指していた。途中には警戒していた悪魔の残党の姿もなく、大軍ながらスムーズに進むことが出来た。
ユラン軍は悪魔による奇襲攻撃を受けて相当の被害を被っていたが、主力となるダンクの兵士たちの損耗は少なく、進撃するのには十分な兵力をまかなっていた。
「大広間にはあれだけぎっしり悪魔が詰まってたっていうのに、よく無傷で突破できたもんだな」
ヒデオが前後を囲むダンクの兵士たちを見ながら感嘆の言葉を漏らす。
二人の女王を拉致した忍者の悪魔と戦った大広間には、足の踏み場もないほど敵が密集していた。いくらヒデオと友月の活躍によって士気が下がっていたとはいえ、あれだけの大軍を相手に軽微な損害で済んだのは奇跡に近い。
「そういえば兄は見てないんだっけ。ダンクの兵器って百年くらいは進んでるんだよ」
凛がこともなげに解説する。いってから、しまったというようにミヒャエルの顔色を窺うが、金髪の王子は肩をすくめて応じた。
「もう隠していても仕方がないだろう。身内に秘め事をしていられる段階ではなくなった」
「ありがとうミヒャエル。やっぱり優しいね」
運命の王子様にぞっこんな妹の様子を冷たく見守る。やはり兄としては大切な妹をいかにも冷淡な男に任せるわけにはいかないと再認識する。いつか途中で服を破るなりしてミヒャエルの痴態を晒してやろう。それで興奮するようならもう手遅れだ。
「ロボットや自動車があるような国だからな、そのくらいは想像してたさ。で、どれだけスゴイんだ。レーザービームでも撃てるのか」
「兄、ちゃんと聞く気ないでしょ」
「ありますとも。悪魔をどれだけ早く倒せるかってのは、おれたちにとっても重要な問題なんだ。早ければ早いほどいい」
ヒデオは急に真顔になった。平生はリエーヌのそばでおちゃらけた雰囲気をまとっていることが多いが、エルザとの一戦を終えてから時々ふっと考えこむような表情を作ることがある。
小首を傾げながら凛は、
「喩えるなら鉄砲が来たあとの織田信長かな。槍とか刀で戦っている時代に、火縄銃を使っているような感じ」
「そりゃ比喩でもなんでもないだろ。現に槍とか刀で戦っているんだから」
「うーんと、でも火縄銃じゃないんだよ。もっと高性能な銃を使ってる。大砲もあるし」
「ならおれたちにも護身用に持たせてほしいもんだな。悪魔にも銃弾は通用するんだろう?」
「何発か命中しないと倒せないみたいだったけど、それでも近づいて斬るよりはずっと効果的だった。遠くから撃てるから安全だし、あたしも持ってるよ」
凛はスカートをまくると太ももに巻いていたガーターベルトからピストルほどの大きさの銃を取り出した。友月の視線が白い柔肌に釘付けになっていたので後頭部をはたく。
「おい、マリアにチクってやろうか」
「不可抗力だ。許してくれ」
「……まあいまのは凛が悪い。なんでわざわざ際どいところに隠し持ってるんだよ」
「え? ピストルってスカートの中にしまうものじゃないの?」
きょとんと目を丸くする。
映画に登場する女スパイのように太ももに拳銃を携帯するのが常識だと思っていたようだ。どこで誤った知識を身につけたのか、ヒデオは大きく嘆息した。
「せめて腰とかにぶら下げておけ。一々スカートを捲り上げてたんじゃ目に毒だ」
「護身用の武器は見えない箇所にひそめておくものだろう。ヒデオ殿は間違っているぞ」
前からリエーヌが口出しした。
相変わらず両脚の怪我が治っていないのでヒデオの押す車椅子に乗ったままだ。本人はいい加減自分の足で歩きたいとごねていたが、ヒデオがすねのあたりを軽く叩くと涙目になって諦めた。ルークの与えたダメージはかなり深刻だったようだ。
「私はサフランの家庭教師にそう習ったぞ」
