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HEROES+《ヒーローズ・プラス》  作者: しんどうみずき
序章:異世界の邂逅編
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異世界の邂逅

 どこかに向かってゆっくりと流れているようだった。

 

 なにも見えないが、それだけは確実だった。大河に浮かぶ一粒の砂のように緩慢な速度で流れていく。それ以外にわかっていることはひとつもない。どれほどの時間が経過したのかさえ把握できない。千年かもしれないし、一秒さえ過ぎていないのかもしれなかった。


 ふと、ヒデオの視界の遠くのほうに小さな人影が現れた。

 影は少年のようだった。


 まっすぐヒデオをめがけて歩いてくる。このままではぶつかってしまう。声をかけようとしてヒデオは唇を動かせないことに気付いた。身体が半透明になっている。これのせいで麻痺したみたいに止まっているのだろう。


 少年は顔が確認できるほどに近づいてもためらう様子を見せなかった。針のように鋭い目つきで前方を睨んでいる。そこに年齢相応の無邪気さは存在していなかった。生涯で一度も笑ったことがないではないかと思わせるほどに峻険な表情だった。


 ヒデオのことなど眼中にない少年と透き通るように交錯する。


 彼はどこへ行くのだろうとヒデオは思った。背後を振り返ることはできない。だが少年の行く先はヒデオのやってきた方角だった。

 そのまましばらく身を預けるままに漂流していた。


 心臓の奥底に水銀を注ぎ込まれたかのような不快な感覚が、全身の血液を伝ってヒデオの体内を巡っていく。ヒデオは少年のことを思い出した。ついさきほど出会ったばかりなのにもう何十年も連れ添ってきたような錯覚と、明らかに自分のものではない異物を排除しようとする拒絶感が渦巻いている。それらは濃い絵の具のように混ざり合い、さらに黒に近くなる。


 気分は悪くない。

 しかし身内の諍いが収束するまでには時間が必要だった。悠久とも思える旅路のなかで、水が氷になるように徐々に実体化していく。

 出口にかすかな光がさしている。

 明かりに敏感になっていたヒデオはとっさに腕で顔をおおった。身体が動かせるようになっている。

 もうすぐこの奇妙なトンネルを抜けるという確信を得てヒデオが安堵すると、急に落下したような衝撃が走った。土埃が口に入った。






 一組の男女がいた。


 煌々と篝火の焚かれている陣地からほどない距離に森が広がっている。夜闇に紛れるように大口を開けて獲物が迷い込むのを待っているかのような森だった。その牙の先端、荒地との境界にある切り株の上に女は腰掛けていた。

 ふたりのほかに人の気配はない。


 男は警備の兵士が来ない場所をわざわざ選んだのだ。

 腰にさしていた剣を閃かすと、躊躇なく丸腰の女の太ももに突き刺した。


 短い悲鳴が上がる。

 女は切り株から崩れ落ちる。大粒の涙をためた瞳で男を睨み上げた。


「何故このような愚行に及ぶのですか!」

「黙れ。お前が綺麗なだけの馬鹿な女であればよかったのだ。その器量ならばどこぞの大国に嫁入りし余生を安穏と暮らすこともできたろう。それを卑しくも王位まで手中にしようと画策するとは、ほとほと失望したぞ」

「兄上、私は……私はみなのために戦っていたのです。嫉妬などと醜い感情に支配されてはなりません」

「口を慎めというのだ!」


 紅玉をあしらった豪奢な柄で殴りつける。女は反射的に頭をかばうが、その拍子に骨の折れる軽い破裂音がなった。男は女の血で濡れている刀身を指でなぞると我を忘れたように剣の腹で殴打をはじめた。


 いくら切れないとはいえ金属の塊を渾身の力で打ち付けられては無傷でいられるはずもなく、鈍い衝撃が繰り返されるたび女の一部が破壊されていった。刺された太ももの傷からはとめどなく流血が続いている。男が荒い息で手を止めたときには弱々しい呼吸だけが女の生命がかろうじで保たれていることを示していた。


「これでようやく終わる。お前との呪われた関係もこれで幕を閉じる」


 止めをさそうと剣を高々に振りかぶろうとすると、男の意気を挫くようにどこからか物音が聞こえてきた。


「くそっ、忌々しい」


 男が派手に舌打ちをする。

 この殺害現場を誰かに目撃されていたのだろうか。そうだとすれば抹殺する対象を増やさなければならない。こんな辺鄙な場所によりつくのは当番をサボって逃げ出してきた兵士くらいだろう。切り捨てても問題はない。


 彼の行うことはいつも神に嘲笑われているみたいに上手くいかなかった。いまもそうだ。重要な場面になるほど邪魔が入る。

 先祖代々より伝わる宝剣を構えながらすり足で音のしたほうに注意を向ける。


 人の動くような気配はない。ドジな小動物が木から落ちたのだろうか。

 楽観的な希望に思考を預けて身を翻すと、背後からうめき声のような音が聞こえた。酔っ払いだろうか。事件を見られていないのなら殺すこともない。余計な犠牲はいらない憶測を招くというものだ。

 松明を持たない森の内部は暗く、ほとんど視界がきかない。

 男は手探りで足元に生い茂る雑草をかきわける。もう諦めて戻ろうかと考えると同時に柔らかい感触に当たった。


「――何者だ」


 低く抑えて声をかける。

 身を隠すために伏せっている様子ではない。どうやら失神しているらしかった。しかし男の手が触れたことで気を取り戻したのか、ゆっくりと頭をもたげる。


「……うん?」

「何者だと聞いている。名乗れ」


 闖入者は奇妙な出で立ちをしていた。上着は薄い衣服が一枚で、下には見たことのない青っぽい生地のズボンを履いている。ところどころ破けたり白く脱色しているので貧乏人に違いない。どうやら兵士でないらしいのは明らかだった。

 剣を突きつけながら再度尋ねる。闖入者は首をひねった。


「ニホンじゃないのか」

「随分と不可解な名前だな。どこの出身だ」

「――日本だけど」

「ニホンとは聞いたことがない。いずれの国だ」

「だから日本だって」

「日本などという国はない。わかったぞ、貴様は盗賊だな。この手で成敗してくれる」


 切っ先を喉元めがけて振り下ろす。だが闖入者は寝転がっていた体勢から俊敏に身をかわすと、後頭部をかきながら男に背を向けた。


「どういうわけだかよくわかんないけど、おれも死にたくない。というわけで逃げさせてもらう」


 いうが早いや一目散に駆け出す。

 待て、と怒鳴り付けるが止まるはずもなく。


 男はすぐにこの不審な男を殺しておかなかったことを後悔した。彼の決断はいつも裏目に出る。そして煙のように現れた逃走者は導かれるように瀕死の女のもとへと向かっていた。

 運命の女神は男には微笑んでいないようだった。


 慌てて全力で侵入者のあとを追いかける。万が一にでも女を助けられてしまってはすべての計画が水泡に帰す。それだけは絶対に阻止しなければ。


 静寂を切り裂くようにふたりの足音が響き渡る。不慣れな足場をもろともせず侵入者は差を広げていく。そして、ちょうど女が横たわっているはずの場所で都合よく足を取られて体勢を崩した。


 ここで追いつかなければ。

 闖入者の足は完全に止まっている。男は血糊の乾いた刀刃を振りかざして切りかかった。

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