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HEROES+《ヒーローズ・プラス》  作者: しんどうみずき
2章:異世界の再会編
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残滓

 もはや友月の動体視力をもってしても動きを追いかけるので精一杯だった。二体の悪魔がすさまじいスピードで攻防を繰り返しているとだけ理解できるが細かい過程は追い切れない。ヒデオが優勢なのか劣勢なのか、それすら判別がつかない。

 ビデオを三倍速で早送りしているような感覚。耳をつんざく甲高い金属音が玉座の間に反響する。

 人間を超越した動きが、ヒデオがすでに悪魔になってしまったことを明確に物語っていた。手足は金属よりも硬く変異し、節々から邪悪な色合いをした刺が伸びている。それらは光を切り裂くように黒い軌跡を刻んでは消え、また空間に爪痕を残す。

 友月の下でドラゴンが震えているのが感じられた。

 絶対的な王者でさえ畏怖するほどの高度な闘争が眼前で行われている。二体の間に友月が割って入る隙は一分も存在し得なかった。

 彼が唯一、介入することができるとすれば、それは決着が付いた一瞬しかない。

 勝者が安堵に心を許した刹那を逃さずに一撃で仕留める。たとえ最後に立っているのがヒデオだったとしても。

「……どうして俺はこんなに無力なんだ」

 日本では考えられなかった力を手に入れた。悪魔の力であったとしても、マリアを守ってドラゴンライダーの群れを撃退することのできる強さだ。今まで誰かを守るための腕力なんて必要だと思ったこともなかった。ドライブして、デートして、わずかな優しさがあればいい、そう信じていた。

 暴力などという物騒なものが要るのはチンピラに絡まれたときくらいだ。それさえ危ない場所に近づかなければ容易に避けられる。日本では喧嘩のひとつもできなくとも生きていける。

 だから、こちらの世界にやってきて初めて覚える感情だった。

 強くなりたい。誰よりも圧倒的な力で、大切な人たちを守りたい。

 ヒデオは彼の意思に比例して強さを身につけた。結果として悪魔に征服されることになってさえ、ザイドを倒すことを選択した。

「……俺にそんなこと……できない」

 ザイドが生き残れば、勝利する可能性は万に一つしかないことは本能的に理解していた。体内に眠るシークという悪魔の潜在能力を限界まで引き出せばあるいは命を無駄にせずに済むかもしれない。

 だが同時に自分を失うことでもあるのだ。

 暴走したヒデオの運命をそっくりそのままなぞって何が残るのだろう。悪魔の激情に委ねるがままの破壊衝動と、大事な人を傷つけてしまうかもしれない恐怖だけが渦巻いて、あとはロボットのように殺戮に明け暮れる。

 マリアを再び目にしたとき、彼女を殺してしまいたいと思ったら、どうすればいいのだろう。

 力が欲しい。

 ドラゴンがいなければ無力な人間にすぎない自分が悔しかった。気付くと涙が頬を伝っていた。悔しくて泣くのは初めての経験だった。

 垂れてきた涙のしずくを手の甲で拭き取り、ヒデオとザイドの演じる乱舞に目を凝らす。いまできることは戦況を正確に見極め、しかるべき答を出すことだ。すなわち二体の悪魔のうちどちらが生き残るのか、そしてヒデオが人間に戻る見込みがあるのかどうか。

 たとえ万に一つの可能性しかないとしても最善の道を探す。

 リエーヌの美しい顔が悲哀の色に染まるのは見たくない。

 マシンガンのように間断ない接触音を頼りに戦闘の動きを追いかける。いくら人外のスピードをまとっているとはいえ、徐々に目が慣れてくる。悪魔である長所を最大限に活かした戦法をとっているヒデオは、訓練された武道の型をすでに忘れてしまったようだった。

 殴り、削り、突く。

 どの一撃も的確に急所を捉えている。対するザイドのカウンターも負けず劣らず致死的で、ヒデオの回避が一瞬でも遅れていれば確実に命を奪っていただろう。なかば直感に頼った戦いはいつ果てるともしれず、友月の額にじっとりと汗が滲んだ。