そういえばルークに襲われた際もリエーヌが短刀を隠し持っていたことを思い出す。あのときも短刀はスカートの内側に縫い付けてあった。
こちらの世界では暗器の隠匿場所は人に明かせないようなところにするものらしい。
「リエーヌもまだ小刀を持ってるのか?」
「癪だがミヒャエルから拳銃とやらを分けてもらったのでな、そちらを使うことにした」
「どれ、ちょっと確認を」
女王のスカートをたくし上げようとヒデオが屈みこむ。その後頭部を拳が勢いよく襲った。
「……なにをしておるのだ馬鹿者」
「そろそろ仲を深めても良い頃かなー、と。告白もされたことだし」
「あ、あれはその場の雰囲気に呑まれたというか、ヒデオ殿を引き戻すための方言というか……あんな恥ずかしい台詞は二度と口にせぬぞ」
「できれば毎晩でも聞かせてほしいんだけど。主にもっと甘くて可愛い言葉を」
ヒデオが執拗にからかうと顔が絵の具で染めたみたいに赤くなっていく。その反応が面白くていつもちょっかいを出してしまうのだ。
麗子を冗談交じりでからかうことはあっても、リエーヌのように純粋なリアクションをすることは滅多になかった。むしろその手の話題に一緒に乗っかってくることのほうが多かっただろう。健全な範囲で二人して笑い合い、くだらない話を何時間でも続けられた。
麗子はそういう女性だった。リエーヌと瓜二つの外見をしていながら、性格や言動はまるで違う。
「これ以上続けるようなら押し手を誰かに代わってもらうぞ」
「それは困る。おれがニートになっちまう」
「にいと?」
「職なしってことさ」
「君の仕事はリエーヌが突発的に行動を起こさないよう見張っていることだ。もっとも僕の車椅子に乗っていては大したことは出来ないだろうがね。君が怪我をしていて動き回れないのは不幸中の幸いだった」
白馬にまたがって遠くへ視線を向けているミヒャエルが便乗した。彼の後ろには別の馬に乗った凛が続いており、一行のはるか上空では友月のドラゴンが悠然と飛行している。
大半の兵士は早足ほどの速度で歩いているため、気を抜くと遅れてしまいそうだった。
「ここからでも貴様に石を投げつけることくらいはできるのだぞ」
「一国の主たる者がそう貧相なことをするものじゃない。君はもっとおしとやかに振舞っていたように思うのだけどね」
「昔は女らしく従順な素振りをして貴様を籠絡せねばならなかったからな。いまはその必要性がなくなったということだ」
「あんまりはしたないことばかり繰り返していてはヒデオ殿も愛想を尽かすだろうね」
捨て台詞を吐くミヒャエル。
ユランを出発してから非情に機嫌が悪い。疲労かストレスのためだろうか。馬上にありながら眉間にシワを寄せ、考えこむ光景をよく見かけるようになった。リエーヌたちの会話に割り込んでくる頻度も増えた。
おそらくなにか原因があるのだろうが、ヒデオには心当たりがなかった。大陸一の大国の王子とあっては悩み事も比べ物にならないほど抱えているものなのだろう。
「おれはリエーヌにぞっこんなんでね。いまさら別れろったって別れはしないさ」
ヒデオの言葉は、凛の脳裏に引っかかって離れようとしなかった。
ユランのサフランの国境を抜けるさいに、ドラゴンライダーの大軍と戦った関所を通過する。番兵たちの数はリエーヌに同行していることもあって大幅に減っていたが、みな生気の満ちた顔つきをしていた。
やはり勝利がもたらす効用は大きい。
敵に勝ったという事実だけで、兵力を何倍にも高めることができる。ダンクの最新鋭の武器と、反撃の狼煙を上げた意気のおかげで、いまは同数の悪魔とやりあっても負ける気がしなかった。
「サフランの城には戻らないんだな」
ヒデオが周囲の光景を見渡しながらつぶやいた。
前回通ったときには真夜中で、しかも急行軍だったため道程はほとんど記憶に残っていない。ほんの数週間しか留守にしていないというのにサフランの様子が懐かしく思えた。
「あそこは進路から外れているからな。それに、いま帰ったところで寂しくなるだけだ。次に私が城の中庭を目にするのは、すべての悪魔を討伐し終えたときだろう」
「みんな元気にしてるかな」
「城に巣食っていた害虫は取り除いた。閑散としているが、平和な場所になった」
「きっとリエーヌのことを待ちわびてるぜ」
「違いない」王女は軽く微笑んだ。「ヒデオ殿は望郷の念を抱くことはないのか? 日本が恋しくなることもあるだろう」
「あんなところに未練なんてないさ。凛もこっち側にいるし――両親はたぶんおれたちのことを心配しているだろうけど、そのくらいかな」
「一大事ではないか。ご両親は一度に子供を失って、さぞかし落胆なさっているはずだ。せめて無事だという連絡だけでもできればいいのだが……」
荒い道路でガタガタと車椅子に揺られながら考えこむリエーヌ。横顔に見惚れそうになるが、ヒデオは無心で頭を振った。
「日本に帰る方法は、ある」
「本当か!」
顔を輝かせて振り向くが、すぐに表情に陰りがさした。
「……ヒデオ殿は故郷に戻りたいか?」
「いや、まったく」
「問題はそれなのだ。日本へ行く方法があっても、肝心の本人にその気がないのではどうしようもない」
「逆に聞くがリエーヌはおれに日本に帰って欲しいのか」
「……さあな」リエーヌは答えを濁した。「その方法とやらを聞かせてもらおう。ザイドからなにか吹き込まれたのか?」
「これはおれの推測なんだけど、エルザが日本で魔王の心臓を手に入れて、こっちの世界に帰ってくるときになにかが起こる。魔術には代償が求められるから、やつらが例のトンネルをくぐるとおれたちにも影響があるんじゃないか」
「日本への通路が開ける可能性があるということか。なかなか説得力のある仮説だな」
「エルザが日本でなにをやらかしているのか心配なのもあるし、様子が気がかりじゃないといえば嘘になる。もしかしたらエルザが戻ってくると同時に強制的に日本に帰されるかもしれない。そうなったら、誰がこの世界を悪魔から守るんだ」
「我々の世界の事情だ。悪魔たちと戦う責任は私たちにある。ヒデオ殿が案ずる必要はない」
「おれがいなくなったらリエーヌを守ってくれる人間なんていない。ミヒャエルは他人を庇うようなやつじゃないし、マリアは他人の世話を焼けるほどの余裕がない。友月がいなくなったら大騒ぎだろう。そんなマリアを、リエーヌは放っておけない。彼女のぶんまで重荷を背負おうとするはずだ」
「私はヒデオ殿が思っているほど人格者ではない」
「王女という立場を捨てることができるのか」ヒデオは意地悪く質問した。「サフランの民を見殺しにして、自分の責任を放棄してまで保身に走れる人じゃない。きっとリエーヌはみんなを救うために無茶をする。おれが日本に行ったら、君を支えることもできやしない」
無理だとわかっていた。
ルークの策略によってサフランの政治体制は致命傷を負った。彼女を過酷な運命から守るはずの兄姉たちはすでに亡く、防波堤となるべき腹心たちは悪魔に殺された。たった一体の悪魔のせいで彼女がどれだけの被害を受けたのか数えるのは無意味だった。
残されたのはゼロ。
代わりにヒデオという青年が日本から送り込まれた。彼女が頼れるのはヒデオだけだ。
「おれは日本に行けるとしても、行かない。もし向こうに帰されることになってもかならずリエーヌを迎えに来る。白馬の王子様でなくともそのくらいはやってみせるさ」
リエーヌはなにも応じようとしなかった。周囲の兵士がリズムよく奏でる足音が空虚に響く。
来るべき日はすぐに訪れる、とヒデオは思った。
不当にねじ曲がった運命のひずみが解消される日が。