 レベルが段違いだ。

 一回のミスが死に直結する。いまやヒデオとザイドの実力は拮抗していた。悪魔の王子の覚醒がかなり進んでいるということだろう。引き戻すならなるべく早い方がいいが、下手に割り込むこともできない。

 弾き合う金属音に混じってどこからか喧騒が聞こえてくる。

 大広間に控えていた悪魔たちの大半はまだ残っているはずだ。彼らが士気を高めて逆襲に転じたのだとすればかなり状況がまずくなる。いくら実力が高くとも数の暴力は脅威だ。命運を決めるその瞬間まで力は温存しておきたい。

「……頑張れ、ヒデオ」

 邪魔にならないよう小さく声をかける。

 ザイドと死線を潜っている彼はもう友月の知っているヒデオではないかもしれない。それでも応援することくらいはしてやりたかった。

 だが、運命は残酷だ。

 友月の双眸はヒデオの遠く背後で大グモが最期のあがきを見せ、ありったけの糸を吐き出している光景を映しだした。重力にしたがって落ちていく糸筋はほとんど届かなかったが、わずかに彼の足元の床へ付着する。

 粘着性はいくらもなかっただろう。

 しかし悪魔たちによる頂上決戦の均衡を打ち破るには十分な要因だった。コンマ何秒ほどか糸のせいで踵を地面から離すのが遅れた。真っ直ぐにヒデオの心臓に向かっていたザイドの鉤爪は、弾こうとした腕よりも早く胸部に達する。

 ドラゴンが急速に羽ばたいて加速する。

 勝機があるとすれば今しかない。本能がそれを理解していた。

 ーーヒデオは負ける。

 確信していた。このままザイドに殺されると。

 友月の予想はしかし再び裏切られた。

「なに!」

 ザイドの鉤爪はたしかに心臓のすぐ上に命中していた。ヒデオの人間らしさが残っていた胴体部分は悪魔の攻撃を受けるのと同時にどす黒く硬化した。もうどこにもヒデオがヒデオであった証は存在しない。そこにいるのは王子であり最強でもある悪魔の分身だった。

 動き出したドラゴンと振り下ろしかけた薙刀を止めることはできない。

 必中の一撃を防がれたザイドが硬直している首筋めがけて斬りかかる。刃が肉をえぐりとる寸前に我に帰ってしゃがみ込む。友月はもう一体の悪魔を横目に空を斬った。失敗した。これほどまでに絶好のチャンスは二度と得られないだろう。

 千載一遇の好機を逸してしまった。

 深い絶望が友月の表情に浮き出る。勝てる術は途絶えてしまった。ヒデオを人間に戻すこともザイドを仕留めることも叶わない。暴走したら殺して欲しいという彼との約束も果たせそうにない。

 全身が脱力し武器を取り落としそうになる。

 慌てて掴み直すものの、いくら頭を働かせたところで希望は生まれない。

「……オシマイか。チェックメイト」

 静かに終わりを覚悟する。

 どうせ死ぬのならば少しくらい悪あがきをすればいいのだろうか。全力で逃走すればクモの糸で覆われた窓ガラスを割って城外に行くこともできるかもしれない。ドアを隔てた廊下沿いの部屋で囚われているはずのマリアとリエーヌを救い出し、サフランに亡命するという選択肢はひどく魅力的に思えた。

 悪魔のささやきのような甘い願望を首を振って否定する。

 友達を見殺しにしておめおめと敵前逃亡なんて格好悪いことをしてマリアに会わせる顔がない。そしてなによりリエーヌや凛になんと弁明すればいいだろう。ヒデオが悪魔になってしまったので諦めて自分の命を優先しましたとでも説明すれば納得するだろうか。

 馬鹿げてる。

 そんなつまらない未来を迎えるために異世界にやって来た訳じゃない。

 面を上げ、背中まで甲虫のように悪魔化したヒデオをにらむ。絶対にまだ挽回の余地は残っている。大切なのは一度きりのチャンスを見逃さない心眼だ。

「まさに殿下と瓜二つーーいや、本人というべきか。もはや同一の存在となっているな」

 ザイドがひとり説明を連ねる。

 彼も想定外の事態に驚いている。悪魔が恐れるのは自分よりも強い悪魔だ。

 ヒデオがザイドに近づいていくのを見て友月は息を吐きだした。戦闘に水を差したことで激昂して襲いかかってくるかもしれないと危惧していたが杞憂に終わったようだ。

 急ぐ様子はない。だが着実にザイドとの距離を縮めていく。

 死刑宣告のようにも思える長い時間。ふと彼の足が止まったとき友月は違和感を覚えた。理由はすぐにわかった。ザイドが笑いを堪えるように口元を覆っていたからだ。

 忍び笑いはやがて盛大な哄笑に変わり、玉座の間を支配する。

「なにを面白がっている」

 友月が問いかけた。嫌な予感がする。

「人間が悪魔になるなどという不可思議な事象が起こる。そこには必ず不自然に歪められた力が存在する」

「魔導書とやらのせいだろう。代償を払って術を発動させる。それのなにが変なんだ」

「術そのものにはひとつも疑問を挟む箇所はない。異様なのはサカモトヒデオ本人の身体だ。急激な構造の変化は拒絶反応をもたらす。それをいままで封じ込めていたことのほうが驚きだ」

「ーー拒絶反応?」

 ヒデオの四肢が当たり前のように变化するので気付かなかった。

 悪魔に己を支配されるにも不具合が生じるはずだ。これまでの戦いの中ではおそらくヒデオの力を求める想いがエルザを無意識に求めていたために拒絶反応もなかったのだろう。

 消えたかに見えたヒデオの残滓が儚くも抵抗を試みている。だが人間としてのプライドは同時に決定的に無防備な側面をもたらしていた。

「せめて悪魔になりきる前に死なせてやる」

「待て!」

 距離はザイドのほうがずっと近い。今度こそ間に合わない。だが、いきなり轟音が鳴ったかと思うとクモの糸で封印されていたはずの門扉が二人の間を遮った。

 新たな闖入者に視線を飛ばす。

 黒いスカートにボタンの大きく開いた白のワイシャツ。しなやかに伸びた指先の周りには小さな炎がくすぶっている。重厚な門を爆風で破壊した凛の隣にはダンクの第一王子ミヒャエルと、彼に肩を借りて立っている二人の姫君の姿があった。

「マリア……!」

「友月さん、兄は!」

 凛が両腕でそれぞれの悪魔に狙いをつける。

 友月はとっさに叫んだ。

「俺から遠い方だけを撃て!」

「オーケイ!」

 なんの予備動作もなく凛の指先から青白い炎が噴き出る。熱の奔流はあっけにとられるザイドを瞬く間に飲み込み、煌々と部屋を照らしだした。

「おのれレヴィの継承者がっ!」

 業火から半焼の状態で抜けだしたザイドが苦悶の声を上げる。その頭上に、すでに友月は移動していた。

「あばよ、四天王の最強さん」

 垂直に下ろされた薙刀はザイドの背中に深々と突き刺さり、貫通した。

 胸から突き出た刃を掴んで押し戻そうとするが友月とドラゴンの全体重をかけて阻む。やがて抵抗する力が弱くなり、乾いた音を立ててザイドの腕が大理石に伏せられた。

「はあ……はあ……」

 荒い息をしながら尻餅をつく。

 勝負は決した。ザイドに勝ったのだ。

「ヒデオ殿!」

 リエーヌの声が聞こえた。

 彼女の想いが、まるで自分の頭を砕こうとするようにうずくまっているヒデオに届いていればいいと願いながら、友月は床に倒れ込んだ。

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